第30話 死と再生
――コイツ等、どっから現れた?!
転移魔法だとか転移陣だとかそんなチャチなモノでは、断じてない。
もっと恐ろしいものの片鱗を(以下略
だが、それは正鵠を射ぬいている。
ヒイロたちがこの場所への移動に使用したのは、ただの転移魔法。
だがその魔法効果光も、魔力が発動している気配すらも残さず忽然と現れたのは、世界が静止――男からすれば時が止まっていたからなのだから。
そして白い仮面の男は今、ここしばらく――数十年間という長きに渡って持たなかった感情を、自覚すること無く得ている。
曰く焦りと――その裏に在る、恐怖。
本人はそれを絶対に認めないだろう。
だが処分対象と相対する際の見下した態度とは打って変り、自分にできうる最大限の警戒態勢を我知らず取っていることがそのなによりの証左である。
『組織』では下っ端とはいえ、ただの冒険者ごときに後れを取るはずはない、と自分に言い聞かせる。
『連鎖逸失』から解放された己は、成長限界――レベル99まで鍛え上げている。
たとえ己が『拳闘士』というありふれたジョブであり、相手が『魔法使い』というレアジョブであったとしても、圧倒的なレベル差は覆しようもないはずだ。
今まではそうだった。
事実ついさっきも驚くくらい強力な魔法を使いこなしていた「魔法使い」を、いつものように一切の反撃を許さぬまま一方的に殺戮した。
『連鎖逸失』がある限り、そこから解放された者とそうでない者の差は覆しようがないはずなのだ。もって生まれた才能以上に。
一方で『連鎖逸失』から解放されたからこそ、成長が限界まで至った場合の、もって生まれた才能の覆しようのない差は男にある種の絶望を与えた。
建前ではみな成長限界まで到達した「同志」であるはずの『組織』においても、実際自分はやはり下っ端のままであった。
『組織』を左右するのはやはり、生まれながらに恵まれた才能を持つ者であるという事実が絶望という毒となる。
その毒から芽生えたのが才能はあれども『連鎖逸失』に囚われたままの、別の意味で「選ばれなかったもの」たちを残虐に殺すという歪んだ行動である。
確かに、命じられてやっていたことでもあるのは間違いない。
だが「面倒くさい」だの「運が悪かったな」などと嘯きつつ、本来であれば自分が仰ぎ見ることしかできなかったはずの才能を、その真価が発揮される前に踏みにじるのは確かに快感だったのだ。
才能に恵まれた者たちが、いや者たちであってさえも、最後に必ず見せるもの。
そんなバカな、あり得ない、何が起きているのかわからない――
そういった「絶望の表情」が、男の歪んだ自尊心をわずかながらに癒してきたのだ。
だが今、今まで自分を前にした冒険者たちと同じ、いやそれ以上に最悪な状況に自分が置かれていると、なぜか本能が告げてくる。
成長限界――レベル99まで至ったからこそ感じることが可能な第六感とも言うべきものが、まだ一言すらも交わしていない相手が「絶対的な強者」だと告げている。
だからこそ逃げることもできない。
「あ。ヒイロ様――どこまで「死」を燃やしたらいい、かな?」
とんでもない美貌を持った金と白の女が、緊張感のかけらもない声で正面に立つ少年に尋ねる。
男がすでに始末したと思っている冒険者どもをご丁寧に焼いてくれているらしいが、「死を燃やす」という意味が、世界の理から半分はみ出しているといってもいい男にも理解できない。
「え? どこまで?」
ヒイロと呼ばれた主らしき美少年も、その言葉を理解できていないようだ。
事実ヒイロはエヴァンジェリンがアルフレッドたちを再生してくれていることは理解できていても、その問いの意味は理解できていない。
「えっと。身体は生き返ってもね? 死の瞬間の記憶とか、自分が考えたこと、が残っているとダメなヒト、多いよ?」
「そうじゃな。特に今回みたいな「突然で理不尽な死」というモノは、魂に濃い影を落とす」
エヴァンジェリンのたどたどしい説明に、「死を司る」と言ってもいい真祖たるベアトリクスが的確な事実を追加する。
死の記憶――絶望。
その瞬間に何を思い、何を祈り、あるいは呪ったのか。
自分自身だけには嘘偽りが通用しない中、正しく自分がどんな人間だったのかを思い知って終わるのが死とするならば、たとえ体は完全に再生されたとしても、魂がそれ以上先に進めなくなるのも道理なのかもしれない。
「死」とは体だけではなく、心にも等しく降りかかるのだ。
故にその「死」を燃やす。
体を再生するだけではなく、記憶ごとその魂にこびりついた死を燃やし、本当の意味で「生き返らせる」ことが可能なのが、エヴァンジェリン――『鳳凰』の再生なのである。
ヒイロにとってみれば掃いて捨てるほどストレージに余っているただの「蘇生アイテム」では、時間的にも内容的にもとても追いつけない完全なる死に対する勝利。
だが。
「いや、いいんじゃないかな? 冒険者なら、絶望くらいは乗り越えてみせてくれないとね」
ヒイロはそう告げる。
今ヒイロが考えている計画にアルフレッドたちを組み込むには、それくらいできてくれなければだめなのだ。
それにもし無理だったとしても、後からエヴァンジェリンに頼んで穏やかな暮らしをしてもらえばいいという判断もあるのだろう。
それ以上に、ヒイロは何かを信じている。
「ん。わかった」
「そういうものか」
なにやら白金と黒紅のとんでもない別嬪二人は納得しているようだ。
だが仮面の男にしてみればまるで理解の範疇を超えている。
言葉通りに受け止めれば、たった今自分が間違いなく殺した者たちが生き返ると言っているのだ、突然現れた自分以上に謎の存在共は。
そんな奇蹟は『組織』にも存在しない。
死は絶対だ。
成長限界まで至ったあらゆる才能が揃っている『組織』であっても、死から逃れる術は未だ持ちえていないのだ。
探求している者は幾人もいれど、その裾すら未だ掴めてはいない。
目の前の連中がびっくりするくらい、本来は死と同義と言ってもいい存在であるはずの自分を無視して話を進めているのが腹立たしいのか、恐ろしいのかはわからない。
だが男はその会話の答えに興味を引かれて沈黙を守った。
果たして黄金の炎に包まれた亡骸であったモノ――間違いなく男がそうしたはずの、生が終わり死に支配されたはずのそれが、元に戻ってゆく。再び生を得ようとしている。
仮面の下で驚愕の表情を浮かべざるを得ない男を蚊帳の外に、興味深げに見守るヒイロとシュドナイ、エヴァンジェリンとベアトリクスの前で六人の「再生」が完了する。
「――駄目だ! ヒイロ君、逃げろ!!!」
シンとした迷宮に、一度死を経たアルフレッドの声が響き渡る。
死の瞬間の思考がそのまま今につながり、意識が戻ると同時に呪いの絶叫を上げようとしたアルフレッドの視界に映ったのは、先日知り合ったばかりのヒイロの姿であった。
その瞬間。
妹と仲間への申し訳なさも、己の無力さに対する怒りも、理不尽に対する絶望も、死の絶対に対する恐怖も、自分と仲間たちをそんな目にあわせた相手と世界への呪いも、そのすべてが消し飛んだ。
先輩冒険者として、才ある後輩を同じ目にあわせるわけにはいかない。
ただその想いだけに突き動かされて、絶叫を上げたのだ。
自分たちがどうなっているのかはわからない。
今からもう一度戦闘を繰り返したとしてもまるで時間稼ぎにもならないことは、それこそ死をもって理解できている。
それでも。
それでも見せなきゃならない意地はある。
強いとか弱いとか、賢いとか愚かだとかは関係ない。
己の在り方の問題だ。
それは一度くらいの死を経ても変わらない――変えない。
馬鹿は死んでも治らない。
そしてアルフレッドは、その馬鹿を誇って生きてきた。
だったら世界を呪っている場合じゃない。
戦いを生業とする者には、負けるとわかっていても戦わねばならない時がある。
それは今だと、アルフレッドは自分を奮い立たせる。
アルフレッドの声に応じて、同じく絶望の中死に至ったはずの仲間たちもヒイロの存在を認識し、恐怖と絶望を噛み殺して謎の男――死に再び対峙しようとする。
アンヌでさえ、「年下の男のコ」であると信じているヒイロを安心させるために、無理に笑顔を浮かべさえしている。
「――逃げてね、ヒイロ君」
震える声でそう告げるアンヌを、常には見せぬ表情でエヴァンジェリンとベアトリクスが黙って見つめている。
本来ヒトなどなんとも思っていない『千の獣を統べる獣』も、これには素直に感銘を受けているという表情を隠さない。
言葉はない。
だがその様子を見て自分たちに視線を向けるヒイロが、ただ戦闘が強いだけの者には決して見せない表情を浮かべていることを三者三様に理解する。
“力”の在り方とは、“強い”という意味は、一つでもなければ単純でもないのだ。
――ヒトもそう、捨てたもんじゃなかろう。
そう言われている気がして、レベル差や能力差、見た目の美醜ではないもので「負けられない」と思う忠実なる僕たちである。
「大丈夫ですアルフレッドさん。僕に任せてください」
決死の表情で立ち上がったアルフレッドにそう告げるヒイロの声には、いつもの可愛らしい響きからは想像もできない重みが宿っている。
文字通り決死の覚悟を決め得たアルフレッドたちが、思わず止まって見つめてしまうほどに。
「テメェら、この俺を無視して――」
「やかましい!」
異常事態に固まっていた仮面の男が、思い出したように喚きだそうとするのを、『千の獣を統べる黒』の一喝が止める。
格の違う相手からの一喝に、生き物として自分の体が反射的に従っていることに、男の精神は気付けない。
ただ自分の本能が「恐怖」を感じ、「逃げろ」と大合唱を上げている相手。
それが自分の殺し得た相手が知っている相手であるのであれば、自分の力でどうにでもできると信じ込むことで最初の言葉を発することができたのだ。
「我が主の言葉を止めるなど貴様――」
続く僕の怒りの言葉を、ヒイロが左手で制する。
その瞬間、己の身の内のすべての激昂を抑え込んで『千の獣を統べる黒』は沈黙する。主の言葉は絶対なのだ。
小動物がヒトの言葉を話す――御伽噺で語られる魔物ならぬ『魔獣』そのものの『千の獣を統べる黒』に対して、アルフレッドたちは驚愕の表情を浮かべているが、ヒイロはそれに頓着していない。
事がこうなったからには、『黄金林檎』に続いてアルフレッドたちにも自分たちの正体を隠すことを放棄したのだろう。
まあこの場を収めようと決めたのであれば、そうせざるを得ない。
死から救っておいて「僕にはよくわかりません」は通じまい。
ただ仮面の男を排除することだけがヒイロの目的であるのならば、そのままシュドナイが噛み殺して終わっていただろう。
だがもちろんそうではない。
「この人の相手は、僕がするよ」
「小僧、テメェ……」
ヒイロが、その中の人が感銘を受けた、この世界に生きるヒトの意地。
だが目の前にいるこの男もまた、同じヒトなのだ。
だが急いだとはいえ未だ到達できていてもレベル6のはずのヒイロが、どう相手をするというのか。
『黒の王』として相対するのであれば初めからその姿で現れたであろうし、どうもこの世界に直接的にかかわるのはヒイロとしてと決めている節もある。
先のように僕たちの力を使うのであれば結局は同じことでは? と思えなくもないが、ヒイロなりに拘るところなのかもしれない。
「小僧だなんて、……ずいぶん雰囲気が違いますね」
「――あ?」
皆が沈黙を守る中、ヒイロが仮面の男に話しかける。
それは表面上であれば、とても親しげにも見える態度だ。
「先日ポルッカさんの紹介で、御挨拶申し上げたじゃないですか。――アーガス島冒険者ギルド職員、ディケンスさん」
だがヒイロはそれなりに怒っている。
それはディケンスが冒険者たちを裏切って、『連鎖逸失』を人為的に起こしていた組織に加担、またはその一員であったからではない。
いやそれもこれから聞く話しだいでは喩ではなく叩いて潰すつもりでもあるが。
ヒイロはディケンスがおかしいことに最初から気付いておきながら、泳がせたためにこの事態を引き起こしてしまった自分の判断に怒っているのだ。
そのヒイロの左目が、『黒の王』の眼窩に浮かぶ四つの瞳――ゲヘナの火の一つに変化する。
レベル6で身に付けたアクティブスキル、『合一』
その力の行使をもって、「冒険者の敵」を断罪するのだ。





