第132話 とある草臥れた冒険者
らしくもなく、いやあるいはらしいともいえるのか。
なかば以上、自業自得で危地に陥った若手一党を助けようと、お人好しにも自ら死地へ飛び込んだ自称、草臥れた冒険者の名をカイム・ディオエという。
とても攻略の最前線とはいえない、辺境迷宮と見做されているガルレージュ山岳地帯にある小規模迷宮都市。そこを二年くらい前から活動拠点としている単独攻略者だ。
年の頃は四十路、おそらくは後半だろう。
見た目よりは若いとしても、まず三十路ということはありえない。
若い頃は美丈夫で充分通っただろうその容姿も、年月とともに皺が刻まれ、銀色の髪は艶を失って灰色のようにも見える。
なによりもこんな風に自ら死地に飛び込んでもなお、冷静というよりは疲れ果てたようなそのくすんだ灰銀の瞳が、どこか捨て鉢さも感じさせる。
英雄的、自己犠牲的ともいえる今の行動に対して一番驚いているのは、助けに入られた一党のメンバーたちではなく、考える前にまず躰がそう動いてしまったカイム本人かもしれない。
自らそう称するとおり、見る者にまさに「草臥れた」という感想を抱かせる冒険者だ。
手練というよりは、間違いなくそっち。
その原因の多くは身に纏った一式の冒険者装備、ありふれた剣士仕様に見えるものだろう。
とくに裾が解れてしまい、いくつもの染みがついた、本来は漆黒であったであろう今は灰色に褪せた外套がその印象をより強くしている。
だがけして、手入が怠られているわけではない。
若い頃に装備更新のほぼ上限まで到達し、その中で己の戦闘スタイルに合致したものを厳選した。それ以来、これ以上の装備を見つけることができなかったからこそ、丁寧な整備を繰り返して永く使ってきたものたちだ。
その遣い手とともに正しく草臥れてきた、まさに相棒とでもいうべき手に馴染んだ装備群。
見るものが見ればそれらの装備が、そうおいそれと入手可能な域のものではないとわかるだろう。それらの能力をいかんなく発揮するために、装備者が求められるレベルもまた相当に高いだろうということも。
カイムが身につけている装備たちはすべて、現代においてもなお迷宮攻略に関しては最先端の地である、アーガス島の攻略組冒険者たちにとっても希少魔導装備と見做されるほどのものなのだ。
だが特殊な目でも持っていなければ、一見してそれとわからないのが魔導装備というものでもある。
この辺境迷宮を攻略拠点としている冒険者たちには、数年前に都落ちしてきた引退寸前の冴えない冒険者だと思われているカイムが、そんなものを装備しているとは誰も思っていない。
カイムは四十路後半のわりには鍛えこまれた体躯と、その歳のわりには気さくなキャラクターであからさまに侮られたり、嫌われたりということは無い。
だがカイムくらいの歳になって、辺境迷宮へ流れてくるような冒険者が、いわば一流であることはありえない。
もしもそうなのであれば一線級の迷宮で稼ぎ続ければいいだけだし、肉体的な限界を迎えたというのであれば、その歳まで蓄えた金で悠々自適に、それこそ都市部でメイドの一人や二人をやとってのんびり暮らせばよいのだ。
この時代、一流の冒険者が迷宮で命を落とすことなくカイムのような歳まで死なずにいられれば、それくらいは余裕で可能なだけの稼ぎを得ることができる。
現役時代に装備を揃えることや、英気を養うために大概の浪費をしていたとしてもだ。
そうではない、ということは二流以下だということ。
おそらくはもっと大きな迷宮で組んでいた一党を解雇になり、それでも食うために辺境迷宮まで流れてきたと見るのが自然なのだ。
永く冒険者を続けていた者であれば、低階層に湧出する魔物を狩って食っていくことくらいなら、草臥れた単独攻略者でもなんとかなるものだから。
そうではないと知っているのは冒険者ギルドの職員たちくらいだが、本人から口止めされているために他の冒険者にカイムの実力を言って聞かせたりはしていない。
ゆえにカイムは、このガルレージュ迷宮においては冴えない単独攻略者の一人としか認識されていない。
助けに入られた若手一党はこの迷宮を攻略拠点としている者たちの中では頭ひとつ抜けている有望株であり、さっさとこの程度の迷宮の最下層主を狩った実績を元に、より大きな冒険者ギルド支部への移籍を目指していた。
カイムを見て俺たちは、私たちはああはなるまい、夢をかなえてアーガス島の地でその名を知らぬものとてない大冒険者、いずれは英雄と呼ばれるまでになってみせると思っていた若手一党たちである。
大迷宮時代が開闢し、忘れられた辺境であったガルレージュ山岳地帯にも小規模迷宮が発見された。それからそれなりの年月が経過し、かろうじて迷宮都市というものが成立してから生まれた彼らは、いつか辺境から旅立ち、それこそ世界の中心と呼ばれているアーガス島迷宮あたりで名を成すことに憧れる。
それは迷宮で戦う力に恵まれた者たちであれば、誰もが一度は持つ、持ってしまう夢。
多くの者が力及ばず凡百の冒険者としてその現役時代を終える。
いやそうであればまだ運のいいほうで、迷宮で命を落としてしまう者も多い。
迷宮とはそういう場所で、だからこそそこから持ち帰られるあらゆるものにはとんでもない値がつけられるのだから。
若き日のカイムもまた、今の彼らと同じ思いを持って冒険者稼業をしていたのだ。
今は亡き、田舎者同士だった仲間たちとともに。
だから考えるよりも先に、躰が動いてしまったのかもしれない。
あの日の自分たちよりずいぶん迂闊とはいえ、誰でもいいから助けてほしいと祈るしかない状況に陥っている彼らを見つけてしまった瞬間に。
カイムは自分も含めて全員が助かる可能性など、ほぼ無いことなど充分に自覚していた。
迷宮はそんなに甘い場所ではない。
彼らよりも実ははるかにレベルが上のカイムであっても、本来多対一で相手にする魔物に対して、単独でなんとかなるのはレベルとしてはかなりの格下の相手のみだ。
人と魔物のレベルが同一であれば、よほど才能に恵まれた者であっても魔物の方に圧倒的な利がある。第一階層の雑魚が相手であったとしても、二体を相手にすれば苦戦するし、三体以上となったら死がちらつき始める。
相手の攻撃が通る以上、数は絶対的な力なのだ。
だからこそ迷宮の攻略は、複数で一党を組んで慎重に慎重を重ねて、最悪でも多対一を維持できるように立ち回るのは絶対。
どれだけ慎重に事を進めていても、ちょっとした不幸ですべてが破綻する可能性をはらんでいるのが迷宮という場所なのだから。
成長を急ぐあまり焦って無理をした挙句、実力すれすれどころかそれを超えた階層へ踏み込むなど愚の骨頂だ。たとえ不幸な事態が起きても充分に対処可能なだけの安全率-1を厳守することなど、迷宮での戦闘を生業とする冒険者にとっては初歩の初歩。
そこを過つような連中は、たとえここを存えたとしても結局はどこかで命を落とす。
それは至極まっとうな話で、命を懸けて稼ぐということはそういう覚悟をしてするべきことなのだ。多くの者は自らの、あるいは大切な仲間の死に際してやっと、そんな当たり前のことに本当の意味で思い至るのだが。
だがそんな理屈は今はどうでも良く、カイムは自分がそうしたいから飛び込んだ。
迂闊に死ぬなら、俺の知らないところで死んでくれと。
顔も名前も知っている、しかも若くて有望な連中が若さゆえの愚かさと、よくある不幸が重なって死ぬところなどもうみたくないのだと。
あの日死に損なった自分の、完全な自己満足に過ぎないことに思い至って、今更ながらに苦笑いを浮かべる。
だが考えることなくまずは飛び込めたおかげで、まだ全滅だけは避けられるかもしれない。
「俺が止める! 俺の後ろから逃げろ! そうながくは持たんぞ!」
若手一党を包囲していた魔物の群れの一角を、日に数度しか撃てない大技で消し飛ばして脱出経路を確保する。運よく致命の一撃がでてくれた。
連鎖湧出というそう滅多にない異常事態に見舞われていなければ、これで一緒に逃げて今晩酒場でもっともらしくおっさんくさい説教をくれてやって終わりにできたかもしれない。
だがここで短時間でも魔物の群れを足止めする役がいなければ、遠からずジリ貧で全滅することは疑い得ない。
彼ら若手一党全員で一、二匹を相手取ることもきつい魔物が、二桁近く同一箇所にほぼ同時に湧出されてはどうしようもないのだ。
だがカイムの背後は通路であり、そこへ逃がしてしばらく耐えれば何とか逃げ切れる可能性もある。それに賭ける。
「……恩に着ます!」
がたがた言わずに撤退を即断したリーダーである女剣士は、基本的には有能なのだろう。
はやく名を上げたいという焦りと、これまで上手くいっていたことによる無意識の驕りがその判断を狂わせていたとはいえ、危機的状況で即断――それがあっていようが間違っていようが――できないリーダーに率いられた一党など、冒険者の中で有望株とみなされるようになれるはずも無い。
強烈な一撃とともに飛び込んできたカイムと入れ替わるようにして、流れるように開いた包囲の穴から六名全員が通路のほうへと脱する。
全員がなんらかの手傷を負ってはいるが、幸いにして致命的な者も、これからの逃走が不可能な者もいない。
後は運だ。
ガルレージュの冒険者ギルドでは美しいといわれている女リーダーが、そのちょっときつめの、だが美しい瞳に感謝と懺悔の色を浮かべて救世主とすれ違う瞬間に目を合わせる。
運に恵まれて彼女たち全員が助かる可能性をゼロにしないために、今助けに飛び込み、包囲の一角を崩してくれたカイムが命を賭して通路の入り口を死守するしかないということは彼女にも理解できている。
だからなんと言っていいかわからない。
それでも自身と、自分の仲間たちのために、なぜか自己犠牲を払ってくれているカイムを犠牲にするしかない。
「今晩奢れ!」
その目の意味をよく理解できるカイムは、気にするなといわんばかりに軽い調子でそう叫ぶ。
そんな軽いことではない。
そもそもそんなことができないことなど、救わんとする側も、救われんとしている側もよくわかっている。
それでもカイムはそう言って笑ってみせる。
一瞬驚きの表情を浮かべた女リーダーが深く頷いたことを確認して、背後に抜けた若手冒険者たちを振り返ることはもうしない。
先に浮かべた笑いを口の端に張り付かせたまま、ここでは隠していた自分の実力を全力全開にするべく身構える。
今はもう遠い、それもでもわすれることなどとてもできないあの日。
あらゆる準備を怠らず、みんなで強くなっていくために迷宮に潜っていた自分たちを、誰が悪いわけでも、誰が失敗したわけでも、誰が手を抜いたわけでもなく襲った不幸。
迷宮では時として起こる、避けえぬ理不尽な死。
そこから自分だけが生き残れたことが、幸か不幸かは今日までカイムはよくわからなかった。
伝説に語られる奇跡に縋るようにして冒険者を続けてもやはり叶わず、絶望とはまた違う深い虚無を得て生まれ故郷に近いここに移った。
それでも冒険者を辞めることなく、今日まで単独で攻略の真似事を続けてきていたのは、あるいはこういう死に方をするためだったのかもしれない。
あの日。
自分が、おそらくは死んでしまった仲間たちが願い、祈り、神でも悪魔でも、なんでもいいから助けてくれと思った状況。
そこに自分たちが心の底から希った救いの手として死ねるのであれば、まあ生き残って今日までの人生も意味があったといっていいだろう。
そう思ったからこそ、らしくもない格好つけた先の一言も口にできたのだ。
お守り代わりに首からさげている、魔法で保持された仲間たちの遺髪が入った結晶を我知らず握り締める。
――生涯かけた本当の願いは叶わなかったが、その代わりと言っちゃなんだが俺たちみたいな連中を助けて死ぬだけの力は身につけたんだぜ、俺も。
殺到する魔物たちを、通路へ通すわけにはいかない。
ここからは一分でも、一秒でも時間を稼ぐことがすべてだ。
逃げる算段をすべて放棄して、それに特化して立ち回ればいいとそう決めたカイムが、希少職である魔法剣士としての力を解放しようとした、その刹那。
「通路脇に張り付いてください! 通路の線上から離れて!」
大音声、しかしどう聞いても子供の声がこの場に響き渡る。
だが助けに入ったときと同じように、あらゆる理屈や思考を放棄して、カイムの冒険者として積み上げてきた経験が自らの躰を跳ね飛ばすようにして、護ろうとしていた通路の入り口から声のとおりに離れる。
後のことを考えていない動きゆえに、ほぼ受身も取れずに自らスッ転がるような行動だ。
だが。
その直後、複数の人間が並んで歩けるだけの縦横を持った通路、それとほぼ同じだけの光の奔流が轟音とともに膨大な魔力を迸らせて突き抜ける。
殺到していた魔物たちは、その奔流に呑み込まれてあっさりとすべて消滅した。
倒れ伏したまま、呆然と通路の方を振り返ったカイムの視界には、同じく声の指示に忠実に従って通路の左右に張り付いている先の一党メンバーたちの呆然とした様子が映っている。
通路ギリギリの幅で、自分たちの鼻の先をあの大魔法が突き抜けていったのだ、さぞや肝を冷やした、というよりも腰が抜けていてもしかたがあるまい。
アーガス島迷宮で永く一線級冒険者を続けていたカイムでさえも、さっきのようなとんでもない魔法の発動を目にしたことなど一度もありはしない。
自身も魔法剣士であり、魔法がとんでもない奇跡だとはよく知っているが、だからこそさっきのとんでもなさがより実感として理解できる。
あんな力は、見たことが無い。
だが聞いたことならばなくは無い。
今なお続く大魔導時代、大迷宮時代の扉を開いた存在。
伝説に語られる天空城勢、そしてその上に君臨した黒の王、もしくは冒険者王と呼ばれたヒイロ・シィが駆使したとされる「光の魔法」だ。
――まさかそんな……
強く、強く自らの首もとの水晶を握り締めるカイムは、小走りにこちらに走ってきているような足音と無事を確認してくる声に、信じられない想いに年甲斐もなく鼓動をはやくしていた。
死に直面したついさっきよりも、もっとずっと激しく。
第七章投稿開始します!
次話、近日中投稿予定
できましたら今後もよろしくお願いします!





