第107話 偶然か必然か
「お、驚きましたね……」
本気で驚いている様子の盾剣士さんには申し訳ないことをした。
そりゃ誰だって、迷宮でご同業に出逢ったと思った瞬間に、音もなく背後に回り込まれたら驚くわな。
俺なら間違いなく、できる全力で反撃する。
一党メンバーの方々も、かなり驚いておられる様子。
そのうえ失礼なことまで考えてしまっているので、現時点では一方的に俺は感じの悪いというか、有害なだけの子である。
いや直感的に「怪しい」と思ってしまったのにはきちんと理由があって、落ち着いて見直すとその原因はよりはっきりとしたものになってはいるのだが。
「すみません! その子、まだ迷宮に慣れていないので……」
――その子! いやまあその子か。この見た目では当然というか、それ以外呼びようもないわな、名前も知らないわけだし。
クリスタさんが慌てて謝罪している。
自分が連れている子供がオイタをしたのだから、謝るべきは責任者である自分であると考えておられる様子。
「いえいえ、実際に攻撃されたわけではありませんから。そこまで頭を下げてもらうようなことでもないですよ。ただびっくりしただけです」
俺に失礼な疑いをかけられている盾剣士さんも、にこやかにクリスタさんの謝罪を受け入れている。
双方ともに大人である。
冒険者票登録を終えて迷宮に潜っているからには――俺は当然未登録とはいえ――そこに本来、大人も子供もない。
命をかけて挑んでいる迷宮という場において無礼、というよりは脅威と判断される行動をした者が相応の迎撃をくらっても、それは自業自得でしかないのだ。
迎撃できなかった、という事実に気付いたうえで謝罪を受け入れているとなればこちらとしては謝るしかない。
そこまで理解しているかいないかは置くとしても、この盾剣士さんたちは殺されそうになったのに、笑って許してくれているのだ。
本当にそうなら、だが。
「本当にごめんなさい」
「すみませんでした」
だが俺としても今持っている疑いとは関係なく、反射的に背後に回り込んだのは、自分がぼーっと物思いにふけっていたせいである。
よって重ねて謝罪の言葉を口にしているクリスタさんに合わせて、俺も頭を下げる。
謝るべきところはきちんと謝っておかないと自分の尻のすわりも悪いし、対外的に保護者枠的な立ち位置になっているクリスタさんの評判にも関わる。
それは俺としても望むところではない。
疑わしきは鏖などという、どこかの殺伐とした組織の首魁ではないのだ、すくなくとも今は。
――あー。また反射的に覚えのない思考をしてしまってるなあ、俺。
「しかし、可愛らしい一党メンバーですね」
クリスタさんと俺の謝罪を嫌味なく受け入れ、笑顔を浮かべる盾剣士さん。
こうやって見ている分には、普通に美形のお兄さんである。
ただ他のメンバーが基本的に直立不動で控えていることからも、この人がこの一党において、圧倒的な権限を持っているのはまず間違いなさそうだ。
雰囲気で言うなら、冒険者仲間というよりも上司と部下といった感じだ。
まあそんな冒険者一党がいても不思議ではないし、俺の感じている違和感、疑いはそこから発しているわけでもない。
――というかこの盾剣士さん、声を聞いたうえでも俺を女の子だと思ってるっぽいな……こんな恰好じゃしょうがないとも言えるが。
なお盾剣士さんの名誉のためにも言っておくが、俺を見る目に性的なそれは感じられない。
クリスタさんを見る目には、男であればしょうがなかろうという程度のそれは含まれているので、ロリコンというわけではないようだ。
「えー……っと、その……はい……」
だが盾剣士さんのその言葉に、クリスタさんが居心地を悪そうにしている。
クリスタさんはわりとはっきりものを言う人なのに、妙に歯切れが悪い。
『……なんか拙いんですか?』
『あの方の一党も含めて、お誘いは全て「単独攻略主義者なので」で断っていましてですね……』
『なるほど……』
クリスタさんの背後の位置に戻った俺が小声で確認したことに答えてくれる。
そりゃそうか。
たとえ正体は知らなくとも、クリスタさんのこの美貌と装備である。
ダメ元も含めて、この迷宮都市『アルク・ヴィラ』を拠点としているギルドの連中ほぼすべてからお誘いを受けていても不思議ではない。
一党ではなく相棒としての誘いも含めれば、一通り断り終えるまでにしばらくの期間は必要だっただろう。
それを『単独攻略主義』だからと断っていたのに、俺という相方を連れて迷宮攻略している最中に、袖にした相手に遭ってしまったというのはいかにもばつが悪い。
加えて俺が相手を一歩も動かすことなく、背後を取ったというのもよろしくない。
相手の取りようによっては、俺程度の能力もないから組むのをお断りされたのだと思われても仕方がないのだ。
しかもそれがわりとその通りの可能性もあるのでより厄介とも言える。
瞬歩みたいな行動――他に遣い手など居ないであろう『幻影疾走』を見せてしまったのは確かに迂闊だった。
とはいえ、それを加味してもワンピース一枚に外套を羽織っただけの子供一人をそんな風に見れる者は、そう多くないはずである。
多くの人は、見た目に印象を大きく左右されるのだ。
そうならない、なりにくいのはいずれの分野においても手練れとされる者たち。
つまり今俺たちが、偶然遭遇したこの一党のような。
俺が彼ら――特にリーダーであろう盾剣士さんに感じた違和感。
それは彼らが熟練者すぎる、という点だ。
確かに装備などは一党全員がこの迷宮都市『アルク・ヴィラ』を攻略拠点としている冒険者としては妥当なものばかりだし、俺の目に盾剣士さんらのステータスがオープンされているわけでもない。
ぱっと見た限りでは、「魔法使い」のような稀少職も含まれていないように見える。
だが足の運びや、ふとした仕草、それこそ全員が身に纏う雰囲気に至るまで、彼らがこの迷宮には不釣り合いなほどの兵だと俺の本能が告げている。
要は勘に過ぎないとも言う。
だが命のかかった場所で発揮される勘を、蔑にするべきではないとも思う。
なによりも、初見のはずの俺の『幻影疾走』で一方的に背後を取られながらも、ビックリしただけで済ませている――腰を抜かすのでもなければ、反射的な反撃に出たわけでもない――ことが、俺の勘が警戒を告げる最大の要因だ。
動けはしなかったが、見えていた。
もっと言えば、動こうと思えば動けたが、そうしなかった。
つまり彼らは、俺がクリスタさんの声で止まらなかったとしても、なんとかできるという確信を持っているのだ。
だからこそ、こちらが素直に謝れば笑って許すこともできる。
……のかもしれない。
「我々としてはいつでも歓迎ですので、その子と一緒にでも組んでくださる気になったらお声かけください」
そのうえ、悪意を持っているかどうかは、また別の話なわけだし。
目的があって、己のレベルに見合わない迷宮に潜ることもなくはないし、こっちがつっかけた形であるにもかかわらず、こちらに害為す行動を起こされているわけでもない。
実際、クリスタさんが二人組を組んでいる――実際は事情が異なるのだが――のを見ても、嫌味ひとつ言うでもない。
ただ今は、俺が一方的に感じ悪く警戒しているだけである。
もちろん表情や態度には出していない――つもりではあるのだが、どうかな。
割と顔に出る方だという自覚がなぜかあるので、イマイチ自分を信用できない。
「クリスタさんに言う台詞でもない気はしますが、地上まで御無事で。我々は少々急ぎますのでこれで失礼します」
そしてこの場でこれ以上クリスタさんに絡むつもりもないようで、自分たちの目的を急ぐらしい。
そのうえこちらの無事まで願ってくれている。
男であればクリスタさんを見る目に、少々アレなものが混ざるのは仕方がないとも言えるし、レベル違いの迷宮に挑んでいるとはいえ、少なくともクリスタさんの敵ではないのかもしれない。
「皆さんもお気をつけて……」
クリスタさんが無難な答えを返しておられるが、どことなく落ち着かない御様子。
俺の見立てが間違っているとしても、少なくともこの迷宮においてはトップクラスの実力を持っていることは間違いないであろう一党が、急ぐといった理由が気になるのかな。
「あの、急いでおられる理由って……」
案の定だったようだ。
「……つい先程、冒険者ギルドから正式任務が発効され、我々が引き受けたのです」
「内容をお聞きしても?」
「迷宮に連れ去られたと思しき人物の救援です」
あ、あかん。
なんかこれ、いい人たちっぽい。
要人かどうかはおくとして、人助けのために自分たちにとっては得る物の少ない迷宮に潜ってくださっているというのであれば、俺の下種の勘繰りが過ぎる。
ごめんなさい。
口に出してもきょとんとされるだろうし、心の中で深々と首を垂れておく。
――いや待てよ。
クリスタさんと挨拶できる程度に、レベルに合わない迷宮を拠点として活動しているというのはやっぱりどこか不自然さがないか?
「……急いで地上へ戻ります」
俺の思考を断ち切るように、クリスタさんがキッパリと告げる。
確かにこれ以上は同じ冒険者稼業同士とはいえ、守秘義務が発生する領域だ。
要救助者が誰なのか、どのレベルの正式任務なのかは訊いていいことでもなければ、訊いて応えてくれることでもないだろう。
よってクリスタさんがこの正式任務に助力しようとするならば、一刻も早く地上へ戻って冒険者ギルドから正式に「応援要員」として登録されるのが、もっとも手っ取り早い。
まあ拠点としている街の誰かを迷宮から救助する正式任務と聞けば、虚心でいられないというのは理解できる。
――魔物は人を襲うが、攫ったりはしない。
つまり人の悪意が顕在化した事件であり、それに対して冒険者ギルドが介入している事態ということになるからだ。
やんごとないお立場でもあるクリスタさんとしては、本来の自分の目的があるにしても看過できないのだろう。
「心強いです。ですがクリスタさんを待っている猶予もないので、我々なりに探索は進めます」
クリスタさんの言葉の意味を十全に理解したうえで、盾剣士さんがありがたそうにしながらも先を急ぐと告げてくる。
だが。
その言葉とともに、一瞬だけ浮かんだ表情。
それがさっき内心で謝罪したばかりの俺に、再び警戒を呼び起こす。
――その顔はあれだぜ。死の帳面を再入手した時の衛星の顔だぜ。
クリスタさんは全くの警戒心を持たず、地上への帰還を急ごうとしている。
まあ一度地上へ戻って、再度迷宮へ潜るまでにそれなりの猶予はある。
その際は素直にご一緒するのではなく、あえて別行動をした方がいいかもしれないな。
勘だのなんだのいろいろ述べたが、俺が警戒している最大の理由は足元の千の獣を統べる黒の九本の尻尾。
それがセンサー能力を持ったアホ毛よろしく、盾剣士さんにずっと反応しているからなんだけどね。
御本体であらせられる子猫殿は、興味なさそうに欠伸を一発くれてくださっているのみなのだが。
なんかコヤツの尻尾は、危機察知能力を持っている気がするのだ。
なんとなくだけど。
少なくとも、この遭遇は偶然ではなく必然だと考えた方がよさそうだ。





