第101話 知らない自分
ぼんやりとしていたすべてのモノが、急速に焦点を結んでいくような感覚。
無意識の世界に散らばっていた、「自分」を構成するあらゆるパーツ。
それらが再構築されていくこのイメージを、自分はけっこう好いている。
起きるとすぐに忘れてしまう、覚醒の度に繰り返されるいつもの自分の思考。
だが今回は何か、微細な違和感を得る。
すべて揃ってこそ自分なのに、いくつかの――それも重要な欠片がいくつか欠落しているような喪失感。
自分の一部を、とり溢したような覚束なさ。
しかしそれが何なのかはもちろん、探すことも許されることなく、意識は覚醒への分水嶺をあっさりと越える。
――目覚め。
ベッドに寝ているような感覚ではなく、温い水中に浮かんでいる感覚が身体を通して覚醒した意識へと届く。
自分の躰を抱えるようにして、頭の天辺から足の先まで完全に水中。
にも拘らず、呼吸困難に陥ることもない。
そんな記憶など持ち合わせてはいないが、母親の胎内で微睡む胎児の感覚とはこういうものなのかもしれない。妙な安心感に包まれている。もっかい寝るか。
――いやそうじゃないだろ、俺。
普通であれば異常事態だ。
だが俺の意識は、なぜだかまったく慌てていない。
この状況を、たぶん躰が知っているからだろう。
まだぼんやりしている思考では、人類がベッドの代わりにL.C.〇が満たされた容器の中で眠るようになった未来なのかどうかの判断はつかない。
いやこんな要らん思考している時点で、俺が「未来人」ってことだけはないわな。
ゆっくりと目を開く。
水中にも拘らず、なぜか焦点はキチンと合う。
液体の色である碧が全体にかかっているが、自分の躰も、液体が満たされた容器の外側を確認することも充分に可能。
どうやら視力に優れるらしい目に映る風景は、普通に暮らしている人間が朝の目覚めと共に得るものだとは、とてもじゃないがいえそうにない。
割と高めの天井だが、石造り。
広い空間には石柱が幾本も並び、石畳が敷き詰められている。
明確な光源はないのに、なぜかうっすらと明るくて、ある程度の距離まで見通すことが可能。
つまり――
――迷宮の風景。
ここが何階層かはわからないが、間違いなく見慣れた迷宮の風景であることは間違いない。
それも天井の高さと空間の広さからいって、階層主の間というアタリが妥当な線だろう。
そんなところでSFとファンタジーを合わせたような謎の球体に満たされた緑の液体の中に浮いているとなれば、俺自身こそが階層主だとしても不思議はないが、開いた目に映る躰、四肢はどう見ても人間のもの。
しかもかなり鍛えられ、引き締まってはいるものの「少年」の域を出るモノではなさそうだ。
――ああ、これで二回目だな……
意識も急速にはっきりしつつ、なぜか妙なことを、そのくせ明確に意識する。
この辺の思考は、意識がはっきりすればするほど朧げになるから厄介なんだが……
ピィン!
という高く澄んだ音と共に液体を満たした球体が砕け、碧の液体が溢れて俺の身体が迷宮の空気に晒される。
当然のことながらマッパである。
温水に濡れた躰でありながら、不思議なことに寒さはそれほど感じない。
なにかと心許なくはあるが。
同時に意識はよりはっきりとし、思考は明瞭。
マッパの自分が男性体であることに少々残念さを感じているのは、俺が男であることの証左であると言えるだろう。
もしも女性体だった場合、自分がどういう反応をしていたかはわからないわけだが。
喜ぶんだろうか、やはり。
ゲームでのメインキャラは男性体だが、サブキャラはほぼすべて女性体で揃えていた俺としては、女性体であってもそう不思議はないと思うんだがな。
ともあれまるで猫のように体を細かく震わせて、碧の液体をできるだけ弾く。
なんかぬるぬるしていて気持ち悪いが、タオルもないので仕方がない。
――……誰かがよくやってたよな、猫のその仕草。
猫でも飼っているのかもしれないな、俺は。
ともかく。
うーん、それこそ女性体であればサービスシーンにもなり得たんだが。
男性体であってはしょうもない。
四肢が問題なく動くことを確認し、割れた謎の球体の欠片で怪我をしないように慎重に迷宮の床へと降りる。
意識することなく、音もなく着地できるアタリ、この躰はかなり高性能だと言っていいだろう。
腹筋はわれているし、腕や脚も絞り込まれたような筋肉をしていて肉弾戦でも充分に強そうだ。子供だが。どこで判断したかは特に秘す。
床に落ちている、割れた球体の欠片を拾う。
その欠片に映る自分の顔を確認。
濡れた碧の瞳。
同じく湿って肌に張り付く髪は、白に近い輝く金髪。
整った目鼻立ちの、少女と言っても通じそうな少年の顔。
――いやー、これ俺本人じゃないわ。間違いなく仮想化身だわ。
反射的にそう思うくせに、妙に懐かしく、しっくりきてもいる。
そうでありながらもっと歳喰ってなかったっけ? とか、角がねーな、とか、自分でも謎な思考がポンポン浮かぶ。
俺の持ちキャラだったのかな? などとアホな考えも頭に浮かぶが、そもそもゲームとはこんなに現実的な代物ではなかったはずだ。
少なくとも今俺が感じているこの感覚は「現実」としか思えないし、自分がサードアイ・コネクタ装着してVRモードのゲーム中でないことくらいははっきりとわかる。
そのくせ今この目で見、躰で感じているこの迷宮を「そういう現実・日常」ではなく「ゲームが現実化したものである」という妙な確信だけはあると来た。
いやさっきからつらつらと馬鹿なことを考えているのには、当然理由がある。
表面的な思考とは裏腹に、俺の本音は実際今相当慌てている。
というか慌てだしている、といった方がより正確かもしれない。
要らん知識は山ほどあるっぽい。
名前は思い出せないが、こんな迷宮にこういう風にプレイヤー・キャラが生れ落ちて始まるゲームを知っているし、その攻略情報とて集中すれば思い出せそうだ。
だが、肝心なことがわからない。
思い出せない。
それが「どうやって今この状況に至ったのか」であればまだマシだったのかもしれない。
なんなら覚醒してから今までの思考から自分を分析するに、「異世界転移だぜヒャッホウ、ステータスオープン!」くらいは言ってのけたかもしれない。
だが思い出せないのはそれじゃない。
俺は、誰だ?
自分が「誰」なのかを思い出せない。
要らんことを考えるに足るだけの妙な「知識」ばかりあっても、一番大事なそれが欠落している。
知らない自分。
知らない天井だ、とか言ってる場合じゃねえ!
やっべえ、新しい異世界転移のカタチかよ?
いや俺が知らないだけで、この手のパターンも結構あるのかもしれない。
どうしよう、結構冒険が進んでから
『貴様は創られた人格だ。オリジナルは俺だ!』
みたいなことを、敵だと思っていたやつに言われるような展開だったら。
……ソッコでこういうパターンを想像してしまうあたり、オリジナルかコピーかは置くとして、俺は大概な人間であることはどうやら間違いないようだ。
時代ははっきり思い出せないが、日本人であるという自覚はきっちりあるしな。
仮想化身ではない本当の自分については、思い出さない方がいいのかもしれない。
いや、今はそんなくだらんことを考えている場合ではない。
この世界――『迷宮』が俺の要らん知識にあるとおり、名前を思い出せないあるゲームが現実化したのだか、フルダイブ型VR実験の被験者にされたのだかの場合……
――迷宮に響き渡る咆哮。
ほ ら ね 。
プレイヤーはマッパで、最初の敵を屠る必要があるのだ。
嫌な記憶というか知識だが、慣れていない初見プレイヤーはわりとあっさり殺されたりしていたはず。
この状態で死んだらどうなるかなど、想像したくもない。
……ハクスラ系アクションRPGのお約束として、「死んだらキャラクターは墓になるよ!」も確かあったはずだし、現状はそうだと判断しておいたほうが良いだろう、間違いなく。
スロットの墓データ削除→新キャラ作成なんて、この状況でどうやるんだって話だしな。
いや、そんなに慌てることもないか。
コレは確かスピンオフ作品で、メイン作品のプレイヤーデータがかなり影響を及ぼしていたはず。
そうであれば、俺のメインは……
そのへんもはっきりとは思い出せないが、なんか妙な安心感があるのは確かだ。
だが油断だけはしないように気を付けよう。
マッパで装備無しでの戦闘なのだ。
とはいえステータス・オープンはできなくとも、別に素手で殴りかかる必要があるわけでもない。
自分が誰かは思い出せないくせに、はっきりと確信できていることが一つある。
俺は『魔法使い』
それも『無敵』といって、過言ではないほどの。
俺は咆哮を上げる巨大な魔物へ向けて、まっすぐに右手を伸ばす。
おそらくは手慣れた、『魔法』を発動させるために。
マッパで。
第六章スタートです。
もしかしたら『異章』扱いとなるかもしれませんが……
時間軸で言えば五章終了時から次の『世界変革事象』までの間のお話となります。
舞台は変わらずラ・ナ大陸、五章までに登場したキャラクターたちも後々登場いたします。
『冒険者ヒイロ』と『天空城』、ポルッカさんや三美姫、ヒイロに関わった人たちが築き上げた「今までにあり得なかった世界」を、明暗双方上手く書ければいいなあと思っております。
「T.O.T」というゲームを土台にした物語を思いついたとき、『天使襲来』と共に「書いてみたい」と思ったお話です。
楽しんでいただけるよう頑張りますので、できれば読んでいただければ嬉しいです。





