第13話 監視される者
迷宮第二階層、その最深部。
次の階層へと続く通路が存在する、通称『階層主の間』である。
ついさっきやっと熟練度が100パーセントとなったヒイロの『ファイア』に焼き崩れる、巨大なスライム。
定期的に再湧出する階層主は、その階層を主戦場とする冒険者たちには少々荷が重く、時に犠牲者を出すこともあるので避けられる傾向にある。
本来であればより下層を主戦場とする上位パーティーが狩場へと進行する際、必要に応じて狩られる事が多いのであるが、ここのところはヒイロが「おいしい獲物」として狩っている。
まあ低難易度迷宮の再湧出サイクルがはやいとはいえ、階層主は一週間に一度しか湧かないので、これでまだ二体目ではあるのだが。
「我が主。――今また、見られています」
この一週間、『千の獣を統べる黒』九尾黒猫バージョンが定期的に行っている報告を今再び、振り返って己が迷宮を先導するヒイロ・シィへと告げる。
その忠実なる僕の様子は、気づいているのに気づいていないフリをすることも含め、少々気疲れした表情をしているようにヒイロには見える。
――けっこう表情豊かだよな、『千の獣を統べる黒』
びっくりしたり恐縮したり、今のようにうんざりした表情を見せたり、コロコロと変わるその表情を、実際に猫を飼った経験のないヒイロはけっこう愉しんでいる。
意外と古風な性格に反して――どう見ても猫にしか見えぬ対象に対しての感想とも思えないが――見せる表情は意外にもかわいらしいというギャップが、ヒイロが気にいる理由なのだろう。
今はまだ宿屋兼酒処『白銀亭』の一室で、意外と素直にヒイロの帰りを待つ二人とのやり取りを半目で見ている反応もお気に入りだが、一番は自分の膝に乗せて咽や腹を撫でているときに見せる表情である。
無抵抗でごろにゃんとなる様子もかわいければ、そのあと主に対してそういう態度を晒した己に忸怩たる様子を見せるのもかわいらしい。その割にはヒイロにそうされることを避けぬというより、喜んでいるところが一番面白い。
ヒイロがそうやって構っているときの某二人の表情が一番面白い、あるいは恐ろしいと思っている『千の獣を統べる黒』のヒヤヒヤしているというのがぴったりな内心など、ヒイロにわかるわけもない。
「飽きないよねえ……」
『千の獣を統べる黒』にからだけではなく、管制管理意識体からも同様の報告を受けているヒイロは苦笑いを浮かべるしかない。
ヒイロを監視している者たちは一人ではなく、その所属する組織も複数であることを、監視対象であるヒイロたちのほうが正確に把握できている。
監視している者たちのほうこそ、他の監視者の存在を正確には把握できてはいない。
存在していること自体は当然気づいてはいようが。
「黄金林檎が一番熱心かな?」
「ですね」
一週間前、冒険者としての生活をヒイロ・シィ――『黒の王ブレド』の分身体にして、現実化したT.O.Tの世界に紛れ込んだ『外の存在』――が始めた際、出逢った大規模ギルドが『黄金林檎』である。
その幹部の一人にして、このアーガス島の迷宮攻略において最前線をはるパーティーのリーダーの名が、ヒイロの言うところであるヴォルフさん――通称『鉄壁ヴォルフ』である。
ヒイロはその「有力な冒険者」に注目されていることを当然自覚しているし、半ばあきらめてもいる。
「魔法使い」が冒険者としてはここまで希少だという認識がヒイロには足りていなかったし、よりによってエヴァンジェリンとベアトリクス(大人バージョン)がやってきたところを見られているので、定番の「目立ちたくないんだがなぁ」が初日にして崩壊したことは自覚できているのだ。
大型ギルドの幹部に注目されれば、おのずと国家を含む他の組織にも注目されるのは当然の流れ。
ここ『迷宮都市島アーガス』は、今の時代において世界でもっとも各国、各組織の思惑が渦巻く場所であるからには、そこで目立つということはつまりはそういう事なのだ。
「いくら監視されていてもまあいいさ。特にまずいことはやっていない……はず」
「その割には飽きませんな」
シュドナイのいう事ももっともだとヒイロは思う。
いくら「魔法使い」が珍しかろうが、超スピードで成長しているわけでも、一日に一階層を突破するような破竹の進撃をしているわけでもない。
――なんかやらかしてるかな? 監視を解けないほど?
考えてみても思い当たる節がないヒイロである。
第二階層に至ってから今日まで、地道に攻略を続けている姿は、その手段が「魔法」であること、及び単独であることを除けば他の冒険者とそう変わらぬものであるはず。
本気で注目を集めざるを得なくなるのはこの後。
希少とはいえそれなりの数は存在する今の時代の「魔法使い」たちの中で、間違いなくヒイロしか使えぬ「唯一魔法」を駆使し始めれば、注目を集めないという事は不可能だ――
――などと思っているのはヒイロの油断といえる。
今の時点でもヴォルフたちはヒイロの魔力量、あるいはその回復速度の異常に気付いているし、ヒイロがやらかしているのはそれだけに留まらない。
現状のヒイロのレベルはすでに4に達している。
装備も第二階層で言えば最上位のものがこの一週間で出揃い、現時点で「普通の冒険者」としては最良のもので揃えられている。
本来の『黒の王』のレベルからすれば取るに足りないモノであっても、『新人魔法使い』にとってのそれは大きい。
高レベルかつプレイアビリティ向上系課金を上限までしている「プレイヤー」の分身体が「ヒイロ・シィ」という個体である。
その恩恵として各種ステータスはレベル1の時点からレベル上限値だし、「本体」のレベルを超えるまでそれは続く。
戦闘のみならずドロップ・アイテムにも影響を及ぼすとされる「幸運」の数値も高いことが、装備の充実には大きく影響しているのだ。
もともとゲームにおいては「幸運」の正確な効果は明言されてはいないのだが。
「常に見られてる、ってのも肩凝るね」
「御許しを頂ければ、排除いたしますが」
物騒なことをシレっと告げる僕に、ヒイロは苦笑いを浮かべるしかない。
たしかにヒイロ――『黒の王』が命じ、『千の獣を統べる黒』の真の力を解放させればこの迷宮内に生きている者共悉くを排除することは難しくない。
だがヒイロはそんなことを望んではいないし、主の肩が凝るという理由でそうさせた相手を鏖にしてしまおうとする僕の思考がちょっと怖い。
「やめなさいって」
「御意」
――こんなに可愛いのになあ……
主に窘められてしゅんとしているところなど、小動物としか思えない。
言葉で叱られて反省する小動物ってどうなんだという話ではあるのだが。
ただ「T.O.T」が現実化したこの世界では、自身の発言に気をつけようと改めて思うヒイロである。
ゲームの世界であれば僕たちがプレイヤーの指示なく勝手なことをするなどあり得ないが、いまとなっては主であるヒイロを慮って――忖度して動くことも考えられるのだ。
言い換えれば迂闊な発言が指示に置き換わる可能性があるということだ。
うっかり文句を言った結果、一国が亡びましたということが起こらないとは言い切れない。
それだけの戦力を持った組織の首魁なのである、今のヒイロは。
「シュドナイにはいまでも充分力になってもらってるよ」
「……もったいないお言葉です」
テレる黒猫。
今へこんだ猫がもう復活。
――みんな主好き過ぎだろ。
もっともヒイロの今の言葉はお世辞の類ではない。
慣れない「本当の戦闘」において、抜群の索敵能力を発揮してくれる僕には本当にお世話になっていると思っているのだ。
ここまでは特に変わったこともなく(そう思っているのはヒイロだけだが)、順調に育成が進んでいる。
レベル2になる際に「ファイア」を取得、1付与されたボーナスポイントは魔力量へ使用。
レベル3になる際には魔法を増やさず、生えたパッシブスキルである「レベル連動多重詠唱」を取得、2付与されたボーナスポイントは魔力量へ使用。
レベル4になる際にも魔法を増やさず、生えたパッシブスキルである「レベル連動魔力回復速度上昇」を取得、3付与されたボーナスポイントは魔力量へ使用。
レベル3へのレベルアップ時点で生える『治癒』を取得しないのは、「魔法使い」育成の定石からははずれているといえる。
『プレイヤー』であっても『治癒』は必須魔法とみなす者が多く、そこから「治癒術士」としての魔法・スキル構築をしていく者も多い。
ゲームではなく、現実としてこの世界を生きる「希少」な魔法使いたちであればなおの事、命に直接関わる「回復系」の魔法を最優先するのは当然で、所属する組織からもそれを期待されることがほとんどだ。
プレイヤーでなければアクティブ・パッシブ系のスキルが生えることもない。
そもそもプレイヤーのようにステータス画面を確認することなど普通は出来ず、正確な自分のレベルを知ることすら難しいのだ。
どんな魔法を使える魔法使いになるか、だけを考えるのが『プレイヤー』ならざる魔法使いなのである。
ちなみにヒイロは「T.O.T」をゲームとして愉しんでいた時に、プレイアビリティ向上系の課金をすべてMAXまでしていたことをまるっきり失念している。
もうずいぶん昔といえるプレイ開始直後に「あたりまえのこと」としてほとんど反射的に課金していたし、「T.O.T」はMMO、MOではない故に他のプレイヤーと比較する機会もないので無理からぬこととも言える。
その中に「魔力回復量上昇」も含まれていたのだ。
その上パッシブスキルである「レベル連動魔力回復速度上昇」を取得しているので、「一般冒険者」から見れば、異常というしかないほどに逸脱した魔力回復量を誇っているのである。
そして『プレイヤー』特権として魔法ごとの熟練度が上昇すればその威力はあがり、発動速度は短縮されてゆく。
もともと「プレイヤー」に詠唱は必要ないが、対象を指定し、魔力充填から発動に至るゲームとしての操作は、現実化した世界において杖などの武器で対象を指し、意識を集中して発動させるという工程に置き換わっている。
比較対象がないのでヒイロはそういうものかと思っているが、詠唱必須が大前提である「普通の魔法使い」にしてみればその時点でヒイロは相当な「化け物」である。
そのうえ「プレイヤー」は熟練度が80パーセントを超えればその対象魔法は「即時発動」となり、90パーセントを超えれば対象指定が「視線」に置き換わる。
それに「レベル連動多重詠唱」が加わればどうなるか。
今のヒイロはすたすたと歩きながら一瞥をくれれば、4体までの対象が瞬時に爆裂するという、「普通の魔法使い」からすればもはや冗談のような存在になっているのである。
後にヒイロが『瞳術使い』や『呪眼』といった複数の通り名で呼ばれるようになるのはこの特徴からである。
今の時点ではそれが異常だという事にヒイロは気付けていないし、人を介して抽象的な報告を受けているヴォルフたちもその点にはまだ気づけていないのだが。
「ヒイロ・シィ」という新人冒険者は、「黄金林檎」のような有力ギルドのみならず、国家や巨大組織に属する者たちに監視されてしかるべき存在なのは間違いない。
そして監視するモノは、ヒトだけとは限らないのだ。