番外編 迷宮解放前日譚⑤ 魔法少女 ~butterfly effect paradox~
クリス・ククリス・クランクラン。
ウィンダリオン中央王国が誇る人的最大戦力『九聖天』の一人。
継承している国宝魔導武装『九柱神器』は魔法を司る『杖』
当然自身も希少職である魔法使いである。
ここは王都ウィンダス中央区にあるクリスの私邸、その中庭。
『杖』を継いだとはいえ、正妻の子ではないクリスはクランクラン家の本邸には基本的に足を踏み入れない。
自分が生活できて魔法の研究をするのに必要な金銭面を除いた九柱家であることの既得権益、そのすべてを本家に供与することである程度の自由を得ているのだ。
とはいえ現役の『九聖天』であることで、並みの冒険者など及びもつかない収入を得ることができている。
よって私邸は広く豪奢であり、今クリスがいる中庭は完全に外部から隔離されている。
ただ別に、クリスは贅沢な暮らしがしたいがゆえに豪邸に住んでいるわけではない。
王都に居ながらにして近隣に迷惑をかけずに魔法の研究を好きな時にしたいとなれば、それなりの広さを持った独立した空間を確保する必要があったというだけである。
そのためかなり広い中庭は、なんの装飾もなく芝生を敷き詰められただけの広場だ。
本来設えられていた中心の豪奢な噴水や周囲の花壇群は、すべて撤去してしまっている。
今その中心付近にいるクリスは浅葱色の長い髪をハーフ・ツインテールに結わい、眼鏡の奥の同じ色の瞳は閉じている。
『少女王』の通り名を持つクリスの仕える主、スフィア・ラ・ウィンダリオン10歳と同じ年頃に見える顔と体格だが、実際は『大剣』を継いでいるユースティ・ティア・アストレイアと同じ歳の立派な成人女性だ。
左手に『杖』を持って両手を広げ、つま先立ちで立っているように見えるが実際は違う。
つま先は地に触れておらず、浮いているのだ。
これはレベルに関係なく、ごく稀に魔法使いが生まれた時から持っている生得魔法によるもの。
クリスの生得魔法は、本来であれば最初の成長限界内では取得不可能な高階梯補助魔法である『飛翔』
いかな九聖天の一人とはいえ、『連鎖逸失』によって強制的にレベル7で成長を留められている現代の魔法使いが本来習得できる魔法ではない。
今は低階梯補助魔法『浮遊』の如く浮かんでいるだけだが、術者がその気になればかなりの高速機動で空中を自在に移動することができる。
たかがレベル7の魔力総量では不可能だが、逆にいえば魔力量さえ確保できればヒトの身でありながら大空を舞うことすらも可能な、かなり便利な魔法である。
『飛翔』は『浮遊』を兼ねるというか上位魔法であるが故、今のクリスのように制止して浮かんでいるだけということも簡単にできる。
ただしその消費魔力量は低階梯魔法である『浮遊』とは比べ物にならないほどに多く、『飛翔』を発動していられる時間はそう長くはない。
その本来の便利さとは関係なく、レベル7でしかなく魔力回復の手段が時間経過しかないクリスでは、実践に投入することなど不可能なのが『飛翔』なのだ。
『飛翔』を発動しながらレベル7に適した魔物と戦えば、ただの一戦ですべての魔力をほぼ使い切ってしまう。
確かにその一戦に限れば単独でも魔物を圧倒することができるとはいえ、十戦以上をこなす迷宮攻略の定石からすれば論外でしかない。
よっていかにも魔法使いらしさを他人に演出する時以外とくに使い道もなく、せっかくの生得魔法とはいえ実効性がほぼないというのがこれまでのクリスの自己評価であった。
ただ己の魔力量の変化を把握するにはとても便利でもある。
実際レベル1の時から『飛翔』を使うことが可能だったクリスは、レベルが上がるごとにその維持可能時間によって己の魔力量の伸びを確認していた。
攻撃魔法などは発動させれば必ずなにかを壊してしまうし、端数と時間回復の関連で正確にはつかみにくい。
その点『浮遊』のように『飛翔』を使えば、時間回復も含めて魔法効果を失うまでの時間で、ある程度正確に己の魔力総量を把握することができるのだ。
今クリスがただ『飛翔』を発動させ続けて空中に静止しているのは、久しぶりにそれを行っているからに他ならない。
ウィンダス魔導武装工廠でガイウスから預かった『指輪』は、クリスが得意とする水系魔法を使用しても何の変化もなく、補助系の魔法が発動している様子もまるでなかった。
普通ならただの見掛け倒しと判断するところだが、ガイウスと共に確認したこの『指輪』にかけられている技術と込められている魔力量がそれを否定している。
そこでまさかとは思いつつクリスが思い至ったのが、神話や伝説で謳われるまさに神遺物としか言いようのない効果が宿っている可能性だった。
つまりは現代の魔法使いたちにとっては、時間の経過だけが唯一無二であるはずの『魔力回復』を補助・増加するまさに神の御業。
――すごい。
そして『指輪』にかけられている正体不明の付与魔法は、信じられないがクリスの予想――というよりも限りなく願望に近いもので正解であったらしい。
かなりの精度を誇るクリスの体内時計はもちろん、芝生の上に放り出している懐中時計から見ても、『飛翔』の効果継続時間はクリス自身が把握している限界をとっくに超過している。
レベル7に至って以降、正確に同じ時間しか『飛翔』を維持することができなかったクリス自身はなにひとつ変わっていない。
つまりこれは『指輪』の効果なのだと断定することができるのだ。
『指輪』を装備している限り、魔法の発動をし続けていてもそれとは関係なく一定量の魔力を回復し続ける。
把握していた限界時間を遥かに超過してやっと『飛翔』の効果が失われた時点で、一見変わらなくみえるクリスの頬は上気し、内心は数年ぶりの興奮に支配されていた。
その一方で自身が取得している各種魔法の暫定消費量と『指輪』による暫定魔力回復量を比較し、迷宮における己の継戦能力の向上を冷静に試算している。
――すごい! すごい!! すごい!!!
まるでクリスの見た目通りの、子供のような感情しか湧いてこない。
語彙というものがまるごとどこかにすっ飛んで行ってしまったかのようだ。
だが無理もない。
この『指輪』は魔法使いに限らず、『魔力』を消費して武技等を発動させるすべての冒険者たちにとって、常識をひっくり返すほどの魔道具なのだ。
これが一つだけしか装備できないモノなのか、十指すべてにはめれば効果が重複するのか、実証実験したいことはいくらでもある。
即座にウィンダス魔導武装工廠のガイウスへ連絡し、可能な限りの『指輪』の確保と、女王スフィアを交えてでも『三大陸』との交渉に入る必要がある。
この『指輪』をいくらでも量産可能な存在がいるというのであれば、それと友好的な関係を確立することこそが国益となるのだ。
この『指輪』が配備されているかいないかで、軍の戦力すら大きく変化するのは間違いないのだから。
実証実験に関しては、九聖天で行えばよい。
クリスの『杖』と同等の国宝魔導武装を駆使する九聖天たちの総保有魔力が実質倍増するという事実は、戦力面でとてつもない増強になる。
なによりも久しぶりにクリスは今、掛け値なしにわくわくしている。
レベル7に到達してしまって以降、それを失って拗らせてしまった、冷静で実際的な口調を旨とする己のキャラを素で忘れてしまうほどに。
貧しい暮らしをしていた自分が魔法使いだと知った時。
自分の身体に『九柱家』の血が流れていると知った時。
冒険者として生きて行くと思っていた自分が、『九柱神器』に選ばれた時。
水の魔法に恵まれ、レベルが上がるに合わせてより強力な魔法を身につけて行っていた時。
九柱神器の拘束術式を零式まで解放し、己のレベルまでの全魔法を魔力消費することなく使えた時。
いつか自分は『魔法』という奇跡の深淵に辿り着けるのだと、わくわくしていた日々。
それもやがて突破できると信じていた『連鎖逸失』にやはり阻まれ、それ以上の己の成長を望めなくなってからは失われていた。
古代の魔導書をいくら集めて読み解こうとも、我が身に宿らねばなんの意味もない。
世の冒険者に比べれば恵まれすぎている国宝魔導武装を継ぎ、その拘束術式を零式まで開放しても突破できぬのであれば、『連鎖逸失』はまごうことなき行き止まりなのだ。
いつか夢見た『魔法』の深淵に自分はたどり着けることはなく、大国とはいえその一戦力、暴力装置の一部として生涯を終えるしかないのだと、深く静かに絶望さえしていたのかもしれない。
だがここ数日で、そのすべては変わった。
これまでの常識ではありえないと誰もが言う『天蓋事件』が発生し、神話や伝説の中にしか存在していなかった神遺物級の魔道具が『今物』として量産、流通をはじめている。
アーガス島迷宮では『連鎖逸失』が発生していない第六階層が確認され、とんでもない新人魔法使いと、大手ギルド『黄金林檎』の人間離れした迷宮攻略の情報も王都へは伝わってきている。
ある日を境に世界は変容したのだ。
そのことがクリスにもじわじわとわかってきている。
そしてその劇的な変化に対して、クリスは畏れるのではなく、わくわくしてしまう種類の人間であったらしい。
九柱神器の『杖』
世界の外側にいる者がそれを目にすれば、例外なくみなある存在を思い浮かべるであろう、キラキラとした宝石とデフォルメされた天使のはねによる造形。
その存在を『魔法少女』という。
世界の困難と矛盾に己の意志と魔法で立ち向かい、世界に幸せな結末を呼ぶ存在。
そう遠くない将来、クリス・ククリス・クランクランという少女はそれになる。
『黒』を統べる王と、『白』を導くことを目指す少年。
その二人と出逢うことによって。





