第閑話 ヴァリス都市連盟の呪われた令嬢
ラ・ナ大陸北東部の海岸線一帯に存在する、都市国家の連合体であるヴァリス都市連盟。
海運を中心に、大陸外との貿易も盛んにおこなわれている一大経済圏。
南は歴史もあり突出した軍事力を有するウィンダリオン中央王国、西は過日の権勢失ってはいるものの、支配面積では未だ最大を誇るシーズ帝国と国境を接している。
それらと共に「三大強国」と呼ばれ、「経済力」という旧来の「軍事力」とは一線を隔した力をその象徴として、世界に覇を唱えんとする新しい勢力の象徴。
世界宗教であるアルビオン教の中枢、聖都『世界の卵』もヴァリス都市連盟にその名を連ね、信仰というヒトという生き物から切り離すことのできない劇薬もその身に呑み込む。
支配地域こそ小さいが、ある意味「三大強国」の中で最も勢いのある巨人である。
だがその巨人は今、混乱の極みにある。
先日のアルビオン教の暴走と、その結末はヴァリス都市連盟に属する都市国家首脳たちの心胆を寒からしめるのに充分足るモノだった。
とくにアルビオン教にのった、もしくはそう見做される都市国家はそれどころではない。
アルビオン教はこれ以上ないくらい完璧に負けたのだ。
それも策略や大国の協同という、搦め手で封じ込まれて負けたわけではない。
どのような手段を使ったのかはいまだ不明。
しかし自らの信仰する主神アルビオンと四属神を顕現、使役するという奇蹟を為しながら、アーガス島勢力に正面から完膚なきまでに張り倒されて負けた。
敗者は悪とされる。
これはアルビオン教がどのような思想のもとに今回の行動を起こしたかなど、一切考慮されることはない。
聖戦という呼称が公式に削除され、アルビオン教によるウィンダリオン中央王国への侵略未遂というのが、現在唯一絶対の事実である。
そしてアルビオン教――その聖都『世界の卵』がヴァリス都市連盟に属しているという事実は覆しようがない。
総統府はもちろん、都市連盟の中で五大都市と称される有力都市のどれもアルビオン教を止めることをせず、静観していたからには言い訳の余地などない。
つまりヴァリス都市連盟は、ウィンダリオン中央王国に対する敗戦国とされる。
少なくとも聖都『世界の卵』の暴走に対する責任は負わざるを得ない。
それを放棄することはすなわち、ヴァリス都市連盟の瓦解を意味するからだ。
「このような時にまで、己の権益を優先か……クソっ」
ヴァリス都市連盟の現在の盟主都市国家『ラ・サンジェルク』に設置されているヴァリス都市連盟総統府、その総統執務室で現総統アレックス・ヴォルツが毒づく。
己が尻尾を追い回す犬の如く、巨大な執務室の中を落ち着きなくグルグルとまわっている。
古代遺跡を再生した都市である『ラ・サンジェルク』には高層ビルのような建物が多く残されており、総統府はその中でも一際その高さを誇っているものを整備・再生したものだ。
ヒイロが見れば「まるでオフィスビルだな」と言いそうな建物の最上階で、アレックスは煩悶しているのだ。
加盟都市総会議の開催はもちろん、五大理事都市会議の開催もままならない。
みな各々の思惑のままに動き、ヴァリス都市連盟としての決定をなにも下せないまま時間だけが過ぎ、参加せざるを得ない『世界会議』の開催予定日が迫るばかりだ。
間違いなくアルビオン教の侵略行為に加担していた都市もいくつかあり、その中には五大都市の一角である『ズィー・カーク』も含まれていることが『三大陸』を呑み込んだ今や大商会である『黒縄会』の資料で明らかにされている。
互角に殴り合える戦力を持たない以上、ウィンダリオン中央王国と冒険者ギルドにわかり易い誠意を見せ、これから始まる『大迷宮時代』が生み出す莫大な利益構造の、蚊帳の外に置かれることだけは絶対に避けなければならないのだ。
それは中長期的にはヴァリス都市連盟の死と同義だ。
そのために賠償金として莫大な額を積み上げても、それでヒイロという中心人物の歓心を買えるのであれば安いものだと思うアレックスである。
「それをあの目先しか見えん凡俗共が……」
濃い蒼の髪と蒼い目、細身に引き締まったいかにも紳士という容貌とは裏腹に、苛つきからか日頃は絶対に見せない言葉使いになってしまうアレックス。
支払うべき時に支払うべきものをきちんと支払う。
負けは負けとして清算する。
だからこそ次の商機にも臨めるという、儲けるための基本ともいうべきものさえ、変化の乏しい中、お偉い立場に居続けていると忘れてしまうものらしい。
中にはあくまでも『世界の卵』の暴走だと責任放棄しようとしている都市や、あろうことか軍備を整えて戦をやらかそうなどとしている阿呆もいるという情報も入ってきている。
アルビオンに組していたことが露見している以上自暴自棄で一か八か、という短絡的な考えに陥っている阿呆にはほとほとあきれ果てるアレックスである。
アーガス島勢は完勝したのだ。
ほとんど被害も出ていない現状、身の内に在る世界宗教、それも顕現した神を擁する武力には従わざるを得なかったと言えばそれで済む。
もちろん短期的には相当の負担となる利を差し出さねばならぬのは当然だが、それでも滅ぼされてしまうより万倍もマシだ。
ヒトの大躍進時代がほぼ約束されているからには、そんなものはこれからいくらでも取り戻せる。
まあ阿呆が勝手に滅びるのは好きにすればいいが、「ヴァリス都市連盟」という己の商売道具を巻き込まれてはたまったものではない。
――私がこの立場に上り詰めるまでに、どれだけの労力をかけたと思っているのだ。
使えるものはすべて使った。
金も、コネも、必要であれば良心さえも売り渡してこの地位についたのだ。
アレックスにとって「ヴァリス都市連盟の総統」という地位は、そう簡単に手放せるものではない。
「よいではありませんか父上」
落ち着かぬアレックスに、『ラ・サンジェルク』の街並みから港、その向こうの水平線まで見渡せる席で紅茶を嗜んでいた娘が、くすくすと笑いながら声をかける。
「……アンジェリーナ」
ヴァリス都市連盟総統アレックスの一人娘、アンジェリーナ・ヴォルツ。
この時代の三大美姫と呼ばれるうちの一人。
父親と同じサラサラの強い蒼の髪を腰のあたりまでまっすぐにのばしている。
穏やかな光を湛えた同じく青い瞳を宿した美しい顔が、優しげに微笑んでいる。
露出の多くない品の良い純白のワンピースが、楚々とした雰囲気をいや増す。
見る者誰もが穢れなき蒼き花、「清楚」というイメージを浮かべてしまう美しい女性。
だがそのイメージと裏腹に純白のワンピースに包まれた肢体は肉感的で、部分部分をクローズアップすれば、男であれば生唾を呑み込まざるを得ないような艶を放っている。
見る者に清楚を思わせながら、男の本能に直接訴えかえるような肢体の生感。
そのアンバランスさこそが、アンジェリーナという美少女の最大の魅力である。
ゲームの設定で語られるとおり、イラストも3Dモデルもそれに外れない素晴らしいものであったが、生感という部分では現実化した今、圧倒的なものを放っている。
くすくす笑う唇や、ふと見える舌の朱までが艶めかしい。
「もはやヴァリス都市連盟という名前に、どれほどの価値がありましょうか。この際滅びたい者は滅びさせればよいのです。私たちの『ラ・サンジェルク』が健在であればそれでよろしいではありませんか。いやそれすらも実を取って名を捨てることに何の躊躇いが?」
穢れなど知らないとしか思えない無垢な声だが、語る内容は辛辣である。
利益を得られるのであれば名などに意味はない、それどころか退場する者が増えれば己らの取り分が増えると言ってのけているのだ。
必要であれば自分たちの都市国家さえ、いつものように売り渡せばいいのだと。
「私にお任せくださいませんか? 父上」
そう言ってただ穏やかに微笑むアンジェリーナに、実の父親であるアレックスであっても圧倒される色を感じる。
確かに世界会議に出席する際、アンジェリーナを伴う予定ではある。
我が娘の「魔性」があのヒイロという化け物にさえ通じるのであれば、アレックスは世界をその手に握ることも可能となる。
「しかしアンジェリーナ。今回は桁違いの力を持った存在、しかもどう見てもまだ十一、二歳の少年なのだぞ?」
「それでも男のヒトですもの」
そう言って変わらず微笑むアンジェリーナの瞳には、何の感情も浮かんでいない。
男でそれが赦される立場にいる者はみな、自分の事を組み敷きたがる。
今までだってずっとそうだった。
アルビオン教の偉い人も、五大都市の長を務めるような立派な指導者も、他国の外交官を務めるような英才も、みんな、みんなそうした。
だから男のヒトとはそういうものだと、アンジェリーナは思うようになった。
演技をしてみせれば、より夢中になる男のヒトは動物みたいで可愛いと思えなくもない。
子供の頃から綺麗だ、可愛いと言われて嬉しかった自分を、父親は利用したのだ。
それを今はもう、屑だとは思わない。
己の持つカードを全部使ってでも、何を売り渡してでも手に入れたいものがどうやらヒトにはあるようだということを理解したからだ。
アレックスにとってそれは妻でも、己の血を引く娘でもなかったというだけのことだ。
だから誰かの「何を売り渡しても手に入れたいモノ」に、一時的にでも自分がなりおおせられることが愉しくなった。
穢れなど何も知らぬ様子で誘いをかければ、どんな立場の男のヒトでもあっという間に自分に夢中になり、なんでもいうことを聞いてくれた。
それを愉しいと、アンジェリーナは自分自身さえも騙して信じ込ませたのだ。
そうじゃなければ、悲しすぎるから。
きっとアレックスが頭を悩ませるヒイロという男の子も一緒だろう。
どんな力を持っていたって、神様ですら殺せるだけの魔法使いだって、アンジェリーナにすることはそこらの男のヒトときっと変わらない。
アンジェリーナは笑う。嗤う。
だけど今度自分を組み敷くだろうその男は、その気になればこの世界を滅ぼせる男なのだ。
はじめは無理矢理、途中からは自分から何人もの男を誘っておきながら一度も嬉しいと思えなかった閨での行為を、初めて自分は嬉しいと思えるかもしれないとアンジェリーナは思っている。
期待している。
寝物語で以前の男の事を語れば、どういう反応を示すのだろう。
神様さえ殺しきる男でも、やはり嫉妬に狂ったりするのだろうか。
楽しい。嬉しい。
自分に完全に溺れたその男の耳元で世界の終焉を望めば、本当に終わらせてくれるのかもしれない。
別にアンジェリーナは世界を滅ぼしたいと思えるほど絶望しているわけではない。
ただ世界とは、そんなものだと思っているだけだ。
だがその瞬間自分は、その男にとって世界のすべてを犠牲にしてでも手に入れたい何者かになれる。
それを思うと笑みがこぼれる。
こんな自分でさえ好きになれない、大切なものをなにも持っていない自分など、神殺しの英雄専属のおもちゃになってしまえばいいのだと。
何も知らぬ少女であった頃はいざ知らず、女になってから出逢う男の誰もが、アンジェリーナの躰を好きにすることを望んだ。
己でも制御できない、男を必ず狂わせる「魔性」
それは呪いだ。
「T.O.T」の設定で語られるアンジェリーナ・ヴォルツ。
『アンジェリーナを見た男は年齢地位を問わずその躰を己がものにせんと望み、それが可能な立場の者は確実にその躰に溺れる。清楚な見た目と、食虫花のような妖艶さを兼備えた、生まれながらに男を狂わせる魔性』
それは現実化した「T.O.T世界」において、逃れようもなくアンジェリーナの人生を呪う。
この世界では基本的に、すべてが設定通りとなるからだ。
しかしアンジェリーナは『世界会議』の舞踏会にて出逢う。
望めばそれが可能なのに、そうしない男。
アンジェリーナの女にはそれなりに反応しながらも、だからと言ってそういうことを特に望まない相手。
それは我慢をしているからというわけではない。
その男にとって、アンジェリーナという女が、「あ、色っぽい」以上の価値を持たないからに過ぎない。
その男――ヒイロには「T.O.T」の設定などという呪いは何の効果も及ぼさない。
もちろんその僕たちにもそれは同じだ。
ヒイロにとってのアンジェリーナはただ綺麗で色っぽい、年上のお姉さんだというだけ。
僕たちにとっては「ヒトの雌だな」程度でしかない。
そしてヒイロたち以外には常に適用される呪いから、『天空城』は完全にアンジェリーナを護ることのできる力を持っている。
だがアンジェリーナはまだ知らない。
舞踏会のそこかしこにいる、ただの一人の女の子として自分が扱われた時に、自分がどうなってしまうのか。
恋する女の子の気持ちを今更に知らされることになる、呪いに汚された己が幸せになるのかより不幸になるのか。
今の時点ではまだ決まってはいないのだ。





