番外編 天蓋事件後日譚② テンプレート・パラレル ~butterfly effect paradox~
ウィンダリオン中央王国、王都ウィンダス。
そこを守護する空中要塞、九柱天蓋の旗艦よりもはるか高高度に浮遊する天空城。
もはやそこは雲一つない蒼天というよりは、宇宙に限りなく近い位置だ。
中央暦0457年、夏待月。
アーガス島に暮らす住民すべてを驚愕させ、その発生を知り得る立場にいたラ・ナ大陸中に存在する己を強者と任ずる者たちすべてを震撼させた『天蓋事件』から数日。
今は主なき天空城、その謁見の間に、数十体の下僕たちが跪いている。
ちなみにその主は今日も今日とて分身体としての冒険者生活を満喫している。
跪いている下僕たちはみな、ヒトという基準からみればそのどれもが「死」そのものであるとも言える兵ばかりだが、天空城といういわば超越者たちの巣においては序列上位に位置するモノばかりというわけではない。
序列二桁のモノもいれば、三桁どころか末席に近い四桁のモノもいる。
百回目の『世界再起動』、その際に黒の王の前に揃った時との違い。
それは天空城に所属する下僕総勢ではないことを除けばただ一つ。
そのすべてがヒトの姿をしていることだ。
そして男性体、女性体を問わずそれらはみな美形である。
これはある意味においては当然といえる。
あらゆる人外系の安易なヒト型化に一家言ある者は多かろうが、ニーズがあるというのもまた一面の事実ではある。
多様な顧客のニーズをつかみ、一極化させることなくそれに応えてゆくことは利益の追求――つまりはT.o.Tというゲームにおいて「あれこれ考える前にガチャを回してもらう」ためには絶対に必要なことだったのだ。
よってみな美形にならざるを得ない。
わかりやすい美形から野性的なかっこよさまでそのカテゴリは様々だが、本体は元ネタであったり設定に引っ張られて畏怖を以てみられるようなおぞましい見た目の下僕であっても、人化すればみな見目麗しくなる。
ごく少数の例外はあるとはいえ、そうではない人化キャラのためにガチャを回す顧客などほとんどいないとなれば、そうなることは当然の帰結なのだ。
いや中にはその例外を狙い打ちしたキャラもいるにはいるのだが。
属性による有利不利、またレアリティによる使い勝手の良さ等、要は素での強さに差があるとはいえ、レベル上限突破が可能なT.o.Tにおいては育成初期を除けばそう大きな差にはなり得ない。
レベルを上げて物理で殴れば、大抵のことはどうとでもなる。
これはごく限定された対戦要素を持ちながらも、基本的にはソロプレイが前提となるT.o.Tゆえに成立が許される仕組みといえよう。
要は主に費やしてもらった時間――愛着こそがその下僕の強さに直結するのだ。
つまり今この場に集う下僕たちとて主――黒の王に気に入られ、果てなきレベリング一党の一員に選ばれさえすれば、今からでも序列一桁を望むことも不可能ではない。
今序列一桁に名を連ねている強者たちとて、加入当時の序列下位から今の位置まで昇りおおせたのだ。
今の序列一桁の顔ぶれになってから数十周の『世界再起動』を経ても入れ替わりがないとはいえ、それはこれからも未来永劫そうであることと同義ではない。
少なくともエレアは黒の王にとってとある唯一無二の能力を持っているが故に、管制管理意識体に次いでの序列№0002は不動だろう。
だがそれに続く序列一桁のメンバーたちは性能よりもその見た目と種族を黒の王が気に入ったからこそ、今現在その地位についているのだ。
「ただ気に入っただけ」という条件は、最も覆しがたいアドバンテージであると同時に、主次第でいつどうにかなるかわからない脆弱なものでもある。
当然のことだが天空城の下僕たちの中には元序列一桁であったモノも存在する。
それらは己が序列一桁から陥落したことで主を恨んだりはしない。
だが当然残念ではあり、機会があれば返り咲きたいと考えているのも確かだ。
下僕たる彼らにとって、主の役に立つことを競って序列がつけられることは当然なのだから。
この周が始まった直後に彼らの主が口にした「序列とて不変ではない」という発言は序列一桁の者しか直接聞くことは叶わなかったが、その後すべての下僕たちに管制管理意識体を経て周知されている。
今はまだ百周目までのような効率だけを突き詰めた鬼のようなレベリングは開始されていないとはいえ、主のその言が戯れでないことは『千の獣を統べる黒』が証明している。
かの猫の大妖は千以上を数える下僕たちの中では真ん中よりちょっと上くらいの序列でありながら、あろうことか主の分身体の側付きという大役を与えられている。
この周に入ってからは管制管理意識体とエレア、セヴァスを通してとはいえ主からの指示で、各々各地の迷宮、奇跡、魔物領域の攻略という仕事を与えられ、前周までのように天空城内で無聊を託つことはなくなってはいる。
主の役に立つことこそを己が存在意義とする下僕たちとしてみれば、その玉音を聞けることも含めて不満どころか喜びしかない昨今ではある。
だが叶うのであればより上を望みたい。
人外の集団である天空城において、欲望は悪徳ではない。
主の意に逆らわぬ限りはだが。
――それになんだ。
あの化け猫め、主の膝に乗せられて背を撫でられたり喉をこしょこしょされていたりしているだと? それだけにはとどまらず、餌まで主手ずから与えられているとも聞いた。
許さぬとは言わん、だがクソ羨ましい。
同じ扱いを望んだ今現在の側付き、序列№0003左府鳳凰、序列№0004右府真祖はまさかの却下を喰らったとも聞き及んでいる。
※誰からの情報なのかは特に秘す。
すべての下僕たちは表現方法こそ異なれど、上記とほぼ同じようなことを考えている。
だがそれはとりもなおさず、序列に関係なく主の気が向けば自分とてそうしていただけるかもしれぬということを意味している。
とはいえその主の興が乗った瞬間に、自身が側近くに仕えることができていなければ元も子もない。
そんな状況でいきり立つなというほうが下僕たちにとっては無理な注文であるのだ。
これからは手柄を上げられさえすれば、主の側付きが叶うかもしれぬのだから。
執事長から下僕たちの心情を端的に告げられた彼らの主は今ひとつピンと来ていないようだったが、彼は大げさどころかずいぶんと控えめに下僕たちの熱を伝えたに過ぎない。
正直なところもともとヒト型であり、男性体でもあるエレアやセヴァスも我が主以上にピンとこない感覚ではある。
だが、元が竜であるカインがあの図体と容貌でありながら、千の獣を統べる黒がされていることを聞いた際に羨ましそうな表情を浮かべたからには、ケモ系の下僕たちにとっては本気でとびっきりのご褒美たり得るのだろう。
同じことを望んだ女性体二体についてはケモ系とはまた違った欲望――情欲の類――に基づいてのことであるのは間違いない。
そちらはそちらで男性体であるエレアやセヴァスにしてみれば、なぜ我が主が彼女らに手を出さないのかも理解の及ばないところではある。
もはや生物の範疇を超えた絶対的存在である黒の王本体であれば、今更生殖など必要なく、それに伴う性欲が消失していてもさして不思議とは思わない。
だが分身体はわざわざ歳若い健康なヒトの男性体として創り出されたのだ。
せっかくなのだから戯れにでも寵愛をお与えになられればよいのに、と男性体として率直なところそう思う。
女性体の下僕たちにしてみれば、自身が主のお手付きになること以上の褒美もそうそうないことであろうし。
エレアもセヴァスも、男性体の目から見てそういう相手としても申し分ないとも思うのだ、天空城に集う女性体たちは。
とくにこの周に入ってからの女性体たちは何やら妙な気合が入っており、身嗜みなるモノにやたらと気を配っている。
肌を露出すればいいものでもなかろうにとセヴァスなどは思うのだが。
ちなみに元人であるエレアにはケモ系の毛づくろいの意味が分からない。
人化形態を持たぬ女性体たちであっても、そっち方面の欲望は欲望できっちりあるらしいことに軽く戦慄する。
とにかく女性体たちの熱と圧が凄い。
その最たるものはまさかの序列筆頭、管制管理意識体が女性体として映像のみとはいえ可視化し、声を得たことだろう。
「女性体だったんだ……」とは主を含め、天空城に属するすべての者が内心に持った共通の感想である。
とはいえエレアもセヴァスも、T.o.Tというゲームにおいてプレイヤーに操作されるキャラクターとしての在り方にその根幹を縛られている。
絶対者なる我が主にはより深いお考えがあるのだろうと、余計な口などはさしはさまないのである。
そんな状況下、主の意志を配下に伝える全権を与えられている管制管理意識体、その補佐としてこの周から動いているエレア、セヴァスに選出された下僕たちはやる気に燃えている。
もちろん己が欲に基づく期待もある。
だが下僕という存在は、己が力を以て主の役に立つこと以上にやる気のでることなど存在しないのだ。
それも千を越える下僕たちの中から、自身を含めて百に満たぬ数が選抜されたとなればなおのことである。
「傾注!」
謁見の間に執事長の声が響く。
これは様式美のようなもので、我が主に拝謁できるこの場において、主の許可もなく自由に振舞う下僕などもともとただの一体も存在しない。
みな身じろぎもせず跪いた姿勢のまま、玉座の左に浮かぶ表示枠――女性の姿を得たユビエと、右側に立つエレアとセヴァスを注視している。
『我々は我が主が御発案なさり、私とエレア殿、セヴァス殿で具体案を作成、最終的に我が主に承認していただいた作戦を遂行するメンバーです』
つづけて今はメイド服ではなく、王宮の夜会にでもそのまま出席できることができそうな豪奢な蒼のドレスを纏ったユビエが、この場に集められた下僕たちが最も知りたかったことを告げる。
「己がヒト型と全能力を駆使して各々指定された国家へ潜り込み、最終的にはその中枢を誑し込みなさい」
ユビエの言葉に続き、エレアが何を目的に集められたのかを端的に告げる。
これはこの周が始まった最初期に黒の王が発案した、ヒトの世界を実質的に掌握するための手段、その一つだ。
「手段は問いません。貴方たちがいなければ国家が立ち行かなくなる域まで関わることを許されております。天空城の者が派遣されていない国であれば併呑するのも自由です。ただし戦闘員以外への無用な虐殺は極力避けるようにとの仰せです」
セヴァスが補足情報を告げる。
告げられた内容をこの場に集められた下僕たちが咀嚼する。
主によるヒト型限定とはいえ己の全能力行使の許可。
派遣される先においてはほぼ全権委任といっていいほどの自由裁量も与えられている。
つまりこれは重要な任務だ。
そして人化が可能な自分たちが選ばれた理由もよく理解できる。
要は天空城の存在をある程度知られた今、ヒト共にそれに対抗することが可能だと勘違いさせ得る力を得た、と錯覚させるのだ。
人化した状態であっても、天空城の下僕たちは一国の軍全体を相手にしても鎧袖一触でたたき伏せることができる。
今のこの世界は誰が仕掛けているのかはまだわからねど、『連鎖逸失』に縛られたヒトの最強はレベル7に過ぎない。
対する下僕たちは序列最下層のモノであってもそのレベルが三桁に届いておらぬものなど存在しない。序列上位ともなれば五桁の域である。
羽虫がいくら集まったところで、竜は一息でそのすべてを焼き払う。
そんな大戦力を自国だけが入手できたとなれば、その国の上層部は笛を吹かずとも必ず踊りだす。その踊り方次第で、王だか皇帝だかを配下に置くのか、排除してしまうのかを決めるのもよいだろう。
下僕たちの存在の隠蔽など頼むまでもなくその国が率先してやるだろうし、王族や皇族とのつながりも見せる力が大きければ大きいほど簡単に持てるはずだ。
ヒトは大きすぎる力であっても、なぜか自分たちには御しきれると妄信してしまう種なのだから。
どうやら自分たちの主は、本当にこの周においてはヒトという種全体の味方側に立つことを基本方針となさるらしい、とこの場にいるすべての下僕が理解する。
それは圧倒的な力を以てただ蹂躙し、最高の効率で天空城勢を強化することよりもよほど難しい。
彼我の戦力差を理解できず徹底抗戦を叫ぶ類は少なくはないし、面従腹背で蠢動することはヒト共の得意とするところだ。
前周までは邪魔になれば叩いて潰せばそれでよかったし、三大強国には序列一桁の者たちが直接手を下していた。なぜか常にウィンダリオン中央王国だけはヒトの筆頭国家として存えることを許されてはいたが。
だがただ磨り潰すのではなく生かすのであれば、ヒトの組織単位である国ごとをその戦力として完全に掌握してしまうのは良い手だといえる。
表向きには伏せたまま天空城へ降らせるのは各々の下僕の腕の見せ所とはなろうが、あくまでも従わないのであれば内部のそうである者どもを始末するだけで済む。
要はそうできるほどの位置まで、派遣される下僕たちは国家にくいこめということだ。
その手腕が鮮やかであればあるほど、主は称賛してくださるだろう。
「あの……絶対に全能力を駆使しないといけませんか?」
すべての下僕たちが己の役割を理解し、どうやって自身が指定された国へ接近し、替えの利かない唯一無二の存在になるかを考え始めた中、遠慮気味な確認の声が上がる。
序列二桁上位、一時は序列一桁の地位にもあった淫魔。
リリス・マルクトクリファである。
「主命です」
「承知いたしました」
主のために全能力を駆使することを厭う下僕などいるはずがない。
にもかかわらず、一時とはいえ序列一桁にまで名を連ねたリリスがそのような質問をしたことに、冷徹な声で答えたセヴァスばかりか、この場にいる下僕たちの半数も驚愕の念を禁じ得ない。
だがセヴァスが発した『主命』の言を聞いた瞬間、上げていた頭を下げすべての躊躇をねじ伏せて首肯するリリスと、驚愕したモノたちを除く残りの半数――つまり女性体たちである。
主命は絶対。
ゲーム時におけるコマンド入力と同等の拘束力を持ち、それに従わぬことなど下僕たるモノにできようはずもない。
主命と聞かされたその瞬間、とある躊躇をしていた女性体たちから感情と瞳のハイライトが消え、主が求める最上の結果を導き出すために己に可能なありとあらゆるを行使することを決定する。
つまりは女性体であることを利用した、力を見せることと同じくらい簡単に相手の懐に潜り込む手段――色仕掛けである。
淫魔であれば本来は望むところ、得意分野のはずであるが、しかし――
『……我が主の望む結果を出せればそれでよいでしょう』
だがここでまさかの助け舟が、あろうことか管制管理意識体から出される。
映像のみとはいえ、女性体の化身を持ったことによって女性体たちが何を躊躇していたかを理解できたものとみえる。
常であればセヴァス以上に冷徹な表情で全能力による遂行を無慈悲に強いるであろうに、その想いがわかってしまっては自分だけを例外として同じ主の下僕たちにだけ強いることなどできはしない。
それに今ではそうさせたほうが黒の王の不興を買うような予感がビンビンしている。
「……我々は我が主のモノですしね」
ため息交じりに、そのすべてを理解しているエレアがこぼす。
天空城においてただ一人、主と同じく元はヒトであるエレアには女性体たちの躊躇いもまあ理解できるし、この周に入ってからの我が主であれば最高効率よりも所有者、あるいは男としての独占欲を優先するような気が、ユビエと同じくなんとなくしている。
天空城の女性体たちに、何が相手であろうが色を使わせるのはこの際悪手であろう。
「はい!」
意を酌んでくれた序列筆頭と№0002に対して、リリスがあからさまに安堵の表情を浮かべて元気よく返答する。
その艶やかな褐色の肌には朱が差し、朱餡の瞳はうっすらと涙を浮かべてさえいる。
主に触れられたことのない己の肌を、たかがヒト如きに触れさせることは下僕としてはおくとしても女性体としては可能なのであれば避けたいのだ。
各々、本来の己の種族からすればどうにも矛盾をはらんでいる自覚はあるのだが。
今後主からそうされる可能性が限りなく零に近くとも、やはり自分に触れられるのは主だけであってほしい。
それは下僕であり、女性体であるリリスにとっては嘘偽りのない本音であるのだ。
もちろん他の女性体たちであっても。
「?」
ヒトはもちろん、獣系や妖魔系でもない姿を基としているセヴァスのみピンと来ていない。彼にとっては主命を遂行するために己が全能力を行使することなど大前提であって、そこを躊躇する機微は本当の意味でまだ理解できないのだ。
主の趣味で老執事の姿を取っているとはいえ、彼こそがある意味においては天空城において最も異形の存在とも言えるのだ。
管制管理意識体や、いまでは運営の依り代さえその一員とした化け物たちの巣においてでさえ、なお。
男性体たちの中でも、女性体たちの躊躇に理由を理解できたモノは今後の己の行動を考える必要があると判断している。
主が気に入るかもしれないヒトの女性に、先に自分が手を付けることの危険性に思い至ったのだ。
ヒトの女性を目的のために利用することなどなんとも思わぬ下僕たちとはいえ、その存在が主に気に入られるかもしれないとなればそうも言ってはいられぬ。
絶対者の寵愛とは力を持つのだ。
それこそ下僕たちの行使できる力などはるかに及ばぬほどの。
ともかくこれより、ラ・ナ大陸の主要国家にはとんでもない力を持ったヒトがふらりと現れ、その国にとって有益となるように力を行使しながら中枢に深く食い込んでいくことになる。
それはまさに、異世界転移・転生者が自分がその世界に顕現した場所に応じてその世界に関わっていくようにして。
つまりこれは、天空城によって仕込まれたお約束の並列展開。
この後各国で繰り広げられる規格外の力を持った存在の取り込みとその際に展開される騒動を、彼らの主が結構楽しみにしていることは知らぬが華というものだろう。
そしてこれは黒の王にとってヒトの世界を可能な限り守る手段であると同時に、『連鎖逸失』をこの世界に仕掛け、『天蓋事件』において超長距離からの一撃を以て天空城に敵対する意を表明した何者かを釣り上げるための一手でもある。
もちろん危険を伴うが、天空城には絶対に必要な序盤の一手。
それを今回は確実に打つことによって、この後の展開は変わる。
正史では表に出ることのなかった、淫魔リリス・マルクトクリファの未来もまた。





