第63話 根拠ある忠誠の脆弱さ――『真祖』の場合
ウィンダリオン中央王国と共にラ・ナ大陸における「三大強国」と称されるシーズ帝国とヴァリス都市連盟。
その軍事面におけるハードウェアの象徴と言える、シーズ帝国軍の総旗艦『八竜の咆哮』と、ヴァリス都市連盟の魔導浮遊戦艦『大嵐』
『九柱天蓋』旗艦に接舷されているそれらの破壊を狙っているのが十三愚人の一人、Ⅸだ。
元プレイヤー。
恐ろしく整った造形の顔をしているが、その目は閉じられており無表情。
美しいまっすぐな金髪が、静止した黒白の世界に光を放っているように見える。
誰しもが「美しい」と評するだろうが、それはヒトに対して持つ感情とは異なる。
手の込んだ出来の良い人形を見た際に、誰もが持つ感情。
――綺麗だけれど、それ故にどこか怖い。
関節部分を見なければヒトにしか見えない、恐ろしく美しい顔をした金髪碧眼の球体関節人形。
それが元プレイヤーたちの集団「十三愚人」、Ⅸの姿。
その常に閉じられている碧い眼を見て、今なお生きている者はこの世界には誰も居ない。
元となる前は己が僕たちを優しく見ていたその碧い瞳を、Ⅸが己の意志で開くことは二度とない。
Ⅸがその瞳に映したいものはもう、この世界に在りはしないからだ。
『静止した世界』の中で動けはするものの、共に襲撃したⅡ、Ⅷと同じくその目的を達することができずにいる。
その目前に、無数の蝙蝠が集まり、ヒトの形を成してゆく。
静止した黒白の世界の世界においてもなお漆黒のその影に、紅く燃える焔の如き目が開かれ、鮮やかな朱に口唇が染められる。
『真祖』――血を吸う鬼の祖が敵に相対する際の、化生そのものの姿。
今は己が主である『黒の王』、ないしはその分身体である「ヒイロ」の血しか吸うことを赦されぬ『真祖』である。
だが「血」とはその者の根源に繋がり、その魂を溶かす命の象徴。
『天空城』勢を統べる魔導の王である『黒の王』の血を得るということは、その力をその身に宿すことに等しい。
特にその血を得てから一定時間は、『天空城』序列№004、左府の位置に在る『真祖』をもってしてもなお圧倒的な差のある『黒の王』のレベルに、ほぼ等しい力を得ることを可能とする。
それは『真祖』が使用可能な技・能力を圧倒的に増加、強化することももちろんだが、その神髄はステータスの爆発的な向上にこそある。
「貴女が私の相手なのね。――でも吸血鬼が血を流さぬ「球体関節人形」の私を相手にどう戦うつもりかしら?」
強大な力を持つ『真祖』を前にしても、球体関節人形が慌てることはない。
「我はもう、主殿以外の血を吸うことを禁じられておる」
どこか誇らしげに、真紅と漆黒で形作られた力の塊と化したベアトリクスが答える。
ざわざわとうごめく巨大な魔力が、大人バージョンをベースとしたベアトリクスに満ちている。
「あら素敵ね。でもそれで勝てるのかしら?」
血を吸う鬼であるからこその吸血鬼、その『真祖』
それは食事としてのみではなく、戦闘においては相手の血を吸うことで決着とできる数多の技を持っている事も意味する。
それらを封じられるということは、吸血鬼として十全の力をふるうことができないということだ。
「主殿の命も果たせぬ間抜けな僕になる気はないのでな。――勝つとも」
「ふふ、貴女たち僕は本当にいつも主に忠実ね」
ベアトリクスは主の命を違えるつもりはない。
主を失えば己が血を吸える相手はいなくなり、いずれ己も消え滅ぶ。
一蓮托生ともいえるその関係に、倒錯した陶酔すら感じるベアトリクスである。
ベアトリクスは己の視線に捉えた対象を『鏡』に封じ、それを砕くことで死に至らしめる『死鏡』を発動、捉えた球体関節人形を即座に砕く。
だが球体関節人形はくすくす笑いながら砕けた鏡を元通りに再構築し、無数に増殖してベアトリクスの周りを取り囲む。
「でもそれって、どうしてか考えたことはある?」
そして笑うがままに問いかける。
その笑声には、確かに狂気が含まれている。
「貴女の素敵な主様は、どうしてあなたにとって素敵なのかしら?」
過去、元となる以前は己も無数の僕を従えていたはずの球体関節人形。
だがこの世界に負けて元プレイヤー――愚か者の一人となりながらもなお存在し続けている球体関節人形に今、僕はいない。
ただの一体も付き従ってはいない。
「貴女を倒して配下にできるほどに強いから?」
ベアトリクスが生み出す無数の蝙蝠に覆われ、鏡の数を減らしながらも問いかけ続ける。
確かに『真祖』はイベント入手型のキャラクターである。
『天空城』へは『黒の王』に倒されるというカタチで参加している『真祖』なのだ。
「女として、どうしようもなく惹かれてしまう魅力を持っているから?」
最後に残った大きな鏡を、虚空に現れた無数の巨大な瞳から発される血のような一閃が穿つが、それは鏡を割っただけでそこから戻った球体関節人形には傷一つつけることができていない。
ベアトリクスが『黒の王』に従う理由を、問い続けている。
「それとも――自分でもなぜかわからない、絶対に逆らえないという本能がその魂に刻み込まれているからかしら?」
元プレイヤーだからこそ問える、僕は僕としてシステムに縛られているからこそプレイヤーに従うのだということ。
ゲームのルールだから、現実化したこの世界でも僕は無条件に主――プレイヤーに従う。
「じゃあもしも――そのすべてが失われたら、貴女はどうするのかしら?」
忠誠の根拠の消失。
ゲームのシステムによって与えられたもののすべては、ゲームのシステムによって一方的に奪われることもあり得る。
与えられた力を失い、与えられたアバターを失い、プレイヤーとしての立ち位置も失う。
僕たちに君臨する主である根拠のすべてを奪われ、何者でもないただのプレイヤーそのもの、向こうの自分をさらけ出さされた相手に、ベアトリクスはどうするのかと問うている。
「貴女だけじゃないわ。今あなたの主に傅く僕たちすべて、その時どうするのかしら?」
球体関節人形が元となった時、同じことが起こったのかもしれない。
単眼少女のように自身より先に僕悉くが滅ぼされた場合と異なり、なにものでもなくなった自分に僕がどのように接したのか。
それを体験したがゆえに、球体関節人形は瞳を閉じ、二度とこの世界を見ないと決めたのかもしれない。
――だが。
「――くだらんな」
ベアトリクスは語るのも無駄とばかりに、そんな質問を重視していない。
考えているのは、どうやって球体関節人形を倒すかということのみ。
「ふむ、主殿の血を得た我の力であっても、その一切を無効化するのか。大したものじゃな」
意外と大雑把なベアトリクスは、エヴァンジェリンのように己の攻撃を無効化するたびに球体関節人形の人工的な指で砕ける「指輪」の存在には気付いていない。
ただ繰り返しから、己の技や魔法がどうやら通じぬらしいということを理解しただけだ。
「では単純に、力で砕かせてもらおう」
「え!?」
そう言って己の姿を、幼女バージョンへと変化させる。
幼女の姿となった『真祖』は、ほとんどの技も魔法も使用できなくなる。
その代わりに血を吸う鬼――鬼としての素体の力を、最大限に発揮できるようになる。
――単純な剛力と速度。
僕のあらゆる技と魔法を無効化する「指輪」も、ただの力技を無効化する能力は持っていない。
ベアトリクスはものすごいスピードで球体関節人形に接近し、その球体関節の悉くをただ握りつぶしただけである。
球体関節人形はそれに一切反応できず、されるがままに破壊される。
四肢を失い、胴体だけになった球体関節人形を、幼女形態のベアトリクスが首根っこを掴んでぶら下げるようにしてもつ。
ベアトリクスにとって至上の命令である、「殺さずに確保」はあっさり完了したのだ。
「あと、汝の言うたことじゃがな。確かにすべてが、我が主殿に従う理由のひとつひとつでもある」
勝負がついた後に、ベアトリクスが答える。
「だがそれを理由として、主殿と共に過ごした時間は我だけのものじゃ。いまさら主殿を構成する要素の一つや二つや三つや四つかけたところで、我にとって主殿は主殿ゆえな」
5つや6つでも変わるまい。
なんなら存在としての主――『黒の王』やヒイロが消えてしまったとしてもベアトリクスは変わらないのかもしれない。
「力を無くせば我がその力になろう。見目が変わろうがその魂が変わらねば我には同じ」
どこか誇らしげにそう告げる。
「そしてこの忠誠が誰かに植え付けられたものであったとしても、それを前提に重ねた時間で生まれた想いはさっきも言ったように我だけのモノゆえな。まあなってみねばわからんが、少なくとも我はなにもかわらんと思うぞ?」
そんなことを言えるようになったのは、実はこの数か月のおかげである。
それ以前の長き時に渡る『世界再起動』による積み重ねだけでは、今のような答えは返せていなかったであろうことを、ベアトリクス自身が一番よくわかっている。
だからこそ偽りなき本音なのだということも。
「すごいのね」
「じゃろう?」
主を褒められたと思って、ベアトリクスが自慢げに笑う。
幼女形態なことも手伝って、その姿は無邪気そのものだ。
右手に四肢を失った球体関節人形をぶら下げているので少々猟奇的ではあるが。
「貴女のことを言ったのよ。――貴女みたいなのをたくさん従えているのであれば、貴女の主は私みたいに負けることはないのかもね」
呆れたように球体関節人形が言う。
その声には、質問を重ねていた時のような狂気がすとんと抜け落ちている。
十三愚人として自分でも笑ってしまうくらいにあっさり負けたが、今回のプレイヤーたちなら己の「愚かな望み」は叶うのかもしれないと思ったのだ。
「主殿が負けるのは確かに想像しにくいの。だがそうではない。――わからんか?」
「?」
「たとえ負けても、我らにとって主殿は主殿じゃということよ」
何百年。
いや何千年ぶりだろうか?
自分を打ち負かした、自分の時とはまるで違う『真祖』がない胸反らして踏ん反り返るのを、球体関節人形はその碧い瞳に映して嘆息する。
――はいはい、ご馳走様。





