第閑話 セヴァスの仕事
セヴァスチャン・C・ドルネーゼ。
『天空城』序列№005、近衛軍を統括する『執事長』
元々の銀髪と入り混じった白髪を丁寧に撫でつけ、それと同色の髭を整えている。
灰色の理知的な瞳に純銀細工の片眼鏡をかけた、「できる老執事」のイメージをそのまま形にしたような、痩躯で初老の紳士である。
常に穏やかな笑みを浮かべ、落ち着いた空気を纏っている。
何ごとにも動じない鉄の精神と乱れない物腰は、今や冒険者ギルドのトップに上り詰め、アーガス島独立自治領主兼エクルズ子爵家当主でもあるポルッカ・カペー・エクルズ子爵をして、公的な場では「心のセヴァスさん」とやらを降臨させて乗り切るとまで言わしめる。
だが実は『天空城』随一の過激派であり、我が主絶対主義者である。
セヴァスチャンよりも序列上位者は主である『黒の王』を除けばたったの四体。
序列№001、天空城のすべてを統括する『管制管理意識体』ユビエ。
序列№002、『相国』万魔の遣い手エレア・クセノファネス。
序列№003、『左府』鳳凰エヴァンジェリン・フェネクス。
序列№004、『右府』真祖ベアトリクス・カミラ・ミラ・ヘクセンドール
以上を数えるのみである。
だがその四名でさえも、厳格なる執事長には一目も二目もおいている。
女性体である約二名においてはある意味においては怯えているともいえるし、女性体の映像と声を得た序列最上位ですら、ここ最近は頭が上がらぬ様子。
主に対する「風紀の緩み」を指摘されては、思い当たる節の在りすぎる者にしては目を逸らして口笛を吹きたくなるのもやむなしではあろう。
特にメンテナンス組は、お小言をいただけば黙してただ俯くことしかできない。
まあそんなことは日常茶飯事レベルで、セヴァスとて本気で怒っているわけではない。
かくあるべしを最優先して、主の望みを蔑にするような本末転倒をおこすようなセヴァスではないのだ。
我が主の意志に反してさえおらねば、基本的には黙認する。
ただ行きすぎや緩み、増長がないように溜息交じりで自重を促す程度。
だがそれは身内に対してのみだ。
『黒の王』の僕たちが主の望みに応じてどのような態度をみせようが、その根底には己と同じ揺るぎない忠誠があることを理解している。
なによりも己が主の下、同じ僕に対して出過ぎた真似をすることもまた、この厳格な執事殿は嫌う。
では身内以外にはどうか。
その実例が今、ヴァリス都市連盟にて五大理事国に数えられている大都市、『ズィー・カーク』の市長執務室で展開されようとしている。
「我が主に対して刺客を放たれましたな? ズィー・カーク市長、エドヴァルド・カッツェ閣下」
静かな声でセヴァスが問う。
ヴァリス都市連盟のなかでもそれぞれ突出した力を持つがゆえに理事国とされる五大都市、その中でも「軍事力」に特化しているのがズィー・カークである。
その中枢である市長執務室へ、まるで護衛などないかのように現れたセヴァスと四体の侍女式自動人形を、市長エドヴァルドは信じられないモノを見る目で見ている。
それはそうだろう。
あらゆる護衛をなぎ倒し、屍山血河を築いて此処へ至ったのであればまだわかる。
だが何の警報も発されず、まるで誰も居ない街を歩いて来たかのようにこの部屋へ至られたとなれば、言葉を失うしかない。
実際市長執務室の前室に控える屈強な護衛たちは、意識を保ったまま指先一つ微動だにできないまま硬直させられている。
セヴァスたちがこの部屋に至るまで障害となる可能性のあった者たちはみな、セヴァスによって同じようにされている。
「貴様は……」
かろうじて絞り出した言葉に意味などない。
それが己の命を救うことがないことも本能でエドヴァルドは理解している。
「これは失礼を。貴方が刺客を放ったヒイロ様に御仕えする、セヴァスチャン・C・ドルネーゼと申します」
そう言って恭しく一礼して見せる。
その時点ですでにエドヴァルドはセヴァスの技に捕らわれ、口をきく以外の身動きを封じられている。
『魔力糸』
これがセヴァスの技である。
己の魔力を極限まで細く長く変質させ、目に見えぬ糸状となった無数の魔力を意のままに操る。
そのままでも鋼糸よりも強靭であり、そこらのヒトや魔物程度であれば両断することも容易いが、一定以上の硬度を持つモノや地水火風といった自然現象、または魔法などに対してはあまり効果的ではない。
それよりもこの技の神髄は、あらゆる対象の内部へ弱い部分や隙間から痛みを与えることなく侵入し、その対象を支配し意のままに操ることである。
今の場合はヒトの体内へ魔力糸を侵入させ、神経を支配して己が傀儡としているのだ。
だが本来の魔力糸の使い方はこうではない。
本来は自律する自動人形を、『懸糸傀儡』とするためのからくり糸。
セヴァスが統括する近衛軍の中核を構成する、侍女型自動人形たち。
彼女らを魔力糸と、そこからそそぐ己が魔力によって強化し、一糸乱れぬ『軍団』として使役することこそがセヴァスの真骨頂。
『天空城』の執事長となるまで、セヴァスが『人形遣い』と呼ばれた理由である。
今セヴァスに付き従う四体の侍女式自動人形たちはその『軍団』の中でも最古の者たち。
名を春花、夏鳥、秋風、冬月という。
常は拠点『天空城』の管理維持の実務一切を執り行う近衛軍、二千を数える侍女式自動人形たちの長である。
今回はセヴァスに使役される機会もなく、ただ付き従っただけに終わりそうだが。
「さて、お答は?」
表情を変えることなくセヴァスが重ねて尋ねる。
口をきくことだけは可能とされているエドヴァルドだが、何と答えてもそれが自分の人生最後の言葉になることを確信して何も言えない。
そもそもここまでするからには確信を持っているか、そんなモノなどなくても疑わしきは殲滅するだけの力を持っているということなのに、この質問の意味はなんだというのか。
「嘘をついたら殺しますわ」
「本当でしたら殺しますの」
春花と夏鳥が歌うように告げる。
「まあどのみち殺すのですが」
「殺そうとしたものが逆に殺されるのはよくあることですので」
無表情のままに、秋風と冬月が告げる。
ヒイロに刺客を送ったエドヴァルドを殺すことはすでに確定している。
それでもあえて、確認する意味。
「自分がどうして殺されるのか、きちんと自覚して死んだほうがよくはありませんか? 一応は我が主に挑んだ者、敵として死んだ方がまだ誉だと思うのですが」
勝てないと知りつつも挑む者をセヴァスは軽蔑しない。
それは己の在り方に殉じた者だと思うからだ。
彼我の力の差すら把握せぬまま、愚行に及んだというのであればそれはただの愚か者だ。
セヴァスは愚か者を好まない。
どちらにせよ相手の死を望んで果たせなかったその負債は、己の死をもってのみ贖うべきなのだが。
「なんでもする、だから助け――」
そこまで言った時点でエドヴァルドの首が落ちる。
どうせ死ぬのだからせめて誇り高く、我が主の敵として逝けばよいものを、とセヴァスは溜息をつく。
なぜヒトには己が殺される覚悟どころか想像力もないままに、他者を殺せと命じることができる者が多いのか理解できない。
『最古の四体』が言ったことは、『天空城』の僕たちであれば当然としていることだ。
覚悟と呼ぶのもばかばかしい、己が力を信奉して生きる者にとっての不文律。
それすら持たずに巨大な力を振り回し得るヒト、あるいは社会と呼ばれるヒトの集団の頂点に立つ者たちこそが、怪異たる自分たちよりもよりおぞましいのではないかとすらセヴァスは思う。
「――引き揚げましょう。これで我が主に刺客を放った者たちの殲滅はすべて完了ですね?」
「刺客本人たちは『千の獣を統べる黒』様がその場で処分済みですわ」
「命じた者は今の者で最後ですの」
「鏖にはしないのですか?」
「セヴァス様らしくありません」
セヴァスの確認に、『最古の四体』が順に答える。
もっとも秋風と冬月は今回の温い対応に、いささか不満があるようだ。
今までの『天空城』を知る者であればそれはそうだろう。
敵対したものはもちろん、必要と判断すれば敵対していないものであっても平気で根切りにしてきたのが、今までの己らである。
今周における己らの主は、なんというか一言で言えばらしくない。
「ヒイロ様の厳命です。命じた者と実行しようとした者以外には、けして手を出すべからずと」
だがセヴァスの一言で四体揃って深く頭を下げる。
絶対の主の方針に、異を唱えることなど己らには赦されてなどおらぬのだ。
『黒の王』が世界の守護者となるのであればそれに従い。
世界を滅ぼすというのであれば何のためらいもなく蹂躙する。
主の命に従うことが侍女式自動人形の在り方なれば、それに言葉上だけとはいえ反した自分を詫びておく。
「まあもうしばらく我慢なさい。我が主の本質はまったく変わっておられない。『世界会議』の当日に、それを知ることになりましょう」
『世界会議』への仕込みを、セヴァスはヒイロからすべて任されている。
見かたによっては甘いともいえる昨今のヒイロが、その本質においてまるで変わっていないことを、今のセヴァスは深く理解している。
間もなく開催される世界会議。
そこで世界はヒイロの、いや『黒の王』の本質を思い知ることになるだろう。
それを思うと笑みがこぼれるセヴァスである。
怪異の集団である『天空城』の首魁である『黒の王』として、己の在り方を実はまるでブレさせていないヒイロに対して、世界は、ヒトは己らの在り方をどう定めるのか。
それは間もなく『世界会議』で明らかとなる。





