第28話 惨劇 上
アーガス島迷宮、その第六階層。
現存する迷宮においてヒトが辿り着ける最深部にして、現在の攻略最先端。
当然未だ突破はされておらず、第六階層への扉を開いた当人である『黄金林檎』の精鋭パーティーを含めた2、3パーティーを除き、本格的な攻略を開始してすらいない。
それすらも先日の『九柱天蓋』が一方的に墜とされた事件からこっち、停止しているのが現状だ。
そんな状況下の中、例外のパーティーが存在する。
「さて。あれだけの大見得を切ったからには、最初の第六階層突破の栄誉くらいはもらわないとね」
涼しげなその声に合わせるように、いつも通り自分たちは無傷のまま、今まで見えたことのなかった第六階層の魔物――牛頭人身の斧遣い――が倒れる。
『触れえぬ者』の通り名を持つアルフレッド・ユースティン・フィッツロイ率いる、『連鎖逸失』を繋ぐことを至上とした冒険者たちのパーティーである。
「兄様、嬉しそう」
前人未到と言っていい迷宮深度を攻略している最中とは思えぬとびっきりの笑顔を浮かべ、『貫く者』の通り名をもつアンヌが呟く。
先の戦闘はアルフレッドの多重展開された『絶対障壁』が魔物の攻撃をすべて無効化し、アンヌの『防御貫通』を合わせた弓遣いの大技一撃で魔物を屠ったのだ。
自分たちのいつも通りのやり方が通用することを確認できた直後となれば、笑顔も漏れようというものなのかもしれない。
「それは当然というものだよアンヌ。あれだけの才能が迷宮攻略に加わってくれたのだ、喜ばずしてなんとする」
それはアルフレッドも同じなのだろう。
自分たちの戦術が第六階層でも完全に機能することを確認できたこととはまた別の、自分が嬉しそうである理由を口にする。
ヒイロが冒険者として、ごく真っ当に迷宮を攻略していることが嬉しいのだ。
『黄金林檎』の動きから察するに、ヒイロがただの天才魔法使いというだけでないことは間違いないとアルフレッドは踏んでいる。
タイミングから考えても、こともなげに『九柱天蓋』を砕いた存在との関係が全くないとも思えない。
だが実際に逢って話した結果、アルフレッドはヒイロをきちんと冒険者だと思えたのだ。
背景もわからないし、とんでもない力を隠しているかもしれない。
だが単純に強さを求める「仲間」だと信じられた。
それが嬉しいのだ。
「私たちも負けてはいられませんね」
「アンヌの言うとおり」
だからこそ、先駆者としては足を止めている場合ではないとも思っている。
偉そうなことを口にしたからには、いや口にしたからこそたゆまぬ努力と前進を続けなければならない。
それこそが『連鎖逸失』からヒトを解放するという己の望みにつながるし、そのための舞台も今は整っているのだ。
誰よりもはやく、より高いレベルに到達したいと思っている。
そうすることで、他の迷宮の『連鎖逸失』も『連鎖逸失』ではなくなるかもしれないのだ。
倒せぬまでも犠牲を出さずに戦える今の自分たちがより強くなれば、それが現実になるとアルフレッドだからこそ信じることができる。
その可能性とそれが与える世界への影響に、胸が高鳴ることを抑えられない。
「それに私の奥ゆかしき妹姫が、あんな表情を見せるのは初めて見たものな。兄として負けてはおれん」
「兄様!」
再び顔を真っ赤に染め、腕を下に突き出すようにしてアンヌが抗議の意を示す。
家族以外の男性はまったく苦手としていたアンヌが、ヒイロに見蕩れていたことを言っているのだ。
ヒイロと同行していた間、アンヌの顔がずっと赤かったのはそのせいである。
「はっはっは、人間図星をつかれると怒るモノなのだな」
兄として一抹の寂寥も感じながら、妹が女の子としてある意味真っ当な感情を持ちえたことにほっとしてもいるアルフレッドである。
ちなみにアルフレッド・ユースティン・フィッツロイは、ヒイロが疑っているような「プレイヤー」ではない。
もちろん妹であるアンヌもだ。
才能に恵まれ何の疑いも持たずに己の夢を追いかけている、幸せで恵まれたヒトというだけだ。
知り得た情報から常人には不可能な推測をすることは可能でも、全く白紙の状態から正しい答えを導き出すことなどできるはずもない。
『連鎖逸失』が人為的なものであるかもと疑い、ヒイロが天才というだけはなく人知の及ばぬ存在とのつながりがあるということは予測しえても、ヒイロが警戒したことには思い至れてはいない。
『連鎖逸失』は人為的なものである。
それが正鵠を射ぬいていた場合、そうしている存在が持つ力がどんなものであり、それと相対した者がどう扱われるのか。
己の分析とそれが本当である可能性の高さに舞い上がって、アルフレッドにはそれが見えていない。
ヒイロが危惧したのはそこなのだが。
「でもほんとに綺麗な子でしたよね」
「正直見蕩れた」
「整った容姿の殿方は、アルフレッド様で見慣れているんですけどねー」
「向こうは中身もまともそうでしたよ?」
ヒイロとの同行時は一言も話さなかった四人が、それぞれに感想を口にする。
ここ最近、美人を見慣れていると言っていいヒイロをして「綺麗どころを揃えている」と思わせた四人共に、ヒイロの容姿には度肝を抜かれていたのだ。
自分で相当な美少年に分身体を仕上げたくせに、鏡が常にあるようにでもしないとそのことを失念しがちになるのは、ヒイロの「中のヒト」としては無理なからぬことであろう。
自分がそういう意味で注目されることに慣れていないからだ。
ちなみにアルフレッドが自分のパーティーを女性で固めているのは男性を苦手とする妹のためであり、けっしてハーレム願望があるわけではない。
女性メンバー四人が四人とも、ドレスを着せて夜会に出せば貴族の御令息たちでも手玉にとれそうな容姿をしているのは、本当に偶然の産物なのである。
当人たちがそれを自覚しているかどうかは別問題ではあるのだが。
ただ綺麗な女性たちにちやほやしてほしいのであれば、アルフレッドならば夜会に出席してエキセントリックな言動を控えればそれで済む。
それにそういったことは「真っ当な大貴族の令息」を演じていた頃に一通り経験済みで、そういう「生臭さ」にたいした価値を見いだせていないのがアルフレッドという人間である。
ヒイロとは価値観を近くしながらも、本質的には仲良くなれない人物かもしれない。
「OK、それ以上は私の許容範囲を超える。こう見えて傷つき易いのだ、できればここらで勘弁願いたい」
長い付き合いで気心の知れた仲間からのダメ出しを、笑顔でアルフレッドが躱す。
「それにそういう君たちも、一言も口を利かずに無表情を貫くなんてらしくないじゃないか」
そしてキッチリ反撃もする。
それに対して「おねーさんとして、赤面してたらカッコつかないじゃないですか」とか「話しかけて、もしもあの顔で微笑まれたりしたら腰砕けになる」などと、女の子としての沽券に関わるので沈黙を維持したのだということを主張している。
「兄様も素敵ですよ」
ヒイロに見蕩れていたのが事実とはいえ、アンヌは兄であるアルフレッドに心酔している。
冗談であることは充分以上に理解しているし自分だってヒイロに見蕩れていたくせに、アルフレッドが蔑にされているのも兄思いの妹としては面白くなくて、フォローめいた言葉を口にしてしまう。
ただし本音が隠しきれていない。
「も、と来たか」
「も、と来ましたね」
「うぅう……」
アルフレッドとお姉様方にきっちり拾われて、両手で顔を覆って呻くしかない。
自身の内に初めて芽生えた感情が、ここまで自分を愚かにすることに戦慄を禁じ得ないアンヌと、それを見て微笑ましい兄とその仲間たちである。
迷宮の最深部でする会話でもなければ空気でもない。
だが油断をしているわけでもない。
『索敵』能力持ちである短剣遣いも笑っているし、アルフレッドが多重展開させた『絶対障壁』は後衛でも三重、前衛は十重にも累ねられている。
『索敵』に魔物が引っ掛かってから即応すれば問題ないし、綺麗どころを集めたハーレム・パーティーのように見えてもアルフレッドたちは世界でもトップクラスの手練れ冒険者集団である。
必要な意識のシフトはお手の物だし、そうであれば緊張しすぎないほうが長丁場となりがちな迷宮攻略には有効であることを経験として識っている。
――だが。
キン!
という高い金属音と共に、前衛である二人の騎士の一方――長い桃色の髪をしたブリジットの『絶対障壁』を一枚、一撃で消し飛ばされる。
「全周警戒!」
その攻撃に即応したアルフレッドの発した一言で、全員が瞬時に戦闘態勢に切り替える。
前衛である騎士二人が、攻撃の来た方向へ進み盾を構える。
弓遣いは矢をつがえいつでも放てる体勢を取り、それにアンヌがいつでも『防御貫通』を合わせられるように構える。
短剣遣いは万一に備えて後方を警戒。
それと同時にアルフレッドが『絶対障壁』の詠唱に入り、一枚失ったブリジットへと累掛けを実行する。
全員の表情が、さっきまでの物とはうってかわって真剣極まりないものになっている。
先刻倒した魔物と接敵してもこうまではならない。
そもそも魔物が接近すれば感知できるはずの『索敵』に反応はなかった。
それにさっき牛頭人身の魔物との戦闘では、『絶対障壁』を一撃で抜くような攻撃は一度も来なかった。
『絶対障壁』は一定数値のダメージ蓄積までを完全に無効化してから消滅する。それ以上の攻撃をくらった時でも、必ず一度はそれを無効化して消えるという、防御魔法としてはこの上なく使い勝手がいいものだ。
それが一撃で消し飛ばされるとなれば、尋常な状況ではない。
そしてそういう状況をアルフレッドたちは、ある意味嫌というほどに知っている。
――『連鎖逸失』階層における、絶対に勝てない魔物との戦闘。
それがここアーガス島の迷宮、その第六階層でも発生したのだ。





