番外編 天蓋事件後日譚⑩ 宵篝 ~butterfly effect paradox~
ウィンダリオン中央王国、総督府直轄領――アーガス島。
中央暦0457年、夏待月。
『天蓋事件』からそれほど日もたっていないとある夜。
いよいよ本格的な夏が来ることを感じさせながらも、過ごしやすい南国特有の空気に包まれたいわゆる「いい夜」の帳がアーガス島に降りている。
もともとアーガスの夜は長く、騒がしい。
アーガス島は四つ目――現状最新の迷宮が発見されてから急ピッチで開発が進んだため、迷宮を中心とした街こそ発展しているものの、人の手が入っていない場所のほうが圧倒的に多い。
それでも地上に存在する『魔物領域』に生息する魔物程度は歯牙にもかけない強者――迷宮最深部の攻略を進めている冒険者たちが集う『攻略街』では、夜闇を恐れる者は少ない。
それはいまだヒトが世界の完全な支配者ではなく、個としてはより強きモノ――魔物はもとより、野獣の群れでさえ恐れざるを得ない多くの村落と決定的に違うところといえる。
実際魔物の襲来をまるで恐れる必要がない街など、ほとんど存在しない。
各国の首都級を除けば、それこそアーガス島の攻略街のような『迷宮都市』と呼ばれる場所くらいなものなのだ。
そういう場所で人にとって一番恐れるべき生き物が、同族である同じ人となるのはいかなる皮肉か、あるいは当然の帰結か。
とにかくこの時代、このアーガス島迷宮を含めて四つ発見され、それぞれ『迷宮都市』として発展している地は例外なく、すべてそれぞれの地域における経済の中心となっている。
それだけの経済規模を持っている常夏の地、その夜が派手なものになるのは市場原理としては至極当然の帰結と言えるだろう。
冒険者たちは派手に遊ぶだけの金を充分に手に入れることができ、次の迷宮攻略の英気を養うと称して、それを散財することこそが「粋」とされているとなればなおのことだ。
そんな華やかな夜に、アーガス島においてはもはや知らぬ者などいなくなってしまった新人魔法使いとその仲間たちが繰り出している。
ヒイロと黒猫の組み合わせは不変。
その左右を固める白と黒の美女もいつもどおりだ。
数日前と変わっているのは、もう一人、元からいる二人に劣らぬ美女が増えていることくらい。
なにをしているかと言えば、貝や石を素材にした手作りの装飾品を売る出店を覗いているのだ。
ヒイロは新人とはいえ冒険者、生きて攻略を続けられている者が買い物をするような店ではない。
それこそアーガスを「迷宮島」ではなく「常夏の島」として観光に訪れた者たちが、お土産やちょっとした記念品として買い求めるような店である。
冒険者としてのヒイロの稼ぎに限定しても、並んでいる商品すべてを買うことなど造作もないはずだ。
だが一人一つずつ買ってもらえることになったらしい鳳凰と真祖の真剣な選択ぶりときたら、世界を左右できる神遺物を選び出さんとする求道者のそれである。
二人のみならず表情的には冷静を保っている白姫も、そのアホ毛がどうやら三つまでは絞られた候補の間を行ったり来たりしているのが微笑ましい。
千の獣を統べる黒に至っては首輪代わりになりそうな翡翠の石細工を気に入ったと見えて、前足でぱしーんぱしーんとこれは己のモノだと主張している。
冒険者の買い物としてはもちろんのこと、天空城に属する者が真剣に選ぶようなモノではない。
当然のことではあるがなんの支援魔法がかかっているわけでもなければ、なんらかの鍵となる重要なアイテムであるはずもない。
天空城の宝物庫に「もう使わない装備」として転がっているどれ一つをとっても、装備品としての性能を比べるのもばかばかしい差があるのは誰もが承知している。
だが今からヒイロに買ってもらったそれを身につけて天空城へと戻れば、千を超える下僕たち、そのことごとくが隠すことなく羨望の目を向けるだろう。
冒険者としてヒイロが稼いだお金で買ってもらったというのが重要なのだ。
主が選んでくれたものを下賜されるのももちろんうれしいが、己で選ぶことを許され、似合うだの似合わないだの、やいのやいの主と一緒に選んだというのもことのほか大きい。
物そのものの値打ちではなく、誰にどういう形で、どんな意味でもらったのかが贈り物というモノの、贈られた者にとっての価値を決める。
それが本来の在り方なのだろう。
少なくとも三人と一匹にとっては、戦闘に際して主が選択して己らに装備させてくれる超一級の希少魔導武装となんら遜色ない、それどころか自分のものとして持ち続けられるという点においてはそれすらも凌駕する宝物である。
夜店の店主のほうが若干引くくらい、真剣に選んでしまうのも無理はない。
とりもなおさずこの場にいる四体の大妖たちにとって、それだけその贈り物をくれる主が絶対的な存在だということなのだから。
「なんだよ、どこの御貴族様かって見た目じゃねえか」
「魔法使い様かなんか知らんが、ちょいと脅せば呑み代くらいはいただけんじゃねえの?」
だが短期間の間に有名人となったヒイロたちが集める注目は、好意に満ちたものばかりではない。
というよりもやっかみや嫉視を根底にして歪んだ、あえて侮るようなものになりがちなのはある意味お約束とも言える。
たしかにとびきりの美女を三人も侍らせた美少年が夜の街で騒いでいるとなれば、頭の悪い破落戸系に絡まれるのは鉄板展開だろう。
「やめておけ」
「なんだ、てめ……ぇ……っとぉ」
だがもうそのお約束が成立するには無理がある。
まだ数日前であればそれもあり得たのかもしれないが、今本気であるかどうかは置くにしてちょっかいをかけようとした冒険者ではない男たちであればともかく、冒険者たちはヒイロの正体をある程度知ってしまっている。
超大手ギルドである『黄金林檎』による幹部待遇での勧誘を蹴りながらも個人で友好同盟を締結し、半ば強制的に監視を解くことをその他のギルドにも強いたのがヒイロという新人冒険者だ。
とくに今日のギルドによる正式任務、砕かれた九柱天蓋の残骸回収に参加した冒険者たちはみな、『黄金林檎』から回ってきた回状「その冒険者、取り扱い注意」の文言が与太ではないことをこれ以上ないくらいに思い知らされている。
愚か者が踏まんでいい虎の尻尾を、粋がって踏もうとするのを止めるのはもはや義務だ。
馬鹿がどうなろうと知ったことではないが、その馬鹿の行動でアーガス島に暮らす者すべてが冗談で済まない被害を受ける可能性すらあるのだから。
君子は危うきには近寄らない。
すべてのギルドが一斉にヒイロへの監視を解除したのは伊達ではない。
ちょっかいをかけようとした馬鹿の存在を確認しておきながら、止めなかった愚か者との糾弾を受けかねない立場に進んでなる気などまったくないのだ。
「冒険者は自衛のためであれば、己の能力を使っても咎められることはない」
「彼の攻略階層はすでに第四階層だぞ? しかも単独でだ」
そしてアーガス島ではどこにでも冒険者はいる。
いま忠告をしている二人とて、『黄金林檎』には及ばずとも大手ギルドの主要メンバーたちである。
だからこそヒイロの実力についても、余人よりも詳しく知っているのだ。
それすらも『黄金林檎』がつかんでいる本当の情報に比べれば、表層と呼ぶのもおこがましい上っ面に過ぎない。
だがそんな上っ面の情報だけであっても、腕っぷし自慢程度の一般人が絡む相手としては無謀が過ぎる。
「ア、アンタたちは第六階層攻略組だろう?」
「勝負にならんよ」
ただの破落戸が高ランクの冒険者に喧嘩を売るなど、質の悪い冗談以下である。
それ以上の喜劇を己らがしようとしていたことを止めてくれた、ありがたい忠告を無視するつもりなどまったくない。
だがそんな高ランクの冒険者たちがこうまでいうほどの者かと食い下がってみたが、見栄を張るでもなく肩を竦められた。
こうなれば要らん意地を張っている場合でもない。
機嫌のよさそうな虎の尻をわざわざ踏みつける愚を止めてくれたことに感謝し、今後に活かして美味い酒を呑んで屁をこいて寝るに限る。
「ですってよ?」
「興味ないわ」
「アンタはもー。お得意様になってくれるかもだよ?」
「ないわよ。あんなとびっきりを連れてんのよ? なんか一人増えたし」
破落戸と有力冒険者たちの会話をわりと近い席で聞いていた、たまたま今宵は休暇で呑みに来ている四人の娼婦が話題にする。
高級と呼ばれる娼館に所属し、誰が見ても美人というだけではなく、そう露出度が高い服というわけではないのに、得も言われぬ色艶を醸し出しているお姉さま方である。
「まーねえ。でも私たちでしかできない愉しみ方もあるよね?」
「そういうのに刺激を求める年でもないでしょ」
「そっかー」
娼婦たちの情報網は、下手をすると冒険者たちのそれを上回る。
彼女らにしてみれば破格の新人冒険者の登場は、とりもなおさず自分のお得意様になってくれるかもしれない可能性を持っているのだ。
この島に現れてからたった数日でありながら、彼女たちでも名も所属も知っているような高位冒険者をしてああ言わしめるだけの存在がヒイロである。
お客様候補として値踏みをするのはいわば当然のことだろう。
「でもそういうのにも応えそうよね、彼女たちなら」
「あー、うん、まあ……そう、ね」
娼婦には娼婦にしかできない愉しみ方というものがある。
本職なればこそそれをよく知っている彼女たちだが、どうにもヒイロの周りを固めている美女たちにはどこか、自分たちすら超えている何かを感じさせる。
それこそ、求められればどんなことにでも喜んで応えそうな……
「アンタ、あんな顔できる?」
「演技ならいくらでも。でもまーそーね。本当に好きな人相手だったらああなるものよね、そーいえば」
「絶えて久しい感覚ですなー」
そう思わせるのは、彼女らも同じく見ていた夜店でのヒイロたちのやり取りゆえだ。
ヒイロが買ってあげている装飾品は、彼女たちにとっても玩具以下のシロモノである。
それを贈られて本当にあんなに嬉しそうにできるかと問われれば、さすがに応とは答えづらい。
お金持ちの気まぐれ、もしくはお金持ちであることを隠そうとする客の思惑に乗って、「世慣れているはずの娼婦がアナタにだけ見せる純な部分」を演出するのであればいくらでもできようが、素でとなるとさすがにキツイ。
それを自分たちでも素直に勝てないなー、と思わせる三者三様の美女たちがみな揃って本気で喜んでいるとなれば、そのお相手が一筋縄ではいかないことくらいは理解できる。
だからこそ、素直に羨ましいなとも思うのだ。
彼女たち四人はみな、普通の人ではない。
亜人や獣人と呼ばれる、被差別種族だ。
ヒイロの周りにいる女性たちはみな、おそらくは自分たちと同じでありながらああいう風に在れることに素直に憧れる。
自分たちには初めから与えられなかった選択肢の、その先にある姿だと思えるから。
ヒトという種にとって有益、あるいは無害な異族は亜人や獣人と呼ばれ、無益、あるいは有害な異族は魔族と呼ばれる。
もちろん違うのは貼り付けられた呼び名だけではない。
表面上では平等をうたいながら、徹底した搾取をされている。
一族から出た美しい女性が、ほぼ例外なくその身を売らねばならないほどに。
それを今更許すも許さないもない。
許さないと声を張り上げたところで、娼婦の一人や二人が吠えたところで世の中のなにを変えられるわけでもない。
だけど普通の人たちと同じような選択肢を、せめて自分たちよりも後の世代は持てるようになれればいいなとも思うのだ。
ヒトに非ざる者。
それは今現在のラ・ナ大陸において、ヒトから恐れられている存在ではないのだ。
魔物ではなく、ヒトに似てヒトではないモノ。
差別と排斥、なによりも搾取の対象。
だが。
それが常識であったラ・ナ大陸はすでに存在しない。
天空城が今周のようなカタチで降臨し、その主が積極的に世界に関わり始めたその瞬間から、世界の常識は人知れずそのすべてが過去のものになった。
天空城。
それは黒の王という絶対者に率いられた、大妖、化け物たちの集団。
つまりは気分で世界を終わらすことすら可能な力を持った、ヒトに非ざる者たち。
黒の王に忠誠を誓う千を超える人外たちは、特段己の眷属を優遇したりはしない。
だがヒトが天空城の存在を知れば、その眷属たちに今までのように接することができるはずもない。
それにエレアあたりならこう言うだろう。
「我が主が不快感を示されれば、そんな差別はすぐになくなりましょう。正しいとか正しくないはどうでもよろしい。命じられれば私たちが、そうすることが明確な損になる世界にします。人は損なことはしませんからね」
と。
この夜から数日後、亜人と獣人の扱いは脈絡もなく大きく変化する。
最初はウィンダリオン中央王国だけから始まったその変化は、あっというまにラ・ナ大陸全土に広がり、当たり前のコトとして嘘みたいにあっさりと定着する。
異議を唱えた者はみな例外なくいなくなるのだ、それも当然のことと言えよう。





