第閑話 刹那と永遠
大陸暦29年。
初代世界連盟議長にして冒険者ギルド総長、なによりも冒険者王ヒイロ・シィの盟友であるポルッカ・カペー・エクルズが、あらゆる公的な地位から退いてから10年。
そして過去三大強国と呼ばれ、今現在においても世界連盟内で双璧と見做されている大国、ウィンダリオン中央王国の王位とシーズ帝国の帝位が同時に次代へと譲位されてから1年。
両国の継承者はいずれもヒイロの実子だ。
スフィア・ラ・ウィンダリオンとの長男がウィンダリオン中央王国、ユオ・グラン・シーズとの長男がシーズ帝国、双方ともに二十歳という若さで超が付く大国を継いだのだ。
三美姫と呼ばれた最後の一人アンジェリーナ・ヴォルツとの間には女の子が一人だけであり、母娘ともに公的な地位に就くことを望まなかった。
ポルッカの後継となる世界連盟の議長と冒険者ギルドの総長は、それぞれ正式な手続きに則って選出されている。
こちらは後の世から『支配者の子供達』と呼ばれる者たちではない。
両名共に普通の人間とはとても呼べない者たちではあるのだが。
時を同じくしてヒイロは『神座王』として隠居、大後宮と呼ばれた『天空城の別庭』を神座院として、ポルッカと同じく表舞台には一切姿を現すことがなくなっている。
それよりもずっとはやい時期から天空城直属の者たちはみな表舞台から姿を消し、舞台裏でも極力「ヒトの力」に委ねるようになってから随分時が経っていた。
現代に生きる人々にとって天空城とは、実在することを疑ってはおらねども、神話の域の存在になっている。
具体的に自分たちの日常を護ってくれるのは冒険者たちであり、その手に負えない事態に対しては各国の騎士団が対処する。それでも無理なら大陸守護騎士団が最大の人類守護戦力だ。
実際の強さを目にする機会も多いからこそ、それを最強だと誤認する。
人の誇る最強を歯牙にもかけぬという存在など、御伽噺としてゆくのが無難なのだ。
御伽噺の主要人物たちは老いてなお軒昂だが。
もういいおじいちゃんになっているポルッカと、不惑に入ったヒイロはなにやら楽しそうに古顔連中といろいろやっているようだが、そっちの仲間にはなぜか入れてもらえない下僕たちは正直少々寂しくもある。
それは『王佐の獣』とまで呼ばれた千の獣を統べる黒とて例外ではなく、ゆえにこそ下僕たちの誰一人として異を唱えられずにいるのだが。
もっとも最近は、その秘密の時間よりもずっと長くを本体たる黒の王として下僕たちと過ごしてくれているので、言うほど不満はない。
老境に至ってなおただの人であり続けることを堅持するポルッカは、当然そう長い時間ヒイロと遊べない。
文字通り、もう若くはないのだ。
ヒイロに一言頼めばどうとでもなる「老い」であっても自然体で愉しんでいるポルッカに対する敬意と、友人が一人で老いていくことにどこかさびしそうな我が主を慮って、不満などとてもいえないというのが下僕たちの正直なところだろう。
エレアやセヴァスにしてみれば、近いうちに必ず訪れる友人の死が、己らの主に与える影響を考えざるを得ない状況でもある。
天空城の首魁として深刻な事態に陥ることなどを心配しているわけではないにせよ、主が愉しむためにこそ存在すると自分たちを定義している下僕たちにとって、主が哀しむであろう状況の発生はわりと深刻なのだ。
それで主の気が晴れるというのであれば、笑顔で国の一つや二つ滅ぼしてみせるだろう。
馬鹿ではないので、そんなことを今の黒の王が望むなどとは思っていないが。
ポルッカの人としての在り方は、三美姫たちもほぼ同じである。
正后と妃である彼女らが望めば、死ぬまで若くあり続けることも、それどころか不死を得ることも可能なのは彼女らこそが一番よくわかっているだろう。
絶対者である天空城の主と、それなりの時を共にいたのだから。
だが彼女らは子をなし、時とともに自然に歳を重ねて美しく老いてゆく。
それに寄り添うように、望めば永遠に若く在れる分身体も、ともに老いていっている。
己の在り方に不満などあろうはずもないが、人であるからこそ可能な伴侶との時の共有の仕方を、少しも羨ましくないといえば嘘になる。
彼女らはどれだけ力に差があっても、ヒイロにとっての下僕ではない。
下僕たる己を卑下するつもりもなければ、嘆くつもりもない。
それは揺るがぬ誇りだ。
だが伴侶という在り方にも、憧れを得はする。
限られた有限の時を、だからこそ慈しむように共に過ごす。
それは永遠の忠誠を己が在り方と定めている下僕たちにとっても、安易に否定できるものではないと思えるのだ。
だがヒトならざるモノである下僕たちは、ヒトを種として見ない。
ヒトではなく、ポルッカ・カペー・エクルズ、スフィア・ラ・ウィンダリオン、ユオ・グラン・シーズ、アンジェリーナ・ヴォルツという個体として見るのみだ。
ゆえに個体に対して持った敬意は、ヒトという種全体に適用されたりはしない。
それは逆に、セヴァスや千の獣を統べる黒などが塵芥以下どころか、あるいはこの世で存在する最も醜悪な存在ではないのかと感じる屑どもを鏖殺した際も同じだ。
屑なのはそいつであって、ヒトという種ではない。
おそらくは自身が強烈な個であるがゆえに、他者を認めるに際しても、殺すに際しても、無駄に主語を大きくする必要がないのだろう。
分身体の血を引く存在も、下僕たちにとって特段特別ということもない。
多くのヒトよりは優先されることは間違いないが、言ってしまえばその程度にすぎない。
下僕たちが仕えるのは我が主ただ一人。
その力や富が子に引き継がれるのは当然と見做すが、忠誠は継がれるべきモノではない、というのがヒトならざる下僕たちの考え方だ。
我が主は永遠の存在であるし、よしんばその存在が消えるのであれば己ら下僕も共に消えればよい。
下僕たちは、彼らが我が主と一度呼んだ相手以外にはけっして仕えない。
それが彼らの在り方なのだ。
黒の王の意志によって、本来あるべきあらゆる歴史から逸脱し、今現在我が世の春を謳歌しているヒトの世界。
大魔導時代、大迷宮時代とも呼ばれる、ヒトの黄金時代が開闢してから約30年。
それは基本的に天空城の下僕たちにとって、護るべき対象だ。
応用は知らん。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「現存する盗賊団の類は、昨日の夜の時点ではないよー」
「また湧けば狩る」
主不在の天空城の玉座の間で、ヒイロが最近「役員会」と呼ぶ一桁№sによる報告会が開かれている。
最初に口を開いたのは、いまや世界最大規模を誇る傭兵団『黒旗旅団』の団長、副団長である九尾と全竜。
人型ではあれども、ここ最近は完全人化形態ではなく戦闘形態であることが常だ。
そうなると九尾の九本尻尾はもっふもふで、全竜は人型としては巨躯が過ぎるうえに、なんだか各所がとげとげで近づくと刺さりそうである。
主任務である、都市部以外で発生するヒトの悪意の塊の処理を、結成時から変わらず黙々と続けている。
最近は盗賊団などを立ち上げるのは自殺と同義と思われており、よほどの馬鹿どもでもなければ真っ当に働いて稼ぐことを選択する。
それでも「力で奪わんとする者たち」が完全になくなったりはしないのが、ヒトという生き物の救えなさであるかもしれないが。
「地上に通常湧出する魔物に関しては、各国の騎士団と冒険者ギルドで対処可能の域を出ておりませんな。初期こそヒトだけでは手には余っておりましたが、ここ十年は事故レベル以上の魔物災害は発生しておりません」
冒険者ギルドの監視、フォローを主任務としている執事長、セヴァスチャン・C・ドルネーゼがここしばらく不変の報告を上げる。
「大陸守護騎士団は『予言の書』に対応するに十分な戦力に達しました。念のため配置していた天空城の下僕たちは引退というカタチで引き上げようと思っています」
こちらは世界連盟の監視、フォローを担当するエレアの報告。
「黒縄商会は順調ですケド、都市部はともかく辺境までは手が回りませんねー。騎士団と冒険者ギルドが今のところまだ健全に機能しているので、辺境ゆえの権力の暴走は発生していませんが」
主導はせずとも、大陸全域におよぶ大商会を運営することでヒトの社会における経済状況を監視している世界蛇の報告も、ここしばらく変わらない。
「法の目を逃れる屑が湧くのは止まりませんね。私ども軍団で日々掃除しておりますし、昨今は少々先行、攻勢の掃除もしておりますが、なかなか……」
冒険者ギルドとは別に、趣味の掃除を自らに任ずる執事長の報告は少々血生臭い。
「自然災害や疫病に関しては天使の光輪で対処しております。旧アルビオン教の教会を軸とした聖女会への後援は、「奇跡」というカタチで行っておりますよ」
堕天使長はその堕天したとはいえ天使としての特性を活かし、環境の保護と宗教的組織の監視とフォローを主任務としている。
本来ヒトの加護はお手の物なのだ。滅ぼすことと同じくらい。
執事長と並んでいるといかにも優しそうな二人なのだが、実は天空城勢にあって一、二を争うほどヒトに対して厳しい二人である。
もしも主に「好きにせよ」とでも言われれば、過去百周よりもよほど苛烈にヒトにあたるだろうことを、他の下僕たちはもう理解している。
『世界連盟所属各国へ送り込んでいた下僕の撤収は完了しています』
「入れ替わりで私の配下である侍女式自動人形たちが各国中枢、ならびに冒険者ギルド支部に配置済みです」
この空間に無数の表示枠を浮かべ、すべての国家や組織に数的問題がないかを精査済みの管制管理意識体が告げ、それを受けたセヴァスが移行した体制に問題がないことを答える。
「十三愚人たちの封印は問題ありません。封印九柱天蓋も同じく安定。また私の分析は――」
白姫が己の『静止する世界』を駆使して封印している存在の状況を一応告げる。
ここに異変があったら真っ先に黒の王へと報告が行っているはずなので、あくまでもこれは一応の確認としての報告だ。
『順調とは言いがたいですね。まだ膨大な時間を必要とします。特殊分身体の生成はそれに連動する必要があるので、そちらも進捗していません』
白姫の言葉を、管制管理意識体が繋げる。
白姫が天空城に加わった最初期から行っている『分析』は、いまだ完了していない。
それに伴っての、特殊分身体を完成させることも。
だが亀の歩みとはいえ、止まっているわけではない。
だからこそ、『十三愚人』たちを無害化して封印することにも成功したのだから。
はじまりの賢者と、はじまりの愚人は今なお封印に至っていないが。
「それについては我が主の指示通り、慎重第一でお願いします。まだ最先端時間軸まで充分時間はあるわけですし。私の方の複製作業もこれがなかなか……」
よってエレアが、焦らぬように念を押す。
彼のほうも、この周が始まったと同時に着手した各種魔法道具の複製は今なお途上。
いくつかのものはほぼ完全に作成可能になってはいるが、上位希少武装をはじめとして、ほとんどのものは今なお試行錯誤の過程である。
いくつかうっかりできてしまった、けっこう厄介な魔法道具もあるにはあるのだが。
とはいえ運営の依代との接触を初手で成功して以降、最大の目的である『世界再起動』の生成はいまだ五里霧中、そのきっかけさえも手にできてはいない。
こちらも白姫の『分析』が重要になるであろうことは疑い得ない。
それでも進まねば、黒の王としては自身の『分析』すら視野に入れている。
この世界の外側にあった存在としては、黒の王と凍りの白鯨がその最たるものであろうから。
『世界再起動』を自由に使用可能な状況さえ確立できれば、天空城としてこの世界に対する自由度は飛躍的に上昇する。
失敗をやり直せる手段を持ち得るか否かは大きいとしか言いようがないのだ。
『そうですね。他に大きな問題がなければ、取り纏めて我が主に報告いたします』
とはいえまだ慌てる時間ではない。
次の『世界変革事象』まででもこの周が始まってから今までくらいの時間はあり、少なくとも今現在、この世界は平穏を得ている。
今は拙速よりは慎重を期すべき時期だろうことを、みなが理解できている。
最先端時間軸までの膨大な年数を考えれば、たかが三十年という初期中の初期に打った悪手は、未来においてこそその歪を大きくするのだから。
「私らなんにもしとらんのう」
「うん」
いつものようにてきぱきと終わる報告を前に、この三十年、主任務が「我が主の傍にいること」であったベアトリクスとエヴァンジェリンが、これもまたいつもの台詞を口にする。
「左府殿、右府殿は戦闘となれば天空城の双璧ですし、問題ありませんよ」
エレアのフォローもいつものことだ。
「……戦闘バカみたいじゃな」
「女の子は、バカなくらいのほうがいい、らしい、よ?」
ベアトリクスは思わず半目になる。
そういうことじゃないとは思うが、エヴァンジェリンにはその手の突っ込みは通用しないこともこの三十年でよく学習している。
「我が主に女性体として御仕えすることも重要なのでは?」
「いいなー」
「ホントね」
エレアの言は尤もだとベアトリクスも思う。
九尾と世界蛇が羨ましがるのも同じく当然だとも思う。
だが単純な美しさや艶やかさでは歳を重ねるごとに衰えていっているはずのヒイロの妻たちに対して、なぜか永遠に変わらない自分たちが気後れするのも事実なのだ。
同じく歳を重ねていっているヒイロと共にあって、似合うのはどうしても向こうだと認めてしまうのがものすごく悔しい。
黒の王と共にあっての似合いは間違いなく真の姿である自分たちだと思うので、あくまでも引き分けだが。
鳳凰の真の姿はもちろん、戦闘形態でもなぜか淫靡に似合うエヴァンジェリンをちょっとずるいと思っていることは内緒である。
エヴァンジェリンはエヴァンジェリンで、幼女形態をもつベアトリクスをずるいと思ってもいるのだが。
ベアトリクスにしてみれば、幼女王と呼ばれた正后スフィアに対してヒイロがとった態度から、幼女形態は戦力にならないと判断しているのだが。
長い刻を生きていても、男のその手の機微には疎いままのベアトリクスである。
それでも三十年前よりもマシにはなっているのではあるが。
「さっさと任務を完璧に済ませて、褒めていただけばよろしい」
「へーい」
「はーい」
羨望の声を上げた九尾と世界蛇に対する執事長の言は正しい。
天空城の下僕たる者、欲しいものは己が力で手に入れるべきなのだ。
男性体と女性体の違いはあれど、欲しいものの根幹はすべて、我が主と己が呼ぶ存在から必要とされることであれば、そう在ることは当然。
与えられた任務を完璧にこなせば、エヴァンジェリンやベアトリクスと共に常に傍に仕えることも許されよう。
素直に返事をする女性体二体はともかく、じゃあ自分も、という表情を常は無表情に近い全竜と堕天使長がするのはいかがなものかと、セヴァスとしては思わなくもないが。
結局、天空城の全下僕の中で最も恵まれているのは、千の獣を統べる黒なのかもしれない。
「分身体としての生涯を終えられたら、しばらく眠られるそうですよ我が主は」
「って、言ってた、ね」
「うむ」
「ええー」
「…………」
セヴァスからの情報を、エヴァンジェリンとベアトリクスが肯定する。
九尾や世界蛇とすれば、不満の声を上げるしかないところだろう。
表情だけであれば、全竜や堕天使長も。
『……ふふふ』
常に冷静沈着なはずの完成管理制御体が、思わず笑み崩れている。
眠っている期間、黒の王の玉体の管理とメンテナンスに責任を持つ立場としてはそうなりもする。
眠る黒の王に寄り添い続けられるのであれば最先端時間軸までを数周したって苦にならない。
どころかそれこそを己が永遠としてもいいとさえ思う完成管理制御体である。
ちょっと怖い。
だが女性陣どころか、エレア、セヴァスも含む男性陣からも半目を向けられ、慌てて冷静な表情に戻る完成管理制御体である。咳払い。
「我ら下僕は我が主の命に従うだけです。これといってなければ……ともに眠るのもいいかもしれませんね」
苦笑しながら、エレアが取り纏める。
「田舎でのんびり、主殿と暮らしてみたい」
「いいね、それ」
ぽそりと言ったベアトリクスの望みと、それに同意するエヴァンジェリン。
その望みはこれより後、叶うことになる。
二人がしたであろう妄想とは若干……いや大きく違ったカタチではあるのだが。
もっとも妄想とは違ったからといって、その暮らしが妄想よりも劣ると決まったわけでもない。
主と下僕、男と女。
それ以外の在り方だって、いくらでもあるのだ。
次話 第七章第一話。
今回で閑話終了、次話から第七章に入ります。辺境編予定です。
第七章もできればよろしくお願いします。
少しバタバタしておりまして、更新途絶えてしまっております。
6月中には投稿再開いたしますので、少しお待ちいただければありがたいです。
その際にはいろいろご報告もできればいいのですが……
書籍版発売中です! 電子書籍版も販売開始しております!
何卒よろしくお願いします。
===お知らせ!!!===
拙作を読んでくださっているみなさまのおかげをもちまして、現在なんとコミカライズの企画が進行しております!
KADOKAWA様が運営されている、無料漫画が読める「Comic Walker」にて連載予定となっております。
より詳しいことをお知らせできるようになり次第、お伝えしていきたいと思います。





