第42話 神域調査
ヒイロは考え事をしながら、第八階層を進んでいる。
一人ではない。
SD化されたヒト型の『鳳凰』と『真祖』がヒイロの肩の少し上の左右に浮き、『千の獣を統べる黒』が常と変らず先導。
ヒイロの後ろに、無表情な白姫が付き従っている。
エヴァンジェリンとよく似た容姿を持つ白姫の特徴ともいえる、わりと大きなアホ毛が常にヒイロの方をさしている。
おそらくは『凍りの白鯨』としての特異点センサーが、アホ毛化したということなのだろう。
ここまでであれば、白姫参加後のヒイロにとって日常風景である。
だがヒイロたちの攻略階層はすでに第九階層へと至っているので、いつもであれば第八階層は道中ということになるが、今回は違う。
つい先刻もめたばかりの四人を含む、『教会騎士団』5名とその警護対象である聖女クラリスも同行しているからだ。
当然のことながら、彼らにとって第六階層以降は未知の領域である。
『連鎖逸失』が発生していない第五階層までで戦闘を繰り返したどり着ける上限が、ついこの間までの世界最高レベル。
となれば第六階層、第七階層はきつい戦闘になるとはいえなんとかこなすことも可能だが、レベルの数値を階層数が上回ればその限りではない。
一度の接敵で戦闘にかかる時間は一気に長期化するし、継戦能力という点でもとても攻略を進められるようなものではなくなる。
なんとか一戦を犠牲者を出すことなくこなせれば僥倖と言ってよく、事と次第によっては帰路の第七階層、第六階層で力尽きる可能性すらある。
それが自分のレベルよりも一段階深い階層で接敵するということなのだ。
よって神域調査の対象である第八階層を、聖女を護りながら安全に進めるようになるまでまずは二ヶ月を必要とエドモンは判断していた。
それすらもあくまでも当面二ヶ月であり、実際どれだけかかるかは攻略に取り掛かってみないと誰もわかりはしない、というのが本音のところであった。
だが到着したその日のうちに、彼らは目的の地点へたどり着かんとしている。
聖女クラリスを伴いエドモン枢機卿が冒険者ギルドへと赴き、そこでポルッカと支部長に謝罪と今回の神域調査の目的、その対象階層を詳しく説明したおかげである。
可及的速やかに神域調査を完了したいエドモンと、同じくできるだけ速やかに『教会騎士団』にお帰り願いたいポルッカの利害が一致した結果、どうあれ冒険者ギルドに所属する冒険者の一人であるヒイロが、犠牲の羊となったのだ。
冒険者ギルドに所属している以上、そこからの正式任務は基本的に拒否権はない。
命に関わる無理難題であればその限りではないが、すでに攻略完了している階層へお客様をお連れしなさいという任務を断る、正当な理由などどこにもない。
相当額の報酬も出るとなればなおの事だろう。
従ってヒイロはそう文句を言うこともなく、この任務を引き受けた。
愕然としたのはポルッカの判断の下、ヒイロが『秘匿級』冒険者であり、すでに攻略階層最前線が第九階層に及んでいると聞かされたエドモンたちである。
冒険者ギルドから提示された守秘義務を受諾し、ヒイロに連れられてアーガス島迷宮第八階層を目指すことになった神域調査先遣隊は、この数時間でこれまでの人生の総量を軽く超える驚愕を体験している。
嘘偽りなく、ヒイロがついでで神域調査対象地点へ連れて行ってくれようとしていること。
迷宮入口で、敬虔なアルビオン教信徒であるエドモンでさえ見とれてしまう美女二人が、ぽん、という効果音と共に今見ているSDバージョンに変わったこと。
そこから接敵したであろうあらゆる魔物が、己らの視界に入る前に複数同時に発生する閃光と共に倒されているらしいということ。
――これはつまりヒイロが詠唱を必要とせずに魔法を発動していることを如実に物語っているのだから、魔法を知る者としては驚愕せざるを得まい。
アルビオン教会の「聖別」を受けることによってのみなれるジョブ『教会騎士』は、いわば魔法騎士のようなものである。
攻撃魔法などはないが、自身を強化するいくつかの「神聖魔法」を自らにかけ、向上した攻撃力、防御力、スピードをもって魔物を殲滅するのが基本的なスタイル。
聖なる光の騎士様、というわけだ。
アルビオン教において「神聖魔法」と称されているものの正体は、光系統の強化魔法群である。
ヒイロが『閃光』を苦労して取得したのが例外であり、本来この時代に光系統の魔法と言えば「教会騎士」が使う強化魔法しか存在しなかったのだ。
そのすべてに自分たちが使う魔法と同じ、神々しい光の魔法効果を伴う光系統魔法を使いこなすヒイロ。
その姿はエドモンたち敬虔なるアルビオン教信徒にとって、神の子に等しく映る。
それは第八階層に入り、ヒトの目で追い切れないほどのスピードを持つ魔物が現れてから一層強くなる。
ヒイロがレベル10になる際に取得した光系攻撃魔法、『追尾する閃光』が、高速移動する魔物に幾筋も必中で叩き込まれる様子は、地上における神罰執行としか見えない。
ペット枠一つに一つ与えられる能力は、『千の獣を統べる黒』が索敵、『鳳凰』が攻性防御、『真祖』が多重照準を担当している。
その結果今やヒイロは何も考えずに魔物のいるところへ行きさえすれば、魔力の続く限り敵を殲滅し続ける自動戦闘機械の如くなっているのだ。
攻撃の際にSDエヴァンジェリンが「ぼん! ぼん!」と口で効果音を真似るのをヒイロは気に入っている。
ベアトリクスは少々あざとすぎると感じるようで、真似できないようだ。
天然、ないしは天然を装うものが強いのはいずこの世界でも同じらしい。
今のヒイロは考え事をしながら歩いていても、ほぼ全自動で幾筋も発射される『追尾する閃光』が高速で逃げる魔物を捉えて離さず、無数の曲線を描いて360度を余すことなく殲滅する。
当然のことながら事情を知らないエドモンたちにとって、単に考え事をしながら歩いているだけのヒイロをして、神に祈りを捧げながらその加護を得て困難な道を進む求道者にも見えるのだ。
黙して語らぬヒイロに話しかけることを、憚られるほどに。
「――ああ、もうすぐですよ目的地。多分あそこの事だと思います」
ふと我に返り、同じく黙って後ろをついてくるエドモンに声をかける。
恥ずかしそうにその外套の陰に隠れる聖女を、可愛らしいなとヒイロは思う。
「ここらあたりの魔物はちょっと厄介なので、聖女様たちは僕の側から離れないでね?」
「わ、わかりましたなのです!」
ヒイロに声をかけられ、顔を真っ赤にして大きな声で返事をするクラリス。
冒険者ギルドで見蕩れた時は、聖都『世界の卵』でも見たことのない綺麗なお兄様に対してであった。
だが迷宮に入ってから彼女にとっては奇蹟としか思えない御業を見せつけられ、この短時間でもはやヒイロへの感情は崇拝の域に至ろうとしている。
いかに聖女といえども、一人の幼い女の子。
本物の「光の王子様」みたいなのが突然視界に入ってくれば、心が動くのも当然であろう。
ヒイロとしては微笑ましい様子だとしか思えていないが、外見的には十二歳の美少年と十歳の美少女が微笑みあっている絵であり、ヒイロが思っているようなおっさんが子供を気にかけている図ではないのだ。
「主殿は、ロリコンのケもあるのか。ふーん」
「ろり、こん?」
ぼそりとちっちゃなベアトリクスが漏らすのを、ちっちゃなエヴァンジェリンが拾って、小さいながらもいつもの仕草で首をかしげている。
考え事を吹き飛ばされて、なんてこと言うんだという顔をヒイロがするが、ベアトリクスのジト目は変わらない。
そもそも冒険者ギルドで謝罪を受けている時から、ベアトリクスは警戒態勢だったのだ。
一方エヴァンジェリンは、ちっさい女の子には警戒心は働かないようである。
「しかし我が主がそうであるなら、右府殿には有利では?」
しれっと言う白姫に、ヒイロが慌てる。
「いやあのね?」
「なるほど……身の危険を感じた時に幼女形態になっておったが、あれは逆効果であった可能性もあるのか……」
「あの、ベアトリクス? 非常に聞こえが悪いから、その、身の危険とか……」
「ろり、こん?」
さっきまで神話の一幕かとまで思っていたヒイロ一行が、突然俗に過ぎる会話を始めたことに付き合いの短いエドモンたちはついていけない。
実際には十二歳前後の美少年がエヴァンジェリンやベアトリクス、白姫のようなお姉様たちに傅かれているよりもよっぽど自然な組み合わせなのだ、ロリコン呼ばわりは心外ではあろう。
ヒイロ本来の年齢からすれば、その誹りを免れることなど出来はしないが。
十歳でありながら、とても太刀打ちできないと思っていた綺麗なお姉さまたちが、ヒイロが自分にとった態度にやきもちを焼いていると理解し、自分にも望みがあるかと笑顔になるクラリス。
幼女の笑顔が、無邪気なもののみとは限らぬのだ。
それを見るエドモンの表情は、冒険者ギルドで見せた男親のようなわかりやすいものではすでに無くなっている。
ヒイロの規格外さを目の当たりにした今となっては、聖女のお相手として考えるのに十分どころか願ってもない相手に既になってしまっているからだ。
このあたり、地位ある立場としては仕方がないところであろう。
初期こそとんでもない相手にケンカを売ってしまったと動揺していたアルベールたちも、ここに至るまでにみたヒイロのあまりの規格外さに、自分たちなどまともに相手にはしないだろうという謎の安心感を得てもいる。
嫉妬するのもばかばかしい相手というのは、稀に存在するのだ。
王族や聖女を嫉視するのと同じような徒労感を、アルベールたちはこの数時間で実感として得ている。
「で、何をぼーっとしておったのじゃ主殿は?」
「ぼーっと? してた?」
「心此処に在らずといった様子でしたね」
目的地に近くなり、かなりの数がいた魔物も狩りつくされた状態で、エヴァンジェリン、ベアトリクス、白姫がヒイロに確認する。
「いや、さっきのさ――」
ヒイロはずっと、冒険者ギルドに突然現れた褐色痴女――十三愚人のⅦの語ったことを考えていたのである。





