第143話 ヒトならざる者へ
地上への帰還をカイムへと提言したヒイロは、おもむろに巨大な積層魔法陣の展開を始めた。詠唱などは相変わらず一切ないままだ。
確かに気軽に「一度地上に帰還しましょう」と言ってのけたヒイロではある。
だが、高難度ではないとはいえガルレージュ迷宮の最下層、そこから目算も不可能なほどの深さを抉って到達したこの場所から、どうやってそれをなそうとしているかなどカイムには予想もつかない。
――いや嘘だな……
魔法道具に頼らず個人で『転移』を使いこなす魔法使いの存在など、少なくとも現役の魔法使いでは聞いたことなどないカイムだが、伝説の冒険者王であればもはやそれをしたところでそう驚きもしないという自覚がある。
カイムの人生で形成された『普通』や『常識』は、この短時間で大きく塗り替えられているのだ。
とはいえ今目の前で展開されている積層魔法陣とそこへ満ちる魔力が、ただ二人が地上へ帰還するため程度のものとはとても思えない。
値は確かに張るが、ただの冒険者でも入手可能な『転移』の巻物を使用すれば、転移先は限られるとはいえ迷宮からの脱出は可能なのだ。使用に際して魔法陣の展開などを定位置で行わねばならないので、戦闘時の緊急脱出などに使えるような便利なものではないとはいえ。
その巻物が発動する際に展開される魔力量も、もちろんカイムは知っている。その量たるや、自分たち魔法使いが攻撃魔法を成立させる際に発生させるものなど比べ物にならないほど膨大なもの。
もともと人の手によって『転移』の巻物を作成することなどいまだ不可能であり、迷宮から希少魔法道具として発見されるのみであるからこそ高値維持されているような代物なのだ。
だが今、カイムの眼前で逆巻く魔力の渦は、そんな域をはるかに凌駕している。
いや、カイムはこの規模の魔力展開が日常的になされている場所を知っている。
世界連盟、よりはっきり言えば天空城勢によって整備された、大魔導時代を支える大都市を繋ぐ一大社会基盤。
――大規模転移門。
その存在によって人の移動はもちろん、この世界における物流の在り方を根底から覆した代物。もちろんその仕組みはもとより、高額とはいえ市井の者にも十分使用可能な価格で維持管理されているカラクリを知る者などほとんどいない。
だがこの数十年で民衆にとってはあるのが当たり前になってしまった、実は時代にそぐわない社会基盤の筆頭といっても過言ではないだろう。
それが日に決められた回数、発動する際に発される魔力に近い規模。
「……何をされているか、お聞きしても?」
それをなんの緊張感も漂わせずに制御しているヒイロへ、カイムは問わずにはいられない。
「ああ、今後の攻略のためにここへ大規模転移門を敷設しているんです。それと……」
――やっぱりかー!
もしかしてそうなのか? →いやいくらなんでもそれは →いやそもそもこの世界に大規模転移門を敷設したのが天空城、その首魁ともいわれている冒険者王であれば不思議はないのか――
などというカイムの懊悩など、知ったことではないとばかりにヒイロがあっさりと答える。
ヒイロにしてみれば『プレイヤー』に与えられたシステムからの権限として一定数の大規模転移門の敷設は当然のことなので、すごいことをしているという意識は薄い。
まだしも己が鍛え上げた仮想分身が駆使する最上位魔法や技の類を披露する時の方がいくらか得意げにもなれるだろう。
だがそれこそ個人の魔力によらず、あたかも世界の方が人の意志に合わせて変容するさまを見せつけられたその世界の中の人にとっては、神の御業としか言いようがない。
そしてヒイロが展開するのはそれだけにとどまらない。
それと……と口にした通り、カイムもよく見知った巨大な魔法陣――大規模転移門をこの場に刻み付けた後、自らが穿った巨大な縦穴に右手を突き上げる。
それと同時、無数に重ねられた積層防御魔法陣が縦穴の始まり、本来のガルレージュ迷宮最下層、階層主の間の大穴までの空間を幾重にも埋め尽くす。
「周辺の魔物は一掃したので、数日は再湧出はしないとは思うんですけど……万一奥から出てこられたら困りますしね」
だからヒイロは自らの魔法防御陣で蓋をしたのだ。
つい先刻、接敵した巨大魔物の群れ。
そのたった一体であってもガルレージュ迷宮の最下層に現れれば、ここ数十年ヒトの世界が忘れていた脅威――絶望の顕現と相成ることは疑いえない。
人としての成長限界に至り、事実そうなる前の自分など束になってかかってきても一蹴できる自覚がある今のカイムであっても、その一体にすら間違いなく勝てないと断言できる。
困ります、程度で済む話ではないのだ。
だがヒイロにしてみれば、一度展開すれば一定の攻撃を食らうまでは永続する魔法防御陣で蓋をすればそれで済む話でしかないらしい。
事実、何体いたのかさえもカイムにはわからないその魔物の群れを、たった一発の魔法で一掃してみせたヒイロが張った魔法陣を食い破ることができる魔物など存在しないのではあろうが。
つまりはこの今はまだ誰も知らない迷宮――『神曲迷宮』へ挑むことが可能なのは、ヒイロに認められた者だけだということでもある。
人の限界まで至った者ですら、たった一枚を砕くためにどれだけの時をかけねばならないか想像もつかないほどのもので蓋をされたのだから。
「はー」
ヒイロの答えと、答えながらいとも簡単に完了させた大規模転移門の敷設と、頭上に幾重にも重なって展開された魔法防御陣を見ながら、カイムがため息をつく。
驚愕でも恐れでもなく、己の判断基準を突き抜けすぎたが故の呆れが最も近いであろう、諦観にも似た力ないため息。
そんなカイムの様子を見てヒイロが笑う。
「カイムさんも、こうなるんですよ」
確かにヒイロは自分が凄いことをしているという自覚は薄い。
だが、それがこの世界の中で生きている普通のヒトにとってどう映るかはある程度理解している。
『プレイヤー』にとってはできて当たり前、レベル以前にプレイ環境の一部として保有しているいくつかの能力の方が、唯一無二という点においては特異性が高いのだということも。
「……なれるものですか?」
とても信じられないという様子で、思わずといった感じでカイムが答える。
心の底からの本音だ。
自分では爆発的に強くなったと自覚できている今ですら、さっきの魔物の一体にすら勝てないと確信できてしまうのだ。
ヒトとしての成長限界とやらを突破できたとしても、ヒイロのごとくあれを薙ぎ払うようになれるとは俄かには信じられないのも無理はない。
「さっき僕がやった程度であれば、わりとすぐかな……成長限界を突破するというのはそういうことですから」
だが戦闘能力という点においては、今のカイムが想像もつかない域まで到達することが可能だ。少なくともここ『神曲迷宮』程度の難易度であれば、単独で最下層までクリアするばかりか、いかに短時間で走破するかを競える程度には。
それは今のヒイロの記憶としてはないが、ゲームとしての知識と、この世界に残された資料が証明している。
現代でもその実力の底まで見せないままに存在している『大陸守護騎士団』
そしてその上位組織ともいえる『天空城騎士団』
彼らはもちろんプレイヤーではなく、プレイヤーが収集、育成、使役する下僕でもない。
でありながら、N.P.C――の世界の中に生きるヒトでありながら、天空城勢の一翼を担うに足る戦闘能力をその身に宿すことができている。
「……精進します」
「……嫌ではないんですね」
ヒイロにしてみれば偶然に従う形とはいえ、今代の相方にカイムを選んだようなものである。何を基準にして選んだのかは本人のみぞ知るだが、この世界での記憶がまだほとんどない今のヒイロにしてみれば、直感や縁に従うしかないのも事実だ。
ヒイロの前世の血を継ぐ者たちだけでは陰陽の使徒、十八名のN.P.Cからなる『天獄十八部衆』――天空城へと至る、さらなる迷宮の深淵を開くために必要な人数にはもともと足りないのだから。
そのためには今程度で限界を感じられていては話にならない。
とはいえヒトの中には、自らがヒトならざる者――人外となることを本能的に厭う者がいることもまた確かなのだ。
よってヒイロはただ強くなること以外にも利益を提示する。
今回の場合、何を犠牲にしてでもかなえたい強い願いを持ったカイムの存在は、ヒイロにとっても渡りに船といえるのだ。
「冒険者――戦いを生業とする身にとって、強くなることを厭うものはいない……と思いますよ。たとえそれが、ヒトの領域から逸脱する域であったとしても」
だがヒイロの問いに答えるカイムの声は明るいものだ。
ヒトであることよりも、強くあることの方が何かを失ったことがある者には優先されるようになる。
たとえ自分がヒトをやめたとしても、自分の大切な者を失わずに済むのであれば何をためらうことがあろうか。
ましてやカイムにとっては、今更いくら強くなろうがどうしようもないと思っていた、なくした仲間さえ取り返せるのだ。
「ではいったん戻りますか。ヒトならざる者へと至るために」
ヒイロもまた明るい声でカイムに答え、クリスタの時と同じように瞬時で地上へと帰還する。
ガルレージュ迷宮都市の冒険者ギルド支部に今偶然に集っている者たちを巻き込み、初代の血を継ぐ者たちとともにこの時代の代名詞とまで呼ばれる武力集団を形成するために。





