番外編 天蓋事件後日譚⑤ 鉄壁 ~butterfly effect paradox~
ウィンダリオン中央王国、総督府直轄地アーガス島。
中央暦0457年、夏待月。
間違いなくラ・ナ大陸史に記される『天蓋事件』の表面的な後処理もほぼほぼ終了し、少なくともアーガス島で暮らす人々にとっての日常が戻りつつある、とある夜。
もっともアーガス島の日常とは、多くの他所にとっての非日常である。
昼夜を問わずいくつもの冒険者一党が迷宮に潜り、昼組は夜に、夜組は昼に、それぞれのやり方で英気を養う冒険者街は一刻たりとも眠らない。
爽やかな初夏の朝日が射し込む中、飲み屋や娼館の扉をくぐる冒険者たちの姿は、初めて観光などでアーガスを訪れた者にはさぞ奇異に映ることだろう。
とはいえ夜ともなれば、そう他所と変わるモノでもない。
王都ウィンダスなどであればともかく、この規模の歓楽街が数十年前はただのさびれた漁村しかなかった島にあるという事実を除けばだが。
料亭『銀砂の庭』
アーガス島最大の街である冒険者街、その中でも確実に三本の指に入る高級店である。
極力素材を活かしつつ、それでいて繊細な技巧を凝らした料理を出すことで、王都ウィンダスのみならずラ・ナ大陸中の貴顕たちにその名を知られている名店。
店主兼料理長のこだわりで支店展開をしておらず、アーガス島を訪れなければその料理に舌鼓を打つことのできないという、「一度は行ってみたい店」の上位を常に維持している。
その料理もさることながら、店名どおりの見事な庭も売りの一つであり、それを眺めながら食事をするというのが、アーガス島における高級接待の基本の一つとまでなっている。
当然すべての席は個室となっており、お値段も市井に生きる者たちであれば、年に何度かハレの日に奮発して訪れることが可能というほどには高くつく。
それでもここを接待につかう官僚たちにとっては経費で落とすだけの話だし、稼げている中堅以上の冒険者たちにとっては、その気になれば毎日通ってもなんの問題にもならない程度とも言える。
もっとも冒険者たちは基本豪快さを好む傾向が強く、通常は『白銀亭』や『熊の蜂蜜軒』などの、庶民向け価格設定でありながら量も味も一級品の店でわいわい騒ぎながら呑むことがほとんどではある。
それは音に聞こえたトップギルドの一角、『黄金林檎』であっても変わらない。
現在王都の本部から派遣され、『連鎖逸失』が確認されていないアーガス島迷宮、その最前線を攻略しているハイエンド・パーティーである『鉄壁』ヴォルフたちも、常は『白銀亭』で呑んでいることがほとんどだ。
副官である『疾風』サジも、弓使いのカティアや希少職の踊り子であるリズも堅苦しいのは苦手なので、『銀砂の庭』に来ることはほとんどないといっていい。
冒険者ギルドやアーガス島総督府からの接待、もしくは王都ウィンダスのギルド本部から幹部等の出張者をもてなす場合、あとは現地採用の新人がギルド入りした際の歓迎会くらいか。
それでも市井の者たちよりはずっと多い回数、訪れているのは確かではある。
面倒くさい話だが、有力ギルドのトップ・パーティーともなればそういう類の処世術が必要なこともまた否めない。
必要であればどんな高級店でも苦も無く使うが、普段は気さくにそこらの店で騒いでいるという「親しみやすい」というイメージを持たれるということも、そう馬鹿にしたものではないのだ。
人並外れた力を持ち、それを以て迷宮を攻略する冒険者ギルドの有名どころはみな、多かれ少なかれそういう意識を持って行動している。
総体としてのヒトから見た場合、自分たち冒険者が少数派――異端であることをみな自覚しているが故と言えるだろう。
にもかかわらず、今宵はヴォルフ、サジ、カティア、リズ、加えて先日王都からアーガス島冒険者ギルドへと登録替えをし、攻略パーティーに加わっている『癒しの聖女』セリナの五人は、自ら予約して『銀砂の庭』を訪れている。
ちなみにセリナの歓迎会というわけではない。
それは『白銀亭』にて先日、セリナのお披露目もかねて恙在り終了している。
友好同盟を結んでいる某新人魔法使いも招いてのセリナの歓迎会は、サジをして「念のために貸し切りにしておいてよかった……」と言わしめる惨状になったのだが、それは今回の件とは直接的な関りはない。
ないはずだ。
そうであってほしい。
「……みんなが俺に聞きたいことはわかる。わかるが最初に言わせてくれ」
最奥に位置するもっとも高級な個室。
最初の料理も一通り揃い、それに合う特級冷酒が硝子の器で適度に冷えているのを前に、誰も手を出さないままに各々複雑な表情を浮かべていた『黄金林檎』の面々。
酒や料理を冷やしている氷が解け始めるほどの時間が無言のまま経過した後、その中で最初に口を開いたのは、やはり一党の党首たるヴォルフであった。
その発した言葉のとおり、ヴォルフこそが当事者であることも大きい。
「すまんが俺にも、何一つはっきりしたことはわからん」
滅多には見ない、苦渋に満ちたヴォルフの表情である。
それを目にした副官サジをはじめ、付き合いの長い仲間たちが浮かべたのは、半分はさもありなんという理解の表情。
もう半分はこれも珍しいことに落胆の表情だった。
サジたちも、あの力を発揮していた当人であるヴォルフであれば、ある程度であっても、あれがどういうものかを理解できているかもしれないと期待していたのだ。
本日日中の迷宮攻略時はもとより、地上へ帰還して『銀砂の庭』を予約し、今この時に至るまで誰もがはっきりと口にすることをあえて避けていた異変。
それが今日、『連鎖逸失』が発生していない第六階層を攻略している最中、ヴォルフたち『黄金林檎』に発生したのだ。
「だが間違いなく――」
仲間たちの表情を確認して、無理言うなよ半分、申し訳ない半分の表情でヴォルフが視線を送ったのは、上座に座る己の傍らに置かれた、とある魔導武装である。
「ですよね」
「それしかないものね」
「いや、すげぇシロモノだろうなとは思ってはいましたよ? それにしたってリーダー、こいつぁ、あまりにも……」
ヴォルフにみなまで言わせることなく、カティア、リズ、サジの全員がその意見に全面的に同意することを表明する。
確かにそれしかないのだ。
冒険者歴もそれなりに長く、強さにおいても経験においても他の冒険者たちに勝りこそすれ、後れを取る要素などほとんどない彼らが理解できない状況を生み出し得るシロモノなど。
つまりは『天蓋事件』の翌日、ヒイロからヴォルフに贈られたあの盾である。
「ああ。すごいとか強いとかじゃない。無茶苦茶というべき域だ」
ここしばらくずっと自らが装備していた主盾。
盾役であるヴォルフにとって、命を預けた相棒ともいえるその魔導武装に向ける視線にしては、少々畏怖の色が濃すぎる。
受け取ったその日以降、ヴォルフはその盾を常に装備し、己の主盾として使いこなしてきた。
確かにヒイロの言うとおり、魔導武装を『装備』できた時に得られる強化を感じることはできなかったが、それでもとんでもない代物だと一党の全員が感心していたのだ。
なにしろどんな攻撃にも、小傷一つすらつかない。
一度の攻略を済ませれば傷つきへこみ摩耗し、高価な魔導武装であるがゆえに、そのたびに修理に出す必要があった。
それゆえにヴォルフは、己の主武装である『盾』を二桁で所有し、それらを修理に出しつつローテーションさせることで、他所に比べて高頻度である『黄金林檎』としての迷宮攻略に間に合わせていたのがこれまでだった。
もっともそれはヴォルフの盾に限った話ではない。
サジやカティア、リズの全身を鎧うあらゆる武装品たちは『黄金林檎』のトップ・パーティーにふさわしく超のつく一級品ばかりであり、その突出した性能に比例した一般人であれば耳を疑うほど高額の維持費が必要なものばかりなのだ。
そんな武装と比べても、『装備』――職とレベルが必要条件を満たし、その武装本来の性能を発揮する状態――をまだできていないヒイロのくれた盾は別格だったのだ。
なにしろ相手の攻撃に合わせることさえできれば、あらゆる攻撃を苦も無く弾くのだ。
だがそれだけで、ヴォルフをはじめとした『黄金林檎』の面々が、ここまで深刻になったりはしない。
事実アーガス島の日常がほぼ戻った日から今日まで、ヴォルフはその盾を使いこなして迷宮攻略を繰り返してきたのだから。
「うちと友好同盟結ぶお礼とかいってましたよね、ヒイロ君」
「まるで釣り合ってない」
カティアとリズがその盾を見る目も、頼りになる魔導武装というよりは、得体のしれない呪われたアイテムを見るそれだ。
自惚れではなく客観的な事実として、ラ・ナ大陸でも確実に五指に入るトップギルドである『黄金林檎』が、一方的に無償でヒイロという新人魔法使いの支援を全面的に行うことを約したのが、カティアの言う友好同盟の中身である。
普通であれば望んだからとて叶うという類のものではない。
冒険者であればだれもが羨む破格の条件だと、例外なくみながそう言うだろう。
だが自分たちに今日起こったことを振り返れば、その程度で手に入れていい代物だとはとても思えないのが、ヒイロのくれた盾の力なのである。
「だからって、返すってわけにもいかないスよね?」
「そりゃそうだ、な」
できることなら返却して、何もみなかった、何も知らないことにしたほうが楽だとでも言わんばかりのサジとヴォルフの会話である。
あれだけの力を発揮する、化け物級の魔導武装であることを知った上でもなお。
いや、知ったからこそなのかもしれないが。
この盾を渡すときに、わざわざヒイロが「くだらないもの」などとモノを贈る際にはおかしな言葉を選択したのにも意味があったというわけだ。
アレは贈与だったのではない、圧倒的高みにいる存在からの下賜だったのだ。
これだけの盾とて、所詮はヒトの世界における逸脱に過ぎない。
あの天空に浮かぶ城と、無数に存在していた大妖たちにはまるで通用しないことは間違いなかろう。
ヒイロがあの日言ったとおり、彼らにとってはまさに「くだらないもの」なのだ。
「ちょっと、ちょっといいですか?」
これまで一言も口を開かなかった『癒しの聖女』――セリナがなぜか律義に手を挙げながら自らの発言の許可を求める。
みなの視線を集めてその美しい顔をわずかに朱に染めている。
しょうがないのでヴォルフが無言のまま、仕草で先を話すように促す。
「あの……ここまで規格外なんですか?」
冗談のような流れだが、セリナの表情は真剣極まりないものである。
問うているのはヴォルフの盾のことなのか、それともそんなものをお気楽に渡してきた新人魔法使いのことなのか。
本人も自分ではっきりわかってはいないだろう。
つまりは双方について驚愕しているのだ。
そりゃ自分がそんな規格外に対する色仕掛け要員だといわれていれば、そう問いたくもなるモノではあろう。
歓迎会の際に、好みを通り越してあまりにも整った本人の容姿と、その傍に侍るとんでもない美女たちを見て、折れないように戦意の維持に苦労していたところへこれである。
「聞いてないですと言わないだけ、やっぱりセリナちゃんはすごいよ」
「うん。さすがは我らが幹部様」
他人事のように感心している先輩女性冒険者二人にも言いたいことはあるが、冗談のようでいてセリナがヒイロに対する色仕掛け要員であることは、『黄金林檎』本部決定によるまさかの正式なものなのだ。
今日だって迷宮から帰還して後は、どこで会うかわかったものではないので本部支給の悩殺衣装とやらに着替えてもいる。
なんだか慣れてきた自分が結構やばいのでは、と危惧しているセリナである。
――近くにリズさんがいるのがいけません。ええ。私に露出癖はないはずです。
――たぶん、きっと、おそらくは。そうであってください。
「いやそういうことじゃなくて……」
――そういうことでもあるんですけどね?
アーガス島迷宮第六階層で、その真の力を発揮した『盾』はとんでもなかった。
渡されたときにヒイロがヴォルフに告げたという、『今はまだ装備できないが、第六階層を攻略中にできるようになるはず』という言葉のとおりのことが起こったのだ。
長らく『連鎖逸失』に縛られ、各地の迷宮、その第五階層を何度も周回するしかなかったヴォルフたちである。
それがアーガス島において第六階層に踏み入れることを実現し、強力ではあるが未知の魔物との戦闘を繰り返せば、早期に現状ヒトの最強――レベル7を超えることになるのはいわば当然だ。
たった一回の成長が戦闘能力に及ぼす影響はすさまじいものがある。
そんなことはこれまで6回もの成長を経験してきているヴォルフたちはよく知っている。
セリナとて治癒魔法使いとして、自分自身の最初と今の違いを誰よりもよく理解できている。
強敵とはいえレベル7でも危なげなく斃せていた魔物であれば、レベルが一つ上がった状態では油断は禁物とはいえ雑魚と呼べる相手となる。
それこそが成長するということなのだ。
本来であれば、おそらくヒトの中で最初に最強を更新した一党として、本部に報告した後は同じこの場でもっとお気楽に祝いの席を楽しんでいてもまるで不思議ではない。
ところがそれどころではないことが起こったのだ。
成長の際は躰が謎の淡い光に包まれ、本人は間違いなくそれを自覚することができるので見逃しようはない。
ただ一回の戦闘で同時に全員が成長することは、個人差がある以上稀であるのも当然だ。
とはいえ今回の場合も、もっとも戦闘経験が豊富なヴォルフがいわば順当に最初に成長を迎えた。
その際、左手に構えていたヒイロの盾が劇的な変化を起こしたのだ。
まずなによりもみんなが驚いたのは、突然ヴォルフが光ったことである。
デコとか頭頂が、というわけではもちろんない。
そもそも部分ではなく、全体だった。
体内から溢れ出る爆発的なオーラを身体の周囲にとどめているようなエフェクトを纏い、その吹き上がり続ける光に交じって時折雷光のようなものが走り抜ける。
瞳の色は金に染まり、髪の色すら美しい蒼碧に変じていた。
何かをものすごい勢いで消費しているようにしか見えないのに、本人はいたって普通の感覚しかないというのが本人の談。
盾を装備した状態でヴォルフの意識が戦闘状態へ移行すれば、自動的にその変化が起こる。
ただの虚仮脅しかとも思ったが、次の接敵でどうやらそうではないことを思い知る。
接敵した際、魔物が間違いなく威圧を受け、魔法でいうなら弱体を喰らったような状態に必ずなるのだ。
『装備』ができたことによって強化されたヴォルフ自身の能力の伸びもすさまじかった。
反応速度や無効化できる攻撃の域も格段に上昇したが、それだけでは説明できない変化も多数ある。
連続攻撃の繋がりがスムーズという域を超えており、一度使用した武技を再使用できるようになるまでの時間が、異常といっていいくらいに短縮されているのだ。
それ以外にも戦闘終了時、一党全員にセリナの治癒魔法らしきものが自動的に付与される。
らしきもの、というのはその際に回復しているのが生命力だけではないらしいからだ。
そのほかにも一定時間ごとにヴォルフの躰が強く光り、その度になんらかの強化が付与されているようでもある。
戦闘開始と同時に一党全員に不可視の盾のようなものが展開され、一定までの攻撃はそれが無効化してくれていたようだった。
予定時間までとりあえず攻略を進めて地上へ帰還したわけだが、その感覚はまるで第一階層を気楽に走破している時のような難易度になっていたと、誰もが感じていたはずだ。
迷宮内であれこれ悩むのは危険だとの判断から、とりあえずいつもどおりに戦うことを徹底した。
その結果、通常の接敵回数をはるかに上回る数をずっと楽にこなし、戦利品を持ちきれなくなったために、予定よりもずっと早く地上へと帰還して今に至っているのだ。
迷宮内でじっとこらえていたことを、みんなが最初にヴォルフへ聞きたがったのはある意味当然であり、それをよくわからんと言われれば落胆するのもやむなしというところだろう。
「ま、俺らがある意味麻痺しているのは認めるよ。セリナサマがこっちに来るまでにもいろいろあったもんでさ」
「ああ、うん……」
「ええ……」
今回の件は確かにとびっきりだ。
だがサジの言う通り、セリナがこのアーガス島に到着するまでの間に普通の冒険者の常識をおかしくするのに十分な出来事は、わりと頻繁に発生していたのだ。
九柱天蓋の残骸回収の際だとか、カティアとリズの奇行だとか、それはもういろいろと。
さすがに先日のセリナ歓迎会でもう打ち止めだと思っていたのだが。
だが遅れてアーガス島へ来たセリナだからこそ、見えるものもある。
セリナに言わせれば、これだけとんでもない盾をひょいと与えてきたヒイロという少年魔法使いを、ヴォルフをはじめとした歴戦の冒険者たちが「そういう存在」として、そこにはそれほど奇異を感じていないことこそが恐ろしい。
急速にこの世の常識というものが、ヒイロという少年魔法使いを中心に歪んでいっている気さえする。
自分がその少年を篭絡することを期待されていることを思い出すと、頭痛どころか眩暈すらしてきそうなセリナである。
ここからは料理と酒に手を付けつつ、各々が思う今日の現象についてあーでもない、こうでもないと考察を繰り返す時間となった。
原因が盾であることは疑う余地もないので、その大部分は盾そのものを改めて観察し、調べることに費やされた。
結果、結論というのもばかばかしいが、盾にはめ込まれている魔導結晶? らしきものが10個あり、それが迷宮内では光を放っていたことから、おそらく10ものなんらかの効果をこの盾が持っているのであろうとのことに落ち着いた。
とりあえず確認でき、書き出した効果は以下のとおり。
・装備者の変身(詳細不明)
・装備者の行動反動消去(詳細不明)
・装備者の武技再使用時間短縮(詳細不明)
・戦闘開始時に敵への弱体付与(詳細不明)
・戦闘開始時の不可視盾展開(パーティー単位)
・戦闘終了時の生命力他の回復(パーティー単位)
・一定時間ごとの装備者に対する強化付与(詳細不明)
・その他(詳細不明)
改めて明記するととんでもなさすぎて、全員一様に変な笑いが出た。
これが少なくとも今日一日の結果で見れば、おそらくはノーリスクで発動しているのだ。
今の時点でヴォルフを超える冒険者は存在しないといってまず間違いあるまい。
ヴォルフをそうさせるとんでもない魔導武装を、惜しげもなく譲渡できる規格外の存在を除外すればの話だが。
あらためて『黄金林檎』としてのヒイロへの接し方を徹底する必要を痛感するヴォルフとサジである。
相手が優しいことに甘えて、カティアやリズ、セリナの奇行を良しとしている場合ではないかもしれない。
『その冒険者、取り扱い注意』
苦肉の策で生み出したその文言は、至言であったのかもしれないのだ。
「で、だ。定石を破るのがご法度だってことは十分承知している。油断が嘘みたいにあっさりと人を殺すってこともだ」
一通りの意見が出きったことを確認して、ヴォルフが総括に入る。
朝までこうやっていても店側が文句を言ってくることはあり得ないが、どこかで一旦の結論を出さねばきりがない。
それに身体的なものとは別に今夜は全員、いったん睡眠をとることが必要だとヴォルフは判断している。
であればここで決めねばならないことは、当面今後どうするかだ。
ヴォルフが口にした言葉は、冒険者であれば今更言われずとも誰もが魂にまで刻んでいると言っても過言ではないことである。
「その上でこの一党の党首として提案したい」
だが。
「可能な限りの、連日攻略を試してみたい」
それを踏まえたうえでも、党首として提案する。
本来であれば迷宮攻略を終えた日はぐったりしていて、宴会どころではない。
保険を残した使用限界まで武技は使い果たしているのが普通だし、セリナが合流するまでは重傷とまではいかずとも、それなりの負傷もしていたからだ。
体力や精神力、生命力や武技を使用するために必要な力を回復するために、英気を養うと称して街に繰り出すのは翌日以降が定石だったのだ。
しかも休養は最低でも数日、状態によっては十日以上取らなければ、再度迷宮攻略を開始できると断言できる体調に戻ったと確信することなどできなかった。
それが今は無理をしているわけでもなんでもなく、今からでももう一度迷宮に潜れそうな体調だと自分自身を認識しているのだ。
「私は賛成です」
「同じく」
それはカティアもリズも同じらしく、間髪容れずに同意の声を上げる。
「条件付きで賛成」
ただ副官であるサジは無条件というわけではないらしい。
「具体的には?」
「最初の戦闘を第一階層でやってから、全員に状況確認。それで問題なければ継続ってことでどうスか?」
その条件を問うたヴォルフに対して、簡潔にサジが答える。
石橋を渡る前に叩くのは、副官の仕事なのだ。
その結果を受けて渡るか渡らないかを決めるのが責任者の仕事。
「そうだな。正直それくらいしかやりようもない」
「かといって、この状況で今まで通りの習慣を維持するってぇのもね……」
サジとて同じなのだ。
今からすぐにでも第六階層へ行って、戦闘を開始しても問題ないと思っているのは。
「もったいない」
「うん」
カティアとリズがサジの言葉を継いだとおり。
これが思い込みだとか、ヒイロのくれた盾が呪いの装備の類であるとかでなければ、連続して迷宮攻略することで享受できる利益は計り知れない。
攻略速度も、成長速度も、文字通り桁違いのものになるのは疑いえない。
である以上、ある程度の危険を覚悟してでも実証実験は行うべきだとヴォルフ、サジ、カティア、リズの意見が一致したのだ。
「あの……」
しばらく皆の意見を聞くことに徹していたセリナが、再び挙手をして発言の許可を求めてきた。
「なんだいセリナ? 思ったことは忌憚なく言ってくれてかまわない」
ヴォルフが先を促す。
前のめりになっている自分たちを客観視できるのは、後から参加しているセリナであることは間違いないのだ。
少々弱腰と感じることがあったとしても、ここでセリナがより慎重な意見を出してきた場合は当面それに従うことをサジとのアイコンタクトで決定する。
「ヒイロ君にその盾のことを訊くのは……ダメなんですか?」
ちょっと汗をかきつつ言い放ったセリナの言葉に、ヴォルフだけではなくサジもカティアも、リズさえも思わず天を仰ぐ。
確かにヒイロは警戒すべき存在であり、その扱いには細心の注意を払わねばならないことは間違いない。
自分たちが言ったことなのだ「その冒険者、取り扱い注意」とは。
だが一方で彼はヴォルフたち『黄金林檎』の友好同盟者であり、件の盾をおそらくは厚意で与えてくれた本人なのだ。
彼の言葉どおり、第六階層攻略途中で装備可能になったことを告げれば、もったいぶることなくその能力を教えてくれるだろう。
その可能性は高い。
そこでもったいぶるようなら、そもそもポンとこんな盾をよこしてくることもないはずなのだから。
「……もっともだな」
あまりにも想定の斜め上、どころかほぼ垂直に上をいかれたせいで、極当たり前の発想がどこかにすっ飛んでしまっていたのだ。
――彼の近くにいると、これからもこういうことが増えるのかもしれない。
そう自嘲しつつ、ヴォルフは自分が焦っている理由を再度冷静に把握する。
ここで慌ててすべてを失うほど馬鹿な話もそうそうあるまい。
――まだ慌てる時間じゃない。
つい先日、アーガス島迷宮に『連載逸失』が発生していないことを確認できた時。
その際に感じた以上の圧倒的な高揚を、今間違いなく自分が得ている自覚がある。
だからこそ慎重に、一歩ずつ進めることこそが肝要だぞと、自分に言い聞かせる。
『連鎖逸失』が発生していないことを祈り、そうだったことを喜ぶことしかできない弱者だったのが、今日までの自分たちだ。
なにをどう言い繕おうが、それこそが揺るがぬ事実。
『連鎖逸失』が発生していればすごすごと引き下がり、どこかそれが発生していない新しい場所を求めて一喜一憂するだけ。
もしもそうじゃないと言い放てる者がいるとすれば、ヴォルフがその存在を知った時から密かに尊敬している、自分よりもずっと若い天才が率いる一党、『矛盾』の連中くらいだろう。
だが自分たちとて、そう在れるかもしれない。
今日手に入れたこの力が本物であれば、逃げるのではなく正面から『連鎖逸失』を粉砕できる強者になり得るかもしれない。
創立メンバーを喪ったあの日から、ヴォルフがずっと望んできたとおりに。
ほんのこの前、アーガス島の冒険者ギルドで偶然出逢った少年。
冒険者登録の仕方すらわからずに、オロオロしていたのでらしくもなく助け船を出したのは正解だったのか、間違いだったのか。
それはまだ今の時点で出る答えではないだろう。
だが降ってわいたように得た力であっても、力であることに変わりはあるまい。
力とは、己の望みをかなえるためにこそ行使するべきもの。
今のヴォルフにとってはそれでいい。
少なくともあの日の借りを、迷宮に対して返すまでは。
◆◇◆◇◆
『十戒の神盾』
ヒイロが口止め料としてヴォルフに渡した盾の正式名称がそれである。
T.o.Tというゲーム内においては、初心者救済系の最序盤加速アイテムの一つでもあったもの。
ゲーム内でのドロップ品ではなく、設定資料集や画集、やけに分厚い攻略本、あるいはフィギュアや派生のゲーム――いわゆるマルチメディア展開された商品についてくる、特典装備というやつである。
十年以上T.o.Tを続けていたヒイロの中のヒトは、同じような見た目だけが違う特典をそれはもういくつも所有している。
細部の違いこそあれ、見た目以外性能的には1プレイヤーに一つあれば困らないものなので、そう惜しいものでもない。
最初の成長限界まで新規キャラ、もしくは分身体をあっというまに成長させることが可能な、最序盤で考えればまさに反則級の代物。
その特性から『盾』でありながらすべての職が装備可能であり、それこそ序盤は体力面が他職より脆弱な魔法使い系にも重宝された装備である。
運営の謎のコダワリなのか、チュートリアルから序盤迷宮攻略の半ばあたり――レベル8に到達するまでは装備不可なのが、地味にめんどうくさい装備でもある。
つまり現実化したこの世界の冒険者をはじめとした成長が可能な存在は、『連鎖逸失』によって初期加速が不可能な域に留められていたとも言える。
もちろんヒイロが装備することも可能だったが、個人的なこだわりにより魔法使いが盾を装備するのは「どちらかといえば絶対にNO!」だったので採用していない。
採用したのは外套型の同系装備である。
この盾そのものが持っている能力は、ゲーム内における普通の盾に比べて五割増しの防御ステータス、すべての職が装備可能、レベル100まで常時取得経験値+100%といったあたりで、特典装備としてはそう突出したものではない。
とはいえ皇帝や女帝の指輪は凌駕しているし、ゲームではなく現実となった今ではとんでもない性能だともいえる。
だが十戒の神盾を入手するためわりと本気度の高いプレイヤーたちが、考える前にこれがついていた、けしてお安くはない設定資料集を購入したのはそれ以外の理由がある。
一つはこの装備がレベル100を超えても継続するレベル連動型であったこと。
もう一つは十戒の神盾の名が指し示す通り、T.o.Tというゲームにおいてキャラクター強化要素の一つである、魔導球体を十個もはめ込むことが可能だったからである。
前者だけでもある意味、破格といえる。
5桁を超えてレベルが上昇するT.o.Tというゲームにおいて、装備可能レベルが同帯の平均的なものに比べて強めの盾を、最初からすべて持っていることと同義であるからだ。
特にハイエンド帯のプレイヤーたちにとって、その価値は大きい。
彼らはどのみちすべての装備品を手に入れようとする。
そこは不変不動である。
だがほとんどプレイヤーたちよりもはやくレベルキャップに到達した時点で、そのレベルで装備可能な希少装備が揃っていることなどありえない。
よければバージョンアップとともに店売りに並ぶ汎用品をゲーム内通貨で購入し、当面の装備とする。
悪ければ今までのハイエンド品のまま同等、格上の魔物と戦って希少装備を入手しなければならないのだ。
それもネット上に理想的な攻略法や、少々装備やアイテムが足りなくてもなんとかなるお手軽討伐法などが載っているわけではない。
誰でもない、自分たちこそが無数の試行錯誤の果てにそれを編み出し、ネットの海へと放流せんとするのがハイエンドプレイヤーというものなのだから。
その際に従来装備していた低レベル帯のハイエンド品はもちろん、新規になぜか店売りが開始される装備よりも強いことが確定しているというのは、控えめに言っても破格なのだ。
それに加えて二つ目。
T.o.Tにはよくあるキャラクター強化要素として、魔導球体というシステムを持っていた。
種類によってステータス増加、トリガー型や常時発動型のスキル付与、お遊び要素としては実効性のない特殊エフェクト付与や、アバターの見た目変化なども存在する。
それらをセットすることが可能なスロットを、10も保有しているのだ。
サービス開始から幾度も成長限界の解放を行なってきたT.o.Tだが、その時々のハイエンド装備品、もしくはもともと希少種である魔物から極稀にドロップする超のつく希少装備品でなければ10を超えるスロットを持ったものはそうそう存在しない。
一つ目のレベル連動と相まって、攻略法のない最前線を手探りで攻略するプレイヤーにとってはこれもまた重要といえる。
状態異常無効や体力再生、魔力再生の鉄板をセットしたうえで、難敵に特化したものや、ステータスを装備キャラクター基準のパーセント、あるいは固定値で増加するものをセットできるか否かでギリギリの戦闘、その勝敗がわかれたりもするからだ。
本気でT.o.Tにハマっているプレイヤーであれば、持っていて当然の逸品。
それがヒイロがヴォルフに進呈した盾の正体なのだ。
正直ヒイロは、ヴォルフが十戒の神盾を装備可能なのかどうか半信半疑ではあった。
プレイヤー専用装備がN.P.Cに装備可能なのか、装備できたとして本来の性能を十全に発揮できるのかどうか、すべては実験の一環でもあったのだ。
だがもし本当の意味では装備できなかったとしても、不壊の盾というだけで装備品としては特級などという言葉では表せない。
数値によって管理されていたゲームの時とは違い、現実化したここでは文字通りどんな武器、魔法であってもヴォルフの持つ『十戒の神盾』を砕くことは不可能なのだ。
ゲーム時代、唯一武器としてシステムに保護されていた名残ゆえに。
衝撃や魔法効果の貫通などの問題はあるとはいえ、たかだかレベル100までに相手にする魔物の攻撃、特殊技程度では合わせさえすればそのすべてを弾き返す。
つまりもともとヴォルフの通り名であった『鉄壁』が、名実伴うことになったのだ。
その上、プレイヤーが装備した場合と同じ性能を発揮できるとなれば、十戒の神盾は間違いなく神遺物級魔導武装と言ってまるで過言ではない。
それを装備してアーガス島迷宮の攻略を進めるギルド黄金林檎所属、ヴォルフ率いる一党は桁違いの成長を遂げ、そう遠くない未来、冒険者として突出した存在になるだろう。
やがて天空城の手によってすべて解かれることとなる『連鎖逸失』、その向こう側。
ヴォルフたちギルド『黄金林檎』の設立メンバー、その多くを喪った因縁の迷宮。
その最下層を目指すことになるヒイロやアルフレッドたちと、肩を並べてその攻略に参加できるくらいまで。
ゴッド・バトルとか必死で求めた思い出
出ませんでしたけどね
マグとかの要素も出したかったりします
オススメと並んで好きでした
エピソードⅡのファルクローは浪漫
もう少ししたら原作第二巻、コミカライズ第二巻の話もできそうです。
お付き合い願えたらうれしいです。





