第57話 その冒険者、神をも殺す者。
「ポルッカさん、生きてますか?」
「おう、ヒイロの旦那。なんとかかんとかな……」
ノックを経て、ポルッカの新しい執務室に入ったヒイロの言葉に、力無い声で書類の山に囲まれたポルッカが答える。
いつものようにヒイロにくっついている三人娘も黒猫も、さすがにその様子には驚きの表情を見せている。
それほどの量の書類が執務机だけではなく会議用の円卓の上にも積み上げられ、その山の向こう側で目の下にクマを作ったポルッカが埋もれているからである。
ここは本来ウィンダリオン中央王国アーガス島総督府であった建物、その総督室であった部屋。
十日前に開戦即終戦した『アットワ平原の戦い』――アルビオン教ののたまった『聖戦』という呼称は破棄された――の後、ウィンダリオン中央王国はアーガス島独立勢に対して即時『独立自治領』として承認することを打診。
ポルッカを代表とするアーガス島独立勢もそれを即座に受け入れた。
言うまでもなくこれは茶番である。
事前の会議で決められていた通りことを進めたに過ぎない。
よって独立勢力暫定代表であったポルッカがそのまま独立自治領主とされ、当然のことながら仕事場も冒険者ギルドと総督府双方に分かれざるを得なかった。
現在急ピッチで建造、あるいは再生過程である墜ちた『九柱天蓋』を冒険者ギルド本部兼総督府とする予定だが、それまでにはいましばらくの時間が必要である。
「冒険者ギルド総長兼、アーガス島自治領領主にしてウィンダリオン中央王国新興子爵家の当主様にしては、いささか優雅ならざる暮らしですね」
「誰のせいだと思ってんだ、誰の!」
その上自治領主ともなれば貴族でなければならないとのウィンダリオンの慣例から、ポルッカは転移魔法陣にて即王都に呼び出され、簡易叙勲を受けて今や「エクルズ子爵家」を正式に継承している。
ポルッカ・カペー・エクルズ子爵様というわけだ。
それを受けてギルド総長不在のままの冒険者ギルド上層部も、ポルッカを暫定総長へと指名、受けざるを得ないポルッカはあれよあれよという間にヒイロの言った通りの位置へ押し上げられてしまったのだ。
押し付けられたと言った方がより正しいかもしれない。
大変革期における責任者というものは、得るモノも大きい反面「大変」という点では他の追随を許さないのも事実である。
トップでなくとも莫大な利益を得られることを確信されている冒険者ギルドという組織において、ポルッカに厄介事をすべて背負ってもらおうとするのは当然なのかもしれない。
その理由の根っこのところは、ヒイロといういまや絶対者と見做されている存在との対峙を可能とするのが、冒険者ギルドという組織内にはポルッカしかいないということなのだが。
「ははは」
「はははじぇねえよ……つっても旦那の方も大概じゃねえのか?」
「いえとくには。僕は相変わらず迷宮攻略の毎日ですよ」
「……そりゃなにより」
ポルッカを信頼してはいつつ、その置かれた立場を間違いなく面白がって笑うヒイロ。
――たしかに旦那とこんな風に話すのは、今から関係を築く連中にゃキツイわな。
それは能力の問題ではなく、付き合いの長さ――それもお互い何者でもなかった頃からの――に左右されるものであるのだ。
ポルッカの心配した通り、ヒイロの側も暇なわけはない。
国家群との駆け引きや、『連鎖逸失』から解放された各地の迷宮・魔物領域攻略の運営、管理は当然の事として冒険者ギルド、つまりはポルッカたちが主になって引き受けはする。
だが他国の介入を一切認めなかった「アルビオン教の解体」については、ヒイロたちが主導して行っているはずなのだ。
ざっくり聞いた限りだが、教皇庁上部は完全に解体するが、既に存在する世界中の教会とのネットワークは維持し、信仰そのものを禁止したり否定したりするつもりはないようだ。
ヒイロの背後にある『組織』の介入で、ヒトの暮らしの近くには確実に存在する「教会」を利用し、ヒトの生活基準を向上させるとかなんとか……
まあ悪いことにはならないだろうと確信できる程度には、ヒイロの事を信頼しているポルッカである。
エレアやセヴァスという、ポルッカから見てもどえらく優秀な面子もいるからには、ヒイロがあまり変わらず迷宮攻略を続けているのも言われりゃそうかと納得できる。
冒険者ギルドの方へはここしばらく出られていないから、冒険者としてのヒイロの動向を直接つかめなくなっている事も頭が痛い。
ある意味それは冒険者ギルドにとって最優先事項ともいえるのだ。
ああもう分身できねぇかな? などと冒険者のような事を考えてしまうポルッカに、ヒイロが声をかける。
「当然最終的な判断はポルッカさんがするとして……手が足りないなら優秀な秘書補佐を何人か呼びましょうか?」
「伝手があるなら是非頼む。このままじゃ俺はともかく、ヘンリエッタ嬢がつぶれっちまう」
『天空城』の侍女型自動人形であればまだまだ余裕がある。
まだアルフレッドたち1パーティー6人しかいない神智都市アガルタで、疑似冒険者ギルドや店舗など、各所に配されている者たちはその能力に反して暇で仕方がないだろう。
「管制管理意識体」
『天空城』のすべてを管理するユビエと、直接の上司ポジションとなるセヴァスに話を通しておけばいいとヒイロは判断する。
ユビエを介せばセヴァスにも話が通るだろうとの考えから呼んだのだが、いつもなら即応する表示枠が現れない。
「管制管理意識体?」
『……失礼しました、ヒイロ様』
怪訝な表情で再び呼んだヒイロの前に、慌てた様子のユビエが表示される。
表示枠にもノイズが入っており、映像情報でしかないはずのユビエの髪や服装が少し乱れているのは何の表現なのか。
顔も少し赤く、話す声は少しユビエの息があがっていることを伝えてくる。
「めずらしいね、何してたの?」
実体化したっていう報告は受けてないけどなー? という疑問を浮かべながら、素直な疑問を投げかけるヒイロ。
今までユビエにこんなことがなかったから、ただ単に聞いてみたというだけなのだが……
『いえ、とくにやましいことは何も。広義の意味で『黒の王』様のメンテナンスをしていただけです、ええ』
ものすごい早口で回答された。
慌てているユビエというのもヒイロは初めて見た。
「メンテナンス」
『ええ、メンテナンス』
そもそもメンテナンスとはなんなのか、それに「広義の」とつくのはどういう意味かと考えようとして、ヒイロは止めた。
後ろで半目になっているエヴァンジェリンとベアトリクスだが、自身にも思うところがあるものか、沈黙を守っている。
毎夜ヒイロを独占しているのが自分たちであれば、序列上位者たる管制管理意識体が少々眠れる『黒の王』にオイタをしても、仕方がないかとも思うものらしい。
「広義のメンテナンスであれば私たちも負けていません。毎夜我が主の――」
何の対抗意識か、そこまで口にした白姫はわりと本気の『鳳凰』と『真祖』に口を封じられている。
こういうときの『千の獣を統べる黒』は、ただの黒猫に徹することにしている様子。
「ま、まあいいや。侍女型自動人形を何体か、ポルッカさんのところへ派遣できるかな? 大陸中の書類が集まってきている惨状で、わりと限界っぽい」
『それは想定してしかるべきでした。早急に手配いたします』
「頼む」
「忝ねぇ」
いろいろあるんだろう、いろいろ。
考えることを放棄して、本来頼もうとしていたことを告げて良しとするヒイロである。
一度『黒の王』に戻って、無事を確認する必要はあるかもしれない
が。
ともかくこれで、ポルッカのオーバーワークもいくらかはマシになるだろう。
地位が上がるにつれポルッカの周りに寄ってくる女達とは違い、ただの受付だった頃からわりといいコンビだったらしいヘンリエッタの負担を軽くしてやれることが、ポルッカには嬉しいらしい。
ポルッカは地位が上がって気持ちを伝えることがセクハラではないかと感じ、ヘンリエッタは地位が上がったからいい寄ったと思われるのが怖くて進展していない。
まあ時間の問題ではあろう。
なぜかそのへんに妙に食いつく侍女型自動人形たちがいい刺激にもなるだろう。
「それで今日は僕に何の御用ですか?」
「ああ、やっぱり実務担当だけじゃぁ埒が明かねえってんで、『世界会議』の開催が内定したんで、その報告。――旦那にゃ当然、ご出席願う」
「ポルッカさんも当然出席者ですよね?」
「有り難いことに議長の御指名をいただいてるよ。旦那が横に座っててくれねえと間違いなく会議は踊る。――手間かけるが頼まあ」
ヒイロを呼んだ理由を、ポルッカが端的に告げる。
当然実務担当者たちでいくら詰めたとしても、最高責任者たちのコンセンサスが取れていなければ国家間規模の事業が前を向いて進むことはない。
最速と言っていいこのタイミングで『世界会議』開催が決定したことは喜ばしいが、普通であればポルッカの言うとおり間違いなく会議は踊る――それぞれの思惑を優先して、容易に結論に至るはずもない。
されど進まず、というわけにもいかないので、ヒイロの出席は必須となる。
踊るだけ踊らせた後、答えを出すためにはやはり力が必要なのだ。
それは戦場であろうが会議の場であろうが変わることはない。
もっと会議期間中に間違いなく催される「舞踏会」は、それはそれである種の戦場となることも疑いえない。
きょとんとしているヒイロは『社交界』などというものには疎いらしいが、傍に侍る女性たちはそうでもないらしい。
「嫌な予感が……」「また女の子が、増えるの?」「我が主は現在『神殺しの英雄』と呼ばれています。英雄は色を好むと言いますしねえ……」などという三人娘の会話を、黒猫は完全にスルーの構えである。
「うちから何人か連れて行っても?」
「神殺しの英雄様に注文つける兵なんざいねえよ」
「一冒険者としては、総ギルド長殿のお願いを断るわけにもいきませんね」
本能的に何か危険を悟ったものか、ヒイロが『世界会議』へはいつもの面子で行ってもいいかとの確認に、シニカルな笑みを浮かべたポルッカが答える。
建前はどうあれ、『世界会議』の主役はヒイロなのだと言っているのだ。
先にポルッカの立場を揶揄した自覚のあるヒイロは、苦笑いでそれを受ける。
初めての出逢い、会話からお互いの立ち位置もこの短期間でずいぶん変わったものだが、ヒイロもポルッカも今の距離感をお互いに気に入っている。
バレバレでありながら、あくまでもヒイロがポルッカに対してできるだけ一人の「冒険者」としてあろうとするのは、それもあるのだろう。
あるいはそれこそが、ポルッカ最大の強みでもあろう。
ポルッカの最初の勘は、今のところあたっていると言える。
「あ、そうだ。僕からもお願いが」
今日も今日とて迷宮攻略に向かおうとするヒイロが、足を止めて振り返り言う。
「明日から10日ほど、この島を離れます。正式指令ちょっとたまっちゃいますけど、すいません」
「いやそんなこた構わねえが……どこへ行くってんだ?」
どうせヒイロがいなければ誰もこなせない正式指令なのだ。
たまってしまうという言い方からも、後でまとめてこなしてくれるつもりではあるんだろうし、そうとなればポルッカに文句などあろうはずもない。
もともと冒険者とはそういう勝手気ままなもの。
攻略したいときにして、のんびりしたい時には好きにすればいいのだ。
すべて己の責任において、という当たり前の前提はつくのだが。
「今回貧乏くじ引かせちゃった連中のフォローにちょっと……」
初めてまとまった期間迷宮攻略を休むヒイロの理由が、まさか十日前に自分たちでぶっ倒したアルビオン以下四属神が失った経験値を取り戻すため、この時代の普通のヒトにはとても攻略不可能な高難易度迷宮に付き合うことだとはさすがに想像もできない。
久方ぶりにヒイロは『黒の王』として、本来攻略に明け暮れていた高難易度迷宮へと短期間であれど戻るのだ。
それはそれで少し楽しそうなヒイロである。
おもえば『黒の王』がもつ巨大な力を、現実化した「T.O.T世界」の迷宮で存分に振るうのが初めてとなれば、それもやむを得ないことなのかもしれない。
『世界会議』
その冒険者、取り扱い注意。
その冒険者、迷宮を解放せし者。
そして。
その冒険者――神をも殺す者。
今ヒイロという冒険者は、世界からそう認識されている。
アーガス島という世界の一部に現れた特殊な冒険者は、この会議によってその舞台を世界へと広げる。
そこでもヒイロはより多くのこの世界のヒトと関わり、それぞれの思惑にまきこまれながらもやはり大きく世界を変える。
本来ではありえなかった、このタイミングでの世界統一国家の成立。
そこに至るまでには今ヒイロが想定しているよりも多くのことが起こり、そして意外な形で決着する。
そしてその歴史の早回しともいえる行動が、本来五年後であった『天使襲来』を、ヒイロですら知らぬ形でこの世界に起こすことになる。
それはそう、遠い先の事ではない。





