第111話 御主人様と僕
『支配の鎖』と『隷属の首輪』の支配下におかれてしまったクリスタは、今目の前で展開されている戦闘を呆然と眺めている。
それはクリスタが知る、どのような戦闘ともまったく違う。
まず速度。
桁違いというほかはなく、距離を置いていても目で追い切れない。
俯瞰で戦場を見ることなど、人の身であるからにはもちろん不可能だ。
だが、クリスタは魔力そのものを視ることが可能な『竜眼』という血統能力を持っているがゆえに、かろうじてヒイロの動きを追うことができている。
だからこそ、より凄さを実感できているとも言える。
それすらも傍観者だからできることであり、ヒイロと直接相対していたらとてもじゃないが捉えきることはできないだろう。
膨大な魔力を持ち、それを完全に制御できる者が見せる戦闘は、普通の人が漠然と想像する「戦い」のイメージを遥かに凌駕する。
『冒険者王』の血を色濃く引き継ぎ、歳経てなお隔絶した戦闘能力を誇る己の祖父、祖母をよく知っているクリスタをしてなお、知らない領域。
胸に輝く『支配者の叡智』も、ヒイロの見せる機動の仕組みはおろか、記録さえも示してはくれない。
『隷属の首輪』の件も含めて、現所有者から「意外と使えませんね」という、わりとひどい評価を下されつつある『支配者の叡智』さんである。
このままではただの綺麗な首飾り扱いされかねない危機的状況だが、『支配者の叡智』さんがもしも口を利けたら、言いたいコトも数あろう。
とある事情から、幼女王と呼ばれたスフィア・ラ・ウィンダリオンが身に付けていた時代とは違い、各種の制限をかけられている事実を知る者は、今の持ち主であるクリスタすら除いて数人しか存在しないのだから仕方がないのだが。
ともかくクリスタは今、ヒイロの戦闘に見惚れている。
わりとそんな場合でもなかろうに、誰の血なんだか「圧倒的な力」を前にすれば恐怖よりも興味が、それ以上に憧れが勝るモノらしい。
――さっき私と一緒にいた時のは、まるで本気じゃなかったんだ……
その事実に、自分でも意外なほど驚きを得ない。
驚きよりもむしろ、自分の手が届かない背中を撫で上げられるような謎の快感と背徳感を得る。
初めて出逢った時に見た時の膨大な魔力の残滓から、ヒイロと名乗った少年がこれくらいできても不思議ではないと思っている冷静な自分が、頭の片隅にいるからだ。
では片隅以外の頭がどうなっているかというと、興奮と快感でほぼ満たされている。
計略や罠ではなく、正面から戦っても自分では絶対に勝てないと確信できる他者――絶対的な強者。
その存在を目の当たりにしていることで、自分の内部に生まれて初めての感情を生み出すことに戸惑いも、ちょっとした恐怖も、不安も感じてはいる。
だが圧倒的な力が「自分を守ろうとしてくれている」事実に、思考の大部分は溶けてしまっている。
このままでは、恍惚の域にも達しかねない様子である。
それに上書きされて、ついさっきまで確かに感じていた屈辱や羞恥、それらが綯交ぜになった黒々とした絶望はもはや霧散してしまった。
今のクリスタの瞳の潤みは、さきの屈辱や恐怖で浮かべた涙ゆえではない。
間違いなく年下の、見ようによっては女の子にも思えるヒイロを見るクリスタの瞳の中心は、わかりやすく言えばハート型になっている。頬も朱に染まっている。
本人は『支配者の叡智』から要らん知識ばっかり掘り出して耳年増にはなっているわりには、自身の想いを正確には把握できてはいないようである。
それを以ってクリスタを「チョロい」というのは、少々手厳しいのかもしれない。
代を重ねたとはいえ『冒険者王』の力を継ぐ家に生まれ、血族の同世代にもクリスタよりも強い存在は皆無だったのだ。
男だとか女だとか以前の段階で、「自分を護ってくれるだけの力」を持った存在が血族、それもおじいちゃん、おばあちゃんまで行かねばいないとなれば、それが「好きになる条件」になってしまっている一人の女の子としてはキツい。
庇護欲から好きになるタイプであればそう問題もなかったのだろうが、残念ながらクリスタは血族の同世代で突出した力を持ちながら、そういう部分はわりとわかりやすい乙女なので残念。
よって知識だけはいろいろ溜めこみながら、恋のひとつも経験することなくこの歳にまで至ってしまっている。
それが生まれて初めての絶体絶命の状況に際して、それこそ妄想通りに『英雄』がするがごとく自分が護られてしまえば、自覚するよりもはやくこうなってしまうのもまあ、仕方がないことなのかもしれない。
一方、今一深刻さの足りないクリスタと違い、今ヒイロと直接対峙している第二王子は当然それどころではない。
ヒイロが気の抜けた表情のまま噴き上げた殺気――魔力に瞬時に反応したのは、さすが高レベル者というべきだろう。
だがそれだけだ。
そこまでだとも言う。
『隷属の首輪』――ヒイロの首にかけようとした輪状の魔法道具は、ヒイロの肩の乗る子猫の尻尾の一本に、こともなげに弾かれた。
その直後に居合いのように剣を抜き打ったのは大したものだが、ヒイロの発動した『幻影疾走』を捉えること能わず空を切らされる。
だがバックステップのようにカカっと距離を取ったヒイロを、素早さが身上の近接格闘系職と見做したのか。
余裕の笑みを浮かべて己の唯一技――『旧国』と呼ばれるラ・ナ大陸辺境国家ヴァクラム王国王家の血統能力、『魔物召喚』を発動させた。
それと同時に虚空から湧出する、無数の魔物。
第二王子の懐では、最後のひとつである中型の魔石が蓄えた魔力を失って砕け散る。
クリスタたちが階層主の間に駆け付けた際に溢れかえっていた魔物は、この第二王子の技によって召喚されたものだったのだ。
先刻と同じように、数こそ多くとも雑魚魔物。
ただしレベルは召喚者である第二王子の半分を持ち、数は三桁に近い。
多対一を得意としない人が本来持つ職群、その中でも近接・一対一に特化されがちな近接格闘職には厳しい状況。
その上魔物だけならいざ知らず、手練れの第二王子の相手も同時にしないといけないとあっては、同レベルであってもまず勝ち目は薄い。
ヒイロのレベルは正確にはわからないが、すくなくとも第二王子以上ということはあり得ない。
だが。
『幻影疾走』による機動速度以上に、クリスタの目を釘付けにし、第二王子に驚愕の表情を浮かべさせた、常識外の魔法が発動される。
クリスタがヒイロを認識した時から、その姿――装備が違っていることは当然理解できていた。
一旦冒険者ギルドまで戻りながら、ワンピース一枚の上に外套を羽織って杖のままの姿で駆けつけてきていたら、それこそ本物の変態である。
体形にフィットした、ラバースーツのようにも見える暗色の防具一式に、同色の外套。
一番目を引くのは、目が悪いわけでもないだろうに眼鏡をかけていることだろう。
――似合っていることは認めます。似合っていれば伊達でもいいのです、ええ。
クリスタは眼鏡属性持ちらしい。
武装としては魔法使いというのであれば必須のはずの杖は手にしておらず、代替に指ぬきのごつい手袋を両の手に装備している。
一見すれば無手だ。
ゆえにこそ、第二王子は近接系格闘職と誤認したのだろう。
だが第二王子の斬撃を躱すカタチで一旦後方に飛びのき、その地点へ使役される魔物たちが殺到せんとしたタイミングで、ヒイロは『一式装備』による『特殊技』を発動させる。
高く澄んだキィン! という音とともに、ヒイロの全身が吹き上がる魔力に覆われてまるでエネルギー体のそのもののように変じる。
発動から一定時間、セットされた魔法やスキルを制限なしで発動できるようになる『変身』系の特殊技である。
変身が解ければ一定時間再発動は不可能となるが、今はそんなことは問題にならない。
知能が低い故、敵の変化に頓着することなく殺到する魔物に対してヒイロが迎撃をする。
甲を前方へ向け、両の手を交差させるようにして高速で振り降ろす。
それと同時。
ヒイロの前方に無数の――数えれば殺到する魔物の数と同数の魔弾が生成され、それぞれが一瞬で目標へと放たれる。
その様子はあたかもヒイロを中心として、白色の花火が弾けたようにも見えた。
通常よりもはるかに巨大な魔弾は、通常の数倍の速度でそれぞれの目標へ曲線を描いて着弾し、音もなく雑魚魔物たちを消し飛ばす。
第二王子も、茫然と見惚れるクリスタも思考が追いつかない。
無詠唱だとか、視線による目標捕捉だとかいう領域ではない。
伝説に謳われる冒険者王ヒイロの通り名、『瞳術遣い』や『呪眼』を思わせる、いやそれすらも凌駕する常識外の魔法発動。
それによりいかな雑魚とはいえ三桁に迫る魔物を瞬時で殲滅し、敵――第二王子に対して大跳躍をもって距離を詰める。
思考は追いつかなくとも、鍛え上げられた第二王子の躰は何とかそれに反応する。
常人どころか同レベル帯の冒険者であれば躱しようもない斬撃が、空中から高速で距離を詰めるヒイロに対して迎撃状態で再び抜き打たれる。
普通であれば回避不能なはずのその斬撃を、ヒイロは空中で虚空を蹴るようにして横に跳んで躱し、そのまま超短距離を多角的に回り込んで第二王子の背後から魔弾を零距離、連打で叩き込む。
『変身』は連続だけではなく、任意の空間を足場としての『幻影疾走』の発動を可能とする。
その高速機動は、成長限界の軛から解き放たれていない人に捉えられるものではない。
だが攻撃に関してはさすがにレベル差が適用されるのか、立ち上がったH.Pによる防御魔法陣が直撃を阻んだ。
着弾の炸裂音と、H.P防御魔法陣が砕け散る音が連続するが、通りきらない。
「うわあ!」
半ばパニック状態になって近距離攻撃技を発動させた第二王子から瞬時で距離を取り、再びヒイロは高速機動へと移行する。
ヒイロを捉えきれない――目を切られる第二王子に対応する術はない。
声もなく超高速の挙動を、自身の思考まで加速させながら愚直に繰り返すヒイロの攻撃の前に、第二王子の顔色はいまや紙の如く白くなっていっている。
己のH.Pが確実に削られていっていることを実感しているのだ。
そしてそれが尽きた時が、自分の死ぬ時だと理解できてしまっている。
何度か同じような攻防が繰り返され、ヒイロの躰を覆う魔力の揺らめきが薄くなる。
それと同時にヒイロは再び両手を払うようにして複数の魔弾を生成し、最後の突貫を第二王子に対して仕掛けた。
「あああ! 助けてくれ!! 助けてくれ!!!」
黙して語らぬヒイロに、先刻から命乞いを繰り返しながら剣を振り回すだけの第二王子はもはや錯乱状態である。
苦も無く背後を取り、幾度目かの零距離連打を叩き込んだ時点で、第二王子のH.Pは底をつき、防御魔法陣は立ち上がらなくなる。
そのタイミングでヒイロの『変身』も解けた。
これでしばらくは再度『変身』することは不可能である。
「たすけてくれ!」
恥も外聞もなく、抵抗の意志を完全に砕かれた第二王子がヒイロに懇願する。
「いや無理ですよ。貴方を殺さないとクリスタさんが困りますし」
それに対するヒイロの答えはあっさりとしたものである。
相手の生殺与奪を握ったうえでの嗜虐的な響きも、逆に人の命を奪うことに対する葛藤の響きも双方まるで含まれていない。
「お前は同じことを言われて、願いを聞き入れたことがあるのか?」だの「殺そうとした者が、殺されそうになって泣き言を言うなよ」だののお約束を言いもしなければ、思いさえしない。
ただ目的のために必要だからそうする――殺すというだけでしかない。
なおも何か言いつのろうとする第二王子から、『幻影疾走』で距離を取る。
突き放されるようにして残った、もはやH.Pの尽きた第二王子へと、最後の突撃前にヒイロがはなった無数の魔弾が降り注ぐ。
断末魔を上げることもできず、第二王子は消し炭になって地上から消え失せる。
それを確認しても、ヒイロの心にはさざ波一つ湧き起こらない。
喜びも、後悔も、後味の悪さも何もない。
――うーん、我ながらなんというか、あれだな……
悪役っぽい。
前世というか、記憶を封じるまでにちょっととんでもない経験を積んでいそうだなあ俺の魂、などと他人事のように感心している。
だが想定外のことが発生した。
第二王子を消し飛ばした瞬間、ヒイロの両の五指に、呪印が浮き上がったのだ。
右手の全てと、左手の薬指の呪印は紅く旋回をしている。
左手の薬指以外の呪印は黒い刺青のように固定されており、おそらくはその数だけまだ隷属化させることが可能なのだろう。
『変身』による魔力の噴き上げ、その状態での超高速機動にもこともなげに肩にのり続けていた子猫、千の獣を統べる黒がさっき放たれた『隷属の首輪』を一つ咥えている。
魔弾で消し飛ばされた第二王子の在ったあたりを探せば、残り三つの『隷属の首輪』も見つかるのだろうか。
ともかくヒイロの思惑は外れ、クリスタ……だけではなく餌とされた看板娘も、まだヒイロたちは正体を知らない第二王子の部下――ヴァクラム王国の正騎士たち四人も意図したものではないとはいえ、ヒイロの下僕となってしまった。
正騎士たちについては尋問する前提で考えれば便利かもしれないが、クリスタと看板娘が問題と言えば問題である。
見目麗しい女性と「御主人様と僕」になるというのは、どうにも外聞が悪い。
彼女らも子供とはいえ男が御主人様となれば、気が気ではないだろうしなあ、とヒイロも思う。
とりあえずヒイロは謝ることにした。
自分が下賤な命令しないことを誓約し、なんとか解除する手段を模索するしかあるまい。
記憶こそないが、こんな状況を誰かさんらに知られた日にはただではすまない気もするヒイロである。
「ごめんなさい。殺したら解除されるかと思ってたんですけど……僕に移行しちゃったみたいです、支配権」
どこか陶然としたようなクリスタと、さすがに冒険者ですらないのに先の戦闘を目の当たりにして呆然としている看板娘に対してヒイロは頭を下げる。
「な、なにか命令するんです、か?」
ヒイロのその言葉の意味を理解したクリスタは怒るでも不安がるでもなく、もじもじしながら上目遣いで、ヒイロにはちょっと理解できない質問を投げかけてきた。
――してほしいのかなー。
思わず半目にならざるを得ないヒイロだが、この状況でおエロいことを欠片も考えない自分の男に対しても少々の不安を抱く。
なのでとりあえず、ここは紳士的な「命令」をしておくことにした。
「そうですね。とりあえず目のやり場に困るので……服を着てもらってもいいですか」
そこでクリスタははたと、今の自分の格好を思い出す。
『支配の鎖』と『隷属の首輪』に支配され、自らの手で鎧もドレスも脱ぎ散らかして、今は肌着と下着だけだということを。
ちょっと照れているくらいに収まっていた赤面は瞬時で再び真っ赤に染まり、露出されている素肌をも朱に染める。
そして迷宮の最奥にて、あられもない乙女の悲鳴が響き渡った。
自分も見られたんだけどなあ、と思わなくもないヒイロである。
だがまあ、男と女ではその意味合いも羞恥の度合いもまるで異なるであろうことも理解はできる。
理屈ではないのだろう。
涙目になってH扱いは如何なものかと思いもするが、テレ隠し込みの非難は甘んじて受け入れる所存のようである。
かくして一時的に妙な『御主人様と僕』が成立した。
……一時的なはずである。





