第139話 越鳧楚乙
アインザック・フォルケロウスと名乗った大陸守護騎士団の№Ⅰ。
幼き頃よりその才を見出され、大陸守護騎士団が結成、不動の筆頭を任されるまではかの天空城騎士団に属していた、現代では数少ない伝説の生き残り。
名や顔は秘されて知る者はなくとも、その通り名に謳われる『天剣』が屠った巨大魔物の固有名と数を知らぬ者などいはしない。
今アイナに跪いている人物は、間違いなく天空城の化物たちと轡を並べ、その域の戦場に身をおいて生き残ってきた古強者なのだ。現代における最強集団と見做されている大陸守護騎士団を、この歳に至ってもなお実力を持って統べ続けているほどの。
そんなこの時代に生きる冒険者であれば誰もが知る存在から、そのうちのほとんどが知りえない名を名乗られ、「人前どころか私的時間であっても外さないらしい」などと噂されている象徴的な仮面を外して素顔を晒されたアイナたちは言葉も無い。
なによりもまず、その態度がおかしい。
本当に強い者は不必要に偉そうにしないモノだとしても、それこそ不必要に遜る必要もまたありはしない。
将来を嘱望されているとはいえ所詮は辺境迷宮都市の冒険者一党と、現代の人類最強を名乗っても文句の方が少なそうな大陸守護騎士団筆頭では、本来格の違いを語るのすら馬鹿馬鹿しい。
「あの……どうして、私たちに対してそんな?」
よって「有望視されている一党の頭目」という、アイナが常日頃意識して己を鎧っているらしさ――在り方が崩れ、わりと素の女の子として率直な疑問を投げかけてしまうのも無理は無い。
他のメンバーたちもそこはみな同じだ。
そもそも少々背伸びしたところで、同格っぽく振舞える相手などではないことなどみな理解できている。
冒険者であるからこそ、市井に生きる者たちよりもより強い憧れと、そのうちに何割かの嫉視をも含んでしまう相手――自分よりも高みに在る者。
それを前にしたアイナたちは、本質的には英雄を前にした子供とそう変わらない。
そんな子供たちが、本来仰ぎ見るべき相手にまるで主の如く扱われれば呆然ともなる。
アイナたちが子供などではなく、まがりなりにもいっぱしの冒険者であるからこそ、その態度の意味を問うことができているといってもいいだろう。
「あの御方に命を救われた存在ですから、貴女たちは」
「……?」
苦笑気味、というにはどこか恐れているような口調でもあるアインザックの答えにも、アイナたちはすぐにはピンと来ない。
大陸守護騎士団は有名ではあれど、その団員たちをすべて詳しく知っているわけではないのだ。
だがただ一人、ロック・ヴリトラだけがその言葉に驚愕している。
そのあまりの大きさに、驚いた顔というよりは蒼ざめた無表情になってしまうくらいに。
そもそも序列筆頭であるアインザックに「あの御方」などと呼ばれる団員がいること自体がどこかおかしい。
天空城オタクの彼にしてみれば、大陸守護騎士団の№Ⅰ――いわば団長の位置にいるアインザックが「あの御方」と呼ぶ相手などそうそういないことにはすぐに思い至る。
ぱっと浮かぶのは大陸守護騎士団を支配する世界連盟の議長――ポルッカ・カペー・エクルズ。鉄血と呼ばれた初代議長だが、すでに他界しているのは周知の事実だ。
それ以上にそう呼ばれるのに相応しい人物がいるにはいるが、こちらもまた他界している。
はずだ。
だがもしも、ロックが今思い浮かべているその人物が「あの御方」だというのであれば、死んだというのは偽情報であり、今なお生き続けていたとしてもそんなに驚きはしない。
いやそれどころか本当に一度死に、もう一度生まれてきたのだと言われても、驚きはすれど「そんなことすらも可能なのか」という、可能であることを前提としたモノになるだろう。
ロックの脳裏に仮面を被った、みたこともない「大魔法」をこともなげにぶっ放し、自分たちを救ってくれた少年――あるいは少女のようにも聞こえる声をしていた「あの御方」の姿が正確に浮かぶ。
つまりアレは、ロックたちにとって雲上人といっても過言ではない大陸守護騎士団の上位団員程度などではないのだ。
「誰なのか、聞いても……いいのでしょうか? 私たちを救ってくれた、あの仮面を被った魔法使い……様」
「私たちはそれに答えることを許されてはいません」
きっぱりと答えるアインザックの言葉に、ロックは自分の予想が間違いないことを確信する。
アインザック級の存在、その言動を縛り得る存在。
そしてそれを当然のこととして大陸守護騎士団の団員たちが受け入れている。
いつのまにかアインザック以外のものもみな仮面を外し、秘されていた己の素顔をアイナたちに晒している。アインザックに促されればみな、すぐにでも己の名を名乗り自己紹介をするだろう。
アインザック以外の上位№もちたちはみな年若く、最年長のものでも三十路には届いてはいないだろう。唯一の二桁№は女性であり、銀閃の団員やアイナに遜色ない美貌を備えている。
彼らはみな、アインザックの言を是としており、不満そうなものは誰一人としていない。
それどころかどこか恐れを含んだアインザックとは違い、全員が期待にその精悍な瞳を輝かせている。
己が力を信奉し、それを今の世を護るために捧げるような人間にとって、今の時代を開闢いた存在に対する畏敬の念は強いのだろう。
アインザックの答えられないという答えこそ、「あの御方」が誰かなのかを雄弁に語っている。
であればその存在に命を救われた自分たちを、アインザックらがことほどさように丁寧に扱う意味もロックには理解できてしまう。
今なお続く大魔導時代、大迷宮時代の扉を冒険者王ヒイロ・シィと共に開き、ラ・ナ大陸史に名を刻んでいる者たちはみな、伝説の始まりにおいてその中心人物と誼を持ちえた者たちばかりだ。
伝説が二度目の人生を一度目と同じような立場で再び歩み始めたというのであれば、その最初期に自ら進んで関わった者たちが、今生においてかの鉄血宰相ポルッカ・カペー・エクルズや、鉄壁ヴォルフ・ミュラーの立場になる可能性は十分ありえるのだ。
アインザックがアイナたちに対して、今のような態度を取る最大の理由がそれだ。
詳しい話を把握できていない以上、この世界の持ち主といっていい存在が、己の意思で救ったという存在を蔑ろに扱って良いわけが無い。
大陸守護騎士団――人の世を護ることこそをその存在意義とする集団にとって、人の世に害成す巨大魔物を屠るよりもあるいは最優先事項とされるべきこと。
それはポルッカ・カペー・エクルズが書物にも残さず、本当に近しい者にしか語ったことの無い本音の一方。
『ヒイロの旦那にゃあ、この世界も捨てたもんじゃねえと思っててもらわねえとな……』
そうでなくなれば、どうなるのか。
今はもう遠い若き日より、天空城という本当の化物集団と側近くで関わってきたアインザックにはそれがよくわかっている。
天空城が、その主でもあるヒイロがこの世界の持ち主という言い方は、大げさでもなんでもないのだ。
飽きて捨て置かれるだけならばまだいいかもしれない。
人が、人が営む世の中が忌むべきもの、唾棄すべき存在と見做された場合、彼らはいともあっさりとこの世界を壊す。
目障りなものを存続させ続ける意味など無いのだから。
そしてそれを児戯にも等しく成すだけの力と、何よりも絶対の意志をやつらは持っている。
少なくともヒイロや黒の王に傅く、千を超える大妖――天空城勢と呼ばれた存在たちは、ひとたび主の命が下ればどれだけ親しくしていようが、どれだけその期間が人の生としては長かろうが、一切躊躇などすることなく壊してみせるだろう。
己の気分次第で、いつでも好きな時に壊すことができる。
それが可能だからこその、この世界の持ち主。
それをよく知っているからこそ、今自分の背後で同じように傅いている年若き団員たちのような純粋な畏敬と憧れだけではなく、より強い恐怖がアインザックの胸中には宿っているのだ。
これはヒイロや黒の王、天空城勢と呼ばれた存在たちと一定以上近くで、一定以上の時間を過ごさねば実感として得ることは難しい。
遠くから、あるいは遥か下から仰ぎ見るだけならば輝ける英雄、人の世に黄金時代を招来せしめた神に限りなく近しい存在として崇め奉り、純粋な好意と尊敬を向けることもできるだろう。
だが近くで、遥か下であることは変わらずとも一定以上の力を身につけたうえで関わればまた違った見方もまた、その胸中には否応無く生まれてしまうのだ。
ヒイロや黒の王、天空城勢の本質は何一つ変わってなどいないにもかかわらず、その見え方、捉え方は大きく異なる。
ポルッカも、ヴォルフも、妻となり子まで成した三美姫たちもみな、ヒイロと深く関わったこの世の者たちは尊敬し、感謝し、信頼し、愛し、憧れてもいた。なにより人の世を滅びから救い、より豊かにしてくれたヒイロや天空城勢に対する感謝の念は計り知れない。
それは一切の偽りなき真実だ。
だが一方でそれだけの力を持つ存在を、畏れることから逃れられなかったのもまた真実ではあるのだ。
あるいは三美姫たちは母となってからはそうではなかったかもしれない。
だが生涯、親友であったポルッカ・カペー・エクルズは一度もその想いを忘れたことは無かった。
親友ではあっても、あるいは親友であればこそ。
その側近の一人として仕えてきたアインザックにはその想いを強く理解できている。
アインザックとてアインザックなりに尊敬し、敬愛し、感謝はしてはいても、終ぞポルッカほどの信頼関係、距離感を築くことが不可能なままに自分は老い、先にポルッカが、ついでヒイロもその伝説に彩られた人生を終えた。
その時には偽り無い涙を流し、絶対者をなくした後の世を憂いもした。
だが一方でどこかほっとしたこともまた、真実なのだ。
ヒイロが残した言葉に、今なお健在な天空城勢が逆らうことなどありえない。
それこそ側近くで見てきたアインザックにとって、そこを疑う余地は無い。
であればこの世を捨てたものではない、護るべきものとしてその生を終えたヒイロの判断は、その死をもって永遠のものとなったはずだったのだ。
天空城勢がこの世界にその力を向けるのは、冒険者王が定めた規律に逆らったときのみ。
そう思い至った夜に、自分が本当に心の底から酒に酔えたことを、今でもアインザックは鮮明に覚えている。
それと同じくらい、ヒイロが再誕したという事実を確認した時、自身の胸中に湧き上がった想いがどんなものだったのかも。
そんなアインザックにとって第二のポルッカやヴォルフになりえるかもしれないアイナたちに対して、礼を尽くすことはある意味当然のことなのだ。
自分がポルッカのようになれないことは、もうよく知っているから。
今ある世界連盟の中枢を担う者たちが、彼らなりの正義や想いがあるにせよ世界の持ち主からどう思われるのかを、想像できてしまうから。
アインザックは再誕したヒイロが最初に己の子孫と出逢ったことを、天空城ならざる神に感謝している。報告からすればその出逢い方すらも冷や汗モノであったのだが、ヒイロが未だこの世界を壊そうとしていない以上結果オーライである。
今目の前で驚いているアイナたちが再誕したヒイロにとって、前世のポルッカやヴォルフ、三美姫たちのような大切な者になってくれればいい。アインザックは今心の底からそう思っている。
そして願わくば自分とは違うヒイロや天空城勢の捉え方をしてくれればと。
あるいはその見方、捉え方こそが、このラ・ナ大陸をヒイロにとって護るべき、大切なものだと思わせることになるのだろうから。





