第29話 惨劇 下
「最大警戒しつつ後退! 第五階層まで速やかに撤退する!」
『絶対障壁』を多重展開し、次の詠唱に入るまでにアルフレッドが取るべき行動を指示する。
それに従い、流れるような動きで迅速な撤退行動に入る六人。
余計なことは言わない。
下手に粘ったりもしない。
せっかく『連鎖逸失』はないと思われていたアーガス島の第六階層にも、タイムラグと共にそれが発生しつつあることに唇を噛みたい思いはある。
自分たちでも倒せる魔物も存在しているという疑問もある。
だが今はまず生き延びることが最優先されることを、『連鎖逸失』階層に挑むという無茶をしているアルフレッドたちだからこそよく理解している。
そして最悪の事態とはいえ、自分たちであればこの状況からでも生還できることを経験として知っている。
だからこそこの状況で最適と思われる行動を、一糸乱れずに取ることができているのだ。
だがそれは、今まではそうであったというだけのコト。
いつもそうであることが、次もそうとは限らないという事実を警戒したからこそ、アルフレッドたちは『連鎖逸失』を繋げることこそを至上としたのではなかったか。
そして本当の最悪の事態とは、唐突に訪れることを身を以て知ることになる。
「――っがぁ!!!」
三つ連なった高い金属音と鈍い打撃音。
それと同時に5人の耳に届く、聴きなれた声。
だけどこんなふうな響きを耳にしたことは、仲間内の誰もない声のような音。
後退の場合、先頭となる短剣遣い――ジゼルの声、に聞こえた。
だけどいつも鈴の音のように可愛らしく響くものとは違い、低く歪んで濁っている。
「――ジ、ゼル?」
配置的に一番側にいたアンヌが、信じられないモノを見る視線を、迷宮の床に向けている。
そこにはつい先ほどまでジゼルであったモノが倒れ伏し、じわじわと赤い領域を広げつつある。
「へえ? 一定までの攻撃を吸収するか、それ以上の攻撃の場合は完全に無効化して消える障壁魔法か……やっぱり便利なもんだな、魔法ってやつは。――俺にゃあ無意味だけどよ」
ジゼルの死体の向こう側。
忽然と現れた、不吉な白い仮面をかぶった男が立っている。
声からすればそれなりの年齢。
一目で鍛え上げられたとわかる体躯は引き締まっており、その拳には禍々しい形をした拳鍔が嵌められている。
それはジゼルの血で濡れている。
「申し訳ねえが今日から此処は立ち入り禁止だ。機兵を配置するから普通の人間にゃどうしようもねえだろうけど……お前らちょっと厄介そうだな。――ここで死んどけ」
間違いなくヒトだ。
魔物ではない。
だが三重の『絶対障壁』に護られていたはずのジゼルを一瞬で無力化――死に至らしめ、今また何でもない事かのようにアルフレッドたち全員を始末するという。
「――っぁ」
あまりのことに叫び声をあげて何もできなくなるアンヌを護るように、盾役である二人が一瞬でその男へと距離を詰める。
恐怖も驚愕もあるが、そういう状況だからこそそれに引っ張られて動きを止めることが最悪の選択であることを経験で知っている。
だから動く。
だから動ける。
現在ヒトとしては最高であるはずのレベル7。
その動きは能力や技を使用していなくても普通の人間の目には止まらないし、同じ冒険者、レベルの者であっても二人がかりとあっては簡単にあしらえるようなものではない。
ないはずだった。
だが再び迷宮に累なって響く金属音と、今度は鎧を貫くようなくぐもった打撃音。
その一瞬で歴戦の冒険者であり、盾役として相当の防御力を誇っているはずの二人が地に伏せる。ジゼルの時のような声もない。
そして同じように、赤い領域がじわじわと広がり始める。
死体が三つに増えたのだ。
驚愕しつつも二人を攻撃している間に自分の攻撃を当てようとした弓遣いは、一瞬で後ろに回られたことを何とか感知するが、次の瞬間に三つ重なった金属音と共に先の二人と同じように地に崩れ落ちる。
四つ目。
「兄様……」
「アンヌ!」
呆然と敬愛する兄の名を呼ぶアンヌの胸からは、さっき目にした禍々しい拳鍔が嵌められた拳に続く腕が生えており――
アンヌであったモノは言葉の代わりに大量の血をその美しい唇から溢し、地に打ち捨てられる。
これで五つ。
「貴様!!!!!」
「あー、そういうのいいから。死んどけ」
うんざりしたような口調で、激情にかられたアルフレッドの肚のど真ん中に連撃を突き入れる謎の男。
それは三つの金属音を瞬時に発生させ、四撃目がアルフレッドの躰を冗談ごとのように貫く。
――『連鎖逸失』の謎はこいつが関わっていることは間違いないアンヌの仇殺す殺す殺す逃げる?無理だどうする私も死ぬシエル死んだ嫌だアンヌ殺されるジゼル私の魔法がなぜ?ブリジット死恐ろしい何者だフィアナ魔法逃げる殺す逃げる殺す逃げる逃げるニゲルニゲル無理だ痛い痛い母上痛い痛いイタイ父上イタイイタイイタイイタイイタイエリオットイタイイタイイタイタスケテイタイイタイイタイヒイロ君イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ――
アルフレッドの思考が途切れる。
妹と同じように口から大量の血を吐き、天才と称された魔法使いはただの肉塊となって、自分のパーティーの中で最後に地に崩れ落ちた。
これで全滅。
夢も。
希望も。
後悔する暇すらも、何もない。
『連鎖逸失』とはなんなのか、その答えに等しい存在と相対しておきながら、得ることができたのは無慈悲で残虐な死だけである。
力なき者に世界が与える答えは、すべて死の形を取るのかもしれない。
「ふん。魔法使い様だか何だか知らねーが、運が悪かったな。封鎖された迷宮でちまちまやってりゃいいものを、調子に乗るからだ」
世界に名だたる冒険者パーティーを壊滅させたことに何の感慨を持つこともなく、ただ嫌悪感を込めて吐き捨てる謎の男。
どういう手段を使ったものか、最初に忽然と現れた時のように何事もなかったように踵を返して帰還しようとしている。
いつものように面倒くさい下っ端としての自分の任務を果たし、世界の表舞台に出ることなくひっそりと戻る。
そのはずだった。
だが――――世界は静止する。
ただの冒険者を見下し天罰気分で愚か者を処分したつもりの男に、それを認識できるはずもなく世界の一部として共に静止する。
そしてそんなことが可能なのは、この世界において一人だけである。
「うっわ! えらいことになってる!! ――エヴァンジェリン!」
「はあい」
本気で焦っている声のヒイロに、いつもの調子でエヴァンジェリンが応える。
その瞬間、黄金の炎が六つ生まれ、すでに死に支配されているはずの肉塊6つをそんなことなどなかったかのように再生させてゆく。
「間に合った? って言っていいのかこれ?」
「間におうとるじゃないか主殿。逃がしてはおらん」
「いや、あの、そうじゃなくてね?」
惨劇の現場に眉一つ動かすことなく、ベアトリクスがヒイロの疑問に答える。
ヒイロの疑問の本当の意味が伝わっていない。
何を言っとるのだ主殿は? という表情を素でしている。
「まいっか。助かるんだよな?」
「?」
ヒイロの質問に、いつもの仕草でエヴァンジェリンが何を言っているかわからないという顔を見せる。
『鳳凰』がいる場で「死」が勝利することなどあり得ないと確信しているので、こちらもヒイロの疑問の意味が解らないのだ。
いつものように付き従う『千の獣を統べる黒』も、この程度の状況に己の主が本気で慌てているっぽいことを不思議そうに見ている。
『天空城』が百度にわたって世界を蹂躙してきた記憶の中には、こんな程度では済まない惨劇も数多くあるから当然だ。
それを自ら嬉々として行っていた『黒の王』でもあるヒイロが、つい数日前に知り合っただけのヒトが六人死にかけた程度で慌てるとなれば、シュドナイのような表情を浮かべるのも無理なからぬことと言えよう。
ヒイロとしてはゲームとしてしか体験していないので平然とできるわけもないのだが、僕たちにそんなことがわかるはずもない。
まあいいか、とヒイロは余計な思考を振り払う。
ちょっと刺激の強すぎた情景も見なかったことにする。
「さて。白姫、解いてくれていいよ」
『承知しました、我が主』
そして世界は動き出す。
深刻な惨劇をすべて、初めから無かったようにしたうえで。
そしてアルフレッドたちにとっての「謎の男」がそうであったように、「謎の男」にとって不可避の死を従えた存在と相対した形で。





