第閑話 シーズ帝国の皇族姉弟
ラ・ナ大陸北西部の広大な地域を支配するシーズ帝国。
もっとも北の大部分は雪と氷に覆われ、とても肥沃な土地とは呼べないものだ。
南は歴史もあり突出した軍事力を有するウィンダリオン中央王国、東は昨今の経済成長著しいヴァリス都市連盟と国境を接している。
それらと共に「三大強国」と呼ばれながらも軍事力でも経済力でも数歩劣る、巨大なだけの辺境田舎国家群の筆頭。
それがここ近年の偽らざる世界的な評価であり、シーズ帝国を統べる立場の者たちほどその事実をよく理解している。
それはもちろん帝室も例外ではなく、この閉塞状況を覆す具体的な方法論が帝国上層部で議論されるようになってもう長い。
具体的な方法論――すなわち侵略戦争である。
「ウィンダリオン中央王国は軍事力の象徴たる『九柱天蓋』の一つを失い、ヴァリス都市連盟は各都市国家の求心力の中核であったアルビオン教が崩壊しました。皇帝陛下、今こそ決断の時かと」
軍部を司る要職者たち皆が思っていることを、軍務尚書たるリヒテンバウム卿が代表して口にする。
もっともその要職者たちの中に、戦場からたたき上げの者など一人もいない。
みなお偉い肩書をもって戦略立案とやらをする、大貴族と呼ばれる者たちばかりだ。
ここはシーズ帝国帝都「八竜の泉」の中心、皇城「竜の心臓」の大会議室。
古き良き時代――新興国家として大陸を席巻し、一時は大陸を統一するとまで言われたころに建設されたこの城は、豪奢を極めた造りをしている。
特に主要な廊下や部屋の天井に装飾された天上絵画は壮麗であり、見る者を圧倒する。
手入れこそ行き届いているものの、今の時代に同じレベルの城を作る勢いを持たないシーズ帝国の指導者層の一部が、再び栄光の時代を取り戻さんと息巻いているのだ。
正直バカじゃなかろうか、と皇太子であるクルス・グラン・シーズは思う。
十四歳になったばかりの若輩である己にさえわかることが、なぜ斜陽とはいえ大帝国の要職に長年ついていたものにわからないのかが理解できない。
父親である現皇帝も、「うむ」とか言っている場合かとクルスは思う。
一刀両断で馬鹿なことをと窘めるべき場面だ。
――父上はのせられやすいからなあ……
だがのせられていい場面と悪い場面がある。
今回は後者の極みである。
自分が老いた帝国を継ぐまでは大きな動きもないだろうと判断していたクルスだが、今回飛び込んできた情報は、そんな悠長なことを言っていられない状況に各国を叩き込んでいる。
それはシーズ帝国も例外ではなく、ここでの判断ミスは間違いなく亡国を招く。
にも拘らず帝国の中枢が脳に花が咲いているようなことを言っている現状、皇太子としては頭が痛いクルスである。
あの映像を見て、今軍事行動を起こすなど自殺願望があるとしか思えない。
ウィンダリオンの『九柱天蓋』を、事のついでで叩き落とした謎の魔物集団と超巨大浮遊大地。
アルビオン教がどのような手段を使ってはわからないが顕現させた神、女神アルビオンとその四属神を叩き伏せ、その力をもって迷宮の『連鎖逸失』を解放すると宣言した、冒険者ギルドの弩級新人。
時期といい発生した場所といい、この二つを繋げて考えられないというのはどうかしているとしか言えない。
よしんばそれが別勢力だとしても、アレに抗する力を持たぬまま相手にシーズ帝国を攻める大義名分を与えるなど、論ずるにも値しない。
ここ数年で密かに増強した帝国軍総勢15万とはいえ、アーガス島上空とアットワ平原で放たれた圧倒的なあの力の前に、数など意味をなさないことなど誰でもわかる。
いやクルスの考えでは、今のシーズ帝国軍ではウィンダリオンの『九柱天蓋』にすら蹂躙されるとみている。
より巨大な力が『九柱天蓋』を鎧袖一触したとはいえ、あの浮遊要塞が弱体化したわけでもなんでもないのだ。
突出した個の力でも手に入れない限り、大軍を擁したところで草を刈るように蹴散らされるだけだとなぜわからないのか。
それこそ、冒険者ギルドにある日ふらりと現れ、それ以前の足取りは大国が本気になって調査しても何一つつかむことができないいま世界の中心と言っても過言ではない人物――ヒイロ・シィのような。
シーズ帝国も実は最近、とんでもない力を持つ個人を得ている。
帝国に対して好意的であり、冒険者ギルドの力を借りなくても、その者の力であれば『連鎖逸失』を突破できるのでは? と思えるほどの。
だが一連の事件を受けて、クルスは元々警戒していた自分の意識レベルを最上段まで上げている。
彼女はおそらく、いや間違いなく彼に連なる者。
シーズ帝国がヒイロ・シィの――アーガス島上空に顕現した勢力の敵だと判断されれば、彼女に内側から滅ぼされても何の不思議もないと判断しているのだ。
確かに冬の辺境区では餓死者も出始めた現状、焦るのはわかるが自殺はよくない。
もしもシーズ帝国の名が消えるのだとしても、それは多くの臣民にとって意味のある消え方でなければそれこそ意味がない。
皇族たるクルスにしても、興国の祖と、そこから連綿とシーズ帝国を繋いできた歴代の皇帝に顔向けできぬような亡国の主、最後の皇帝などになるのはまっぴらだった。
「クラウス元帥はどうお考えか?」
「滅びますな」
皇帝の「うむ」を受けて勢いずいたリヒテンバウム軍務尚書が、実際に軍を率いる戦場の総責任者、クラウス元帥に話を振る。
だが返ってきたのは期待した物とは真逆の、にべもない一言であった。
「は? え、いや、今なんと?」
「滅ぶと申し上げたのです。『世界会議』開催が宣言された今、どのような形であれ軍を動かした瞬間我がシーズは滅びます。間違いありませんな」
思わず聞き返したリヒテンバウムに、クラウスは奇妙な自信さえこめて明確に答える。
そしてそれは我がシーズに限りますまい、と付け加える。
「こ、これは勇猛をもってなるクラウス元帥のお言葉とも思えませんな」
お墨付きをもらって、喜び勇んで戦の準備に入るかと思っていたクラウスの慎重どころか論外という態度に、リヒテンバウムは鼻白む。
彼の知るクラウスという軍人は、多少の不利など己の力でひっくり返して見せると豪語する、猪突猛進型であったはずだ。
「勇猛と無謀を一緒にはしないで頂きたいものですな。というかアレを見てわからぬものですか? 帝国軍精鋭15万。半日ももちますまい」
リヒテンバウムのクラウスに対する見立ては、特に外れているわけではない。
だが実際に戦場に立ってきた兵として、多少の不利などではけっしてない状況で戦をおこすのは、阿呆のすることだということくらいはわかっている。
己が力を戦場で存分に振るい、シーズ帝国に報いることこそが武人の誉れ。
15万の兵の先頭で笛を吹いて、もろともに崖から身を投げるのはクラウスの望むところではない。
戦わざるを得ないのであれば、力をつけてからだとクラウスは判断している。
そしてその力を付ける機会と期間を、向こうから用意してくれると言っているのに今喧嘩を売るのはただの阿呆だ。
戦いを生業とする者にとって尊厳ある死というのは存在するが、無駄死にに尊厳などありはしない。
半日も持たないという歴戦の兵の断言に、さすがに主戦派も黙り込む。
戦場に身を置く者が、怯懦と見做されかねない発言をこの場で明確にするということには一定以上の説得力が宿る。
会議室が気まずい沈黙に包まれる。
「私が『世界会議』へ皇帝陛下の名代として出席します」
そのタイミングを待っていたように会議室の大扉が開き、一人の少女が入室してくる。
本来あってはならぬことだが、この少女の立場であれば大きく咎められることもない。
第一皇女ユオ・グラン・シーズ。
皇太子クルスと同じく、正妃を母とする姉姫である。
シーズ皇家の特徴である真紅の瞳と、強い黄金色の髪を長く伸ばしている。
整った顔は正妃によく似ていて儚げに見えるが、その瞳に宿る強い光がそうは見せない。
バランスの良いスレンダーな肢体を、品の良いドレスに包んでいる。
ヒイロが見れば大喜びするであろう、この時代の三大美姫にあげられる一人。
ヒイロは信仰の都合上毎回ウィンダリオン中央王国を選択し続けていたのだが、ゲームであった「T.O.T」においては、三美姫のなかでプレイヤーの一番人気を誇っていたいわゆる「お姫様」キャラである。
現実化したこの世界では、少々設定よりも気が強そうではあるが。
「さすがに陛下が直接出向くわけにもいかないでしょう。僕も姉上に同行しましょう。皇太子と第一皇女が出向くとあれば、礼を失することにもならないでしょうし」
いつもはおとなしく深窓の姫君を演じているくせに、こうとなったら自分の姉はどうあっても自分の意志を通すところがある。
そのことを知っている弟は、やれやれとばかりに援護射撃を行う。
あまり意見の一致することのない姉弟ではあるのだが、今回ばかりは完全と言っていいレベルで一致している。
ここでの行動次第で、シーズ帝国の命運が決定するということをわかっている。
いや既に話は一国の命運云々の域を超えてしまっていると、二人とも正しく理解している。
そしてここからの絡み方次第では、世界を左右する立ち位置にさえ己が立てる可能性。
それをヒイロという冒険者の情報を得た時に、二人とも確信したのだ。
「ただし『世界会議』が終了するまで絶対に軍は動かさないでください」
「それはお任せを。私の首がすげ替えられない限り、シーズ帝国を自殺させるような真似は誓ってさせません」
クルスの念押しに、クラウスが答える。
この男も、今回の情報を正しく理解できているのだ。
この決定によってシーズ帝国のこの会議は終了した。
そして『世界会議』が終わることを待たずして、リヒテンバウム以下主戦派の武官たちは思い知ることになる。
鼻白みつつも皇太子と第一皇女の顔を立てて引き下がった己の分別が、ほかならぬ己の首――立場ではなく物理的な――を救ったということを。
「姉上」
「なあに?」
会議室を退出し、皇族としてはお気楽に廊下を歩きながら弟が敬愛する姉に話しかける。
クルスはこの姉が兄であればよかったのにと、この歳になるまでに何度思ったか知れたものではない。
それはユオも同じようで、二人で話したときは性別が逆だったらよかったのにね、などと笑ったものだ。
「勝算はおありで?」
「ないわよそんなもの。でもできる限りのことはするつもり」
『世界会議』の事を問うているのは言うまでもない。
馬鹿でもなければ理解できる、圧倒的なアドバンテージを得ているウィンダリオン中央王国に対して、シーズ帝国として挽回する目算はあるのかと問うているのだ。
世界のキャスティング・ボートを握るのは冒険者ギルド、いやヒイロ・シィと名乗る一人の冒険者であることは認めざるを得ない。
だが既に存在する大国としては、その中心人物に対して他国に後れを取ったままでいるわけにもいかない。
そのためであればなんでもすると、ユオは言っているのだ。
「できる限りのことですか」
「そうよ。今自分でもちょっと引くくらい上品でいて色っぽいドレスを仕立てさせているわ。装飾品も国宝級を持っていくつもりよ」
「色仕掛けも辞さない、と」
「相手が年下なのが難点だし、傍に嘘みたいな美人さんが揃っているけどね。それに年齢のバランスで言うなら、ウィンダリオンの幼女王が有利かしら」
その美しさゆえに、国内はもとより国外からも無数の求婚をされているユオは、自分の女を使うことを本来は嫌う性質である。
能力も努力も、その美しさで全て覆われてしまうのを嫌っていて、ゆえにこそ男に生まれたかったと弟には何度も語っていたのだ。
ぜいたくな悩みだというのは自分でも理解してはいようが、思ってしまうことは仕方がない。
弟以外にはけして見せることのない、ユオの本当の姿がそれだ。
「楽しそうですね、姉上」
「そうね、女に産んでもらってよかったと今初めて思っているわ」
そう言って笑う。
その笑顔は弟のクリスをして、心を奪われそうになるほどに魅力的なモノだ。
子供の頃から、帝国を継げばこんなことをしたい、あんなことをしたいと、皇太子となる弟と一緒に妄想を繰り返してきたのだ。
自分たちの代になったら、シーズ帝国をもっと素晴らしい国にしようと。
そして知恵がつき歴史を学ぶようになるにつれ、己らの理想を実現するには途方もない力が必要であることを、聡明であるがゆえに理解せざるを得なかった。
帝国一国を完全に掌握したとしても、到底届かないほどの力を要求する己の理想。
聡明な子供の夢見る理想とは、現実の世界においては妄想、綺麗事と嗤われることを知り、諦めと共にそれでもよりマシな方へ進もうと大人になってきていたのだ。
その矢先に、とんでもない存在が現れた。
今の世界に存在する軍事力を、その圧倒的な力の前に在るも無いも同じ位置にまで平均化してのけ、顕現した神でさえも張り倒せる絶対者。
その絶対者をその気にさえさせれば、自分たちの夢を、望みを現実にできるかもしれない程の力の持ち主。
使えるものは何でも使う、というのは嘘ではない。
それも嫌々ではなく、喜んでだ。
彼が現れた時代に、年頃の女として存在できていてよかったとユオは笑う。
ぜいたくを言えばもう数年はやく現れてくれればよかったのに、とも思うがそこは要努力。
なにも唯一無二、絶対の伴侶の位置を望んでいるわけではない。
己が分不相応な望みをかなえてくれるというのであれば、己の持つすべてを捧げるくらいではその対価には見合わないだろうと思っているだけだ。
第二夫人であろうが、妾の一人であろうがそこはどうでもいい。
ヒイロが望む、理想の女の子を演じきって見せる自信はあるユオである。
まあいかに三大美姫に数えられているとはいえ、まともに恋をしたことすらない乙女の自信など、砕かれるために存在していると言っても過言ではないのだが。
「クルスは楽しくないの?」
「僕は立場があるからなあ……せめて友達にしてくれればいいけど」
クルスはクルスで思うところはある。
少し年下ではあるけれど己の夢を実現できる力を持ったヒイロが、笑わずにそれを聞いてくれればうれしいな、と思っている。
三強国の一角であるシーズ帝国の皇太子。
そんな立場にあるクルスに、本当の意味で対等以上の友達などこれまでは望むべくもなかった。
だがヒイロであれば、ただ好きか嫌いかだけで付き合える相手だと思うのだ。
当然シーズ帝国の皇太子として、するべき駆け引きはきちんとするつもりでもあるが。
「手下じゃなくて?」
「そこはせめて言葉くらい飾らせてよ」
遠慮のない姉姫の言葉に唇を尖らせるが、すぐに笑う。
それを見てユオも屈託なく笑う。
彼らにとってヒイロは力の塊。
己が望みのためにその行使を願う代わり、すべてを捧げることも厭わぬという契約を望む者が、ユオとクルスというシーズ帝国の姉弟なのだ。
彼らにとって『世界会議』の本番は、夜の舞踏会になりそうである。
エヴァンジェリン、ベアトリクス、白姫たちの危惧は確実に現実となりつつある。





