第58話 世界会議――前日
ウィンダリオン中央王国、王都ウィンダス。
上空。
ウィンダリオン中央王国を「軍事大国」と言わしめるその象徴、『九柱天蓋』がすべて揃った状態で浮遊している。
もっとも先日アーガス島にて墜とされた一柱は約三ヶ月経った今でも現地で再建中のため、ウィンダリオン中央王国の重要軍事拠点から馳せ参じたものは七柱、王都守護として常駐する旗艦と合わせても八柱だ。
それでも他の国ではけっして見られぬ壮観ではある。
いや、王都ウィンダスの住民たちにとってもそれは変わらない。
九柱の中でも一際巨大であり、他の岩塊のような浮遊要塞ではなく浮遊島とその上に建造された城のカタチをしている、真の王城ともいうべき旗艦を見慣れているのがウィンダスの住民たちである。
だがその住民たちにとっても、『九柱天蓋』がすべて王都上空に集まっている様を見ることなど生まれて初めてのことだ。
それの意味するところは、常に『九柱天蓋』を配置しておくべき軍事的要衝からその要が失われているということなのだが、市井の人々はそんなことを気にすることはない。
国家間の大きな「大戦」を生まれてこの方体験したことのない国民たちにとって、戦争とは国境付近での小競り合いの事をさす。
先日の『アットワ平原の戦い』の情報を得た今でも、大陸中の国家をすべて巻き込んだ「大戦」の勃発など、現実的な出来事として想像することができないのだ。
だが今は、そんなことを想像しろという方が無理なのかもしれない。
一般にも広く公表されている『世界会議』の開催は、『アットワ平原の戦い』の際に発表された『連鎖逸失』からの迷宮、魔物領域の解放とあわさって、ヒトの大躍進時代を人々に予感させるには充分に足るものだ。
神の顕現すら止めることが可能となったヒトの力、それをもって世界各地の『連鎖逸失』を解放し、迷宮攻略と魔物領域の開拓を進めることが可能になるのであれば、戦争なんてしている場合ではない。
莫大な利益を生み出す未開拓領域が各々の国内にいくらでも存在する状況で、その開拓を可能とする「冒険者ギルド」と敵対するバカなどいるはずもない。
ただ莫大な未開拓領域が存在するだけであればその奪い合いも考えられようが、そこから利益を生み出すのは国家単体では不可能な状況。
なればこそ、一年どころか半年前にはそんなものが開催されるという想像すらされたことのなかった『世界会議』が成立しているのだ。
戦より利益を生み出す事業がいくらでも存在する状況で、戦をおこす意味はない。
よほどの理由がない限りは、だが。
市井で暮らす人々は本能的に、世界を左右するキャスティング・ボートを「冒険者ギルド」という国家の都合に捉われない組織が握ったことに安心しているのかもしれない。
そしてその世界初の『世界会議』の開催は明後日に迫っており、今日まで不穏な情報は未だ入ってきていない。
53にものぼる参加予定国家のいくつかが欠席、ないしは無視をしているとの情報はあれど、ウィンダリオン中央王国からすれば取るに足りない小国ばかりである。
酒場で政治を語りたがる殿方であればともかく、日々を懸命に生きる普通の人々であれば、失礼ながら聞いたこともないような地の果ての国の動向など知ったことではない。
三大強国と呼ばれるウィンダリオン中央王国、シーズ帝国、ヴァリス都市連盟がきっちり参加を表明している以上、『世界会議』は成立するのだ。
そして開催を二日後に控えた今日。
朝から王都ウィンダスはお祭り騒ぎとなっている。
最高軍事機密であるはずの『九柱天蓋』旗艦を『世界会議』の会場として開放したウィンダリオン中央王国に応えたわけではなかろうが、参加国家の中で最重視されている三大強国の他の二国の使節団が今朝方から到着したのだ。
まずはシーズ帝国。
シーズ帝国の国旗にも象徴される本物の生きた『翼竜』八頭が引く巨大飛空艇、シーズ帝国軍の総旗艦『八竜の咆哮』
それが空中で『九柱天蓋』旗艦に接舷し、皇太子クルス・グラン・シーズと第一王女ユオ・グラン・シーズを中心とした使節団が歓迎される。
ほぼ同タイミングでヴァリス都市連盟。
『九柱天蓋』と同じく魔導技術の粋である魔導浮遊戦艦『大嵐』
それが魔力を充填することで使用可能なものの、今や完全に逸失技術となっている『大質量転移』を使用して忽然とウィンダス上空に現れ、『八竜の咆哮』の隣に接舷する。
そこから現ヴァリス都市連盟総統であるアレックス・ヴォルツと、その令嬢であるアンジェリーナ・ヴォルツが使節団に囲まれて下船する。
その様子を、冒険者ギルドがアーガス島迷宮の深部から発見したという体で、『天空城』が提供している「表示枠技術」で上空に大きく映し出し、王都ウィンダスの住民たちはそれを見上げて喝采する。
その度に予算度外視で準備された無数の花火が打ち上げられ、魔導技術も使われたそれらは昼日中であるにもかかわらず、王都の上空に無数の色彩と轟音を巻き散らかす。
もはやお祭りそのものの状況だ。
他にも主催者とされている冒険者ギルドが提供した『大転移陣』を使用して、直接『九柱天蓋』へ転移してくる各国の使節団が到着するたびにその映像が映し出され、花火が打ち上げられる。
参加予定国家を一覧にした枠が埋まるたびに人々は快哉を上げ、まだ昼にもなっていないというのに酒場は開き、乾杯が交わされ始める。
最も盛り上がるのは、ホスト側である自国ウィンダリオンが誇る幼女王、スフィア・ラ・ウィンダリオンが夏の正装に身を包み、各国使節団代表を迎える映像が映し出される時である。
この時代の三大美姫と謳われる三人。
ウィンダリオン中央王国の幼女王、スフィア・ラ・ウィンダリオン。
シーズ帝国の第一王女、ユオ・グラン・シーズ。
ヴァリス都市連盟の総統令嬢、アンジェリーナ・ヴォルツ。
それが一堂に会するというだけで、市井の人々の酒の肴には充分なものだ。
そして難しいことを考えない、やじうまなればこそあるいは一番よく理解できているのかもしれない。
お偉いヒトたちが、難しいことを話し合うはずの『世界会議』
そこへなぜ、三大強国だけではなく各国の使節団たちもすべて、一目でわかるレベルの美女を伴って参加しているのか。
それはホスト国たるウィンダリオン中央王国の幼女王、スフィアと共に参加国の使節団を歓迎している三人の男が目的であると、人々には理解できているからだ。
言うまでもなく本命は、ヒイロ・シィという名の少年冒険者。
いまや『神殺しの英雄』と呼ばれ、『アットワ平原の戦い』から二ヶ月が経過した今では市井の者でも知らぬものとてない有名人となっている。
ここ最近一連の騒動の間違いなく中心人物であり、謎に包まれた美少年とくれば話題にならない方がおかしい。
地味にいつも連れている小動物も、主に女性に人気があるらしい。
これを奪い合うのは三大強国がそれぞれ誇る三大美姫たちとなるだろう。
ただし常に傍に控え、今も上空の表示枠に映るたびに男たちが大きく反応する三人の美女がいるからには、行方がどうなるかは全く読めない。
次点はアルフレッド・ユースティン・フィッツロイ。
ヒイロと同じく『神殺しの英雄』と呼ばれる一人であると同時に、自分たちの国の大貴族であるフィッツロイ公爵家の嫡男である。
独身であるからには、ヒイロは無理目でもアルフレッドに狙いを定めている国は、数で言うのならヒイロを上回るものがあるだろう。
ついでというわけではあるまいが、弟であるエリオットと、兄と同じく『神殺しの英雄』の一人であるアンヌへの婚姻話も引きも切らないようである。
属神四柱を倒した『神殺しパーティー』の残り四人の女性に関しては、ウィンダリオン中央王国のみならず、各国の貴族嫡男からの婚姻話も来ているらしい。
ここまでは主として女性陣が話題にすることが多く、男性陣の場合はやっかみ半分、政治話として語るのが半分と言ったところだ。
男女ともに実は最も話題になっているのが第三の男。
ポルッカ・カペー・エクルズ子爵である。
半年たたずしてアーガス島冒険者ギルド窓口担当から、大国ウィンダリオンの子爵家当主にまで成り上がった男。
そればかりか今や世界のキャスティング・ボートを握る「冒険者ギルド」の総ギルド長であり、その本拠地と見做されているアーガス島独立自治領の領主でもある。
現在再建されている『九柱天蓋』を下賜されることも公式発表されているこの信じられないサクセス・ストーリーの主人公は今なお独身。
大貴族の令嬢から、市井の美貌に自信のあるお嬢さんたち、なんなら高級娼婦たちであっても夢を見ることが可能な相手として、ポルッカの嫁が誰に、どんな立場の女性になるのかは今、市井で最も熱い話題であると言っても過言ではない。
男たちはやっかみもあることは否定しきれないが、実力と運さえあればこんな御伽噺のような出来事が起きうる時代の到来に熱くならざるを得ない。酒が入ればなおのことだ。
女たちも自分がポルッカをおとすということは与太話で話しはするが、実際は冒険者であれ役人であれ商人であれ、自分の想い人がそうなれるかもしれない時代が本当に来ていることを肌で実感している。
ヒイロにしてみれば、ヘンリエッタさんも大変だよなあ……というのが正直な感想だ。
自分のせいであることを完全に棚に上げた、他人事過ぎる感想ではあるのだが。
「なんか思っていたよりも大事になってますね、ポルッカさん」
にこやかに次々と来訪する使節団を迎えながら、ヒイロが小声で隣のポルッカに囁く。
エヴァンジェリンやベアトリクス、白姫は背後で都度会釈しているだけだが、笑顔で次々と現れる美女たちへ無言の圧力をかけていることにヒイロは気付いていない。
肩にのっている『千の獣を統べる黒』だけが胃を痛めている状況だ。
「あのな、旦那。もうちょっとこう、自覚持ってくれ自覚」
それに応えるポルッカも、最近はようやく板について来たよそ行きの笑顔で握手をこなしながら囁き返す。
「自覚というのであればポルッカ氏も持った方がいいと思うよ私は。一番狙われているのは間違いなくポルッカ氏だ」
「はあ?!」
だがその隣で、これはさすがに大貴族の嫡男だけにこう言った行事には手慣れているアルフレッドに囁かれて、ポルッカが目をむく。
仕事もできて、極端な立場の強化によって自分の言動が他者に与える影響を慮ることができても、他者が己をどう見るようになるかの認識がまだ追いついていないポルッカなのである。
政略結婚などというものに、見た目も年齢も関係がないということも。
大事なのは持っている力と、独身という事実だけなのだ。
世界を大混乱に巻き込んだ上で大陸統一という結果に至る、歴史でも大きな節目となる一連の出来事。
その始まりは何とも平和に、ある意味のんびりと幕を開けることとなった。
もちろんその第一幕となる『世界会議』が、そのまま幕を下ろすことなどあり得ない。





