第51話 ウィンダリオンの幼女王
アルビオン教が全世界に対して、アーガス島の聖地認定とその接収を宣言した翌日。
大規模魔法により世界中ほぼ同時になされた突然の宣言に、世界の舵をその手に握っていると自認している――あるいは自惚れている者たちは混乱の極みにある。
現在でも世界宗教としてある意味では国家よりも大きな力を持ち、それを背景にその力に見合うだけの利益も得ているのがアルビオン教という組織だ。
それが突然、世界三大強国の一角を占めるウィンダリオン中央王国と、迷宮攻略の実権を握っている世界規模の組織である冒険者ギルド双方へ、一方的に喧嘩を売るとなれば混乱もする。
国家規模、それも世界三大強国と見做されている組織が持つ力を知らぬ素人ではないのだ、アルビオン教は。
それどころか信仰というある意味狂気に近しい、ヒトが持つ本能とさえいえるモノを巧みに制御し、軍事力や経済力の塊、いわばわかり易い力の権化ともいえる国家と対等以上に渡り合う化物。
少なくともこの世界における世界宗教とは、武と金というカタチをしていない力の使い方を熟知した悪女の様な存在なのだ。
だがその基本は駆け引きと交渉――均衡を基本とする。
『教会騎士団』という個々では強力な軍事力を有するとはいえ、大国の正規軍と正面から渡り合えるような規模のものではない。
そんなことは、アルビオン教自身が一番理解しているはずである。
それが事前の根回しも一切ないまま、ウィンダリオン中央王国と冒険者ギルドを向こうに回して、巨大な利益を生む迷宮を接収すると一方的に宣言する。
しかもアーガス島の迷宮はつい最近、世界で唯一『連鎖逸失』が発生していないことが判明した、今現在世界で最も力と富を生み出す場所なのだ。
可能であれば、世界中の国家が手に入れたいと望む場所。
だが当然のことながら、本来その利権を握る者たちが「聖地認定」を受けたからとて「はいそうですか」と差し出すわけもない。
そんなことは百も承知で、今回の宣言を行う意味。
突然アルビオン教上層部の気が触れたのでもなければ、無茶を承知で押し通せると判断できる「根拠」と、通すべき「理由」双方を持っているということだ。
その大前提に立ったうえで、その理由と根拠がわからないからこそ各国の首脳は混乱せざるを得ない。
今回の宣言はアルビオン教の聖都『世界の卵』が属する、ヴァリス都市連盟上層部にさえ何も知らされていないままに行われた。
混乱の中情報収集とその分析を全力を挙げて行いながら、直接の被害を被るわけではない三大強国の残り二国、シーズ帝国及びヴァリス都市連盟はとりあえず静観の構えである。
だが当事者。
ウィンダリオン中央王国と、冒険者ギルドはそうもいかない。
よってアルビオン教によるアーガス島接収宣言がなされる前から定まっていた王族――それも『幼女王』スフィア・ラ・ウィンダリオン陛下本人――の来島を奇貨とし、ウィンダリオン中央王国と冒険者ギルド双方首脳による「対策会議」が行われることが急遽決定された。
図ったようなタイミングとしか言えないが、誰がそれを為したかと言えばアルビオン教なのかもしれない。
話し合った上で、さっさと明け渡せというわけだ。
「――まだか?」
アーガス島の総督府、その大会議室の上座に坐した幼女王が傍に立つ総督に確認する。
――大丈夫ですわ。落ち着いてさえいれば、王宮でするのと変わりませんもの――よしっ!
長く伸ばされた桜色の髪をまとめ上げ、その頭には幼女に似合わぬ豪奢な王冠が乗せられている。
大きな金と碧の斑の瞳は見る者を魅了する光と、深い叡智をたたえている。
だがこれもまた豪奢な王服と大仰な外套に身を包んだその小躯は、アルビオンの聖女クラリスよりも幼く見える。
間違いなくヒイロよりも年下でありながら大国の王を務めるがゆえに、スフィア・ラ・ウィンダリオンは『幼女王』の通り名を冠されているのだ。
その重責に対応するべく、話し方や態度のみならず、その身に纏う空気までも必要に応じて王たるに相応しいものへと引っ張り上げる。
それができるのが王族というものなのかもしれないが、さすがに限界はあろう。
歴史あるウィンダリオン中央王国王家ではあるものの、スフィアが継いで以降は「傀儡」の言葉も聞かれるし、実際に制御しきれぬ一部の大貴族や軍部が在るのも事実なのだ。
「申し訳ございません。今しばらくお待ちください。――もう間もなく見えられる予定です」
王女が引き連れてきた大貴族と近衛、その他の王国騎士たちに囲まれた総督が、それでも臆することなく己の真の主の質問に答える。
幼女王は総督の声に敬意と怯え――それも王たる己に対するよりも強いものを感じて少し不思議に思う。
総督といえば要職ではあるが、王を侮れるほどの立場ではなく栄達した役人――要は平民の上り詰められる、最高峰の一つと言ったあたりに過ぎない。
故に矜持は高く、そのため代々の総督は冒険者ギルドとは利益の面では握手をするが、本音では蔑みあっているような者が多かったと記憶している。
そう言った侮りをまったく感じられないばかりか、今から此処へ来るであろう存在に対して、王たる己に対するよりも敬意を払っているように感じられるとなれば違和感を得もする。
総督にしてみれば、あっという間に迷宮最深階層を更新し、その片手間で週に一度恐ろしい勢いで「土木工事」をこなすヒイロを間近で見ているのでやむを得ないことなのではあるが。
その理由を聞こうかと思ったタイミングで、大扉がノックされる。
冒険者ギルド側の出席者が到着したのだ。
「赦す、入れ」
この場の最高位者であるスフィアの許可を得て扉が開かれ、ぞろぞろとそれなりの人数が頭を下げながら入室してくる。
「お初にお目にかかります。私が冒険者ギルドアーガス島支部における最高責任者、ポルッカ・カペーと申します」
「えらく人数が多いな?」
全員が入室した後、どうやら冒険者ギルドの代表者であるさえない中年――スフィアの感想も大概ひどい――が最初に挨拶をする。
その声には一応緊張が滲んでおり、苦労人であることをうかがわせてはいる。
率直な疑問――ずらりと並ぶ己の護衛を棚に上げてと思わなくもないが――を幼女王が投げかける。
「この会議には絶対に必要な方々のみであることは、お約束いたします」
「まあよいわ」
冒険者ギルドには冒険者ギルドの都合というものが在るのだろう。
己への謁見程度でもったいぶると思われるのも癪だし――恥ずかしい。
「余の自己紹介は必要あるまい」
全員が巨大と言っていい円卓の席に着いたことを確認して、幼女王が口を開く。
王に自己紹介を望む国民はさすがにいないはずだからこれはオッケー。偉そうじゃありませんの。
言葉使いに関しては、もはやスフィアの鎧の一部だから赦してほしいところである。
「私はアルフォンス・リスティン・フィッツロイと申します。よろしくお願い致します」
続いて幼女王の左側に坐す、艶やかな栗毛の髪と、紫苑――すこし青みがかった薄い紫色――の瞳をした、涼しげな壮年の男性が優雅に挨拶をする。
大貴族特有の偉そうさが微塵も感じられない、穏やかな空気をその身に纏っている。
アルフレッドとアンヌの父親である。
「突然余に協力的になったモノ好きの公爵家現当主じゃ。なにを考えておるのかわからんが間違いなく力は持っておる。よってここに連れてきた」
さすがに長男と長女を亡くしてからおかしくなったとは言わない。
だがそれまではあからさまに王家に敵対することもなかったが、最低限の礼儀と義務を果たした後は好き勝手に己の家の力を伸ばすことを是としていた変わった男だったのだ。
それが今や、嘘偽りなく全面的に王家をバックアップする姿勢を取っている。
国内の他の大貴族たちや軍部も、この大物が傀儡とするでもなく王家の明確な味方になったことで少なからず動揺しているのだ。
「こやつはアルフォンスの紹介で最近余の近衛となったナギという。素性は知れんが――強いぞ」
幼女王の背後に立つ、フードをかぶった性別不明の小躯――近衛の説明だ。
ヒイロたちにとっては、説明不要の存在であることは言うまでもない。
手を振りたい衝動に駆られるヒイロだが、なんとか我慢する。
「あとは余の護衛……という名目での監視の連中じゃな。会議の邪魔はさせんから安心しろ」
軍部から派遣されている兵たちは、己の仕事を理解してはいる。
とはいえ幼女王に対する敬意がないわけでもないし、フィッツロイ公爵家現当主が同行しているとあれば部隊長格でも余計なことを言うわけにもいかない。
よってむっつりと黙っていることしかできない。
「で、そっちは?」
「こちらが我が冒険者ギルドにおける唯一の秘匿級冒険者ヒイロ・シィ殿。――と、その関係者たちでございます」
「大ざっばじゃな。最初は誰のハーレムかとも思うたが、余が知る顔もいくつかあるぞ」
まずはヒイロの事は当然知っている。
本来スフィアがわざわざここまで足を運ぶことになったのは、ヒイロに直接会うことをアルフォンスに強く勧められたからなのだ。
あと最近王国内で次々と他の傭兵団を併呑し、巨大化している『黒旗旅団』の首領とその副官。
ついでのように盗賊や盗賊紛いの傭兵団を撃滅しているので都市部ではあまり知られていないが、辺境区の国民には早くもかなりの認知度で、人気も高いと聞いている。
もう一人、こちらは王都でも名の知られている新進気鋭の商会『黒縄会』の会長。
ウィンダリオン中央王国だけではなく、大げさではなく世界中をまたにかける大商会『三大陸』を突如傘下に収め、圧倒的なシェアをより拡大している「民の味方」を標榜する商人である。
事実今まで独占、寡占状態であったいくつかの品が、適正と言える価格で流通を始めており、こちらは都市部での人気が高い。
その正体が「武器商人」であることを幼女王は掴んではいるが。
あとは冒険者の中でも有力ギルドとされている『黄金の林檎』の幹部が二人。
これは話題の秘匿級冒険者が名を知られるきっかけになった、個人との友好同盟を初期からかわし、「その冒険者、取り扱い注意」などという文書をまわしたので有名だ。
――確かにただの冒険者では不可能な面子を揃えていますのね……
「まあよい席につけ。さっさと会議を始めよう」
他にもスフィアですら見たことのない美男美女数名だとか、怪しげな仮面と外套を羽織った戦士らしき六名とかもいるが不問とする。
まずは会議を始めることが先決だ。
「で、誰が会議を主導する?」
「お初にお目にかかります、スフィア・ラ・ウィンダリオン王陛下。よろしければ僕に会議を進めさせていただいても?」
「好きにせい。みたところ冒険者ギルド側は貴様を絶対者としておるようじゃし、解せんがうちの肚黒公爵殿もそうらしい。それに――お主も緊張などするのじゃな、初めて見たわ」
スフィアの質問にヒイロが答え、その許可を得る。
ヒイロはヒイロで、らしくもなくすこし緊張しているのだ。
たった一人救える三人の美女の中から、常に選び続けて来ていた御本人と対面ともなればさすがにそうもなる。
何名かからの視線が痛いが、それは知らん。
一方、僕が真の主の前で緊張するのは致し方ないことだろう。
スフィアは自分がヒイロを「貴様」呼ばわりしたことに対して、ナギが緊張しているなど思いもよらない。
「では御許しをいただきましたので――白姫」
ヒイロが白姫に声をかけると同時、『静止する世界』が発動する。
黒白に支配された世界の中、ヒイロがこの場に必要だと判断した者以外、すべてが静止している。
「……何をした?」
「ちょっと世界を静止させました。改めましてヒイロ・シィと申します。スフィア陛下とお呼びしても?」
なんでもないことのようにヒイロが答えるが、スフィアは己の口が開くことを自覚しつつも、それを止めることができない。
スフィア側はスフィア本人とフィッツロイ公爵、ナギのみが。
ヒイロ側はポルッカと総督を除くすべての者が世界の静止から除外されている。
スフィアはかろうじて素を出すことは抑え込み、己の最も頼りとするものにこの状況がなんなのかを問うてみても答えはない。
つまりウィンダリオン中央王国の長い歴史の中で、誰も知らぬ事態が今目の前で起こっているということだ。
「呼び捨てでも構わんぞ。……そっちが上だということくらいは何とか理解した」
「そう言うわけにも……ああ、あと素でも構いませんよ?」
これが目の前のお兄さんの力によるものだとすれば、国王だの大貴族だのはただのヒトと何の変りもない。
世界を止めて見せた相手に対して、世俗の権威がなんの役に立つというのだ。
ファーストネームでも、おい小娘でも、好きなように呼べばいいと思ったが、ヒイロが苦笑しながら答えた内容にスフィアは愕然とする。
「え? ――なん、て?」
「ウィンダリオン中央王国王家に伝わる至宝『支配者の叡智』――その話し方は『賢王』と呼ばれ、長い在位期間を誇った先々代王の真似ですよね?」
「な、え? ――えぇ!?」
王家門外不出の秘事。
歴代のウィンダリオン王の記憶と知識を蓄え、当代にそれを己のものとして扱うことを可能にする、連綿と続く叡智を受け継ぐ至宝。
これがあるからこそ、スフィアはこの歳でありながらウィンダリオン中央王国という大国の王を、曲がりなりにも務めていられるのだ。
表向きはただ歴代の王に引き継がれる装飾品として扱われている『支配者の叡智』の本当の力を、ヒイロという冒険者は正確に知っている。
そして自分の「王らしい立ち居振る舞い」が擬態だということも。
まあそれはそうだ。
公式による分厚い「T.O.T」設定資料集、その「幼女王スフィア・ラ・ウィンダリオン」の項目については、ヒイロは完全に記憶しているのだ。
なんなら好きな食べ物とか、お気に入りのぬいぐるみなんかも知っている。
言ったら間違いなく引かれるだろうから、言いはしない。要黙秘。
「キャラ被ってるよね、ベアトリクス?」
「――なにも被ってなどおらん。我は永遠を生きる『真祖』として素がこれじゃ」
「……押し通すところはベアトリクスの方が強いね」
「噛 み ま す よ ?」
「今朝噛んだところでしょ。これ以上は貧血になるから勘弁して」
ヒイロの返しに、黒髪の美女が真っ赤に染まる。
「ベアちゃん人前でも、平気なんだ?」
「まあ血に酔うと素が出ますよね。素が」
金と白のとてもよく似た美女二人が、その様子にツッコミを入れる。
赤い顔で黒いのが睨むと、金白の二人は視線を逸らす。
血を吸うなどというおどろおどろしいことを、朝食のメニューのように語るのはどうなんだろう。
大人になったらそういうのもありなんだろうか?
食事とエッチっぽいことが両立するというのがいまいちピンとこない。
内心キャーキャー言いながら『支配者の叡智』から得ていた、大人の夜の知識とはちょっと違うと思う、究極の耳年増ともいえるスフィアである。
――ま、まあいいですわ。今はそのことは横に置きますの。
いずれ嫌でも経験することにはなろうし、その時に「あれはこのことだったのですわね!」と思い至れればそれでいい。
ヒトの身である限り、その納得を得ることは不可能だということをスフィアは知る由もないのだが。
「あ、あの……」
ただ正直どうしたものかというのが現状だ。
知られているのであれば「演技」を続けるのはとてつもなく恥ずかしい。
今でも充分、ついさっきまでの己の言動に顔から火が出そうなのだ。
世界が静止してくれていてよかったと、心の底から思う。
そしておそらくこれはヒイロという冒険者が、スフィアに配慮してくれたのだということにも思い至る。
それだけのために世界を止めるというのは、ちょっと規格外というかなんというかアレだと思うのだがまあいい。
だがそうだとすれば、今静止していない者たちはそのヒイロが今この場に必要だと思った者たちだということだ。
「陛下。この方たちはすべてを知った上で、我々の味方であろうとしてくださっているのです。私などより、よほど信用していただいてよろしいかと」
どうしていいかわからず、すでに態度としては素を出しておろおろしているスフィアに、フィッツロイ公爵が優しげに声をかける。
「やあ、我が愚息殿と愛娘殿。――命の恩人であるヒイロ様に日々報いておるか?」
「できる限りのことはしているつもりですがね、父上」
そして仮面をかぶった六名の戦士団、中央の二人に対して親しげに声をかける。
声をかけられた二人は仮面を外し、苦笑で答える。
アルフレッドとアンヌ。
ここアーガス島の迷宮にて行方不明となり、死んだと見做されていたアルフォンスの長男と長女である。
「ならばよい。取るに足りぬ力であっても、全力で御仕えせよ。命の御恩は命をもって報いるべきもの。――実はそんな家訓は我がフィッツロイ家にはないが、そうすることこそが我が一族の利益になる」
「あ、あの、お父様? ヒイロ様の前でそんな明け透けに……」
「ヒイロ殿に隠し事をしてもはじまるまいよ。どんな形であれ己が利を求めぬ者など、そもそも信用もされまい。そんなだからお前は鍛錬に明け暮れるばかりで何も進展せぬのだアンヌ」
「お、お父様!」
感動の再会という空気ではない。
全てを知っていなければ、このような会話は出てこない。
つまりは今日この場での邂逅は、すべてヒイロが望み、設えられたものだということだ。
あるいはアルビオン教の動きをさえもが。
三大強国の中で一つだけしか救えない状況の中、ヒイロが百度に上る『世界再起動』で一度もぶれることなく選び続けてきたウィンダリオン中央王国。
その理由であった幼女王スフィア・ラ・ウィンダリオンの前に、ヒイロが現実化した「T.O.T」の世界に現れてから関わってきた者の多くが集っている。
本来は存在しえなかった歴史、その最初の一歩をヒイロと共に世界へと刻むために。





