第37話 その冒険者、迷宮を解放せし者。
「おはようございます、ポルッカさん」
もはや手慣れた様子でヒイロが冒険者ギルドの扉をくぐり、自分の担当者であるポルッカの座る窓口へ直行して声をかける。
いつも通り『千の獣を統べる黒』が付き従っているが、最近はカティアのモフり攻撃から解放されたので、何も畏れることなく颯爽と先行している。
わりとわかりやすいのが『千の獣を統べる黒』のいいところかもしれない。
「おう、相変わらず朝ははやいなヒイロの旦那」
「旦那はやめてくださいよ」
「一月もかからず第五階層突破して、攻略最前線に到達するようなお人はそうお呼びするしかねえんだよ」
ヒイロの挨拶に気付いたポルッカが手早く処理していた書類を一区切りまで済ませ、視線を上げて答える。
机の上に雑然と積まれている書類は膨大な量だ。
ポルッカが見た目によらず有能であることをすでにヒイロは理解しているが、それにしたって朝からこの量は尋常なものではない。
有能な者に仕事が集中せざるを得ない状況になっている理由を、ヒイロは当然知っている。というかその状況を引き起こしたのがヒイロであるからには当然である。
続くヒイロの言葉と、にやりと笑ったポルッカの返しはここ数日のお約束だ。
ポルッカの言葉に初期の頃のような嫌味はすでになく、ヒイロも肩を竦めるだけでその旦那呼ばわりを受け入れる。
冒険者稼業において重視されるのは実績であり、見た目や年齢は二の次。
その実績という点において、今やヒイロは「注目の新人」などという域を遙かに超えており、冒険者ギルド本部ですらその存在を認識している程となっている。
その割にはヒイロが騒がれ過ぎたり、要らぬ勧誘や絡みが発生していないのは『黄金林檎』との友好同盟によるところが大きい。
仕事上荒くれ者の多い冒険者たちとはいえ、自ら進んで大手ギルドと揉めたくはないのだ。
「しかし旦那も毎日真面目に潜るよな……あの別嬪さん二人と休日をしゃれ込むなんてこたしねえのか? そこらのお貴族様にゃ負けねえくらい金は入ってんだろ?」
ポルッカは他の仕事をしながら、自分の担当者の相手をするようなことをしない。
やることは山ほどあるだろうに、いったん仕事を止めて自分の担当冒険者に向き合っている。
仕事には並行して進めてよいものとそうでないものが明確に在り、人と接する仕事は間違いなく後者に属する。
片手間に自分の相手をする担当者のことなど、命を賭けた仕事を生業とする冒険者が信頼などするはずがないのだ。
それで訊くことがそれとはどうなんだ、と思わなくもないヒイロではある。
確かに日々の攻略と依頼達成でかなりの金は入ってきている。
ポルッカの言うとおりちょっとした豪遊するくらいは何の問題もなく、ヒイロの目立つ容姿と相まって夜街を歩けばこればかりは遠慮の欠片もない呼びこみにもみくちゃにされかねない。
そうなると約二名の機嫌が加速度的に悪くなることはもう学習済みなので、ヒイロは夜街には近づかない。
宿での食事もエヴァンジェリンと、最近はベアトリクスも作って用意してくれているので、金は貯まる一方だ。
「そうしたいのはやまやまなんですけどね。はやく家を買いたいなと思ってまして」
「スウィートホームってやつかい。別嬪さん二人も養うとなるとスケールが違うねえ」
「そんなんじゃありませんよ」
ポルッカらしからぬ「スウィートホーム」という響きに思わずヒイロが笑う。
当然連日迷宮に潜っている理由はマイホーム購入のためというわけではない。
だがエヴァンジェリンとベアトリクスの存在を知っている者にしてみれば、いい女にいいカッコをしたくて頑張っている図というのはわかりやすいのかもしれない。
――そういうのも悪くない。
もしも自分が才能に恵まれただけの男の子でしかなく、エヴァンジェリンとベアトリクスに相応しい男になろうと奮闘している男の子の物語というのも、それはそれでアリだと思ったのだ。
やめて『千の獣を統べる黒』
そんな目で仮にも主を見上げるんじゃない。
わかりやすくにやけたヒイロが悪い。
「しかし今日は……もというべきですか。朝からギルドは忙しそうですね」
「暇だったのは例の件の翌日だけだったからなあ……どこもかしこもバタバタだよ」
ヒイロとポルッカの言うとおり、ここのところ冒険者ギルドは本当に忙しい。
『凍りの白鯨』の一件の以降、迷宮を攻略するパーティー、ギルドは一部を除いて停止しているのが現状である。
ヒイロのようにある意味暢気に毎日迷宮に潜っているのは極少数なのだ。
それ故に本来本業と言っていい迷宮攻略に関わる仕事は暇と言っていい現状なのだが、別の仕事が通常の数倍の勢いで増えている。
大手ギルドやパーティーをはじめとする、冒険者たちのアーガス島支部への登録変更。
あれだけの事件があってもなお、『連鎖逸失』の発生していない世界唯一の迷宮を放置しておける者など『冒険者』にはいない。
一方あれだけの事件があったからこそ、冒険者としてアーガス島へ入ってくる者たちも相当数に上る。
よってアーガス島冒険者ギルド支部はここのところずっと、書類仕事に忙殺されている日々が続いているというわけである。
「ポルッカさんはのんびりしているように見えますけど?」
「俺ぁいいんだよ。もはやヒイロの旦那専属みてえなもんだ」
机の上の書類には気付いているくせに、ヒイロがからかうのを、手慣れた調子でポルッカが返す。
「人材の無駄遣いじゃないんですか?」
「新進気鋭、はやくも最前線攻略組の一角を担うようにまでおなり遊ばされたヒイロ殿の迷宮攻略に支障をきたさないようにすることは、我ら冒険者ギルドとしては最優先事項でございましてね」
冗談ではなく、冒険者ギルドが自分を特別視するがゆえにポルッカ本来の業務処理量を発揮できていないのは、ヒイロの本意ではない。
だがそういうことも含めて、組織としての優先順位ははっきりしているんだと言われてしまえば、あくまでも一人の利用者でしかないヒイロは黙るしかない。
ふざけた調子でいってはいるが、ポルッカが言っているのはそういうことである。
「ま、正直なところ、ウィンダリオン中央王国の王族が来ることが本決まりになったし、アルビオン教の『教会騎士団』はそれに先んじてアーガス島の迷宮入りするらしいし、大混乱ってやつさ」
少ない髪を掻きながら、ポルッカにしては珍しくふざけた空気を纏わない、愚痴めいたものを口にする。
「ポルッカさん前にも言ってましたよね。『教会騎士団』ってそんなに厄介なんですか?」
いつも口では大変だ大変だと言いながら、鼻歌交じりで業務をこなすポルッカの本気のしかめっ面に、ヒイロが反応する。
プレイヤーとしてのヒイロもこの時代の国家や宗教にそこまで詳しくないので、活きた情報をきく価値は充分にある。
「アルビオン教サマってなぁ、世界宗教だからな。ウィンダリオン中央王国の国教でもあるし、ヴァリス都市連盟ってなアルビオン教ありきの勢力だ。冒険者ギルドにも信者は多いし、ある意味国家以上に敵にまわしちゃダメな相手と言えなくもねえ。――旦那も気を付けろよ」
アルビオン教。
女神アルビオンを主神とし、北方守護神アソーナ、南方守護神ユリゼン、東方守護神ルヴァ、西方守護神サーマスがラ・ナ大陸四方の諸族を守護し、平和を与え法を布く巨大宗教。
この時代のヒトの世において、最も多くのヒトに信仰されている宗教である。
聖地『世界の卵』を都市国家としてヴァリス都市連盟の中に持ち、その影響力は計り知れない。
ポルッカの言うとおり、普通に考えれば敵に回していい相手ではない。
というか個人が敵に回すという感覚すらもピンとこない、国家を超える巨人である。
もしも敵対すれば、本体が手を下すまでもなく勝手に人生が詰む。
それがほとんどのヒトに信じられている巨大宗教を敵に回す――神敵となるということなのだ。
持っている力の割には世慣れていないヒイロに対するポルッカの忠告は、いろんな意味で普通ではないヒイロに対するものとしては妥当と言えるだろう。
「こっちから喧嘩売ったりはしませんよ」
「売られたら高値買取しそうなのが怖ぇんだよ、旦那は。可愛らしい顔して」
心外そうなヒイロの抗議を、ポルッカが一刀両断する。
珍しく二の句が継げないヒイロを見て、ポルッカが毒のない笑いをもらす。
この意外と仕事ができてよくヒトを見てもいるおっさんは、わりと損得抜きでヒイロのことが心配なのだ。
そういうらしくない、ここのところの自分を気に入ってもいる。
ヒイロの正体。
――『黒の王』としての真の実力だとか、世界を簡単に滅ぼしうる人外組織『天空城』の首魁であるとか、そもそもこの世界の外から来た存在であるとか――
そういったことではなく「ヒイロがどういうヒトなのか」ということを結構正確に見抜いているのがポルッカという存在と言えるかもしれない。
そしてそういう存在こそが、実はこの世界にとって最も重要な人物である可能性も否定できない事実だ。
ヒイロ次第で世界がどうなるかが大きく変わるのが、間違い無い事実である以上。
「でかい声じゃあ言えねぇが、冒険者ギルドを通さず迷宮攻略できるのがその迷宮が存在する国の正規軍サマとアルビオン教『教会騎士団』とくりゃ、商売敵ってだけでも目の上のタンコブってやつだぁな」
「なるほど」
冗談はともかく、とポルッカが話を元に戻す。
確かに冒険者たちを管理し、迷宮から得られるあらゆる恩恵によって成立している冒険者ギルドにとって、そのコントロールを受けない攻略勢力というのは邪魔以外のなにものでもあるまい。
「その上お偉い方々ってな、何事も上からモノを仰られるんでね。冒険者ギルドとしては頭の痛いところさ」
「心中お察しします」
とはいえ現状の冒険者ギルドの実力では、国家や巨大宗教を正面から敵に回して渡り合うことなどできるはずもない。
今のところは辞を低くして、現在持っている既得権益を守る動きにならざるを得ないのはやむをえないところであろう。
だがそれこそ個が軍を凌駕することが珍しくもない、魔法と技・能力が力を決定付けるこの世界において、傑出した存在がいればその限りではない。
実際「冒険者ギルド」が現在ここまでの影響力を持っているのは、本部に坐する総ギルド長の実力によるところが大きいのも事実なのだ。
あるいはポルッカは、本能的にヒイロにそれを期待しているのかもしれない。
お悔やみの言葉を述べつつ苦笑いするヒイロが、冒険者ギルド奥の騒ぎに気が付く。
よくあるいつもの騒ぎではなく、選考会のような雰囲気を醸し出している。
「ああ、ありゃあ今朝冒険者登録した姉ちゃんがパーティーメンバー募集してんだよ。えらい別嬪さんでな。ジョブも申告が本当なら「踊り子」ってんで、中堅どころの冒険者たちが騒いでる」
ヒイロの様子に気付いたポルッカが、苦笑いで説明する。
実力不明の別嬪さんに振り回されているよく知る冒険者たちに舌打ち半分、こんな状況でもいつも通りでなにより半分と言ったところか。
旦那もどうだい? というポルッカの冷やかしに、肩を一つ竦めてヒイロは「君子危うきに近寄らず」を徹底する。
どれだけ美人さんかは知らないが、エヴァンジェリンとベアトリクスですでにキャパオーバーでもてあましているのだ、それ以外に興味を向ける余裕はヒイロにはない。
他所の女性にちょっかいを出したという情報が耳に入った場合の惨劇を畏れているだけともいうが。
ヒイロの反応に、こればかりはポルッカもさもありなんと同じく肩を竦める。
別嬪に対して、一度くらいはそんな反応をしてみてえもんだとも思いつつ。
「それにしても忙しすぎませんか?」
そんな騒ぎがあるにせよ、各々の席で書類処理に追われているいるギルド職員たちを見て、ヒイロがちょっと呆れる、というか感心している。
素人目に見ても書類の山に対してヒトの手が足りていないことはわかる。
その原因も、当然ヒイロは理解しているのだが。
「……ここだけの話だがな。冒険者ギルドの職員が複数名、行方不明になっちまって手が足りねえんだ。この前紹介したディケンスの野郎も含まれてる」
「そんなことを僕に言っていいんですか?」
「かまやしねぇよ」
さすがに声をひそめ、ポルッカがヒイロに告げる。
その表情は今、「世間話」程度ではなく重大な「情報」をヒイロに提供しているのだということを如実に物語っている。
その理由もわかっているヒイロの答えとしては、少々意地の悪いものかもしれない。
その職員たちを消したのは、ヒイロの判断、指示に従った『天空城』の僕たちなのだから。
「それもアーガス島支部だけじゃねえ。本部支部を問わず、世界中の冒険者ギルドで同時に行方不明が起こってる。それの意味するところは……」
「意味するところは?」
「……わからん。だが偶然てことだけはありえない。――明日にゃ俺も消えてるかもな」
ポルッカがいかに優れた冒険者ギルド職員であるにせよ、一斉に消えたギルド職員と、『連鎖逸失』を結びつけることなどできはしない。
現時点ではまだ、『連鎖逸失』が消え去っていることに気付いているヒトはほとんどいないのだ。
冒険者ギルド職員、それも中堅どころが全世界的に狙われているとなれば、ポルッカの危惧も無理からぬことと言えよう。
「ポルッカさんは大丈夫ですよ」
「……そうかい。天才様に言っていただくと気休めでもほっとするもんだな」
だがそれを、ごく気軽な調子でヒイロが否定する。
一瞬驚いて沈黙した後、いつもの調子でポルッカが軽口をたたく。
だが口調とは違って、ひどく真剣なヒイロの目にポルッカは気付いている。
「それに行方不明はうちの職員だけじゃねえ。超が付く有名パーティーも一つ丸ごと、アーガス島の迷宮内で未帰還登録がされてる。こっちの方が上の方じゃ大騒ぎになってんな」
だから本来は簡単に切っていいものではない情報も、ここで切る。
ポルッカのヒトを見る目が、この件の真実をヒイロが知っていると告げてくる。
「ヒイロの旦那も気を付けなよ。大物が消えるのには絶対理由があるもんだからよ」
それと同時に、ヒイロの事を本気で心配している自分にも笑う。
デカい事案に首を突っ込んだ冒険者というものは、ごく少数がそれで大きく名を上げ、大部分の連中はこの世から退場することが常だからだ。
「極秘の情報と、僕の心配をしてくれるポルッカさんだけに、僕もいいことお教えします」
「お、ギブ&テイクってやつか。いいねぇ」
そんなポルッカの様子に、天使のような微笑を浮かべてヒイロが軽い調子でいう。
だがその目は笑っていないし、ポルッカの言葉もその内容の割には緊張に震えている。
先のポルッカと同じように、声をひそめてヒイロが告げる。
「――近日中に世界中の魔物領域、迷宮すべての『連鎖逸失』は消失します。適正レベルの冒険者であれば、どこでも攻略継続可能になるということです。――冒険者ギルドが率先してそれを掌握し、攻略の基礎を固めるべきです。要らない犠牲を少なくするためと……」
予想の斜め上なんて言うものじゃないヒイロの言葉に、ポルッカの表情がなくなる。
一瞬後に再起動し、顔芸のような表情でヒイロを見上げる。
ヒイロの言葉の続きは、語られるまでもなくポルッカにも理解できる。
冒険者ギルドが莫大な利益を上げ、やり様によってはさっきの話にもあったように国家や巨大宗教とさえ渡り合える組織に一気に、化けることさえ可能だということ。
それだけの情報を、今ヒイロはポルッカに提供したのだ。
「あ、それと『黄金林檎』と、フィッツロイ公爵家は冒険者ギルドからの要請があれば必ず動いてくれます。それまでは決して動きません」
そしてそれが与太話ではないことを、大手ギルドと大貴族の名前を出すことで保証までしてみせる。
ポルッカが上にあげる報告を、どこかで握りつぶされることが無いようにすでに手を打っているのだ。
そして今まで何のつながりもなかったはずの「フィッツロイ公爵家」の名が出るということは、さっきポルッカが言った「超が付く有名パーティー」が誰なのか、ヒイロは確実に知っている。
そしてヒイロの指示に従うようにして大貴族が動くということは、それだけの貸し、ないしは利益をヒイロが与えたということに間違いない。
つまり「超が付く有名パーティー」はヒイロの庇護下で生きている。
「ヒイロの旦那、アンタ……」
「内緒ですよ?」
自分の思考に囚われてしばらく絶句していたポルッカが我にかえって発した言葉に、先と変わらぬ天使のような笑みでヒイロが告げる。
ご丁寧に唇に人差し指を当てている。
世界をひっくり返す情報を得た状況でありながら、その仕草が妙に様になっていることに、軽くイラっとするポルッカ。
その複雑そうな表情を見て笑いながら、世間話が終わった程度の気楽さでヒイロが冒険者ギルドの扉を開け、今日も今日とて迷宮攻略へと赴く。
くそ忙しいにもかかわらず、手を止めたままポルッカはヒイロの出て行った扉をしばらく見つめていた。
今自分に去来している感情とか驚愕とかを、どう表現していいかわからない。
自然と出てきたのは、演技でやっても様にならない苦み走った大人の表情というやつだ。
もちろんポルッカにそんな自覚はない。
「その冒険者、取り扱い注意。――ただし取り扱いを間違えなければ、莫大な利益をもたらすこともある、ってことかい」
どうやら自分はヒイロの担当者となった瞬間から、御伽噺だか英雄譚だかの登場人物、ただし脇役になってしまったらしいことを、ポルッカは自覚して自嘲する。
――だったら今回の件は、こう語られでもするのかね?
その冒険者、迷宮を解放せし者。
己のバカな考えを鼻で笑い飛ばし、ポルッカはいっそ落ち着いた歩調で自分が勤める冒険者ギルド支部長の部屋へ向かう。
間違いなく冒険者ギルド史に刻まれる、とんでもない情報をその手にして。
「ちょっとヒイロ君! アンタ私のパーティー募集に名乗りくらい上げなさいよ! 男の子でしょ?」
いつものようにエヴァンジェリンとベアトリクスに見送られながら迷宮攻略を開始しようとしているヒイロに、冒険者ギルドから息を切らして走ってきた女が自信過剰な発言を叩き付ける。
だが自信過剰とは言い切れないかもしれない。
その艶のある白銀の髪も、艶めかしい褐色の肌も、露出の多い布と金鎖細工で編み上げられた衣装に包まれた肉感的な肢体も、なによりも少し厚めの朱の唇と金の瞳に飾られた顔は、派手目ではあるが確かに美しい。
額には第三の目のような、美しい宝石が飾られている。
「美女は間に合ってます」
加速度的に機嫌の水位を下げていく二人に気を遣いつつ、心の底からうんざりした様子でヒイロが応える。
男として生まれたからには、一度くらいはそんな心情になってみたいもんだと創作物を読んでは思っていたヒイロの中の人だが、いざなってみるとそんなに心楽しいものでもない。
わりと本気でウンザリするだけだ。
有力冒険者として名を上げた結果としては妥当なところだが、『黄金林檎』の威光が通用しないこういう御仁もたまにはいるということだ。
ヒイロの目にはポルッカが言っていた通り、目の前の銀髪褐色美女が「踊り子」のレベル3であることが表示されているので、必要以上の警戒はしていない。
「あら美女とは認めてくれるのね。じゃあまあいいわ」
ヒイロの言葉にからからと笑いながら、その肉感的な躰をヒイロの方へ近づける。
「なんの御用ですか?」
エヴァンジェリンとベアトリクスの機嫌が危険域に入るのを防ぐため、ヒイロが真っ当な質問を投げつける。
「ちょっと殺気立たないでよ、怖い。動けなくなるじゃない。『鳳凰』と『真祖』ともあろうものが、ちょっと余裕なさすぎじゃない?」
ヒイロの脇を固めるように動いたエヴァンジェリンとベアトリクスに怯むことなく、ヒイロへの距離をあっという間に詰める銀髪褐色美女。
間違いなくただのヒトであるにもかかわらず女が口にした意外な言葉に、不覚にもヒイロも、正体を当てられたエヴァンジェリンとベアトリクスも一瞬硬直する。
「!」
その瞬間、抵抗する余地も与えられずに唇を重ねられる。
ヒイロは目を見開き、『千の獣を統べる黒』の尻尾九本が全部ぴんと立ち、エヴァンジェリンとベアトリクスの髪が物理的に逆立つ。
ヒイロの真横に、『管制管理意識体』の表示枠も現れている。多少ノイズが入っているのは『管制管理意識体』の動揺ゆえか。
ヒイロが目を白黒させている間に舌まで入れられる。
その瞬間。
『私のことを護ってくれるなら、私はアンタについてもいいわ、ヒイロ君。それとも――『天空城』首魁『黒の王ブレド・シィ・ベネディクティオ・アゲイルオリゼイ』って呼んだ方がいい? 長いわね、この名前。あ、返事は今度でいいわよ』
――接触テレパス!
プレイヤーにだけ取得可能な、他のプレイヤーと通信するためだけの能力。
お題目では、運営にさえその内容は明かされないとされていたもの。
だが余りの事に考えが纏まらない。
ヒイロの驚愕を意に介すことなく、充分に大人の接吻を愉しんだ後ヒイロを解放する。
少しだけ糸を引く、細い唾液がいやらしい。
ヒイロの思考はほぼ停止している。
「御馳走様。今日のところはこれで引くわ」
その言葉通り、己の唇をその細腕でくいと拭い、いい笑顔で身をひるがえす。
「燃やす」
「吸う」
据わった眼の二人がそれを赦すはずもない。
何となれば目に涙すら貯めている。
「何言ってんのよ、どうせ三人でくんずほぐれつ、毎晩爛れた営み繰り広げてんでしょ? 接吻くらいで殺気立ちなさんなよイイオンナが」
だが余りの爆弾発言を放り込まれ、二人とも顔を湯立たせて硬直する。
それを見てけらけらと笑いながら謎の女が去ってゆく。
「いいわね、ヒイロ君。すごく愛されてて」
――ええ、そうでしょう。
だが涙目でヒイロの方を振り返る、今まで見たことのない表情のエヴァンジェリンとベアトリクスを見て、ヒイロは本気で天を仰いだ。
表示枠に映る『管制管理意識体』は怖いくらいの無表情。
「にゃ、にゃ~ん……」
『千の獣を統べる黒』の猫のふりは、何一つヒイロを助けることは出来そうになかった。





