第16話 黒の王――異邦者(プレイヤー)の憑代
黒白の雷光が視界を埋め尽くし、刻が凍り、静止した音のない世界に轟音を響かせる。
『凍りの白鯨』の『天雷』が発動し、ヒイロ・シィの小躯へと殺到しているのだ。
届かせないけどな。
とはいえ――
――びっくりしたぁ!!! 問答無用かよ!!!!
『黒の王』への変身――もとい。
本体を呼び出すのが少しでも遅れていたら、始まったばかりの「冒険者ヒイロ」の物語は、「分身体」もろともに塵となって消し飛ばされるところだった。
取得している無数のスキルのおかげで自動的に発動した防御系魔法――最上位のものじゃなかったな、そういえば――が『凍りの白鯨』からの攻撃を完全に防ぎぎってくれている。
――よし、静止してしまっている『千の獣を統べる黒』も、俺の意識が抜けてしまっている『分身体』も無傷。『黒の王』にもダメージが通っていないことも含めて、まずは事なきを得たと言っていいだろう。
それにしてもだ。
いや確かに不正者断罪専用ユニットとしては、不正者と見做した対象に一片の慈悲もないというのは理解できるけれども。
それでも「なぜあなたは不正者として処分されるのか」の説明くらいはあるものかと思っていたし、それに期待してもいたのだが。
少なくともあっちで上げられていた動画では、罪状とその証拠となるデータを羅列表示されてから神罰執行されていた。
――その内容がエグくてなぁ。
今の俺と同じように『凍った世界』に強制召喚されて、プレイヤー・キャラはすべての行動が可能な状態。ただし自分の組織の僕は一切呼び出せない。
その状態で画面にいつどんな不正をしたのかの「証拠」を並べられ、その後『凍りの白鯨』による攻撃が開始されるのだ。
俺が期待したのはその証拠の羅列だったのだが、まさかの省略をくらった。
誤BANなんてやらかした日にはあっちだと大騒ぎに発展するのだが、現実化した「T.O.T世界」においては「細けぇことはいいんだよ!」の精神なのだろうか。疑わしきは滅せよ。
なにそれ運営怖い。
さておき、大概不正者のプレイヤー・アバターというものは高レベルである。
『凍りの白鯨』の攻撃を完全に無力化できないまでも、ある程度は軽減し、回復魔法やアイテムを駆使して瞬殺されるようなことはまずありえない。
ただしプレイヤー側からの『凍りの白鯨』への攻撃は、その一切が無効化される。
なまじすべての技・魔法共に使用可能なのがえげつなく、いろいろあがいてしまう時間をわざと用意しているのだ、運営様は。
まあ「不正者死すべし慈悲はない」というのは真っ当な(ある意味においてはとてもそうは呼べないのではあるが)プレイヤーたちの共通認識なので、そこはいい。
不正者には徹底して慈悲なく、厳しく、えげつない方が課金を含めて「ハマっている」プレイヤーたちを素に戻す可能性が低くなるからだ。
大好きだったゲームに対して、素になる瞬間の虚無感ときたら……
たとえMMOやMOではなくとも、プレイヤー間で価値観を共有することが希少キャラ・アイテムに対する執着を生むのであって、そこを土足で踏みにじる不正行為は許されるべきではない。
そこがザルなゲームは、どれだけ魅力的であっても課金する気が失せる。
一番悪いのは不正者だとわかってはいるのだが、厳とした対応を取らない運営に対して不満が出ることもまた正直なところなのだ。
課金が途絶えれば「ゲームの世界」は終焉を迎えるしかない。
世知辛いが、これが「現実に構築された仮初の異世界」の真実の一面である。
中にはサービス終了後も愛され、多くの人の中に残る「異世界」もあるのかもしれないが、今のところそれはゲーム発ではないモノに多いように感じる。
その意味において「不正者」は正しく世界を終わらせる存在――「世界の敵」なのだ。
そんな憎むべき不正者であっても、運営による神罰執行の様子は思わず同情してしまうくらいに慈悲なき粛清であった。
どれだけ高レベルであってもHPもMPも無限ではない。
その回復速度を僅かでも上回る攻撃を受け続ければ、いずれ倒される。
プレイヤー・アバターからのあらゆる攻撃が無効化されている以上、その運命を避けようはないのだ。
もともと不正など一欠片ほどもする気のない俺であっても、何年も育て上げた己の分身をあんなふうに嬲られるのは絶対にごめんだと当時思ったものである。
その状況に今自分が曝されていると思うと、正直背中に怖気が走らなくもない。
だが明確な不正理由を告げられもせず、それを受け入れる気もさらさらない。
いやもしも「世界の敵」として納得せざるを得ない理由を示されたとしても、現実化した今となってはそれを素直に受け入れるわけにはいかない。
僕たちとともに、「世界の敵」としてでも、何とかして生き延びてやる所存である。
敵の攻撃は通っていない。消費MPは数秒で回復する程度。
今の状況であれば、少なくとも千日手に持ち込むことは出来そうだ。
そうなれば「交渉」の余地も生まれるだろう。
そこへ持ち込むためには、こっちもある程度攻撃した方がいいだろう。
どうせ通じないことはわかっているが、『凍りの白鯨』は俺の想定よりもポンコツだ。
世界のすべてを知り、どうにでもできる創造神であり絶対者でもある「運営」という存在は、どうやら「現実化したT.O.T世界」にはいないと見ていいだろう。
その憑代であった『凍りの白鯨』だけが現実化し、その存在意義を律儀に守っているのだ。
いわば「抜け殻」だ。
であればまだやり様はある。
かなりの無茶とはなるが、一か八かの賭けというほどのものではない。
『凍りの白鯨』の「天雷」を無効化した魔法陣が、その責務を果たして消えて散る。
数瞬失われていた視界が回復し、俺を不正者と見做して神罰執行しようとしている純白の巨躯とふたたび向き合う。
ただし今回は『黒の王』が、だ。
『――それが汝の、本当の姿か』
そうだとも。
――もう一段階、真の姿をもっているがな。真の姿が一番弱いのは内緒だ。
いかん、「本体」となったからには言葉遣いもそれっぽくしなければ。
「そうなるな……私が『天空城』の主、黒の王である」
世界の敵だと言わば言え。
だが簡単に消失させられるなどとは思わぬことだ。
「たとえ私と我が組織が「世界の敵」だと認識されようと――――素直にこの世界から退場するつもりはない」
それを明確に告げる。
それと同時に、先刻食らわしてくれた挨拶に対して、しっかり返しを入れておく。
『黒縄地獄』
『黒の王』とならねば行使不可能な唯一魔法系統・闇術、その顕現呪文の一極『召喚八大地獄呪文』の第二位階。
我が竜頭の眼窩四つに宿る、元は竜眼であった「ゲヘナの火」四つすべてが、常の黄金色から漆黒へとその色を染め、魔力を噴き上げる。
見据えるは今や敵たる『凍りの白鯨』――瞬時に発動。
無数――正確には13兆3255億からなる漆黒の蛇にて糾われた巨大な黒縄が16本虚空より顕現し、純白の巨躯を縛り、焼き尽くさんとする。
大概のボスは一撃で沈む、『黒の王』が持つ禁呪類の中でもかなり上位に位置するものだ。
だが案の定、『凍りの白鯨』の躰に痕一つつけることすら能わず白光に呑まれて霧散する。
ここまでは想定通り。
だがソッコで雲散霧消されたわけではなく、それなりの時間白光とせめぎ合っていた。
これもしかしたらこっちの攻撃が通る可能性もあるのかな?
とりあえずは膠着状態に持っていくのが目的なのだが。
「通じぬか。さすがは『凍りの白鯨』、世界の天秤を護るものというところか」
意思の疎通を図る。これ大事。
『我を知るか、特異点』
「貴様は『黒の王』を知らぬのか」
『知っている。だがこの時代に存在するはずのない名でもある』
十全なコミュニケーション構築は無理な模様。
短い言葉を交わし合いながら、無数の魔法を発動させ合い、共に無効化してゆく。
手を抜いているわけではなかろうが、今の状況であれば特に危機感は感じない。
余裕でいなせる。
なんにせよ「運営」ではない「凍りの白鯨」は、不正判定として今のこの時間軸に存在し得るか否かを用いているのは間違いない。
そしてその判断基準から『世界再起動』という要素が欠落している。
故に一周目のこの時代に『閃光』を取得することを不正と判断したのだ。
――だが解せない。
そういう意味においてであれば、『黒の王』はもとより、天空城の眷属たちは「この時代に存在してはならないモノ」の筆頭だろう。
101回目の『世界再起動』の瞬間に『凍りの白鯨』が喧嘩吹っかけてきてしかるべきだ。
それがこの一週間、ヒトの手が及んでいない遺跡、迷宮を好き勝手絶頂に攻略しつくしていても御咎めなしだった。
――プレイヤーとその組織も、『世界再起動』と同じく『凍りの白鯨』の認識から欠落しているのか……じゃあなぜ「分身体」には反応した?
解らないことだらけだ。
ここはやはりお互いに通らない攻撃を無駄に打ち合っている場合じゃないな。
世界の守護者としても、今起こっている状況は認識するべきだと思うし、俺を排除してはいめでたしという状況でもない気がする。
もしもそうであっても「世界のために」とかいって消える気はないが。
「互いの情報を共有せぬか? 正直に言えば私も未知の状況に在る」
もったいぶっても仕方がないので、こっちの状況をわりと素直に伝えてみる。
世界の味方であれば、聞く耳を持つべきだと思うんだが。
『不要。世界の天秤を保つことが我が存在理由。――それ以外は知らぬ』
あ、思った以上にポンコツだぞコイツ。
思考する能力はあるのに、どうやらそれを放棄している御様子。
如何に世界が静止しているとはいえ、此処で千日手を繰り返していても埒が明かないと思うんだけどな。
問答無用スタイルってことは、出し惜しみなんかしないで瞬殺狙ってきているのだろうし、初撃の『天雷』を凌ぎきられたからには話し合いに応じてもらってもよさそうなものだが。
『黒の王』を仕留めきる手段がないのであればそうするべきだ。
俺ならそうする。
さてどうしたものか。
『汝と汝の眷属の存在はすでに捉えた。汝を滅した後、静止している汝の眷属を――――』
『無間地獄』――即時発動
闇術、その顕現呪文の一極『召喚八大地獄呪文』の第八位階。
積層魔法陣で覆われる『凍りの白鯨』、その内側に名状し難い不定形生命が満たされてゆく。
それらは黒焔を発しながら対象を生きながらに貪りつくす。
『黒の王』がもつ最上位階呪文の一つ。
効かぬとわかっていても、台詞を言いきる前にぶっ放した。
「――させんよ」
そうだ。
不正者に対する神罰執行で一番恐ろしかったのはそれだ。
プレイヤー・アバターが嬲られ、滅された後も画面はブラックアウトしない。
静止した世界に囚われた、己が育ててきた僕たちが動けぬままに、一体一体『凍りの白鯨』に砕かれてゆく様をみせられるのだ。
その度に『消失』と真紅の文字で表示されるのが本当に恐ろしかった。
余裕ぶっている場合じゃない。
今のところまだ大丈夫とはいえ、万が一『黒の王』が敗れれば、天空城に属する皆はそうされてしまうのだ。
今俺の足元で静止している『千の獣を統べる黒』が、その最初の一体となることは間違いない。
その次は『白銀亭』で待つ、エヴァンジェリンとベアトリクス。
そして天空城そのものと、そこに集う我が僕たちが一体一体砕かれてゆく。
それだけは許容できない。
現実化したこの世界、その悉くを劫火に焼いてもそれはさせない。
しかし『無間地獄』が発動している、今や漆黒の魔法陣が白光に切り裂かれ、無傷の『凍りの白鯨』が現れる。
――やはり「呪文」の撃ちあいでは埒が明かないか。こうなれば――
「――今なんといった、貴様」
ん?
余裕ぶっている場合じゃないと、シリアスモードに切り替えた俺が一瞬で素に戻ってビビるほど、地獄の底から響いてくるような怒りに満ちた静かな声が聞こえる。
足元から。
「我が主を――――滅するとほざいたか!!!!!!!」
同時。
黒白の静止が砕け散り、刻を凍らされていたはずの『千の獣を統べる黒』が怒りの咆哮をひしりあげる。
その姿は愛らしい九尾黒猫から、巨大な本来の姿に戻っている。
いや俺許可してないよね?
というかプレイヤー以外動けないはずの空間だよね、此処。なんで?
「吾輩の前でもう一度ほざいてみせよ、忌まわしき者共の母!!!!!!!!」
怖い。