第22話 天蓋事件 下
「カティア!」
ヴォルフが己のパーティーメンバーの名を呼ぶ。
盾役であるヴォルフは持っていないが、弓を主武器とするカティアは「遠見」の能力をもっている。
後天的にアクティブ・パッシブ能力を得ることのできない「プレイヤー」ならざる人々にとって、先天的に持つ能力はこの世界においてかなり有利な才能となる。
その先天的能力にあったジョブを選択することで、カティアは『黄金林檎』という有力ギルド、その中でも精鋭メンバーとしていられるのだ。
有力な冒険者――に限らず、どんな分野であろうと名を成す者は先天的能力持ちであり、それに合致した道を選んだ者がほとんどだ。
つまりヴォルフはカティアの『遠見』で、上空で起こっている事態をできるだけ正確に収集する必要があると判断したのだ。
ヴォルフがこの状況で自分の名を呼ぶ意味を、カティアは正確に理解できている。
戦闘モードに入れば、本来の気性「ぼんやり」などは霧散するのがカティアである。
「見て――いいんでしょうか?」
カティアの言わんとすることはヴォルフにも理解できる。
世の中には知らないほうがいいことというものは確かにあって、知ったがために最悪の場合命を落とす羽目になることもある。
圧倒的な戦力である『知性持つ魔物』の情報を盗み知ることが、いいことである保証などどこにもない。
とはいえ――
「知らずに死ぬよりはマシじゃないか?」
上空の戦力が敵対していようがいまいが、決着がついた後のついででアーガス島は壊滅させられるのはまず間違いない。
ヴォルフたちの常識では、そうしないのにこの場所に現れる道理はないからだ。
本能的なヒトの矜持として、ほんの欠片ほども自分たちが眼中にないとは考えられない。たまたま巻き込まれたから死ぬなど、到底受け入れられない。
であればまだこちらに矛先が向いていない今、できるだけ状況を把握するべきだ。
どれだけ絶望的であっても、もしかしたらそこに生き残る可能性が残されているかもしれないのだから。
「御尤もです!」
そういって視線を上空に向けるカティア。
だが地上の人間など知ったことかとばかりに事態は推移する。
水平線の彼方から一直線に伸びた光を、上空の軍団が巨大な積層魔法陣で消し飛ばす。
攻撃と防御がせめぎ合って生まれるその轟音と魔法効果の光に、恐慌に陥りかけていた群衆が再び凍りつく。
――不意打ちの超長距離からの一撃! どうやったら即応できるっていうんだ。
パーティーを護る盾役である、ヴォルフらしい感想を思わず得てしまう。
同時にヒトの範疇では理解できない戦闘が、上空で繰り広げられていることを思い知る。
そしてアーガス島にいるだれもが理解する。
あんな攻撃を放ち、また防げる存在に狙われたら、この島のどこをどう走って逃げたところで、もうどうにもならないのだということを。
「どうだ、カティア!?」
その騒ぎにも動じず、瞳に虹色の光を発生させてカティアが上空を見ている。
こういうあたりはさすがに百戦錬磨の冒険者である。
「え? あれ? シュド君?」
「――は?」
日常ではちょいと頼りにならないが、戦場では常に冷静で頼りになるはずのカティアが、正直気が触れたとしか思えない言葉を口にしている。
なぜ「遠見」で上空を見て、最近お気に入りの小動物――『黄金林檎』が着目している大型新人冒険者がつれている愛玩動物の名前を口にする?
――死の恐怖で混乱して、幻覚を見てしまうほど気に入っていたってのか?
「でもおっきい……」
ダメだ、狂ってる。少なくとも混乱はしている。
だが待て、あの新人冒険者が普通じゃないということには俺たちも気が付いて――
さすがのヴォルフも極限の状態で想定の斜め上の答えをくらうと混乱する。
だがヴォルフが何をどういっていいかわからなくなった状況で、窮地になればなるほど頭のまわる副官、サジが大声を上げる。
「あの小動物がいるんだな、あそこに? 大動物になってるかはしらんが!」
「う、うん! ――はい!」
どうやら狂っているわけでも、混乱しているわけでもないようだ。
どうしようもない魔物の軍団、その中心部へ『遠見』の視線を向けたら「シュド君」とやら――逢えば常にモフり倒している小動物が大きくなってそこに居れば、ああいうしかないのかもしれない。
「よし、リーダー、カティア。ギルド・ホームの「転移陣」でとりあえず逃げろ。『黄金林檎』本部直行のやつが二つある。急げ!」
それは本来、緊急事態のために幹部であるヴォルフとサジのために用意されているものだ。
まさかアーガス島が消失する事態などは想定してはいないから、幹部だけを生き残らせようというよりは、本部で大事があった場合に即座に幹部を呼び戻せるという意味合いが強い。
『黄金林檎』ほどの大手ギルドであっても、「転移陣」はそう易々といくつも用意できるような代物ではない。
それをヴォルフとカティアに使えと言っているのだ。
三桁近い人数がいる『黄金林檎アーガス島支部』の中からその二人に。
本来自分の分を譲ってまで。
「サジさんは?!――」
「わかんだろ、リーダー。もしそうだってんなら、アンタとカティアが奴さんにゃあ一番近い。そしてここが終わる可能性も低くなる。だがもしそうなったら、生き残るべきはアンタとカティアだ。――違うか?」
動揺するカティアには答えず、リーダーであるヴォルフに判断を求める。
提案はするが、決定するのはリーダーであるヴォルフ。
サジはそこを外すことはない。
「――すまん」
ヴォルフもサジの言わんとすることはすぐに理解する。
そうとなればサジの言うとおり、急いで行動するべきだろう。
辛かろうが惨かろうが、決断を下せない責任者などクソ以下。
そして決断を下したのならば即動くのが正しい組織というものだ。
「俺ぁしぶといんでね。よしんば最悪の事態になっても、なんとかうちの連中まとめてあがいてみますよ」
「サジさん!」
常には見せない悲痛な表情で叫ぶカティアに、似合わぬ笑顔を浮かべてウィンクをしてみせるサジ。
男の魅せどころとはかくありたいというようなワンシーンである。
だがサジの決死の覚悟が実行されることはなくなる。
後日サジをして「人生であんなに格好つかねえことはまあねぇよ」と不貞腐れさせるに至る出来事で、実はその件でヒイロとかなり仲良くなったりもするのだが、それはまだ先の話。
釣瓶打ちに重なる砲撃音が轟く。
攻撃するべきか撤退するべきか悩んでいたのであろう『九柱天蓋』が、逃げ切れぬとみて遅ればせながら攻撃を開始したのだ。
それを見て絶望、あるいは恐慌に陥っていた人々から、爆発的な歓声が上がる。
それに縋るしかないというやけくその響きをはらんではいるものの、『九柱天蓋』は縋るに足る存在でもある。
ウィンダリオン中央王国を軍事大国なさしめる最大戦力であり、三大強国の他の二国でもない限り、一つを差し向ければ一国を制圧することも可能な絶対的な力の象徴。
過去の戦績に裏打ちされた、ウィンダリオン中央王国の国民が『九柱天蓋』に向ける信頼は分厚いものがある。
それがあくまでもヒト間の争いのものであったとしても、巨大な人工浮遊物が敵に向かってゆっくりと高度を上げつつ、無数に設置された砲台から射撃を開始する様子は「何とかしてくれるんじゃないか」という希望を抱かせる。
――だが。
『九柱天蓋』はその近距離にある黒点たち――『黒の王』の一喝を受けたその僕たちが一斉に放った攻撃を受け、まるで砂糖菓子のよう砕かれた。
彼我の大きさこそ入れ替わっているが、それはまさに小うるさい羽虫をあしらうが如く。
あまりのことに、再び沈黙が人々を支配する。
だがヒトが黙り込もうが、砕かれた空中要塞が大音響と共に海へと崩落してゆく。
かなりの高度から岩塊となった部分が着水するたびに、冗談のような高さの水柱が爆音とともに幾本も立ち上がり、それが一度は沈黙した人々から絶叫を引っ張り出す。
港近くに着水した巨大な核部分が今までで一番大きな水柱を立ち上げ、それが瀑布となって海岸線を呑み込まんとする。
だがそれはなぜか不可視の壁で防がれ、島に津波が押し寄せることはなかった。
だがその奇妙な現象を見るのは海岸線に居た者たちだけであり、このときのヴォルフたちは知る由もない。
阿鼻叫喚、終焉の光景が展開されている。
「何人乗っていたんだ、『九柱天蓋』に……」
さすがのサジも声がかすれるのを止められない。
どう見ても、だれ一人として助かる可能性などあるまい。
救いは間違いなく全員即死であろうことくらいか。
大質量の着水で海岸部に押し寄せる津波でも、何人死ぬか知れたものではない。
いや既にはじまっている大恐慌に巻き込まれて、同じヒトに踏み殺される者も幾人も出るだろう。
それだけの絶望的な状況だ。
まあ『九柱天蓋』に向けられたのと同じ攻撃がアーガス島に降り注げば、苦しむことなく死ぬことはできるかな? などと捨て鉢なことを考えてしまうサジである。
だがやるべきことはやらねばならない。
あの攻撃がアーガス島に向けられる前に、ヴォルフとカティアだけは――
『傾注!』
唐突にアーガス島全域に響き渡る大音声。
なぜかつい先ほどまで轟渡っていた爆音は消え、その声のみが島にいる全員の耳に強制的に聞こえる。
まだ元は『九柱天蓋』であった岩塊の着水は続いており、水柱も上がり続けている。
だが音はない。
まるで幻のように無音で着水し、巨大な水柱を上げ続けているだけだ。
完全に恐慌状態であったにもかかわらず、人々はその声を聞いた瞬間直立不動となり、次の言葉を待つ姿勢を強制される。
それが天空城序列№005近衛軍統括、執事長セヴァスチャン・C・ドルネーゼが持つ能力だと知る者は当然誰もいない。
『――跪け!』
冗談のように島のすべての人間がその声に従う。
サジは先刻の攻撃で焼き滅ぼされるのよりも、もっと強い恐怖を感じている。
それはサジだけには限らないだろう。
逆らえぬ言葉を発する存在に、ヒトがどうやって抗えばいいというのだ。
実際今自身も、リーダーも、カティアも、いや視界に入る全ての人々が黙して語らず、言われたとおりに跪いているのである。
たちの悪いホラー演劇のようだ、とサジは思う。
大恐慌に陥ってもおかしくない光景が展開される中、そこは無音で人がみな跪いているとなればそうとしか思えまい。
それを現実のものとしているのは、ヒトの敵――魔物の軍勢に属するものなのだ。
人語を解する魔物の存在も、いくら高名とはいえ冒険者の立場であっては今初めて知った。
現実というよりは、できの悪い演劇と言ってくれた方がしっくりくる。
ましてやこの一連の『事件』で、地上での死者が一人もいないとなればなおのことであるが、それを知るのは事が済んだ後である。
膝を屈したまま、どれだけ待ってもそれ以上の声はかからない。
視線も下に固定したまま、面を上げることもできない。
だが突然すべての人々の耳に音が復活し、それをスイッチにしたようにみな同時に体の自由を取り戻す。
反射的に皆が見上げる空はいつも通り。
夏待月の雲一つない南国らしい晴天であり――それ以外のものは忽然と消えさっていた。
段々とざわめきが大きくなってゆく。
「集団幻覚……ってわけじゃあねえな」
サジが呆然とひとりごち、ヴォルフとカティアの方を見る。
さすがに見たこともないような表情で、リーダーが海の方向に視線を向け、カティアは「シュド君」がいたという空に視線を向けている。
夢でも幻でもない。
その証拠に空には何もない。
そして本来空に在ったはずのものはバラバラに砕かれ、その核部分が不格好なオブジェのように、港の先に突き立っている。
これがのちに『天蓋事件』と呼ばれることとなる、『黒の王ブレド』とその組織『天空城』が歴史に登場した最初の出来事となる。





