第106話 正体への仮説
現在は大陸暦79年。
今なお三大強国と呼ばれるウィンダリオン中央王国の『中央暦』、シーズ帝国の『帝暦』、ヴァリス都市連盟の『聖暦』はそれぞれまだ生きてはいるものの、この時代を過ごす人々はみな『大陸暦』を基準として今を確認する。
去年崩御したという『神座王』――退位前は『冒険者王』、『統一王』などと呼ばれたヒイロ・シィ・以下長大な各名家の苗字をいくつも持つ英雄――が興したとされる『世界連盟』と、所属した『冒険者ギルド』が、当時から変わらず現在の世界を掌握している状況では当然のことらしい。
ちなみに中央暦では536年、帝暦では600年、聖暦では2297年にあたるとのこと。
俺の知識にあるゲームスタート時はそれぞれ457年、521年、2218年となっているので、俺が今を未来だと感じるのは、どうやらその時点を基準としているからっぽい。
そこから80年程度経過しているとするならば、それも無理からぬコトと言っていいだろう。
そもそも俺の今の知識では、『大陸暦』なるものは存在していない。
覚えている知識に関してはやたらと明晰に思い出せる我が脳によれば、本来であれば今の時代は『中央暦』、『帝暦』、『聖暦』のいずれかのみが生き残っており、他の二つはそれを暦とした国家共々滅んでいるはずだ。
つまり俺の知識にある――覚えていることを許された記憶とは違った展開を、このラ・ナ大陸は辿っているということになる。
しかも俺の記憶が封じられている間に現実化したうえで、である。
まあその状況に叩き込まれるというのは望むところなのだが、己の正体のみをこうも丁寧に封印されたうえでとなるとなかなかに厄介だ。
逆にある程度の安心もできているわけだが。
現在ラ・ナ大陸全域はおおむね平和であり、『世界連盟』成立以来、留まることなき迷宮と魔物領域の攻略により、豊かさと便利さは増す一方。
魔法道具を軸として整備されたインフラストラクチャ―はラ・ナ大陸を隅々まで覆い、『世界連盟』成立から80年を閲した今なお途絶えぬ、人の大発展時代は絶賛継続中とのことらしい。
クリスタ曰く、もうそろそろラ・ナ大陸中の開拓は完了し、海を越えた別大陸への人の進出も昨今囁かれているそうな。
――俺の記憶にある人類史とは、ずいぶん違ってしまっている。
そういう大前提の下ラ・ナ大陸各地で冒険者稼業は今なお大人気、『大魔導時代』を支える屋台骨として魔法道具や魔物そのもの、何よりもいまやすべてのインフラの燃料とも言える『魔石』を得るために日夜迷宮、魔物領域を攻略中というわけだ。
以上がこの迷宮の最下層から地上へ戻りつつ、クリスタから聞いた情報の取り纏めである。
本人は自分もその冒険者の一人である、ということで押し通すつもりらしい。
装備といい、立ち居振る舞いといい、無理があるとしか思えんのだが。
まだしも飛びぬけた見た目だけなら、そりゃ超絶美人が冒険者になることもあらぁな、で通るかもしれないが。
俺に対してのみならず、この迷宮都市『アルク・ヴィラ』の冒険者ギルドに属する連中も、クリスタをとてもじゃないが『一普通の冒険者』とは見做していないだろう。
まず戦闘力が、そこらの冒険者のものとはとても思えない。
最下層から地上へ戻る過程で遭遇した魔物を、それこそ鎧袖一触で屠っていく様は、見た目から得る清楚なイメージとは違い一切の慈悲を感じられない。
狂戦士という感じでこそないものの、優雅でありながら一撃必殺で魔物を消し飛ばすその姿を見て、畏怖を覚えぬ冒険者はおるまい。
えい、とか、やー、という掛け声が無駄に可愛くて逆にホラーっぽくすらある。
超級と言っていい稀少魔導武具、それもレベル連動型で最終装備候補にも挙げられる一式で固めていれば当然のことかもしれないが、「戦い方」も妙に手慣れていてとても十代の少女のものとは思えない。
そのへんは胸に輝く『支配者の叡智』がいい仕事をしているのだろうけども。
とはいえ、こちらの戦闘状況をちらちらと窺い見ているクリスタの表情も、かなり驚いているのがわかる。
まあ地下で見つけたマッパの少年が、自分以上の勢いで魔物を片っ端から殲滅するのを目の当たりにすればそんな表情にもなるか。
どうやら死神氏を俺が倒したのはほぼ確定らしく、数値として確認はできないが確実にレベルは上昇している。
『幻影疾走』は使用可能になっているし、『魔弾』は多重ロックオンのうえ、一斉発射が可能になっており、追尾性能はこの迷宮の鈍足魔物に対しては必中と言っていい域である。
正直楽しい。
『幻影疾走』を使用可能なレベルに達しているとなれば、アクティブ・スキル、要は使用可能な魔法もいくつか増えているはずなのだが、ステータス・オープンの方法が不明な現状ではセットができない。
セットできたとして、魔法の使い分けがどうなるかは、なってみれば即理解できるような気がしている。
とりあえずレベルに連動して最初期魔法である『魔弾』が強化されているので喫緊の問題ではない。
この迷宮最下層の魔物が一撃で消し飛ぶ以上、地上へ向かって帰還の途であるからにはそう判断してよかろう。
「記憶ないのに、そんな動きができるんです、ね」
「慣れてる感覚はありますね……」
遭遇した魔物の群れを、都度秒単位で殲滅していることにかなり引いた様子でクリスタ嬢が仰る。
わからなくもないけれど、貴女の一撃必殺ぶりも大概だと思うんですが。
今も通常攻撃一発で、魔物仕留めましたよね。
大盾で攻撃を防ぐ必要すらなく、長大な刃渡りを持つ光を帯びた大剣で、確実に魔物を屠っておられる。
ちなみに俺には通常攻撃というものが存在しない。
『魔弾』が最弱の魔法であり、それ以外――例えば杖でぶん殴るなどをしても一切のダメージを与えることはできない。
前提となっている「ゲーム」の種類が違うのだ。
足を止めての殴り合うターン性のR.P.Gと、敵の攻撃を躱して己の攻撃を叩き込むことが大前提のアクションR.P.Gを、同じ現実世界に叩き込むことに無理があるとしか言えない。
いやゲームが現実化すること以上の無理などあるまい、とも思わなくもないけどさ。
よって、足を止めての殴り合いであれば、今のレベルの俺では打ち負けるのはほぼ間違いないだろう。
だが最初に予測した通り、機動力という点では圧倒的にこっちが勝っている。
足を止めずに『幻影疾走』で翻弄し、クリスタの技にはキャンセル連続発動で無敵時間――当たり判定が無くなる時間を重ねれば完封も可能だろう。
こっちの『魔弾』がクリスタに通れば、だが。
「アナタが敵でなくて、よかったです」
「僕も同じことを思ってますよ」
お願いですから話を聞いてください、と懇願しながらマッパで千日手なんて考えたくもない。
お互いわずかに引き攣った笑みを浮かべながら、地上を目指す。
今のところ問題なく辿り着けそうだが、女物の薄手のワンピース? 一枚に外套を羽織っているだけという格好からさっさと脱したいものである。
手持ちのお金はないが、さっきからドロップしているアイテム類をクリスタが折半してくれるのであれば、装備ではないただの服程度であればなんとかなるだろうし。
しかし実際に落ち着いて戦闘(おかしな表現だが)したうえで、クリスタから入手できる情報を整理してみると、俺の正体の仮説はある程度整うな。
プレイヤー。
それはこの迷宮への現れ方からしてほぼ確定として、おそらくは大層な通り名をいくつも持っているこの世界における英雄――ヒイロ・シィが俺の正体の一面であるのは確かだろう。
そしておそらく、俺は俺の意志で記憶を封じて今この場所に現れている。
……たぶん。
妙に明確に覚えている部分と、すこんと抜け落ちている部分が明確すぎる。
この世界の前提となったゲームのことも、覚えている部分と、忘れたことさえ認識できていない欠落が確実に存在する。
であれば、今の俺がどう頭をこねくり回したとて、「思い出してはいけないこと」は絶対に思い出せまい。
もしくは仕込まれたイベントを経て、徐々に思い出していくアタリか。
普通に記憶喪失になっているだけであれば、こういった仮説や思いつき、ひらめきによって加速度的に、まるでつながっていくように思い出しそうなものだしな。
俺vs俺というわけではあるまいが、少なくともこうする必要があるからこそやっているのだろうし。
なんらかの敵によってこうされた可能性も排除しきれないとはいえ、こうも回りくどいことをする理由も思いつかない。
俺をこんな状態に追い込めるのであれば、さっさと排除する方がはやい。
俺が自力で黄泉がえった可能性もなくはないけども。
とりあえず、俺が俺の意志で現状を生み出したという仮説にそって考える。
その前提であれば、本来のプレイヤーが率いる組織――そういうゲームだという知識はあるが、俺の組織についての記憶はかっちり封じられている感じ――も活動を停止していると見ていいだろう。
なぜか名を呼べた千の獣を統べる黒氏は、万が一用の安全装置といったあたりだろうか。
見た限りただただ可愛いだけの小動物で、とても安全装置とは見えないが。
まあいい。
許された記憶によれば、今から十年ほどはまだ平和が続くはずだ。
もっともその記憶とは、あるべき世界の姿が大きく変わってしまっているのであまり安心し過ぎるべきではないが。
そして俺の仮説が正しいとするならば、この世界を構築したであろう俺がこんなことをする理由には思い当たる節がなくもない。
――答え合わせ、かな。
より良い世界にしようとして、実際にそうしたつもりでいて。
その世界を全く予断を持たない俺自身がどう感じるのかを、平和な時間を利用して確認してみようってあたりだろう。
どうやらこの世界でお偉くなり、歳も重ねた俺様は、自分の小賢しさを失念していたようである。
あるいはそれすらも織り込み済みかもしれないが……
であれば、俺はこの世界で基本的に思うが儘に振る舞えばいい。
己の持つ力の範疇において、という制限はあるにせよ。
最先端時間軸まで千年に近い刻を生きねばならないプレイヤーにとって、今の俺として一度生涯を全うすることも、大した問題ではなかろう。
俺の仮説が正しければ、少なくとも普通の人の一生分くらいはすでに生きていることになるわけだしな。
それで今の俺というのは、どこか忸怩たるものを感じなくもない。
まあ人とは記憶のみで成立するモノではないとはいえ、記憶が無ければ完全型にはならぬモノでもあるのだと思うことにする。
老練とか、老獪とか、いわゆる賢者然とするためにはなおのことそうだと思う。
賢き者、とは記憶とは関係ない気もするけども。
最終的に合流して思い出すのであれば、気にすることでもない。
それにもしも俺がこの世界で殺される――死を迎えるような状況になったとて、それすら本体の判断材料の一つとなるのだろう。
もちろん軽々に死ぬつもりもないが。
そんなことを取りとめもなく考えていたら、遭遇に気付くのが遅れた。
慌てて戦闘態勢を取ろうとする俺に、クリスタが制止の声を上げる。
「ダメです! 敵――魔物じゃありません! 冒険者の一党です!」
その声に慌てて発動しかけた『魔弾』を停止する。
一瞬で背後に回り込んだ俺に、茫然とした表情をしている5人組。
危ない、もう少しで冒険者殺しになってしまうところだった。
だけどクリスタさん。
平和な時代だとて、いや平和な時代だからこそ。
同じ人こそが、最も恐ろしい敵である場合もあるかもですよ。
整った顔に、演技ではない驚愕の表情を浮かべている一党の頭目らしき盾剣士。
その人がクリスタと俺を見る目に対して、直感的にそんなことを思ってしまった。
今自分以上に怪しい存在なんてないだろうに、なにを言ってるんだって話だけどな。





