第38話 それぞれの立身出世
ヒイロと名乗る魔法使いが、新人冒険者登録をした日から一月あまり。
その短い間にこの世界を人為的に縛っていた『十三愚人』による鎖、『連鎖逸失』はすでに完全に消失している。
『天空城』勢の手によって『逸失階層』に放たれていた機兵――レベル50相当の戦闘自動人形たちは人知れず一掃されており、現在では本来湧出していた魔物がうろついている状況だ。
だがその事実を知る者は未だごく一部に限られ、『冒険者ギルド』主導で行われている試験攻略と調査、冒険者たちへの攻略許可の基準策定は亀の歩みとはいえ少しずつ進んでいる状況である。
この時代アーガス島を除いた迷宮は他に三ヶ所しか確認されていないが、地上にいくつも存在する魔物領域も対象となっているのでヒトの手が足りていないのだ。
適正レベルの魔物が湧出するようになったとはいえ、常に死と隣り合わせな迷宮であることに変わりはない。
この際優先されるべきは、拙速よりも巧遅であるべきなのは確かだろう。
ただアルフレッドたちのような特殊例を除けば、この五年で世界は『連鎖逸失』を当然の事としているのが現実である。
魔物たちの侵攻がないことを能天気に信じると同時に、攻略を完全に諦められている状況が、皮肉にも功を奏している形だ。
よって表向きにはまだ、『連鎖逸失』が発生しておらず、未知の領域へと攻略を進めることが可能と見做されているのはアーガス島の迷宮のみ。
そのアーガス島迷宮における、現在の表向き攻略最前線は第七階層。
それすらも現在正式に冒険者ギルドが「攻略許可証」を発行しているのはただ一人に対してだが、本当の最前線はすでにもっと深い階層に到達している。
秘匿攻略階層――それはすでに第九階層、二桁階層を目前にするところまで進んでいるのだ。
表向きでもただ一人第七階層攻略を許可されているその冒険者の手によって、すでにヒトの世界が最深部としていた迷宮階層は突破され、ヒトの上限レベルも更新されている。
世界の舞台裏ではそれ以上進んでいるパーティーもじつは存在するが、あくまでもそれは舞台裏での出来事である。
これより始まる、『実在しない歴史』には記されていなかった一連の出来事はすべて、世界の舞台――Theatrum Orbis Terrarum――に立つ一人の冒険者によって引き起こされることとなる。
その冒険者――公式に設定されている冒険者ギルドによる冒険者ランクからは隔離され、冒険者ギルドの歴史上ただ一人『秘匿級』に分類されたヒイロ・シィと、その仲間たち。
その名が最初に『実在の歴史』に記されるのは、その時代はまだ世界最大宗教であった『アルビオン教』が凋落することとなる、『アーガス島接収事件』においてである。
「休日は楽しめましたかな、秘匿級冒険者殿?」
ここはつい先日冒険者ギルドアーガス島支部に新設された『執行役員室』
結構豪華な家具がしつらえられており、その例にもれないソファに座った俺に対して、こっちも立派な執務机の向こうからポルッカさんが要らんことを言ってくる。
「秘匿級」というのは、先日俺に設定された冒険者ランクの称号である。
冒険者ギルドでも支部長クラス以上しか知らない文字通り秘匿のランクであり、一般的には俺は飛び級で「S級」ということになっているようだ。
やっぱりS級というのが普通の最高ランクなんだな。
また例の一件から俺たちはきちんと休日を取るようにしており、今日は二日間休んだあと、久しぶり? に冒険者ギルドに顔を出しているというわけである。
ソファの左右にはエヴァンジェリンとベアトリクスが座り、背後には最近側付に加えられた『白姫』が無表情に立っている。
『千の獣を統べる黒』は最近自然に俺の膝にのるようになっているが、それでいいのか我が僕。
にゃーんが可愛いからまあいいが、中身けっこうおっさんなんだよなコイツも。
「うーるーさーいーなー。その言い方続けるんなら、こっちもポルッカさんの事を『執行役員』って呼びますよ?」
けっこう照れくさいのでそう言うと、左右のエヴァンジェリンとベアトリクスが含み笑いのような表情でこっちを見る。
膝の上ではシュドナイもこっちを見上げていやがるし、なんとなれば白姫もジト目をしているかもしれない。
いや確かに喜んでおりますよ、「秘匿級」
人知れずそう呼ばれるというのが、何というかこうたまらん。
一度罹患すれば寛解程度しか望めぬ厨二病患者にとっては、これはどうしようもないんだ。
「秘匿級」とされることを告げられた時の俺のご機嫌ぶりを知られている一同には、今更拒む態度を見せることそのものを面白がられても仕方がない。
「そいつぁ勘弁してくれヒイロの旦那。旦那のおかげでそのけったいな肩書いただいてんだ、その本人にそう呼ばれるほどいたたまれねぇもんはねえ」
俺の返しに、ポルッカさんが肩を竦める。
まんざらでもない、というか思いっきり気に入っている俺に反して、ポルッカさんは慣れぬ役職にわりと本気で辟易している。
個人的にはまだ立場が能力を超えているということはないと思うんだが、らしくないと思ってしまうのもなんとなく理解できる。
いくら自分の仕事に自信があったとしても、ある日ぽーんと執行役員なんかにされた日には、向こうの俺なら普通に白目をむく自信がある。
「でもいい役割じゃないですか?」
「確かにありがたいな。現場に立ちつつ決裁権を持たせてくれるってのは」
現場を知り、現場に立つことを厭わないというか好み、そこである程度までの決裁権を持っている有能な人間というのは現場にとってもすごく助かるものだ。
ちょっと斜に構えていただけで、本来偉そうな人ではないポルッカさんには適任じゃないのかなあと正直に思う。
誓っていうが裏から手をまわしたりなんかはしていない。
俺が渡した情報と、まあこれはある程度しょうがないとはいえ俺や「黄金林檎」、フィッツロイ公爵家とのパイプによって一気に出世したという格好だ。
冒険者ギルドの職員たちも、ポルッカさんの能力を認めつつもやはり幸運を羨む空気はどうしても生まれているらしい。
まあいきなり支部長より上になってしまえば、それも仕方のないことだろう。
ある意味どう接していいかわからないという点においては、支部長もポルッカさんとおなじ「尻のすわりの悪さ」を感じているのかもしれない。
ポルッカさんの残り少ない貴重な髪が、ストレスで減り散らかさないように祈るのみである。
我々『天空城』にはそれに抗する最終手段となるアイテムが存在するが、渡していいものかどうか今なお悩んでいる。
今度話して、本気で必要だと言われれば渡すのもありかもしれない。
「ま、身の丈を自覚しつつ頑張るとしますよ」
そう言って笑うポルッカさんは、つい最近まで結構本気で落ち込んでいた。
それなりに付き合いのあったらしいディケンスさんの事は伏せていたのだが、『組織』が冒険者ギルドに仕込んでいた唯一の大物がよりによって総ギルド長だったのだ。
他の職員たちの例外となることなく時を同じくして消えた総ギルド長の影響は大きく、本部はひっくり返したような騒ぎだったそうである。
まだ直接聞かれたことはないが、俺が告げた『連鎖逸失』の消失と前後してそれが起こったということは、ポルッカさんならそれがどういう意味を持つのかには思い至っているはずだ。
敵即斬の我が僕たちにそういう侘び寂びは理解しがたいだろうが、長い付き合いであり、冒険者ギルドの礎を築いた総ギルド長を尊敬もしていたポルッカさんにはやりきれない思いもあるのだろう。
善か悪か、敵か味方か、利か損かだけで割り切れないことも確かにある、というかそれこそが意志持つ者同士の付き合い、繋がりというものなのかもしれない。
なんかそこらへん、僕たちと同じようにわりと淡泊な自分にちょっとだけぞっとする。
「まーしかし、旦那の周りも華やかになる一方だな……」
そう言って溜息をつくポルッカさんの言はもっともだ。
SD化して常に一緒にいるようになったエヴァンジェリンとベアトリクスは、迷宮に入るまでは通常モードで傍にいる。
『管制管理意識体』とエレア、セヴァスの判断で、いつでも『静止した世界』を発動できるようにすでにレベル4桁に入った『白姫』も側につくようになり、今の地上での俺はその三人を連れまわしている状況なのだ。
嬉しそうに笑うエヴァとベアに反して、人化した己の美貌に無頓着というかまだ価値観が確立されていない『白姫』だけが首をかしげている。
このひと自分が『凍りの白鯨』であるとしか思ってないからなあ……
そのせいで『白銀亭』の部屋でひと悶着もあった。
「で、今日はなにがあるってんだ、旦那。いつもは手続きすりゃ即迷宮攻略開始する旦那が、わざわざ俺の部屋で時間つぶすってこたなんかあるんだろ?」
さて本題、とでもいうようにポルッカさんが仕事モードに入る。
この辺はさすがというべきか
だが俺が応える前に、まだまだ新しい『執行役員室』の重厚な扉がノックされる。
ノックもなく飛び込んでくるようなどこぞの娼館の支配人室とは違うようだが、慌てていることは充分に伝わってくるノックだ。
「はいよ」
気楽なポルッカさんの返事を受けて勢いよく扉が開き、受付嬢の中でも仲が良かったおかげで執行役員付秘書に抜擢されたヘンリエッタ嬢が慌てて入室してくる。
「ポルッカ執行、来ました。『教会騎士団』の方々が、支部長に会わせろと――」
俺たちに一礼してから伝えた言葉に、ポルッカさんがげんなりした表情を見せる。
「――これかい? ヒイロの旦那」
そう。
本日アルビオン教『教会騎士団』の先遣隊がアーガス島入りするという情報を、ある筋から掴んだのだ。
よって冒険者ギルドに来る際には同席しようと、ポルッカさんの部屋で世間話をさせてもらっていたわけである。
『天空城』と敵対する可能性のある相手は、この目で見ておく必要がある。
――神様を敵に回すとなると、いよいよ俺たち『天空城』は悪者だな。
我ながらくだらないことを考えながら、騒ぎが大きくなりつつある階下へポルッカさんと共に降りていく。





