第01話 冒険者ギルドでの一幕
ラ・ナ大陸中央から南より。
大陸三大強国の一つに数えられているウィンダリオン中央王国領、その南端。
『迷宮都市島アーガス』
この世界で直近に発見された最新の迷宮は、ここに存在する。
発見されてからおよそ二年。
現在のところ「連鎖逸失」にぶち当たることもなく、順調に攻略が進められている。
現時点の攻略完了階層は第4階層。
現在冒険者ギルド本部から派遣された精鋭パーティーによる第5階層攻略が日々進められている、冒険者たちにとって「世界の最先端」と同義の場所である。
「迷宮」はこの時代にはまだ4つしか発見されておらず、他の3つについては5年以上も前に「連鎖逸失」に突き当たっている。
いわゆる「生きている迷宮」は現在のところ世界中でもアーガスにしか存在せず、いきおいそこにあらゆるものが集中するのは自然な流れであった。
冒険者ギルドも本部を除けば最大規模のものになっているし、ほとんどの有力冒険者たちも活動の拠点をここアーガスに移している。
その冒険者たちを顧客とする宿屋、飯屋、武具屋、アイテム屋、医者といった迷宮都市には必須の商売が林立しているのは言うまでもない。
当然、それだけにはとどまらない。
迷宮から持ち帰られるあらゆるアイテム、何よりも倒された魔物そのものには、市井でのまっとうな暮らしではとても手にすることができない値が付けられる。
死と隣り合わせの稼業であっても冒険者のなり手に困らない理由だが、その金を目当てに冒険に必須とは言えない商売もまた、必須な商売を凌駕する勢いで集中する。
酒場、娼館は言うに及ばず、本来大都市にしかないような劇場や、高級志向のサロン、大金を出さねば手に入らない舶来品を扱う店や怪しい会員制クラブなど枚挙に暇がない。
基本的に豪快で金遣いも荒い「冒険者」という人種を考えた場合、ある意味必須と言えるのかもしれないが。
迷宮が発見されるまでは小さな漁村でしかなかったアーガス島は、今や大国であるウィンダリオン中央王国の王都にも匹敵する大経済都市となりおおせている。
その証拠というわけでもないが、アーガス島上空にはウィンダリオン中央王国を強国たらしめる大戦力、九つからなる魔導空中要塞『九柱天蓋』の一つが浮かんでいる。
あらゆる立場で他国の諜報員が潜み、犯罪組織や怪しい集団なども誘蛾灯のように呼び寄せる「富」が溢れかえった街であるからにはそれも当然のことか。
今やアーガス島を領地に持っていた地方貴族は王家に島を差し出す代わりに中央でも大きな発言力を持つ大貴族となり、閑職とされていたアーガス島の総督は役人であればだれもが憧れ、目指すべき栄職と化した。現在のアーガス島の総督府はちょっとした城など足元にも及ばない。
そんな夢と欲望、金と最先端技術がぎらぎらと熱を放つ迷宮都市。
それがプレイヤー「黒の王ブレド」が、現実化した「T.O.T」の世界を知るために選んだ場所である。
「マジか? 今日一日で『依頼』達成したってのか?」
ここは迷宮最上層から出て、すぐに向かった冒険者ギルドの『依頼カウンター』である。
扉を開けて今朝ぶりに顔を見せた俺に対して、「お、生きてたかド新人!」などとお約束の声をかけて、『千の獣を従える黒』に嫌な顔をさせた冒険者ギルドの我が担当、ポルッカ氏である。
ちょっと前髪が心許なくなったデ……恰幅の良い中年の男性だ。
余計なひと言を言いがちなことを除けば、面倒見の良い、いい人であることに異論はない。
だいたい容姿の事に触れると、俺の実際(以下略
だが冒険者ギルドで受付と言えば獣人系とか亜人系の綺麗、ないしは可愛いお姉さんであるべきと信仰する俺としては大変遺憾の意を表明するとともに、冒険者ギルドへの貢献度によっては担当者交代を要求することも厭わぬ所存である。
さておき。
「ええ、まあ。……確認お願いします」
そう言って依頼達成の条件である「牙鼠の牙」を10個、カウンターの上に並べてみせる。
「てこたお前さん、「魔法使い」って話は与太じゃねえってのか……」
唸り声を上げつつ、それでも冒険者ギルド職員としての職務はきちんと果たしてくれる。
それは視界に重なるように表示されているステータス画面において、経験値の数値がレベル3までの約1/3増加したことからも間違いない。
どういう仕組みになっているのかは知らんが。
あと『千の獣を従える黒』
別にそこまで怒るようなことでもないからポルッカ氏に牙剥いて唸るのよしなさい。真の姿であれば恐ろしかろうが、今のお前の姿では可愛らしいだけだし。
どうやら「魔法使い」が希少な存在というのは本当の話らしい。
今朝、ここで冒険者登録した時に胡乱な表情で「はいはい、魔法使い魔法使い」と言いながら「冒険者登録票」とやらに書き込んでいた時には本気にしていなかったということだろう。
この世界の冒険者ギルドには、「オーパーツ」としか呼べないようなギルドカードはどうやら存在しないようである。偽名であろうが与太職であろうが記帳登録し、発行されたギルドカードと一致すればそれで事足りる。報酬の支払いなんかで揉めなければいいということなのだろう。
もっとも冒険者としてのランク、知名度が上がっていけばその限りではないのかもしれないが。
俺の「T.O.T」プレイスタイルでは「冒険者」として活動することなんてなかったから、この辺の仕組みは詳しくない。発売された設定資料集には載っていたような気もするが、詳しくなんて覚えていないしな。
「ほれ、報酬の銅貨50枚。……あと第二階層の攻略許可証」
「ありがとうございます!」
どうあれきちんと報酬はもらえるようだ。
そうであればこちらに文句をつける筋合いなどない。
これで数日は温かい寝床と美味しい料理の保証はされたし、『依頼』の報酬が正しく支払われることが明確になった以上、明日からも無理なく生活を維持しつつ探索を続ける目処もついたと言っていい。
極論、ただ食っていくだけであれば今日の『依頼』を繰り返せばいいのだ。
もちろんそんなつもりはないのだが。
『依頼』の達成を急いだのは「第二階層」の攻略許可証を得ることが大きい。
第二階層の魔物はスライム系のみであり、それらはレベル2になる際に取得した「ファイア」が特効となる。
魔物が二種類しかいなかった第一階層から第二階層に進めば、その数は一気に八に増える。
それらすべてがスライム、つまり物理耐性を持っているので、「第二階層」は多くが物理攻撃職である冒険者たちにとって最初の壁となる。
第三階層へ到達できれば、ヒトの世界では晴れて「熟練冒険者」扱いというわけだ。
まあ「魔法使い」である俺にとってはボーナスステージのようなものだ。
レベル3まではあっという間に上がるだろうが、レベル3からレベル4へは一気に必要経験値が増える。
といってもプレイヤー視点からであればたかが知れているが、現実でぽこぽこレベルが上がりすぎるのは悪目立ちするかもしれないし、慎重に行くべきか。
現在の最優先目標を達成するまでは、別に第二階層で「ファイア」の熟練度を上げ続けていてもいいわけだし、そうすれば経験値効率も落ちて丁度いい感じになるだろう。
まあ初日の成果としては申し分ないと言っていいだろう。
さっさと宿屋へ行って飯食って寝よう。
銅貨50枚程度ではちょっと――いやかなり興味をそそる娼館にはまるで足りないだろうし。
宝物庫の古代金貨持ち出そうかな……
いや、そもそも今の見た目では、まだ出入り禁止かもしれん。
馬鹿なことを考えていると、俄かに冒険者ギルド全体が騒がしくなった。
主役の御帰還ってわけだ。
「ギルド『黄金林檎』、無事帰還した!」
先頭の屈強な剣士が大声を上げる。
現在冒険者ギルドの建物にいる、ほとんどすべての人間がそっちに注目する。
今朝ちょっと絡んだからこの人の顔と名前は知っている。
冒険者ギルドでも「大物」と見做されている大型ギルド『黄金林檎』その幹部の一人、ヴォルフさんだ。
確か今は冒険者ギルド本部からの依頼で、最前線第5階層の攻略を進めていると聞いた。今朝方は今日でカタ付けるとかなんとか……
「第5階層攻略完了。階層主も撃破してきた……」
どうやらヴォルフさんは己の言葉を守ったようだ。
景気のいい宣言にもかかわらず、一瞬冒険者ギルド全体がシンと静かになる。
次に続く言葉を待っているのだ。大げさではなく、みんな固唾を呑んで。
「……「連鎖逸失」はなしだ! 第六階層の魔物も撃破可能、獲物として持ち帰ってきてるぞ!」
その宣言に、冒険者ギルド中が爆発的な喝采に包まれる。
この知らせは即時、重要なポジション各所へ伝達されるだろう。
「連鎖逸失」
迷宮や地上の魔物領域で発生する行き止まり。
これまでの魔物とは隔絶した強さの魔物が次の階層、もしくは深部から突如発生し、ヒトのレベルではそれ以上の攻略が不可能になる現象。
倒すことが可能なうちで最強の魔物をどれだけの数倒したとしても、立ちふさがる魔物を倒しうる力を得ることができなくなる壁。
こうなれば迷宮は死に、攻略中の活気は失われてゆく。
それだけではなく、ある日「ヒトの力では倒せないとわかっている魔物」が、その迷宮の深部階層や、魔物領域の奥地からヒトの世に襲い掛かるという悪夢を抱え込むことになる。
実際他の三つの迷宮はそういう状況にあるわけで、国家や冒険者ギルドのお偉方、冒険者を含むヒトの中で最強と目される方々にとっては頭の痛い問題だろう。
「明日、世界が滅ぶかもしれない」ということを事実として背負って生きていくのは、思った以上に大変なプレッシャーだと思う。
国も冒険者ギルドも、なによりも冒険者たちが最も恐れる「連鎖逸失」が第6階層で発生しなかった事実は、迷宮で利益を得ている者たちすべてにとっての福音なのである。
もっとも俺はこの迷宮の第6階層で「連鎖逸失」が発生しないことをすでに知ってはいたのだが。目の前で快哉をあげる人々を見ていて、嬉しくなってくる気持ちを否定するほどスれてもいない。
現存するヒトの最高位であるレベル7――プレイヤーならざる存在にはステータスを目視する事は不可能なので、なんとなくその域というだけだが――の壁を突破可能となる第8階層において「連鎖逸失」が発生しないことが明確になるときには、この程度の騒ぎでは収まらないだろう。
ヒトが本当の意味で魔物に対抗することができるようになるという可能性の、一縷の光になるわけだしな。そこにたどり着くには、今しばらくの時間が必要とはなるだろうけども。
まあそれを知っているからこそ、俺はこの迷宮を選んだわけだが。
「お、新人君じゃないか。俺は今朝の約束を守ったぞ! 君は?」
俺を見つけたヴォルフさんが嬉しそうに声をかけてきてくれる。
現時点の全人類中、上から500人以内に入る強さを誇っているのに、偉ぶらない気さくな人だ。
本当に強い存在というのは、そういうものかもしれないが。
ヴォルフ氏のパーティーメンバーの一人である女性弓使いが、今朝と同じように『千の獣を従える黒』をモフり倒している。ものっすごい嫌そうだが耐えろ我が僕。
結構な美女なんだし、役得だと思え。無理か。
「ヴォルフの旦那の勝ちですよ。この新人は本当に「魔法使い」のようです」
俺が応える間もなく、ポルッカ氏が俺も約束――今日中に初級依頼をクリアすること――を果たしたことを伝えてくれる。
ヴォルフ氏と賭けでもしてたのかな、ポルッカ氏。
新人の生き死にを賭けの対象にしているとすればなかなかに悪趣味だが、活気がある冒険者ギルドでは普通のことなのかもしれない。
そんな中から生き残り続ける者だけが、熟練の冒険者になれるのだ。
「マジか! てこた本物の「魔法使い」様かよ! おいおい本当にうちのギルドに入ってくれよ新人君!」
よく通るヴォルフ氏の声に、ヴォルフ氏のパーティーメンバー以外も何人か反応している。どうやら「魔法使い」がレアなのは間違いないようなので、要らん騒ぎの原因になりかねない発言は控えてほしいものだが止める権利もない。
「おいカティア。その小動物が可愛いのは認めるが、どうやらそのご主人様は本物のレアだ。――色仕掛け!」
「えっと、えっと? ……う、うちのギルドに入ってくれない、かな?」
とはいえそこまで深刻な勧誘というわけではないらしく、副官らしき人が笑いながら『千の獣を従える黒』をモフり倒している女性――カティアさんというらしい――に声をかける。
素直な人らしく、俺の方に向かって胸の谷間を強調しながら勧誘の言葉をかけてくる。
直球か。
「だーめだこりゃ!」
「深刻な色気不足」
「お前が言うなや」
「失礼。私には充分な色気があると判断できる」
「みんなひどーい!」
色仕掛けというには「淫靡な雰囲気」というものが圧倒的に足りないことは確かだが、指示しておいてダメ出しをするヴォルフさんのパーティーメンバーたちも大概である。
ひどいというカティア嬢の意見には全面的に同意する所存である。
だけどみんな屈託なく笑っているのは、今日の成果――「連鎖逸失」が発生しなかったことがよほどうれしいのだろう。
ヴォルフさんの不用意な発言を、曖昧にしてくれるという意味もあるのかもしれないが。
実はこういうのに慣れない俺にはそれなりに効いていたりする。
カティアさんは結構綺麗な人だし、強調された胸は色気としては必要充分以上である。
そういうことをされた経験などないおっさんにとっては、結構な破壊力を伴う。
まあ今の俺の見た目なら、赤面したところでキモいといわれる心配はなかろう。
初心な少年が照れている絵面というのは別にキモくない。
これが本来の(以下略
「――ブレド様」
「――主殿」
そういう、ある意味冒険者ギルドではよくあるかもしれない光景に参加している俺の背後から、つい最近聞いた声が連なって聞こえる。
運営の設定どおりの声をしているから笑う。
というか許されるのであればいろんな台詞を言ってみて欲しい声である。
いわゆる有名声優を採用した、所有欲を刺激し課金を促すうんぬんかんぬん以下略。
まだ振り返ってはいないが、その声と視界の端に映る『千の獣を従える黒』が総毛だっていることでその正体はわかっている。
俺は無言で振り向くと、なぜかぶんむくれた顔をしている我が組織の双璧、真祖吸血鬼と鳳凰の化身の手を取って、自分の宿へとすっ飛んで帰った。
目立つ行動すんなって言ったでしょ!
以下、貼り付けたような笑顔で冒険者ギルドを出て行った新人を呆然と見送ることしかできなかったヴォルフ以下冒険者の方々の会話。
「リーダー。……ありゃ色仕掛けは意味ねーな」
「……そうだな」
新人に声をかけ、その新人に手を引かれて無抵抗なばかりか強引に手を引かれるのを嬉しそうにしていた二人の超絶美女に、剛毅をもってなるギルド『黄金林檎』の幹部二人は魂を抜かれたような顔をしている。
酷いと言えば酷い二人の会話に対して、抗議の声を上げる女性メンバーもいない。
彼女らも男どもと同じように、魂を抜かれたような表情をして呆けるのみである。
「あの新人君……何者なんだかな。――とりあえず登録名は偽名、と」
熟練冒険者として、また大型ギルドの幹部の一人として、ヴォルフはあの新人がただものでないことを感じ取ってはいる。
だがそれは十年に一人の才能だとか、二人の美女が傅いていることから相当な良家のお坊ちゃんが才能に恵まれたのかな? 程度のもの。
己が気安く声をかけているその少年が、大げさではなく世界をどうにでもできる力を持った集団の首魁であることを見抜くことなど、神ならぬ身には不可能でしかない。