第103話 姫騎士は見た
白地に金の装飾を施されたドレス・アーマーに身を包んだ、いわゆる姫騎士。
その本当の名前は、クリスタ・グラン・シーズ。
現在はわけあって、クリスタ・シィと名乗っている。
ここ――ウィンダリオン中央王国、東部辺境の中規模迷宮都市『アルク・ヴァラ』で冒険者をしているクリスタは今、ひどく動揺している。
それもこれまでの16年の、個人的には長い人生の中で最大級にである。
――と、殿方……というには幼いですね。ですけど、お、男の子のは、はだ、ハダ……
カ、を見てしまったからだ。
反射的に「見てはいけない」と思ったのに、なぜか目を隠そうとした己の指は開き、視界を遮る役には立たなかった。
そしてなぜそうなるか自分でも理解できないのに、顔に熱が来る。
耳などは熱いというより、痛いくらいだ。
――ハシタナイです!
と思うと同時に、これまた自分でも理由はわからないが、日頃厳しく自分を律しているにもかかわらず「いかにも女の子」としか言えない叫び声をあげてしまった。
――だってハッキリ見てしまいましたもの、ええ、仕方ありません!
謎の狼狽と自己弁護でいっぱいいっぱいになりそうになるが、そんな場合じゃないことを思いだす。
そうだ、自分が最初にひきつったような叫び声をあげたのは、生まれてはじめて男の子の全裸を目にしてしまったからではない。
この迷宮の最下層、最奥部である階層主の間。
その広大と言っていい空間に満ちる、「莫大量」でも表現しきれぬほどの魔力の残滓を、己の血統能力である『竜眼』で見てしまったからだ。
その魔力の残滓は今なお消えず、この空間を満たしている。
クリスタの瞳には、その魔力の残滓――漆黒に染められたように目の前の空間が見えている。
その中心で慌てたような表情をしている、美しい少年――顔だけ見れば美少女と思ってしまったかもしれないが、幸いにして? そんな誤解をする余地もないほどはっきり男の子だ――こそが、自分に女の子としては当然である羞恥の悲鳴ではなく、恐怖の叫びをあげさせたのだ。
――そ、そんな恐怖も上書きするほど、私にとって男の子のハダカは破壊力があるんですね……
見てしまった。
見たことの無かった頃の自分へはもう戻れない、という謎の喪失感と共に、自分のハシタナサに軽く戦慄するクリスタである。
――生娘でもあるまいし。っていえ、生娘なんですけれども。知識だけは豊富ですけど。
白と金に彩られた胸元に光る、豪華な首飾りとしか見えぬ『支配者の叡智』が与えてくれる「知識」はあらゆるジャンル、多岐にわたる。
クリスタが「耳年増」になってしまうのは、『支配者の叡智』を継ぐ者のお約束なのだ。
――ですけど解せませんね。
自分自身では「お爺様」を例外として、割とガチのオトコギライを自覚していたのだ。
実際、実の父親でさえ苦手という意識はあるし、それ以外の男性陣に至っては顔の美醜がどうのこうのいう以前に「男」として一括りで、つまりはジャガイモと同じであった。
別に女の子が好きというわけでもないが。
そんな自分であるのに、なぜか今目に映る男の子に対しては一切嫌悪感が湧いてこない。
全裸に外套一枚、右手に杖、左手に小動物という、常軌を逸したとしか言えない格好であるにもかかわらずだ。
いやそんなことよりも、今もクリスタの『竜眼』はその男の子の背後に、影のように色濃く残っている漆黒の魔力の残滓を捉えている。
膨大だとか、強力だとか、そういう域ではない。
クリスタが今までに見たことのある最大の魔力は、自分の「お爺様」が身に纏う魔力である。
その量、密度は竜族やそこらの迷宮の最下層主程度ではとても及ばぬほど圧倒的なものだ。
だが間違いなく、今クリスタの『竜眼』が捉えている魔力の残滓は、遥かにそれを凌駕している。
そして異形だ。
全裸でさえなければ女の子と見紛う綺麗な男の子、その身長を遥かに超える巨躯と、あからさまに人ではない輪郭。
特に頭部あたる場所には強烈な塊が四つ浮かび、巨大な枝角が左右に伸びている。
これが目の前の男の子の正体だというのであれば、害意を持たれた時点で自分はお終いだと確信するには充分なほどのもの。
思わず取り落とした巨大な片手剣と盾、クリスタが「姫騎士」と呼ばれる理由であるドレス・アーマーはすべてかなりの稀少魔法武具である。
それ以外の装備品もすべて、普通の冒険者であれば、まず入手不可能なものばかり。
だがそれとても、まるで紙の如く貫かれるだろうと判断できるだけの魔力なのだ。
事実、今の自分が「お爺様」と手合せしても、鎧袖一触ですっ転ばされることは間違いない。
それ以上の存在が相手となれば、自分が装備する稀少魔法武具など、巨象に対して蟻が武装したようなものでしかないだろうとクリスタは思う。
つまり、今や自分の生死は眼前の男の子の思惑一つで決まるのだ。
青ざめて震えこそすれ、真っ赤になって女の子らしく狼狽している状況ではない。
それこそ、男の子がその気になれば、そういうことも可能なのだ。
――そんな展開は望んでいません。望んでいませんよ? ですが嫌悪感が無いのはどうしたものでしょう。
これだけの禍々しい漆黒の魔力の残滓と異形の輪郭を『竜眼』に捉え、冒険者としての勘と経験が危険信号をこれでもかと発しているにもかかわらず、その中心で狼狽しているように見える男の子の表情を見ると恐怖も嫌悪感も何故だか霧散してしまうのだ。
――『竜眼』抜きでも、女の子としてはダッシュで逃げるべき状況ですよね、これ……
それでもだ。
「あ、あの! 信じられないとは思うんですが、一応言い訳させてもらっていいですか!?」
切羽詰まった様子で、その男の子が上ずった声を上げる。
趣味でしているのでなければ、確かに本人的にも相当に恥ずかしい格好ではあろう。
――意思疎通が可能なんですね。
意外を感じるが、男の子の姿からすればある意味当然でもある。
それだけこの場に満ちる魔力の残滓が異常なのだ。
クリスタの家に伝わる『預言の書・外典』に従って迷宮『アルク・ヴァラ』を単独攻略していたクリスタは、いよいよ最下層に到達し、今日こそ最下層主を倒そうと意気込んでいたのだ。
その状況で突然最下層の最奥で膨れ上がった魔力を感知し、同時に地震のような震動と、迷宮の通路にまで漏れ出す魔力を『竜眼』で追い、この場所に到達した。
結構距離があったため、辿り着いた時には震動は止んでいたが、それでも『階層主の間』への入り口から漏れ出す魔力の残滓はなお膨大なものだった。
そして入口から覗き込み、異形の輪郭を『竜眼』が捉えてクリスタは恐怖の叫びをあげたのだ。
その後、振り向かれて嬌声も上げたが。
「あ、あの……」
答えないクリスタに、おっかなびっくりという様子で距離を詰めようとする男の子。
それに対して、クリスタが思わず両腕で己の躰を抱くようにして後ずさったのは、恐怖のためか、羞恥のためか。
「そこで止まって! 手を上げてください!」
クリスタも切羽詰まった様子で、制止の声を上げる。
これまた意外なことに、その指示に男の子は素直に従った。
だが指示がいけなかった。
いや、敵対の意志が無いことを証明させるためというのであればけして間違ってはいない。
間違っているのは、その男の子の格好だ。
右手に杖、左手に黒い子猫を持ったまま両手を上げると、当然外套は大きく開く。
自分で指示しておきながら、ドレス・アーマーに包まれた自分の躰が、ぶわっと大量の汗を浮かべたことをクリスタは自覚する。
――こ、これはいけません。これでは私が痴女でしかありません。
「ぶ、武器を捨てて後ろを向きなさい!」
上擦った声で重ねて指示すると、男の子はそれにも素直に従った。
問答無用で襲い掛かってこないクリスタを、あえて敵に回すことは避けたいのだ。
襲い掛かろうにも、今のクリスタは剣も盾も取り落としてしまってはいるのだが。
右手の杖はそのまま手放し、床でカランという乾いた音を立てた。
左手の小動物はゆっくりと床に降ろして、手を放す。
子猫は不安げに男の子のことを見上げて、か細くにゃーんと鳴いている。
それに向かって「大丈夫だよ……たぶん」と小さく一声かけて、男の子はクリスタの指示通り背中を向けた。
――あ、王佐の獣。
この世界では希少種である猫を、この時代の人々はある理由から『王佐の獣』と呼ぶ。
それも尾が複数あるとなれば、クリスタの知る伝説で語られる『王佐の獣』の生まれ変わりにも思えてしまう。
毛色も漆黒、瞳は金色であるし。
――と、とにかくこれで落ちついて話ができます。
クリスタはクリスタで、男の子が問答無用で自分に襲い掛かってこなかったことに、その豊かな胸を撫で下ろしてはいる。
なぜか嫌悪感はわかなくとも、マッパに外套一枚の男に襲い掛かられたくなどないというのは、正直なところでもあるのだ。
今この瞬間に男の子の気が変われば、クリスタに対抗手段はないのだが。
外套に隠れておかしなことをしないという証明とでも言わんばかりに、両腕を高く上げたまま背を向けている男の子に、深呼吸をひとつしてクリスタは尋問を開始する。
「……まずは、名乗ってもらっていいですか?」
最初の質問としては真っ当なものだと思う。
どうしてこんな迷宮の最奥に居るのか、この膨大な魔力の残滓はどういうことなのか、先刻の戦闘は何と行っていたのか――そしてなによりも、なにがどうすればそんなとんでもない格好で迷宮に入ることになるのか。
――迷宮に入ってから脱いだのかしら?
迷宮の入り口まで、あの格好で辿り着けるとも思えないクリスタである。
冷静に考えれば、マッパでこの迷宮の最奥まで到達する方がよほど困難だろうが。
訊きたいコトは山ほどあれど、まずはあなたは誰ですか? から始めるのは、会話が可能な相手に対しては定石と言ってもいいだろう。
だが帰ってきた答えは、意外に過ぎるものだった。
「それこそ信じられないとは思うんですけど……それ、僕にもわからないんです」
落ちついて聞けば綺麗な声をしている男の子が、確かに俄かには信じがたいことを口にした。
「……は?」
思わず間抜けな声を出してしまうことを、クリスタは止めることができなかった。





