第41話 アルビオンの聖女
「クッソむかつくぜ。なにもんなんだアイツは?!」
アルビオン教が手配したアーガス島で最も高級な宿、その中でも最高の部屋に戻ったアルベールが地を出して悪態をついている。
冒険者ギルドでは、あれでもまだ「教会騎士」としての言葉遣いを気に掛けてはいたのだ。大事なのは言葉遣いだけではなく、その言葉を吐く性根ということがよくわかる。
自ら剣を納めたとはいえ、アルベールにしてみれば冒険者ギルドのオッサンと、正体不明の小奇麗なガキにコケにされたという認識である。
むかつく要素の何割かは、そのガキが連れていた女性たちが全員、自分の立場であっても見たことがないくらい綺麗だったことが含まれているのは間違いない。
この部屋は護衛が付いている貴顕が泊まるような部屋なので、当然広い。
最初の入り口から共用のスペースがあり、そこから護衛たちが泊まる部屋があり、その奥に主人の泊まる部屋があるというつくり。
護衛たちの部屋を突破しなければ、主人の部屋にはたどり着けない仕組みになっている。
その共用スペースでアルベールが毒づいているわけである。
「落ち着いてください、アルベール卿」
「あれが例の冒険者じゃないんですか? 規格外の新人魔法使い冒険者……嫡男と長女が行方不明になったフィッツロイ公爵家が、なぜか全面的に支援しているという」
同じ教会騎士とはいえ、実家の家格で劣るベルナールとクロヴィスがアルベールのご機嫌を取りつつ、自分たちの名を言い当てた少年について言及する。
「いや間違いないでしょ。本人の容貌もとんでもなかったスけど、侍らせてた女の子たちはそれ以上だったじゃないスか。気付かずに喧嘩売ってたんスか、アルベールさん」
それに対してこの中では顔とガタイの割には最年少ではあるものの、アルベールと家格では同格であるディオンが答える。
いかにも体育会系脳筋といった容貌の割には、一番目端が利く。
先の件も、内心ただ一人面白がってみていたのだ。
とはいえ最後は冒険者ギルドが引くだろうと思っていたあたり、度し難い貴族の子女であることには変わりはないのだが。
そのディオンの答えに、他の三人が「やっぱりな」という表情をするが、その顔は下手を打ったという内心を如実に表している。
「うるさいな。冒険者どもの資料なんて目を通してなどいるものか」
他の二人に接するようにはできない相手であるディオンに、アルベールが気まずそうに答える。
ディオンは家格をかさにきて偉そうな態度を取るタイプではないので、アルベールには扱いにくい。
年上として立ててはくれるものの、そうなれば己のベルナールとクロヴィスに対する態度が後ろ暗いというか、いつもの調子で偉そうにし難くなる。
そういう意味でディオンは、ベルナールとクロヴィスに有り難がられてもいる。
アルベールは地位だけは気にするのだ。
「いやそりゃまずいでしょ」
アルベールの返答にディオンは呆れる。
自分もそのうちの一人なのでわりと笑えないが、地位を気にして振る舞うのであれば、大国ウィンダリオン中央王国の公爵家を背景に持つ相手と事を構えるのは得策とは言えない。
アルビオン教の御威光があるとはいえ、ヴァリス都市連盟の中堅国の貴族の子女程度では、それこそ家格が違うのだ。
他国のものとはいえ、大貴族をわざわざ敵に回すメリットなど格下の家に在るはずもない。
情けないことにディオンも含めて四人の頭によぎったのは、実家にばれたら叱責されてしまうという、ある意味貴族の子女らしい心配であった。
「それはよくないな、アルベール卿。で、冒険者ギルドへの「お願い」は上手くいったのかね?」
「エドモン枢機卿!」
どうやら資料に目を通していないというアルベールの会話以降を聞いていたらしい、彼らの中のリーダーであるエドモン枢機卿が大扉から入ってくる。
四人全員が起立して出迎える。
彼もさることながら、彼と共にいる少女は彼らの言う家格だのなんだのを超越した地位にいるからには当然の反応か。
アルベールたちの鎧、外套と意匠は共通ながら、枢機卿にして教会騎士でもあることを示すように造りは緻密で豪奢。
短く刈り込まれた赤い髪と、鋭い光をたたえた茶色の瞳、鍛えこまれた体躯は、神職者というよりは歴戦の戦士の趣である。
「ただいまなのです!」
その拡がった外套の背後から、まだ齢十前後でしかない「聖女」クラリスがひょいと顔だけを出して挨拶をする。
輝くような金髪と蒼い目、幼いながらも整った容姿をしている、アルビオン教で四人しか存在しない「聖女」の一人。
アルビオン教の聖都『世界の卵』から見て南方――ウィンダリオン中央王国も含まれる――を守護する主神アルビオンの属神、ユリゼンを司る南方守護の聖女である。
今回の神域調査は、彼女をアーガス島迷宮内のある地点まで連れて行くことこそが主任務となっている。
クラリスの世俗に汚れていない笑顔は、世俗を馬鹿にしつつある意味世俗に汚れきっているアルベールたちをも、罪のない笑顔を浮かべさせるにたる力を持つ。
故にその前で己の失態を語るのは憚られる。
「いえそれが……生意気なおっさんとガキのせいで……」
「報告は正確にしたまえ、アルベール卿」
要領を得ないアルベールの報告、というより一言きけば理解できる言い訳に対して、エドモン枢機卿が厳しい声を出す。
聖女ほどではなくとも、エドモン枢機卿の地位は彼らのはるか上に在る。
罪のない聖女とは違い、彼らの査定をする上司の立場でもあるエドモン枢機卿の叱責に、アルベールが硬直して言葉を続けることができなくなる。
「冒険者ギルドのポルッカ執行役員の取りはからいで、宿やアイテムの手配ならびに神域調査対象階層への冒険者たちの協力を取り付けております!」
「さすがに宿やアイテムまで世話にはなれんな。しかしそれならば何の問題が?」
慌てて比較的まだ落ち着いているディオンが、事実のみを告げる。
答えるエドモンは彼らよりもよほど常識的な人間のようである。
貴族であれば、偉ければ、みな一様に馬鹿であっては組織は立ち行かない。
本来ほとんどの地位ある者は有能なのである。
嫌味だとか差別とかの個人的資質は置くにしても。
まだ年若く、仕事に就いたばかりの特権階級の子女たちこそが、まだ学ぶ機会が少ないゆえに馬鹿なことをしでかしがちなのかもしれない。
本来であればこれで済ませておけば四人にとっては世はすべてことも無しで済んだのであろうが、アルベールが余計なことを言ったせいで当然の疑問をエドモンは持つ。
説明しない訳にもいかないので四人が押し付け合いつつ報告する。
この際誤魔化した方が利がないとみて、ほとんど誤魔化さずに主としてディオンが報告を行った。
アルベール以外の三人が、その愚行を止めることなく座視していた件も含めて。
「君は馬鹿かね、アルベール卿。――止めなかった君たちもだ」
その報告を受けてエドモンが天を仰ぐ。
その様子を背後のクラリスが面白そうに見上げている。
いつもにこにこと落ち着いているエドモンが、今のような困った顔をクラリスの前で見せるのは珍しいのだ。
「……エドモン枢機卿が、強気に行けと仰ったのではありませんか」
不貞腐れたようにアルベールが呟く。
ディオンあたりは「言わずもがなの事を!」とエドモンと同じく天を仰ぎたくなるが、アルベールにしてみれば素なのだろう。
それが一番厄介だと、上司であるエドモンは嘆息する。
それを想定できなかった、己の迂闊さにも失望せざるを得ない。
――ここのところ、部下に恵まれすぎていて耄碌したか私も。
「我らアルビオン教が神域調査をさせてもらうという体にはするなという意味だ。冒険者ギルドが神域調査を優先的に扱ってくれるというのであれば、無用な軋轢を生むべきではないことくらいわからんか!」
自身の愚かさも理解しながら、二度と同じことはせぬように部下を叱責する。
めったに出さない大きい声に、背後のクラリスが驚いてぴょこんとはねたことに、僅かばかり心を癒される。
叱責された四人は直立不動で硬直している。
若くして人類最高レベルに至った優秀な人材であることは事実だが、それ故に一般的な社会との折衝には疎いのだ。
これはエドモンが自責の念を得ている通り、エドモンの人選ミスではあろう。
アーガス島の総督府へ出向いてから、自身が四人を伴っていけばよかったのである。
学ぶ場を与えねば成長しないのは事実だが、初手からお手本無しで成長しろというのは上司の不手際としか言えない。
「それをよりによって神域調査の期間である二ヶ月も業務停止しろとは……アルビオン教は馬鹿だと思われておるぞ確実に。いえ、貴様たちを名代にした私が馬鹿なのは事実なので受け入れるしかないとして、聖女クラリス様までそう思われるのは……」
とはいえここまで強硬な発言を、アルビオン教として冒険者ギルドにぶちかますのはエドモンとしても想定の斜め上である。
アルベールよりは歳を重ね経験もある二人もいたというのに、家格に配慮して止めることもできんとは……いや同格どころか部下に家格が上の者がいる時の苦労を忘れてはいかんな……
やはりすべては自分の不手際であると認めざるを得ないエドモンである。
そもそも部下のミスは、上司の責任であってこその組織でもある。
「では謝りに行くのです! 悪いことをしたらごめんなさいするのは当然なのです!」
難しいことはよくわからないが、いつもよくしてくれるエドモンが困っている事だけはわかったので、クラリスが元気よく宣言する。
「聖女様がそんな!」
「――?」
怒られてしょぼんとしているように見えた、いつも守ってくれるお兄さんたちが動揺しているが、謝ることの何がいけないのかがクラリスにはわからない。
自分も聖女様としてかくあるべしとされていることを守れなくて、よく侍女や先生にごめんなさいをしているのだ。
だけどきちんと謝ればみんな笑って許してくれる。
謝って済むことばかりではないことをまだ知らぬ、クラリスらしい発想ではある。
「そうですな。今回の神域調査対象階層は第八階層。前人未踏の階層へ聖女様を安全にお連れするには、我ら教会騎士団が強くなる期間が必要でもあり、冒険者ギルドとぎすぎすしたままなのは得策ではありません」
振り向いてそう語るエドモンに、無邪気な笑顔でクラリスが両手を伸ばしてくる。
抱っこしろということらしい。
「誠に申し訳ないが聖女様に謝罪していただければ相手も態度を軟化せざるを得ないでしょう。お願いできますか?」
だが今回は、まだ謝って済む段階の問題だ。
枢機卿である自分ばかりか、聖女であるクラリスが誠意を以って謝ればこれ以上拗らせることなく終わらせることもできよう。
クラリスの小さな体を抱き上げながら、エドモンはこの少女に心から謝罪されて許せぬ者などおるまいよ、とも思っている。
「はいなのです!」
大好きなオジサマに大好きな抱っこをされて、クラリスは満面の笑顔で答える。
ただしこの後すぐ冒険者ギルドに赴き、謝罪を受け入れてもらったエドモンは頭を抱えることになる。
そこで見かけた小動物にクラリスが夢中になることはまだ許容範囲内。
だがその飼い主であり、謝罪を容れる立場であった美しい少年を、クラリスが頬を朱に染めてちらちら見ていることに気付いたエドモンが、まだ結婚してもいないのにも拘らず娘を持つ男親の気持ちを得ることになるからだ。
そして二ヶ月を想定していた神域調査は、わずか一日であっさりと完了することとなる。
前人未踏であったはずの第八階層を、まるで無人の野を行くが如く歩むその少年――ヒイロが神域調査の道先案内人を務めることになるからである。
神域調査先遣隊と冒険者ギルドの利害が一致した結果、短期間で目的の場所にたどり着き、そこで確認された現象。
それを切っ掛けとして、いったんは友好的な関係を築けたアルビオン教と冒険者ギルド、ウィンダリオン中央王国の関係は加速度的にきな臭くなってゆく。
世界最大宗教であるアルビオン教が凋落、というよりも崩壊することとなる『アーガス島接収事件』の嚆矢は、ヒイロと聖女クラリスが第八階層のその場所に至ることで放たれるのである。





