番外編 迷宮解放前日譚④ 夏虫疑氷 ~butterfly effect paradox~
デミトリ・クリストフ。
見た目年齢は40前後。
職:狂戦士。
レベル99。
赤髪蒼眼の、いかにも攻撃役らしい体格をした偉丈夫。
装備は背中の巨大な大剣と動きやすい革鎧に、随分と使い込まれた長外套を纏っている。
解読不能の古代文字が彫り込まれた大剣は迷宮最奥の宝箱から取得した希少品であり、抜けばその剣身に爆炎を纏う魔法剣である。
ディルツ・ドヌーヴ。
見た目年齢は20代後半。
職:魔法使い(炎特化構築)。
レベル99。
黒に近い至極色の髪を長く伸ばし、鋭い竜胆色の瞳を持った長身痩躯。
炎系魔法を増力する永続付与魔法がかけられた短杖を持ち、頭から足元までを覆う漆黒のローブにその身を包んでいる。
双方ともデミトリの大剣と同じく迷宮最奥の宝箱から得た希少品だが、一定時間姿も気配も完全に消すことができるローブの方がディルツは気に入っている。
魔法使いが無防備にならざるを得ないのが呪文詠唱期間である。ディルツ最大の火炎魔法の詠唱よりも姿を消せる効果時間の方が長いこのローブに身を包んでいる限り、ほぼ間違いなく先手を取れるからだ。
そしてこと対人戦闘おいて先手さえ取ることができれば、まず魔法使いが負けることはないのだ。
ティファリア・ルクリュイーズ。
見た目年齢は10歳前後。
職:召喚士。
レベル99。
銀髪灼眼の美少女。
外の世界でいえば魔法少女のような外套も含めた衣装は階層主魔物からの希少拾得品であり、召喚魔力の低減と召喚時間の延長を可能とする優れものだ。
少女でなければとても似合わないその衣装を無理なく身につけられるように、ティファリアは少女のままに成長を止めたのだと噂されている。
杖系の装備は持たず、真紅の炎魔導石がセットされた額飾りが彼女の主武装である。
自身のレベルと連動した炎魔人を召喚して戦わせるのが、召喚士であるティファリアの戦闘スタイルなのだ。
この三人が『連鎖逸失』をヒトの世界に強いている『組織』、そのウィンダリオン中央王国本部における戦闘力のトップスリーである。
三人共にヒト。
実はこれはかなり珍しい。
事実、組織としての根を同じくしているシーズ帝国とヴァリス都市連盟の本部において、それぞれの戦闘力筆頭はヒトではない。
シーズ帝国では獅子の獣人、ヴァリス都市連盟では森林長寿系の亜人が最も強いと看做されている。
それはそのままそれぞれの本部の特性にも顕れており、シーズ帝国は獣人主導、ヴァリス都市連盟は亜人主導となっている。
つまり最大規模であるウィンダリオン中央王国本部はヒト主導であり、なかなかに三本部同士の折り合いはよろしくない。
ヒト、獣人、亜人でバランスが取れているという言い方もできるかもしれないが。
『連鎖逸失』によって成長限界がレベル7に制限されている現状、獣人や亜人が被差別種族に甘んじざるを得ないのには当然理由がある。
彼らは平均的な成長を特徴とするヒトとは違い、大器晩成型の成長をその特徴とするからだ。
あくまでも最初の成長限界であるレベル99までにおいての話ではあるが、その範疇であればほとんどの場合、最終的にヒトよりも能力値でいえば頭一つ、二つ強くなる。
それに加えてそれぞれレベル10で必ず取得する半獣化、種族能力解放、おなじくレベル50で必ず取得する完全獣化、真種族能力解放によっていわば真の力を発揮できるようになるのが獣人、亜人という種族なのである。
外の者ならざるこの世界の内側で生きる者たちにとって、成長に伴い後天的に身につける武技、魔法、能力を自由に選ぶことなどできはしない。
せっかく恵まれた職をもって生まれてきたとしても、成長の賽子に見放された者は歪な構築となってしまい、結果弱者とはいわぬまでも強者には至れないことも往々にしてある。
外なる者の優位点は、完璧な知識がないままとはいえ自分なりの最強構築を追求できる点にもあるのだ。
そんな状況下、成長さえすれば最低でも己の持つ種族特性を十全に使えることが保証されている獣人、亜人の戦闘力は、その尻上がりに伸びる能力値も併せて多くの場合ヒトを凌駕する。
彼らが現状の世界で弱者と看做されているのは、たとえ戦闘職に恵まれた者であってもレベル7が上限であっては、ヒトの劣化版でしかないからなのである。
だからこそ本来の最初の成長限界であるレベル99に到達してなお、ヒトが獣人、亜人を凌駕する強さを身につけているというのは希少例なのだ。
デミトリ、ディルツ、ティファリアがその希少例になれたのは、豪運と言っても過言ではないほどの幸運に恵まれたためだ。
職も狂戦士、魔法使い、召喚士となればかなりの希少種と言えるが、ティファリアの召喚士を除けばこの組織においてはそこまでのものでもない。
彼らの豪運とはつまり、成長ごとに職に応じて無作為に取得する武技・魔法・能力、それらすべてがあたかも外なる者が攻略サイトの完成された知識を基に構築したかの如く整っていたことである。
しかも低レベル帯において強さを追求する際には有効となる属性特化――炎系に集中した構築になっていたことも大きい。
ティファリアの炎魔人が展開する炎の結界内では、デミトリの魔法剣もディルツの炎魔法もその効果が増加され、各々が放つ武技、魔法が同じ炎系であるがゆえに繋がり、連携技や追撃魔法が発生するのだ。
各々が豪運によって得た理想的な構築と、その三人がともに炎系であったために発生する相乗効果によって、デミトリ、ディルツ、ティファリアは組織内でさえ『火の三位一体』の通り名で呼ばれるまでの強さを得た。
そしてこの手の組織において、暴力に優れたものが組織の長となるのはまあ至極当然の事だろう。
組織運営に伴う煩わしい部分は、その集団で最強になれずとも目端の効く連中が適度に甘い汁を吸いながら回している。
だが個人の利益の追求の度が過ぎるなどの、組織が自壊するほどの勝手な行動は誰も取らない。
世間の強者がたかだかレベル7であり、自分たちはまさに桁違いのレベル99に至っている真の強者たちであるにも拘らず、その統制は下手な軍隊よりもキチンととれている。
それは彼らが絶対の強者の存在を知るが故だ。
彼らを『連鎖逸失』の軛から解き放ち、ヒトの世界に『連鎖逸失』を強いる走狗として使役している存在。
彼らが『魔人』と呼ぶ者たちの圧倒的な力を知るがゆえに、度を越した暴走を起こす者はめったにはいないのである。
その上から、ウィンダリオン中央王国本部を束ねる三人へ指令が届いている。
いやすでに『天蓋事件』が発生した翌日にはその指令は届いており、今はその進捗状況を確認するために三人が本部――ウィンダリオン中央王国王都近辺に存在する『迷宮』の最下層、階層主の間を改装した拠点に集まっているのだ。
「アーガス島迷宮へ『連鎖逸失』を仕掛けるのはディケンスに任せておけば問題ないだろう」
「機兵は揃っているのでいつでもできるはずですね。この機に例の厄介者――『矛盾』とやらを始末すると言っていましたので、そのタイミングを待っているのでしょう。今のところ第六階層を攻略しているパーティーはほとんどいませんから仰るとおり問題はないかと」
最優先指令に対する状況をデミトリが確認し、その認識に間違いがないとディルツが同調する。
ここ数年、『連鎖逸失』をあえて仕掛けていなかったアーガス島迷宮に機兵を配置し、そのついでに各地の迷宮で突破を試みているという『矛盾』を始末するというのは確かに効率的だ。
そのために数日かかろうが、それは誤差と言ってもいいだろう。
機兵では『矛盾』を仕留められないというのは証明されているとはいえ、職こそありふれたものだが自分たちと同じく真の成長限界に至っているディケンスであれば、なんの苦も無く始末してのけるのは間違いない。
最優先指令については問題なしとみていいだろう。
「『黄金林檎』の動きが気にならない?」
「だが『黄金林檎』には手出し無用との仰せだ」
「……勝手なことはするべきではありませんね」
だが指示に従い『連鎖逸失』を仕掛けるアーガス島迷宮第六階層において、『矛盾』よりも気にするべき行動を取っているのが『黄金林檎』――『鉄壁』ヴォルフ率いるパーティーだとティファリアが指摘する。
ヴォルフたちのパーティーは確かに手練れであり、事実アーガス島迷宮に『連鎖逸失』が仕掛けられていないことを最初に確認したのも彼らである。
とはいえそれはあくまでも一般的なレベル7を上限としたパーティーとしてみればという話であり、ここ数日の報告にあるように攻略最前線である第六階層を連日攻略できるなどという、とんでもなさとは無縁であったはずだ。
それが『天蓋事件』から数日を経て、突然そんなことが可能になったのだ。
事実『矛盾』とて――いや自分たちであったとしても、第六階層程度であればともかく、レベル99にとっての攻略適正階層を連日攻略などできはしない。
現時点での強弱とはまったく軸を異にする異常さが、間違いなくヴォルフたち『黄金林檎』のパーティーに発生している。
ティファリアが己の目で直接『黄金林檎』の迷宮攻略を確認したいと思うのも当然の事だろう。
実際にその様子を目にすれば、今の時点で確実に潰しておくべき敵だと間違いなく判断しただろう。
今潰さなければ、そう遠くない将来自分たちをすら凌駕するのだと。
だがデミトリとディルツのいうとおり、指示されていないことをやる程度であればともかく、明確に「手を出すな」との指示に逆らうわけにはいかない。
その指示があることこそが、逆説的に『黄金林檎』に何か尋常ならざることが起こっていることを裏打ちしているともいえるのだが、それは魔人たちにとってティファリアたちが知るべきことではないのだろう。
君子でありたいのであれば、危うきには近づくべきではないということくらい、ティファリアにも理解できている。
だから二人のいうことはもっともで、ティファリアも黙るしかない。
「そのとおり。またそれと同じくらい、指示に従えていないことも問題だ」
デミトリが続けて言うとおり、現時点では与えられた指示をこなせてすらいないのだ。
ディケンスに命じた、アーガス島迷宮へ『連鎖逸失』を仕掛けることではもちろんない。
こんな事態が発生したのはいつ以来か、すぐに思い出すことができないほどだ。
世間のヒトとは文字通り桁違いの強さを持つデミトリたちへ下される魔人たちの指令を即座にこなせないことなど、本来であればありえない。
いつだって即時指示に従ってするりとこなして来ていたのだから。
魔人たちはよく働く賢い走狗には餌をくれるが、簡単な指示もこなせない駄犬には罰を与えることに躊躇などしないだろう。
自分たちは確かに強いが、魔人たちにとっては替えのきく存在に過ぎないのだから。
だからこそ発言をしたデミトリにも、それを聞くディルツとティファリアにも、その顔に隠し切れない恐怖が浮かんでいる。
今回の魔人からの指令は二つ。
一つは前述のとおり、アーガス島迷宮へ『連鎖逸失』を仕掛けること。
もう一つはアーガス島に突然現れた、とある新人冒険者を可能な限り詳しく調査せよというものだ。
ただし『黄金林檎』とおなじく、絶対に手を出すなとの注釈付きでである。
指令を受けた時点では、取るに足りない任務だと認識していた。
冒険者ギルドから正規の情報を取り寄せて、あとは数日誰かが張り付けばそれで終いだと。
「行方不明ですか」
だが結果はディルツの呟き通りである。
レベル99の盗賊職をつければ即完了すると判断していた任務は、今のところその担当者が行方不明になるという、間の抜けた結果に終わっている。
「我々はともかく、あの方々の手から逃れられると本気で思っているのなら愚かなことだ」
当然そのまま終わらせるつもりも、わけにもいかないデミトリは次の候補を脳内で抽出している。
デミトリもディルツもその盗賊が逃亡したと判断している。
逃げ切れるわけもないのに、突然何をとち狂ったのだろうかとも。
「始末された可能性はないの?」
「まさか」
「魔人の方々や俺たち以外の誰が、やつを始末できるというのだ」
だから真剣な表情で別の可能性を提示するティファリアの言葉を笑い飛ばす。
だがそこにはレベル99である自分たちに対する絶対の自信とはまた別の、ごく微量とはいえ怯えのような気配も潜んでいる。
「……『天蓋事件』の犯人」
ティファリアのいうことを、デミトリとディルツも考えないではないのだ。
『天蓋事件』の報告にある、自分たちの上である魔人たちをすら凌ぐであろう化け物たち。
それがこの世界に現れた瞬間から、自分たちが長らく絶対だと信じていた強者の基準が一切役に立たなくなっている可能性が高いということを。
たとえ成長限界に至った自分たちが何人集まろうが、1対1では決して勝てないと確信できる魔人たちが何体集まろうが、一撃で空中要塞『九柱天蓋』を砕き墜とすことなどできはしないのだから。
侵入して制圧するというのであれば児戯にも等しい。
だが物理的に壊せと言われれば、不可能ですと即答できる。
それを実際にやってのけた相手が敵に回ったというのであれば、成長限界であろうがなかろうが、たかが盗賊職一人を消すことなど造作もないだろう。
「……それがなぜ、たかが新人冒険者を調べた程度で敵に回ると?」
「その新人冒険者が、彼らの主だから?」
「バカな!」
「ありえん。正規ルートで入手した情報では、いかな魔法使いとはいえかの新人冒険者はまだレベル5に過ぎんのだぞ? それが魔人をも凌駕するかもしれぬ、『天蓋事件』を引き起こした化け物たちの主だなど……」
だがデミトリは否定する。
勘や分析、己の本能には従わず、実は正鵠を射ている判断から目を逸らす。
自分にとって都合のいい、ヒイロが未だレベル5でしかないことを唯一絶対の真理の如く、在り得ないコトの根拠として。
それはあってはならぬことだから。
今に生きる虫が、己らの死を約束する水が氷に変わる季節の到来を、根拠などなくありえないと否定することしかできないように。
「でも、警戒するべき情報はたくさんあるよ」
「だとしても我々は指示に従うしかあるまい」
「……うん」
デミトリとてティファリアの言わんとすることは理解してはいるのだ。
『天蓋事件』の発生と、件の新人冒険者がアーガス島に現れたタイミング。
その新人冒険者が連れている正体不明の小動物と、正体不明の美女たちや執事。
友好同盟を結んだ『黄金林檎』の、常軌を逸した連日迷宮攻略の開始。
そして何よりも、その新人冒険者の調査に当たった仲間の一人がいとも簡単に行方不明になったという厳然たる事実。
この場合、もしかしたら絶対に踏むことを避けるべき虎の尾、触れることを避けるべき竜の逆鱗とは自分たちの上である魔人たちの不興などではなく、その新人冒険者そのものかもしれないということは。
『その冒険者、取り扱い注意』とは、成長限界に至った自分たちにすら適用されるのかもしれないのだ。
だが同時にデミトリも、不安を吐露しているティファリアもわかっている。
魔人たちに付いて今まで好きなようにしてきた自分たちに、今更別の選択肢などないということくらいは。
魔人たちに逆らった自分たちは、それはもうあっさりと始末されるだろう。
それこそいとも簡単に行方不明になってしまった盗賊とまるで同じように。
それがわかっている以上、デミトリたちは今までと同じように動くしかないのだ。
たとえ今回の相手に対しておぞましさにも似た得体のしれなさを感じ、長らく忘れていた恐怖を引き金に己の本能が最大警戒のアラームをがなり立てていたとしてもだ。
行きつく先が同じ死であるならば、今までの在り方を変える必要はないだろう。
デミトリたちが読み誤ったのは、天空城にとっては死が絶対の終わりなどではないことなのだが、今の時点ではそんなことを知る術もない。
「なに、そう深刻になることもないでしょう。次は私が行きましょう」
「頼めるか」
「お任せを。思えば最初から私が行くべきでした」
「気をつけてね」
ここで話し合っても埒が明かなことなどわかっているディルツが、その新人冒険者の調査担当を自ら引き受ける。
本人も口にしている通り、一定時間とはいえ存在を完全に消すことが可能なディルツに向いている任務なのは確かなのだ。
だが。
当のディルツも、言わずとも引き受けてくれたことにほっとしているデミトリも、純粋に仲間の心配をしているティファリアも、もちろん本当の意味で仲間の盗賊が消えた本当の理由を理解などできてなどいない。
その任務を行使しようとした瞬間、天空城の執事長によってそれが誰であろうが瞬時に掃除されてしまうという事実など。
だが幸いにしてディルツは仲間の盗賊のように、仲間たちに知られぬままたった一人で綺麗に掃除されてしまうことだけは免れる。
ディルツが引き受けた任務に就く前に、絶対の死と同義である執事長とまさにこの場で相対することになるからである。
盗賊とは違い、仲間たちと共に大掃除されることになるのだ。
ディルツも、デミトリも、ティファリアも。
ただの一人も例外なく。





