番外編 迷宮解放後日譚① 眠らぬ城 ~butterfly effect paradox~
ウィンダリオン中央王国、王都ウィンダスの中枢に位置する王城。
ここ数日、その直上には限界まで高度を落とした空中要塞『九柱天蓋』の旗艦が、まるで我が仔を護る獣の親の如く浮遊している。
逸失技術、時代錯誤遺物の塊である九柱天蓋の旗艦、その制御室の全観測機構は今、一切の異常を捉えてはいない。
だがそこに詰めている管制官たちはみな、もう理解している。
自分たちの頭上には間違いなく、あの日その圧倒的な威容を見せつけた『天空城』が浮遊しているという、俄かには信じられないような事実を。
時刻は深夜。
だがここ最近、ウィンダリオン中央王国の王城は夜に眠らない。
今宵はあの日のように雨は降っておらず、頭上には夏の星空が広がっている。
月明りと星明りを遮り眼下の王城に影を落としているのは九柱天蓋ばかりで、雲一つない星空は本当に澄み切っている。
昼夜を問わず、ステルスモードに入った『天空城』は現代のヒトの技術では観測できない。
だがその存在を知る者にだけはわかるように、いくつもの紅く明滅する灯だけを間違いなくあえて観測可能にされている。
おそらくは示威というよりも、九柱天蓋がうっかりぶつかったりしないようにとの気遣いなのだろう。
つまり間違いなく、自分たちの頭上にあの天空に浮かぶ巨大な城はあるのだ。
管制官たちが長年にわたって万能、最強と信じて疑わなかった空中要塞『九柱天蓋』のあらゆる観測機器では一切捉えることができず、ヒトの肉眼でのみ視認可能となるその紅い灯。
その明滅が彼我の圧倒的な力の差を嫌でも突き付けてきて、最近の管制官たちは胃痛持ちが増えている。
アーガス島を守護していた同じ九柱天蓋の八番艦が天空城勢の力によって一撃で砕き墜とされているという事実は、すでに皆が知るところとなっている。
己が俎板に載せられた鯉と同じなのだと、どんな阿呆でも理解せざるを得ない。
それで胃痛程度で済んでいるのであれば、たいしたものだと言うべきなのかもしれない。
そして今、王都上空に『天空城』が在るということは、その絶対的支配者――黒の王ブレド・シフィ・ベネディクティオ・アゲイルオリゼイが王城を訪れているということに他ならない。
ウィンダリオン中央王国に暮らす者たちが敬愛する、未だ幼さを残した主君。
『少女王』スフィア・ラ・ウィンダリオンとここのところ毎夜、王同士の会合を行っているのだ。
表面上こそ、黒の王がスフィアを訪問する形になってはいる。
だがスフィアからすれば、絶対者たる黒の王への謁見であることは言うまでもない。
黒の王が口にした「同じ王同士」などという言葉を鵜呑みにし、彼我の力の差も弁えずに対等に振舞うような愚を、大国の王は絶対にやらかさない。
信じられないことに、その絶対者がなぜか今のところスフィアに対して好意的となればなおのことだ。
可愛さ余って憎さ百倍という言葉があるとおり、憎からず思っていた者の増長が相手の不快感をより強く増幅することを、王なればこそ余人よりもよく知っているのだから。
よって実質的な『謁見の間』は、王城において最も神聖な場所とされている、初代国王が私室としていた場所を使用している。
そこへウィンダリオン中央王国の国力で可能な限りの贅を尽くした家具や調度品を設え、王家の所有する至宝や国宝とされているあらゆる品を可能な限り品よく配置し、天空城の主を迎える場所としてなんとか恥ずかしくないように仕上げている。
はずだ。
少女王スフィアをはじめとしたウィンダリオン中央王国の中枢を担う者たちは、心の底からそうであってくれと祈るような気持である。
普通なら「我が国以外のどこの国が、これだけ贅を尽くした部屋を用意できるものか」とふんぞり返りそうなものだが、残念ながら相手は普通とは程遠い。
ラ・ナ大陸三大強国の中でも筆頭と看做されているウィンダリオン中央王国、その今上王であるスフィアをして「御伽噺の中のようでした」と言わしめた『天空城』を己が居城としているのが黒の王なのだ。
黒の王本人ではなく、その側付き――黒白のとんでもなく美しく、とんでもなく恐ろしい二人が、己の主にふさわしくない部屋と看做し、すなわち不敬であると判断しない保証などどこにもない。
人事を尽くして天命を待つという言葉の意味を、今この世界で一番骨身に染みて実感しているのはこの謁見の間の準備を命ぜられた文官たちと、そのセッティングを任せられた城付き侍女たちであることは間違いない。
もっともその側付きの魔人二体が、アーガス島の『白銀亭』――けして安宿ではないが、さりとて高級とはとても言えない――で、毎日迷宮から帰還するヒイロを健気に待っている、とんでもない美女二人と同一だという事実の裏はまだとれていない。
いやあえてとっていないというべきか。
黒の王に付き従って王城へ来る際の鳳凰と真祖は、人型ではあれど準戦闘形態とでもいうべき半人半魔のような姿なので無理もないともいえる。
だがそれ以前にウィンダリオン中央王国の諜報部とスフィアも含めたその上は、あの日以来『天空城』に纏わるすべての情報を水面下で集める命令を撤回、破棄している。
管制管理意識体の『表示枠』が常に自分たちを監視していることはよく理解させられたし、有力ギルド『黄金林檎』が警告した「その冒険者、取り扱い注意」の文書に従わなかった者どもが、その裏に存在する組織を問わず掃除されていることも知ったからだ。
よって。
噂の新人冒険者殿の周りにいる美女御二人はとても似ているらしいが、まさか黒の王陛下側付きの御二人であるはずもない。
アーガス島にたまに姿を見せる自称掃除担当の見るからに『執事長』っぽい老紳士も、あの日ヒトを信用などできないと己が主に告げていた下僕の方と瓜二つらしいが、世界にはそっくりな人が三人はいると聞く。
二体と同じモノはいないであろう九尾の黒猫は、黒の王陛下にも新人冒険者殿にも常に離れず側にいるらしいがそんなことは知らん。
もうちょっと別の個体に見せる努力をしてほしい所存である。
なあに黒の王陛下と新人冒険者殿は似ても似つかぬ、同一人物などありえるはずもない。
必ず新人冒険者殿が迷宮攻略を終えて『白銀亭』にお戻りになってから、黒の王陛下がウィンダスの王城へお見えになるという奇妙な一致もあるが、黒の王陛下は恐れ多くも夜型であらせられるのだろう。
以上がウィンダリオン中央王国の、スフィア・ラ・ウィンダリオン小女王も認めた公式見解というやつである。
そんなことが可能なのか、どうやってやっているかなど皆目見当もつかない。
だが間違いなく両者の中のヒトが同じだと確信できていたとしても、向こうから「そうですよ」と言ってこない限り、この公式見解を徹底する構えがウィンダリオン中央王国、王以下中枢に属する者たちすべての共通見解なのである。
「他所様の城に来ていて私だけが座っているというのも落ち着かん。スフィア殿も掛けてくれ」
専用の新設『謁見の間』に用意されたもっとも立派な椅子に座り、ここのところもはやお約束となった言葉を黒の王が小女王へと投げかける。
どれだけ言ってもスフィアは決してこの流れを外すことはないので、早々に黒の王が諦めた形である。
「ありがとうございます」
幼いとはいえ大国の女王として相応しい堂々としたものでありながら、年相応の可愛らしさも感じさせる笑顔を浮かべて、スフィアが下座に設えられている己の可愛らしい椅子にちょこんと腰掛ける。
何でもないことのように見えるが、その仕草ひとつをとっても『支配者の叡智』のみならず、城中の侍女や、お国の為ならと己の少女趣味を晒した幾人かの貴族と共に練り上げられた、あざとさの極みを宿した所作である。
己の一挙手一投足が国を、コトによっては世界の命運を左右する可能性もあるとなれば、可愛らしくあることに磨きをかけることすら、いやそれこそが国益にかなうのだ。
己を大陸の三大美姫の一人に数えられるくらい可愛らしく生んでくれたウィンダリオンの血に、はじめてスフィアは心の底から感謝している今日この頃である。
そんな目論見通り、黒の王の中のヒトはスフィアの仕草に大喜びしているのだが、異形を極めたその容貌からその感情を察することは難しい。
それでもスフィアは紳士たちに「完璧」と賞された笑顔を浮かべてにこにこして見せている。
己が黒の王にとって可愛くあることは、もはやスフィアにとって最優先課題と化しているのだ。
その真剣極まりないあざとさを、同じ女性である鳳凰と真祖は察せている。
その上完全に無感情な状態であった黒の王と共に、最先端時間軸まで100度も繰り返し到達するだけの時間を過ごしてきた鳳凰と真祖である。
いかに表情を読みにくい異形をしていたとしても、101周目に入ってからの感情豊かな己が主であれば、その機微を察することができてしまうのだ。
――喜んでるよ、ね。
――間違いないな。
アイコンタクトを取るとともに、二人もこの周に入ってから獲得した新たな感情である、嫉妬なるモノを感じてしまう。
普通の女性であっても、ある程度の圧を発することができるのが嫉妬というものだ。
それが半人半魔形態の『鳳凰』と『真祖』のものともなれば、普通のヒトにとっては死そのもののような強烈な威圧となる。
二人とも自身が嫉妬という感情を抱くことに慣れてないので、なおのことである。
鳳凰と真祖と同じように、下座の席に座った少女王の背後に立ったまま控えている二人の九聖天、『大剣』と『杖』
その二人が戦いを生業とする者の本能で、反射的に己の武器を構えそうになるのを必死に堪えている。
いかに先に相手が死に等しい殺気を放ったとはいえ、自分たちから武器を構えるような愚行は絶対に赦されない。
とはいえ構えたところで瞬殺されるという絶対的な力量差を実体験として得ていなければ、反射的にそうしてしまっていたかもしれない二人である。
「二人とも妙な空気を出すな――部屋へ戻るか?」
『大剣』と『杖』はもちろん、「ちびりそうです」と笑顔のまま表情が固まっていた少女王を救ったのは黒の王のその一言だ。
「申し訳ございません」
「失礼致しました」
あれだけの、まさに死そのもののような鳳凰と真祖の発していた威圧が、黒の王にとっては妙な空気――多少ピリついているという程度の認識なのが恐ろしい。
だがそれ以上に恐ろしいのは黒の王の発した呆れたようなたった一言だけで、鳳凰と真祖が威圧を霧散させるばかりではなく、大慌てで膝をついて真剣に謝罪しているという事実だ。
これだけの大妖たちを黒の王が完全に支配していることが、ただのヒトであっても理解できる。できてしまう。
誰でもない、黒の王の機嫌を損ねた場合、この国どころか世界すらも終わるのだ。
それを再確認させられて、恐怖よりも陶酔を覚えてしまう自分が恐ろしい。
スフィアだけではなく、『大剣』のユースティーも、『杖』のクリスもそれは同じなようである。
大げさではなくその手に世界を掴んでいる存在と同じ場所にいる。
そしてその意志に影響を与えうる立ち位置に己がいる。
それは男女を問わず、ヒトの心を狂わせ得るだけの毒ともなる。
一方怒気とさえ呼べない、ちょっとした黒の王の呆れに触れて、鳳凰と真祖は深刻にしゅんとしてしまっている。
ヒイロの時にはわりと大胆に「お城に行くなら連れてって!」と纏わり付けるようになってきた二人ではあるが、黒の王の本体を前にしてはやはり勝手が違うものらしい。
主に失望されることを最も恐怖する下僕の本能もあり、わりと本気のへこみっぷりである。
それを見てやれやれとばかりに黒の王が、己が座る椅子の左右に跪いて俯いている二人の頭をぽんぽんと撫でる。
たったそれだけで今泣いた烏がもう笑うでもあるまいに、鳳凰も真祖もあっさりと機嫌が直ってしまっている。
笑顔が引きつりそうになるのをなんとか堪えているスフィアには、鳳凰と真祖に生えているはずもない、不可視の尻尾が盛大に振られているようにしか見えない。
――自分もそうされたいなどと、けして思ってはいません。
「それでスフィア殿。今日は大事な話があるのだ」
そんなスフィアの内心など知る術もない黒の王が、美女を侍らせた魔王そのままの絵面でスフィアに話しかける。
一瞬物欲しそうな表情になっていたかもしれない表情を完璧な笑顔へと瞬時で戻し、黒の王が語らんとすることを真摯に聞く姿勢を取る。
言い換えればそれは対ショック姿勢ともいえる。
ここ数日の話題とて黒の王にとっては世間話程度の認識しかないのであろうが、成長限界を『連鎖逸失』によってレベル7に制限されているスフィアたちにしてみれば、それ以上の高階梯魔法や武技の話となるとそのすべてが神話や御伽噺となにも変わらない。
なにしろスフィアが受け継ぐ『支配者の叡智』にすら記憶されていない知識なのだから。
にもかかわらず魔法であれば黒の王か鳳凰が、武技であれば真祖がいとも簡単に実演して見せてくれたりしたので、スフィアよりもユースティとクリスのテンションがおかしなことになっていたりしたのである。
ヒトの身では絶対に辿り着けない高みでこそ扱える力。
それを目の当たりにして平静でいられる者などいはしないのだ。
その黒の王がわざわざ大事な話だと、前置きまでしてくれているのだ。
相当な対ショック姿勢を取っていなければ完璧な笑顔など吹き飛ばされて、間抜け顔を晒すハメになりかねない。
大国の王としても、一人の乙女としてもそれはNO。
どちらかと言えば絶対にNO。
それはユースティやクリスも同じだったはずだが、その覚悟は結局は無駄に終わることになる。
結果として間抜け顔を晒すどころか、素っ頓狂な声まで上げてしまう始末と相成ったのだ。
だがそれも無理はないだろう。
なぜならば黒の王が告げた内容は、ほぼ同じ時間にこの王城内でウィンダリオン中央王国担当を任された序列№0007、『堕天使長』ルシェル・ネブカドネツァルから諸大臣、高位文官に伝えたものとまるで同じモノ。
つまり現在確認されているすべての迷宮と魔物領域から、『連鎖逸失』が消滅したという正しく大事な話――驚くべき情報だったのだから。
確かに『連鎖逸失』が確認されていないアーガス島迷宮でまずはユースティやクリスたち『九聖天』を成長させる計画も進んではいた。
だがすべての『連鎖逸失』が突然すべて消えてなくなるなど、あまりにも想定外が過ぎる。
しかもその情報はまだどこにも流れておらず、この場で黒の王から直接聞いたスフィアたちが最初だという。
その上で冒険者ギルドに仕切らせるというのが黒の王の意向らしい。
であればそれに逆らえるウィンダリオン中央王国ではない。
そして話を聞いた誰もが、この情報が世界を揺るがすものだと理解している。
どれだけの金が生み出され、それを超える程の力をヒトにもたらすのかも。
事と次第によっては、現在三大強国と呼ばれているウィンダリオン中央王国、シーズ帝国、ヴァリス都市連盟の均衡すら突き崩すほどに。
この夜以降、ウィンダリオン中央王国はこの件における当面の責任者をフィッツロイ公爵と定め、天空城の意志に従って情報の公開と冒険者ギルドとの連携を進めていくことになる。
ちなみに均衡の崩壊については、スフィアはさほど心配してはいない。
天空城という絶対者が存在することを知る今、その足元にも届かぬ位置でヒトが揉めることの無意味さをよく理解できているからだ。
そしてそれはシーズ帝国であろうが、ヴァリス都市連盟であろうが、その他の国々であろうがなにも変わるまい。
今はまだ天空城を知らぬがゆえに、『連鎖逸失』の消失を知れば、己が利のために蠢動する者もいよう。
だが知ればそれまでだ。
今のスフィアたちとまるで同じようになるしかない。
ヒトが長年にわたって手も足も出なかったのが『連鎖逸失』なのだ。
それをこともなげに取り除いてみせた天空城に敵対しようと本気で考える者など、賢者、愚者を問わずいるわけもないのだから。





