第112話 辺境の英雄譚
大陸暦79年現在。
ウィンダリオン中央王国領内、東部辺境に位置する『迷宮都市』アルク・ヴィラは、駆け出しから中級の冒険者が拠点とするのにちょうどいい規模、難易度だと認識されている。
よって当然それなりの――『迷宮都市』と呼べる最低限の経済規模を持っている。
中規模の冒険者ギルド支部、現在の世界宗教である『聖女会』の聖殿、『世界連盟』の会館が揃っており、所属国の総督府が置かれていればこの時代においては『都市』と見做される。
卵が先か鶏が先かではないが、都市の条件が整っていればより人は集まり、集まった人を客とするあらゆる商売も集まり、実際的な都市を形成する。
宿屋や食事処は複数が開業し、住宅街なども形成される。
武器・防具屋、魔法道具屋、治癒関連という迷宮攻略には欠かせない店が軒を連ねる。
そして身入りのいい冒険者たちが集まるとなれば、彼らが落す金に期待して夜の街が栄えるのもまた当然。
そうして迷宮を中核として、多くの人が暮らしを営む場――都市が成り立つのだ。
約80年前に『連鎖逸失』から解放され、魔物領域もほぼすべて攻略された現在、ラ・ナ大陸中で生きている迷宮はかなりの数に上る。
生きている――すなわち最下層まで攻略を完了し、最奥に必ず存在する迷宮主とも言える階層主魔物を倒しても、一定期間で魔物たちが再湧出する迷宮。
そこからもたらされる魔力のバッテリーとも言える『魔石』を含む魔物そのものや、発見される魔法装備、魔法道具はすでに一つの産業となりおおせている。
それに人という存在が、鍛錬や経験とは一線を画す領域で強くなれる――『レベル・アップ』を可能とする場として、迷宮が人を含むあらゆるものが集まる中心点となるのは自然なことと言えよう。
とはいえ『冒険者王』が現れるまでは、生きている迷宮と言えば、今や世界の中心となっているアーガス島のもののみ、『連鎖逸失』によって死んでいるものを含めても人が挑める迷宮が4つしかなかった時代と現代では、文字どおり稼働迷宮の数は桁が違っている。
もっとも小規模な魔物領域の奥に存在する迷宮など、迷宮村としか呼べない程度のものも、今では存在する。
村や町規模のものがラ・ナ大陸の各地に存在し、冒険者ギルドも支部というよりは出張所、駐在所のような小屋に数人の職員がつめているというのも、もはやありふれた状況なのである。
若い頃に大迷宮都市で名をあげた冒険者が、全盛期を越えてからは辺境の冒険者村でのんびり暮らすなどということも今では可能となっている。
それらと比べれば、歴とした『迷宮都市』であるアルク・ヴィラは充分に立派なものだ。
それでも世界の中心を筆頭とする大陸五大迷宮都市と比べれば、辺境――田舎の中心地という程度でしかないというのもまた、真実の一面である。
冒険者王と呼ばれるヒイロ、その若かりし頃の数々の英雄譚――伝説。
それを経て以降、迷宮や魔物領域はほぼ完全に管理され、命を落とす危険はあるものの、「世界の危機」が発生するような場所だとは見做されてはいない。
よって『預言の書』に記される巨大魔物の発生や、天変地異に対処する際くらいにしか、誰もが知る規模で冒険者ギルドからの正式任務が発効されることなくなっていた。
極まれに、犯罪かどうか判然としない事象に対して発されることはあるのだが。
悪さをするほうが損な状況で、露見する犯罪行為に走る者などごく稀となるのはある意味当然のことだろう。
それは『冒険者王』が布いた法治が今なお活きており、そんなことをするよりもまっとうに戦うなり、働くなりした方が得な社会が継続している証左とも言える。
だが表に出ないことは、存在しないことと同義ではない。
全体的に「よい時代」と認識される世界においても、人が人でしかない以上、当然のこととして悪意は存在する。
そしてそれは、ある側面においては「荒れた時代」よりもより純粋に、凝縮された悪意であるとも言えるのだ。
真っ当にしていれば普通の幸せ、豊かな暮らしが約束されている世界で、あえて危険を冒してでも布かれた規律から逸脱することを望む者。
それは愚者か――でなければ、純然たる邪悪。
それが「よい時代」と多くの人々に認識されている今でも、当然のこととして存在している事実。
それを世に知らしめる契機となるのが、このアルク・ヴィラにおける数年ぶりの正式任務の一幕であることを知る者はまだいない。
そしてそれが、この世界を比喩ではなくどうとでもできる力を持った絶対者に、どういう判断をさせることになるのかも。
とはいえ現時点ではまだ辺境の迷宮都市で、数年ぶりに発効された正式任務が達成されたに過ぎない。
そして最初に正式任務を引き受けた手練れ冒険者一党が全滅したという事実――真実はどうあれ――がある以上、その犠牲を払ってでも成し遂げ、生き残った者たちは英雄と祭り上げられざるを得ない。
生まれるべくして生まれた、辺境の英雄譚。
その主人公として語られるのは当然、ヒイロと名乗る新人冒険者と、辺境の迷宮都市には不釣り合いだとずっと思われていたクリスタの二人である。
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しくった。
これが今の俺の正直な感想である。
クリスタさんを狙った犯罪、しかも小国とはいえ国が絡んでいるとなれば、今の時点で本当のことを公にできないことはまあ当然だ。
なぜだか俺に支配権が移った『支配の鎖』と『隷属の首輪』のおかげで、ナンタラ王国のナンヤラ第二王子の護衛騎士たちには、冒険者ギルドの一室で大人しくしてもらっている。
尋問はこの後になるが、俺の言うことには絶対服従らしく逆らう心配はなさそうだ。
まあ油断する気もないので、一室というのは魔法道具を使用した牢獄ではあるのだが、拷問だのなんだの、人道に外れたことはやっていない。
この店の看板嬢――レヴィさんから、騎士たちからはひどいことをされなかったという確認がとれているからだ。
それで済むというわけではなかろうが、ひどいことをした奴はもうこの世にいない。
気丈なことに、『聖女会』の聖殿で回復魔法を受けはしたものの、レヴィさんはもうすでに職場復帰をしている。
今はこの店の常連の冒険者たちや、正式任務を発効してくれた冒険者ギルドの職員たちに、この店の所有者と共にお礼を言って回っているところ。
健康的な褐色の肌をした肢体を、わりと煽情的なこの店の制服に包んで笑っている。
ポニー・テールに纏め上げられた金の髪がぴょこぴょこ揺れているのがこの席からも見える。
看板娘と言われるだけあってそのスタイルも、気の強そうな蒼い瞳も魅力的であることは間違いない。
今この瞬間に、闊達に笑えている――少なくとも傍からはそう見えるのは凄いとしか言いようがないのだが。
レヴィさんいわく、「解決したことを関わった人たちにアピールするには一番でしょ?」とのこと。
いや、ごもっともなんですが……
その解決した直後、へたり込んで泣いていた姿を見ている身としては、安易に「凄い」とか「強い」で片付けていいものでもないのはわかっているのだが、尊敬に近い感嘆を得てしまうのも本音のところだ。
現在俺たちはこの店――レヴィさんが看板娘である『熊と蜂蜜亭』で正式任務成功の打ち上げに参加している最中である。
かなりの広さを誇る店は、冒険者を中心としたこの件を知る者たちでほぼ満席。
費用は冒険者ギルドと店持ちらしい。
剛毅なことである。
一番いい場所を指定された俺たちの席のメンバーは、クリスタさん、侍女式自動人形である銀、クリスタさんの冒険者ギルド担当であるエアリスさん、そして一通りの席に挨拶を終えたレヴィさんが今席についた、という構成である。
つまりクッソ目立っている。
ちなみに一番よく知られているはずの銀のことを、皆が「誰?」という表情で見ている。
みなさんがよく知る冒険者ギルド副支部長である銀は歳経た老女なので、さもありなんとは思う。
突然冒険者ギルドの重職を辞しても問題ないのかと問うたら、冒険者ギルド上層部は約八十年前に配置された侍女式自動人形のことを承知しており、彼女らの『最優先事項』を妨げることは一切しない約定が結ばれているので問題ないとのことだった。
実務的にも優秀な後継を育てていたので問題ないらしい。
抜かりの無いことである。
いやまあ、正体を隠していたとはいえ、ここで実績をあげていた手練れ一党が壊滅したことにするしかなかった以上、その事実を吹き飛ばせるくらいの「英雄」の出現を演出する必要があるというのは理解できなくもない。
詳しくは言えないらしいが、とにかく脅威は去った。
冒険者たちや街の人々にそう納得させるには、一番有効な手段ではあろう。
だがその「英雄」に祭り上げられた結果として、この迷宮都市アルク・ヴィラを拠点とする有力な冒険者たちによるギルドをはじめとした、有力者連中一通りと挨拶を交わす羽目になってしまった。
今回もまた、「目立ちたくないんだがなあ」は失敗に終わったようである。
返す返すもしくった。
とはいえ他の冴えた手があったのかと問われれば、答えられる自信はないのだが。
今は挨拶も一巡し、酒も回った冒険者たちがいつものように騒ぎ始め、やっと落ち着いて内輪で食事しつつ会話できるようになったところである。
正直なところ、なんのフォローもない現状では挨拶を交わした人たちのすべてをきちんと覚えているかと問われれば目が泳ぐ。
いや今の俺はけっこう優秀な脳みそらしく、大部分は頭に入っているとは思うのだが。
とにかくこう見えて俺は、自分のことすらよくわかっていない不審人物である。
突然発生した国際的な問題も含め、今後どうするかを当面の味方である人たちと話し合う必要があるのは間違いない。
そろそろこの打ち上げを引き上げて、適当な宿で作戦会議といきたいところである。
騎士たちへの尋問もしなきゃならないしな。
いや千の獣を統べる黒さん、さっきから我関せずとばかりに一心不乱にミルク呑んでますけど、お腹壊しませんかねそれ。
喉をごろごろしてやると、ミルクの摂取を中断して嬉しそうにしている。
ただの子猫ですな、これは。
「でもこの……首輪? ちょっと目立って嫌ですね」
そのやり取りを見ていたからか、さっきから蜂蜜酒か何かをくぴくぴ呑んでいたクリスタさんが、自分の首に恐る恐るといった感じで触れる。
そこには『隷属の首輪』の呪印が紅く浮かび、緩やかに回転を続けている。
本人いわく、特に命令をされなければ呪印の存在を自覚することは無いそうだ。
とはいえ、たしかに少々以上に目立ってはいる。
クリスタさんの白い肌に映えるというよりはやはり邪悪で、どこか背徳的なものを感じさせずにはいられない。
念のためにこの都市にいるトップクラスの治癒魔法使いたちにあたっては見たが、だれもどうしようもないとのことだった。
俺の知識にも、クリスタさんの『支配者の叡智』にも記録されていない魔法道具の効果なんだから、妥当なところというしかないだろう。
これの解除を喫緊の目的とするべきだろうとは思う。
「そーお? わかりやすい所有印じゃない。私は嫌いじゃないかなー」
しれっと言っておられますがレヴィさん、アナタこれのおかげでひどい目に遭ったはずでは……
そうやって笑い飛ばしておいた方が、楽なのかもしれないけど。
所詮男である俺は、わかったような気になることも、わかったようなことを言うことも控えるくらいしか、できることは無い。
地上に戻って落ちついた後、「酒場の看板娘なんかを娘というにはちょっときつい年までやってれば、まあいろいろあるわ。助けてくれたし、新しい御主人様がアナタみたいな綺麗な男の子ならまあいいわよ」と笑ってくれはしたが、ずっとこのままというわけにもいくまい。
『支配の鎖』を持つ者にその気になられたら何でも聞くしかないなんて、誰だってぞっとしない状況だろう。
俺を信用してくれているにしてもだ。
レヴィさんがからから笑いながら言った台詞に、なぜか頬を染めるクリスタさんもよくわからない。
それでもレヴィさんに庇われたこと、耳年増ゆえにレヴィさんがされたひどいことを理解できてしまうがゆえに、クリスタさんはずっとレヴィさんを心配そうにしている。
女同士だからこそ、触れられない、触れるべきではないこともあるのかもしれない。
「せめて足首とかだったら、もうちょっと目立たなかったんでしょうけどね」
俺は自分の指にも浮かんでいる『支配の鎖』の呪印を眺めながらそう言う。
首よりもかなりマシだろうと思う。
足首は足首で、なんとなく暗示的なものを感じなくもないが。
「ヒイロ君は足首フェチ、と」
「いや、あの」
それに対してまさかのレヴィさんの返しである。
否定はしないが。
まあこれがレヴィさんが一番楽な在り方だというなら、それでいいか。
「クリスタちゃんも、ホントはまんざらでもないと思うよー? 意外と犬系っぽいもんね」
「えっと、あの」
なぜか自分の足首を確認しているクリスタさんにも流れ弾がいった。
ちなみに銀もちらっと自身の足首を確認している。
――いや俺はそこまで足首至上主義じゃないからね?
しかし言葉一つでおろおろさせられる俺たちが、レヴィさんを心配するなんておこがましいのかもしれないな。
だからって心配しないというのも無理な話ではある。
とにかく挨拶関係も食事もお腹いっぱいになったことだし、そろそろ御暇して真面目な打ち合わせをしましょうか。
もちろん宿など取ってはいないが、そのあたりは銀に任せれば問題はないだろう。





