第55話 神殺し
鐘がなっている。
大気を震わせ、それを聞く者の鼓膜だけではなく体も、魂さえも震わせるが如き大音。
それが時に三連、五連に連なって響く。
ヒトとヒトの殺し合い、戦争をする場を戦場というのであれば、ヒトと神が殺し合いをすることを何と称し、その場を何と呼ぶべきか。
この世界で今まで一度もなかったがゆえに名付けられていないその戦いの場に、連続する鐘の音が響き渡っている。
いやこの大音に一番近い響きがそれというだけで、当然本当に鐘の音などではない。
アットワ平原どころか、クルバルム砂丘全域に大気を震わせて響くこの音は、神の御業をヒトの身が防ぐ際に発される、戦闘の音である。
四柱の属神が、たった六人のヒト――1パーティーと戦っている。
ヒトと神との戦闘が成立している。
ヒイロの基準であれば一体が二百メートル級の巨躯を誇る美神四柱が、ごく普通サイズのヒト六人の四方を囲んで、全力で攻撃を仕掛けているにもかかわらずだ。
誰が見ても美しいと認めるであろう容姿をしているにも拘らず、それが一定以上巨大だというだけでおぞましさにも変わる。
至近でそれを見る者ほど、その感覚は強くなる。
地水火風の『大魔法』が連続して虚空より打ち込まれ、神体の巨躯そのものを武器として「小さき者」を叩き潰さんと振り下ろされる。
だがその悉くを、アルフレッドが多重展開するユニーク魔法、『絶対障壁』が防ぎきっており、その一枚一枚が砕かれるたびに鐘のような大音が響くのだ。
大魔法で五。
物理攻撃で三。
それ等は一瞬で砕かれるたび、三連、五連の連なりが大気を震わせるが、アルフレッドが十重二十重に展開する多重防御魔方陣を砕ききることができずにいる。
そしてその合間、アルフレッドたちの中から光を纏った矢が属神へと放たれる。
魔法の効果光に包まれているし、金も手間もかかったよい矢だ。
「弓使い」であるシエルが使用している大弓も、この世界でシエル以外の誰も矢をつがえ、弦引いたことのない希少武具。
だがヒトのために作られた、ヒトが使う武器。
その武器から放たれた攻撃が、神に届く。
常時展開されている神の防御結界を割り砕き、確実にその身を穿つ。
その度に神が、尊き者にはあるまじき絶叫を放っている。
アンヌの『防御貫通』を重ねられたシエルの攻撃が、神たる身にダメージを与えているのだ。
それ以外にも時折「騎士」であるブリジットとフィアナの剣が強大な光の剣となり、属神の巨躯を斬りつける。
空中を跳ねるように移動する「短剣使い」ジゼルが多重分身し、己が身の軌跡で空中に描いた複雑な呪陣から、五行――木火土金水に対応した縛鎖を撃ちだし、属神の巨躯を時間限定とはいえ拘束する。
順序を相生に従って効果と効率を高め、縛る相手を相克に従って当てるという、細心の注意を払っての戦闘挙動だということは、見ている者には理解できないだろう。
ジゼルが常に属神一柱、ないしは二柱の動きを縛っているからこそ、戦いが成立しているともいえるのだ。
交わされる攻撃と、それに伴って発する魔法効果光と響く大音。
魔法や技・能力が描く光の軌跡。
ヒトが神に抗する、抗することができている光景――もしかしたら己も至ることが可能かもしれない高みの実証を、今や敵も味方もなくただ魂を奪われたようにしてみな見つめている。
「キツイ。正直キツイぞ我が妹よ!」
一方現場。
見守る人々がある種の憧憬すらもって見つめる戦闘を行って見せている六人は、神の身に抗することができる己に陶酔する余裕など欠片もなく、ひたすら実際的に戦闘をこなしている状況だ。
己がユニーク魔法である『絶対障壁』を、自分でも数えきれないくらい展開しまくりながら、アルフレッドがハキハキと愚痴を吐く。
「兄様うるさいです。状況共有以外の言葉は余計です。――ヒイロ君の僕四体が相手なのですから、キツイのは当たり前です」
その戯言に、額に汗するアンヌが答える。
前半と後半が乖離している気もするが、一瞬の油断も許されない戦いだからこそ、適度に抜くことが有効であることを、ここしばらくの鍛錬で承知しているのだ。
それにしても言うようになったものだとアルフレッドは笑う。
ついこの前まで、「お兄様以外の殿方はその、怖くて……」などと言っていたものを。
それが今や、神をも穿つ魔法の遣い手だ。
「手加減が一切ありませんよ、これ!」
「というよりも憑代の感情に支配されていると思う。冷静でない分御しやすいから、これでもずいぶん楽なはず」
「連携されてたら詰んでる」
光の剣を定期的に叩き込んでいるブリジットの泣き言に、同じく騎士であるフィアナが突っ込み、一番の削り役であるシエルがいつも通り淡々と結論を出す。
「――さっきの愚痴撤回。さっさと倒して、聖女たちの恐怖を止めねばな」
その会話を受けて、アルフレッドが気合を入れなおす。
「敵対した者には容赦なし、の『天空城騎士団』規約に反しませんか?」
「大人ならまだしも、過ぎた力を与えられた子供の過ちにそれを適用するほど私は無慈悲ではないよ。――ヒイロ君もそうであると信じる」
一度己の意志で戦場に立った者には、等しく適用される『天空城』における絶対の不文律。
アルフレッドはそれに否やを唱える気などない。
だが強引に与えられた力に振り回され、ある意味大人たちに無理やり戦場に放り出された子供に、それは酷だとも思うのだ。
だが子供であれ大人であれ、やったことの責任は取らねばならない。
では今、子供である聖女たちがやったこととは何か。
アルフレッドたちと戦っているだけである。
それ以外は聖女の名とその身におりた神の力を、アルビオン教の大人たちが好き勝手に利用したというだけの話だ。
その大人たちは存分に自業を自得すればよい。
だがここで自分たちが完勝すれば、聖女たちは特に責任を取るべきなにものも無くなるだろう。
自分たちも一度体験した、殺される恐怖を得るだけで充分だとアルフレッドは思う。
後日「手強かったよ」と、笑い飛ばせばそれでいい。
「幼女好きだからじゃないんですかー?」
「それもある!」
空中から一旦舞い戻ったジゼルの突っ込みに対し、無駄に爽やかな笑顔で答える。
妹を含めた五人の美女たちは半目にならざるを得ない。
特にアンヌ以外の四人にしてみれば、自分たちに毛ほどの興味も示さないアルフレッドがその手の発言をするとそれなりに説得力があって困る。ガチですかー、としか思えない。
本当にそうであるならば、女の矜持的には救われるんだか、救われないんだか微妙なところではある。
「だからさっさと勝つぞ!」
だがともに死地を何度もくぐり、言っても誰も信じてはくれないだろうけれど一緒に一度本当に死んだ自分たちのリーダーがそう言うのであれば、答えは何時も一つだ。
リーダーのやりたいことを現実にするために、ヒトの限界を超えてまでここまで付き合ってきているのだから。
応と答えて皆が再び散る。
ヒトのレベル上限の軛を超えてなお、優しさという甘さの抜けぬリーダーの理想を、現実とするために。
クラリスは完全に恐怖に支配されている。
クラリスの体を憑代として受肉し、顕現したユリゼンはすでに満身創痍だ。
こちらの攻撃は通じない。
相手の攻撃は属神の護りを貫いて、神の身と合一しているクラリスの身を穿ち、抉り、切り裂く。
その度にクラリスはユリゼンと同期した絶叫を上げる。
痛い。怖い。怖い。怖い。痛い。痛い。痛い。怖い。――怖い!!!
その恐怖を振り回すようにして大魔法を発動し、巨躯をもって打撃を送るが、すべて幾重にも重なった防御魔方陣を数枚割り砕くだけで止められる。
それを繰り返しているうちに、最初は自分を含めて四人いた聖女、顕現した属神たちは倒され――殺され、今はもうクラリス――ユリゼン一柱しか残ってはいない。
死。
今まで真剣に意識したことのなかったものが、己の全身に纏わりついている。
そしてそれを引きはがすことはもはや不可能なことを、本能が理解している。
属神の数が減るたびに相手の攻撃の密度は増し、身動きできない時間も長くなる。
今また不思議な水でできた鎖が空中の呪陣より現れ、ユリゼンの巨躯を縛り付ける。
そうするとしばらくはまるで動けなくされてしまう。
その間に巨大な光の剣や、光を纏った矢でユリゼンの身は刻まれ、穿たれ、激痛と共に死の足音が明確に聞こえてくる。
死ぬ。
死にたくない。
でも死ぬ――殺 さ れ る !
自覚したと同時に恐怖も、痛みも麻痺した。
朦朧とした思考を今支配するのは疑問ばかりだ。
なぜ? どうして? 私が? 何をしたのです? 誰が殺すのです? ヒイロ様が? ユリゼン様はどうして何も話してくれないのです? どうして? どうして? なぜ?
死に近づいて、より一層意思は混濁する。
ユリゼンを我が身に降ろして聖都『世界の卵』に帰還してすぐに、クラリスはアルビオン教の教皇、主席枢機卿をはじめとする高位者に褒め称えられた。
千年に一人の真なる聖女、アルビオン教の聖母、神の愛し子、エトセトラ、エトセトラ。
聖女の中では一生懸命だったが、一番落ちこぼれでもあったクラリスは嬉しかった。
いつも意地悪をしてきた他の聖女のお姉さんたちが、急に優しくしてくれるようになったのも泣きたくなるほどうれしかった。
自分の大好きなアルビオン教のために、自分と自分に宿ってくれたユリゼン様の力を役立てることができるのが心の底から誇らしかった。
ユリゼンが教えてくれる通りの場所へ行けば他の聖女たちにも属神は宿り、一層クラリスは崇め奉られた。
神託の聖女などと呼ばれ、それは主神アルビオンを主席枢機卿に宿らせた際に不動のものとなった。
聖女筆頭。
それがあっという間にクラリスが担ぎ上げられた立場。
偉い人たちが言うとおりにしていれば、世界は神様が望んだ姿になり、争いも貧しさもない理想郷になると伝えられ、それを素直に信じた。
だって偉いヒトたちは間違わない。
だって貧しさに殺されそうだったクラリスを、助けてくれた人たちだから。
だからいうことを素直に聞く。
クラリスはよい聖女なのです。
ヒイロ様も感心するに違いないのです!
そう思っていたのに。
それがなぜ殺されなければならないのだろう。
もはやぼうっとした思考の中で、クラリスは思い返す。
教会騎士団のお兄さんたちがたくさん殺されたのも怖かったのです。
だからユリゼン様を呼べば大丈夫だと思ってそうしました。
でももう、自分以外の聖女たちはみんな殺されてしまったのです。
次は自分。
嫌だけど避けようがないのです。
死ぬのです。
私は死ぬのです。
ふと疑問が湧いた。
どうして自分が殺されるのか。
それは相手が自分より強かったから。
ではもしも――自分の方が相手よりも強かったら?
さっきまで恐怖にかられて振り回していた力が、今自分を殺そうとしているヒトたちを上回っていたら?
自分が相手を殺していたのだ。
ぞっとした。
そして理解した。
クラリスが正義と信じて疑っていなかった、偉い大人たちに言われて素直に従ってきたことはすべて、そういうことなのだと。
殺されたお兄さんたちも、殺された聖女たちも、これから殺される自分も。
いうことを聞かなかったら殺すぞ――そういうことを自分から仕掛けて、やり返されて殺されたのだ。
――私はいい聖女じゃなかったのです。
――なにも知らない、頭の悪い聖女。
だから殺される。
自覚がなかったとか、偉い人の言うことに従っただけなんて言い訳にならない。
――間違いましたのです。
殺そうとしたものは、殺されても文句なんて言えない。
そこに例外はない。
でもだけど――
誰かに正してほしかったのです。助けてほしかったのです。死にたくないの――
光に包まれた矢が満身創痍のユリゼンの額を穿ち、最後の属神の巨躯が崩れ落ちる。
ヒトによる神殺しが今、完全な形で成ったのだ。
「く、くくく、くくふふふはははははははははは!!!!!」
最後の属神であるユリゼンが討ち倒され、虚空に光として散っていくのを眺めながら主席枢機卿リカルドは哄笑している。
近衛の教会騎士団たちが呆然とする中、狂ったように笑っている。
ヒトが神を殺し得る事を目の当たりにしたアルビオン教信徒たちは、その力がこの後己に向けられた場合、もうどうしようもないことを理解して脱力している。
だがリカルドは安堵していた。
聖女四人を失い、属神も倒されたがそんなことはもはやどうでもいい。
これだけの時間をかけ、属神たちを倒したとはいえ満身創痍なヒトの最強を見て、心の底から安堵したのだ。
属神などではない、己に宿る主神アルビオンを倒せる力がアーガス島勢にないと確信して、嗤った。
想定とは大きくずれたが、最後に己が生き残っており、相手を皆殺しにできれば誤差の範囲だ。
主神アルビオンが健在であれば、属神がいようがいまいが大きな問題ではない。
「さあ主神アルビオンよ。我が身を憑代に顕現し給え」
哄笑をおさめ、いっそ静かに落ち着いた声でリカルドが告げる。
その目は狂気にぎらぎらとひかり、己が構想を歪めた神敵をいかに残酷に嬲るかということしか考えていない。
自分でも醜いと思っているこの身が、主神アルビオンの美しい神体と化すことにも倒錯した陶酔を強く感じる。
だが。
確かに己が身は変容を始め、それを憑代として主神アルビオンが顕現しようとしていることは間違いない。
だが痛い。
いや痛いなどという生温いものではない。
全身の骨が砕かれ、圧縮されてゆく感覚と痛覚が確かにある。
そして気を失うことも、声を出すことも、いっそ狂うこともできずに全身を潰され、砕かれ、肉の塊とすら呼べないモノへと変容させられてゆく。
――ばかな……
『貴様の身になど誰が顕現するか、汚らわしい』
最後にリカルドが聞いたのは、己が生涯にわたって商品として来た主神アルビオンの、見下げ果てたように嫌悪する声と、特に必要もないのに握りつぶされた己の肥満体の潰れる音であった。
身も心も捧げていると吹聴してきたリカルドにしてみれば、主神の声を聞いて死ねたことは本望であっただろう。
そしてアットワ平原に、一際巨大な神体が顕現する。
討ち倒された属神四柱を遙かに超える巨躯。
もしも今日アットワ平原上空が雲に覆われていたとしたら、そこに肩から上が消えかねないほどの威容。
主神アルビオンが、誰を憑代とすることもなく自身の意志で顕現したのだ。
敬愛する『黒の王』の命に従い、初めて全力で己が主に挑むために。





