第36話 十三愚人
闇。
真に光なき空間はすべてを溶かし、個の存在を許さぬ均一となる。
存在しているのかすらも曖昧となる、塗りつぶされた黒。
それは闇が光であっても同じことかもしれない。
だがその均一が突然乱れ、破られる。
闇に弱々しい炎が燈り、その数がぽつぽつと増えてゆく。
その数は十三。
円を描いて各々の前に浮かぶ弱々しい炎に照らしだされるその姿はすべて、ヒトならざる異形の存在である。
だがそのすべてが揃いの漆黒の外套を纏っており、血の赤で「Ⅰ」から「ⅩⅢ」の№が刻まれている。
「わずか一日……いや事実上一撃で『連鎖逸失』は食い破られたな」
最初に炎が燈った最奥? の異形が声を発する。
どこか『黒の王』にも似た、異形ながらもヒトのカタチ。
だが『黒の王』の枝角とは違う、巨大で幾重にも捻じくれた山羊角を、人のものである頭骸骨から生やしている。
眼窩は二つだが、そこに強い赤光をはなつ魔導球が浮かんでいる。
十三愚人の第一席、Ⅰ。
「戦力としては歴史を遡っても類を見ぬ。これまでで最強と見て間違いあるまい」
Ⅰの右隣の炎、それに浮かび上がらされた異形が応える。
十三愚人の第二席、Ⅱ。
一見するとローブを被った老人のようなシルエットだが、その中身は定型ではない。
這いずる無数の虫が集まって、ヒトのような形を成しているだけである。
そのせいか、声もざらざらと掠れ、聞き取りにくいものになっている。
「あれをあっさり防ぎおったしの」
Ⅰの左隣、どう見ても巨大な一枚岩にしか見えぬモノが人語を発する。
それを横から見れば、まるでそこには何も存在しないかの如く見えなくなる。
艶やかな石板の質感を持つ表面との違和感が強く、ポリゴン欠けを現実で起こしているようにしか見えない。
外套を羽織っているのがいっそシュールですらある。
十三愚人の第三席、ⅩⅢ。
「化け物の類じゃな。ようもあそこまで……」
Ⅱの左に連なるⅢ。
どうやら時計並びにⅠからⅩⅢまでが、円形に立っているらしい。
畏怖を含んだⅢの声は老人のものに聞こえる。
だがその姿は堅牢な鎧に覆われた巨躯である。
その姿を異形と言わしめるのは、前で組まれた腕が三対あることだ。
「それに『凍りの白鯨』を取り込んだ。あれは厄介よな」
「我らでは『静止する世界』に抗することはできん。どうする?」
「どうにもできない。直接相対すれば勝ち目はない」
Ⅳ、Ⅵ、Ⅸが、『天空城』が味方に引き込んだ『凍りの白鯨』――運営の憑代であったモノの力について言及している。
Ⅳ――巨大な狼のように見える、蒼い獣瞳と獣毛の巨躯。
Ⅵ――空中に浮かぶ、七色に光る金属の球体。
Ⅸ――恐ろしく美しい顔をした、金髪碧眼の球体関節人形。その瞳はとじられている。
「直接相対せねばよい。やり方はいくらでもあろう」
三名? の会話を受けて、Ⅶが応える。
その姿は十三の異形の中で最も人に近しい。
白銀の髪と艶やかな褐色の肌。
ボリュームのある肢体に露出の高い、布といくつもの金鎖細工で組み上げられた特殊な衣装をまとっている美女にしか見えない。
だがその額には、縦に開いた第三の目が宿っている。
「だが彼らはその『静止する世界』すらも砕いてみせたぞ」
Ⅶの楽観論にも聞こえる言葉に、竜頭人身にどこか間違った侍のような衣装を身に付けているⅩが指摘をする。
「判断もはやく、動けば苛烈。甘さは今のところ感じぬな」
その意見に賛成なのか、のっぺりとした緑の小躯――凹凸が乏しく首もない――に巨大な聖書らしき本とランプを持った姿のⅩⅠが補足する。
「きちんと網も張っておる。すでに末端から二段階まで抜かれたと報告が来ているな」
「ぬかりはあるまいな?」
一撃で末端の実行部隊である『組織』を粉砕されただけではなく、それに反応した紐を辿ってその背後にまで『天空城』の手が伸びてきていることもきちんと把握できている。
報告をしたのはⅤ、それに対して警戒の確認をしたのがⅩⅡである
それぞれ翁の能面を被った巨大な猿と、どう見ても人工知能を搭載されたヒト型戦闘ロボットにしか見えない姿をしている。
外套の似合い方が対極である。
「直下から三段階まで切ったよ。辿り着く手段は無いハズ」
ヒト型戦闘ロボットの確認に応えるのはⅧ。
少女のような声と、それに違わぬ小さな体をしている。
阿弥陀被りをした狐面も異様だが、それ以上にⅧを異形と呼ばせるのは、目が一つしかないからだ。
隻眼という意味ではない。
はじめから中央に、巨大な瞳が一つしかないのだ。
「はずでは困る」
だがそのあやふやにも取れる答えに対して、Ⅰが指摘する。
数字が序列というわけではないようだが、Ⅰが指導者的な立場にあることは間違いないようだ。
「辿り着く手段はありません」
その指摘に対し、口調も変えて単眼少女が断言する。
幾重にも安全弁を重ねて作り上げた組織を、ヒイロたち『天空城』が間違っても自分たちにたどり着くことが無いようにするためだけに、根元に近い部分を自分たちから切り捨てたのだ。
その実行にあたった単眼少女の断言は重い。
自分たちが世界を裏から操る立場だと信じて疑っていなかった者たちは、末端組織と馬鹿にしていたディケンスたちよりも無惨に、味方と思っていた上から皆殺しにされたのだ。
一連の会話から、この異形の者たちの集団――十三愚人は『天空城』を正しく把握し、その上でこれ以上なく警戒――より正確に言えば恐れている。
先のⅩⅢの発言の通りであれば、『凍りの白鯨』との交渉中に一撃を叩き込んで防がれたのはこの十三愚人ということになる。
彼我の戦力差についてのヒイロの分析は、ほぼ正鵠を射ていると言っていいだろう。
彼らはこの世界について『天空城』よりも深く識っている。
だが自分たちが力で勝てないということを、傲ることなく最初から理解してもいる。
あるいは力だけで敵対する相手よりも、『天空城』にとってよほど恐ろしい相手と言えるのかもしれない。
「ならばよい……で、どう動く?」
単眼少女の断言を受けて、Ⅰが全員に今後の対応を確認する。
「裏は動けぬ。相手の調査能力を見くびるべきではない」
「だが時が過ぎればより動けぬようになるが」
組織に代表される、ヒト知れず行動している集団はまだいくつもある。
だが今それを動かせば近い部分を切り捨てた意味はなくなるし、軽挙は『天空城』につけこまれる隙を見せることになると翁面の猿が指摘し、ただ時間をおいても相手を利するだけだと竜頭の侍が反論。
「今我々まで辿り着かれることは絶対に避けねばならん。それが最優先事項だ。幸いと言っていいのかはわからぬが時間はまだ十分残されておる。我々にとっても時は味方だ」
その対立する意見に、今は潜むことこそが第一だとⅠが判断を下す。
「だからといって放置もできまい?」
「では表に動いてもらえばよい」
それに反論するというわけではないのだろうが、ではどうするのだという問題提起をヒト型戦闘ロボットが再度行い、それに褐色三眼美女が提案を行う。
表――国家や宗教、ギルドや商会という公的に存在する組織を、自分たちに利するように誘導する。
完全に切り離して支配している組織と違い、ヒトの暮らしに溶けこませている者たちを駆使すればわかりやすい痕跡は残りにくい。
裏の組織は『連鎖逸失』を引き起こすなどの任務特性から、レベルや技・能力を必要とし、その一般からの乖離から辿られる可能性がある。
だが表については権力や金を与えているだけで、あくまでも普通のヒトである。
アタリを付けられている可能性のある者を慎重に外して動けば、水面下で動くことも十分できるだろうとの判断だろう。
これもまた、現段階でヒイロが危惧した通りのことでもある。
実際今の『天空城』にはまだ手が足りていない。
動くのであれば今という判断は、あながち間違ってはいないのだ。
その手段さえ間違わなければ、だが。
「役に立つの? そんなもの」
「やりようはある、と言った」
だが異能を持った者たちでさえ鎧袖一触する『天空城』勢に対して、そんな搦め手が通用するのかという当然の疑問を球体関節人形が口にする。
対して、褐色三眼美女は思惑があるという。
「――ではⅦ。まずは貴様に任せよう」
「承った」
再び筆頭であるⅠが結論を下し、それを褐色三眼美女が了承する。
必ず何か手を打たねばならない局面で具体的な代案を出せる者がいない以上、手を上げた者に任せるのは一つの正解の形ともいえる。
だがⅠが何を考えているのか、その頭蓋と眼窩に浮かぶ赤光からはなにも窺い知ることは出来ない。
「くれぐれも……私たちにたどり着かれるようなことはないようにね」
「くどい」
一番『天空城』の力を警戒しているらしい球体関節人形の忠告を、自信ありげな褐色三眼美女が切って捨てる。
いずれにせよ当面の方針は決定したのだ。
Ⅰが任せると決めたからには余計な口も手も出さない。
それが十三愚人という組織の鉄則なのである。
「我ら十三愚人。力及ばず己が望みを果たせずに打倒されし愚者の群れ。しかして望みは捨てず、未だ我らは滅びずここに在る。偽りの世界を贄に捧げようと、己が望みを渇望する愚者なれば、望み以外のすべてを捨てよ。――我が愚かな望みに」
これ以上の意見がないことをしばしの沈黙で確認し、いつものようにⅠが宣言する。
十三愚人。
愚か者であることを自認する敗者たちが十三人集まった、救えぬよりあい。それでも救いを求めてやまぬ者たちの、最後の拠り所。
「我が愚かな望みに」
他の十二の異形が最後の言葉を唱和した後、一つ一つ炎が消えてゆく。
最後の炎――Ⅰのものも消え、最初の真の闇に回帰する空間。
塗りつぶされた闇。
だがそこに炎は燈らず、声だけが再び響く。
「さて、どうしたものか。確かに我が愚かな望みはあれど、それは果たして彼のものと相反するものかな?」
さっきまでとのは口調が違う。
どこかあっけらかんとも響く艶っぽい声は、褐色三眼美女のもの。
「ま、とりあえずの一番手ってところだね。負けたらあれかな? 奴は我らの中では最弱、十三愚人の面汚しよ、とか言われるのかしらね?」
けらけらと笑いながら、その声も消えてゆく。
再び静寂に包まれた闇に、もう一度声が響くことはない。





