第98話 誰も知らない歴史への分岐
――もともと勝てない設定の上になあ……
己が下僕の一体。
それも『天空城』において、序列一桁に名を連ねるまでに鍛え上げた『堕天使長』ルシェル・ネブカドネツァル。
百回を数える『世界再起動』を、常に最精鋭の一人としてレベリングされたルシェルのレベルはとんでもない域にまで達している。
そもそも第一回目の『世界変革事象』において入手可能な『堕天使長』は、プレイ初期においては難敵である『天使襲来』の最終ボス『天使長』への特効を持っているのだ。
同レベルでの対峙ですら必敗を約束されている相手が、数レベルどころか数倍、数十倍上のレベルになっていたらどんなことになるのか。
それが今、主である『黒の王』の眼前で展開されている光景である。
――正直エグい。
現在『黒の王』であるからには表情には出ないし、余計なことさえ言わなければ内心自分が「甘引きしている」ことを下僕たちに悟られる心配はない。
ないが、仮にも「己自身」という自覚がある相手にこれはあんまりだと思うのだ。
ゲームとして『T.O.T』をプレイしていた時に意識したことは無かったが、現実となっている今、ある意味「己自身」を嬲りモノにする下僕の本性全開はなかなかにおぞましい。
「輝ける天上の明星」は、堕天使長が現出させた巨大な『逆十字』に茨と無数の釘をもって磔にされ、十二枚翼をすべて毟られてぐったりとしている。
ルシェルが最も忌避する、「余計なこと」など一言も口にする余裕など与えられることもなく、あっという間に俎上の鯉にされているのだ。
この場合の敵が、文字通り己の『生きた黒歴史』だというのは理解できなくもない。
とはいえ、何がそこまで下僕たちを駆り立てるのかを本当の意味で理解できないというのが黒の王の本音だ。
――これ、ルシェルだから「エグい」で済んでるけど、鳳凰とか真祖あたりの女性体だとかなりなんというか、ほら……どっか背徳的になるんじゃないかなあ……
嬉々として己自身を蹂躙する鳳凰や真祖というのは、確かにどこか淫靡さをはらむかもしれない。
とはいえ、どうも周りに戻ってきている序列上位者たちの様子からして、「ルシェルの気持ちはよくわかる」という空気が醸し出されているのだ。
誰一人として「やり過ぎ」だとか「そこまでせずとも」という様子を見せていない。
わりと常識人だと黒の王が判断している、相国エレアや執事長セヴァスチャンもその例に漏れない。
己の肩に戻った千の獣を統べる黒ですらそうなのだから、今後は意識して『天空城へ合流前の自身』との対峙は、なるべく本人にさせてやらなければならぬようだと黒の王は理解する。
ゲームではなく現実化した現状、そのあたりの気遣いは必要なものなのだろう。
まあそれはいい。
だが状況がこうなっている以上、ゲームであれば「当然」としていたことを、今回はひかえておく必要があると黒の王は判断している。
だがその前に下僕たちに訊いておきたいコトもある。
「そこまで憎いか? 我が軍門に下る以前の己が眼前に現れれば」
訊く。
内心甘引きしていることをおくびにも出すことなく、黒の王がすでに周りに全員そろっている一桁№sに尋ねる。
――声がこう渋いと、言葉遣いさえ気を付けていればなんとなく重々しく、カッコよくなるからいいよなあ……
などと呑気なことを考えながらの問いであったが、意外なことに全員がわかりやすく項垂れた。
全竜ですらそうなったことに、黒の王はけっこうな驚きを得る。
己の肩にのるシュドナイも、顔を主の方へ向けることなく俯いており、九本の尻尾全てがなんだかしんなりしている。
序列上位者ではない白姫でさえも、直近に己が『天空城』配下となる前に主――黒の王に吐いていたすべての台詞を思い返してアホ毛がしんなりしている。
どうやらこの件で一切のダメージを受けずに済むのは、表示枠の中で冷静な表情を保っている管制管理意識体だけらしい。
「はじまり」から一切ぶれることなく主と同じ側に立ち、敵対した経験が無いのはユビエだけなのだから当然といえば当然だろう。
無表情を装いながらも、どこか誇らしげなのが黒の王には面白い。
これについては反撃の糸口を持ち得ず、「ぐぬぬ」という表情をしているエヴァンジェリンやベアトリクスも。
「な、なんと申しましょうか……もしも自身で対峙することを許可いただけなかった場合、己が記憶にあるアレを、我が主に対して行う様子を現在進行形で客観視することになるかと思うとですね……」
項垂れてはいるものの、主の問いに誰も答えないというわけにもいかない。
よってこの場合、ユビエを除いた序列最上位がみなの半目を向けられて答えるしかなく、絞り出すようにしてエレアが職責を全うする。
「そういうものか」
「……はい」
半ば以上、本気で感心しなから聞いていた黒の王に、らしからず本気で辛そうにエレアが答える。
「敵と戦う前の口上としては、そうおかしなものでもあるまい」
フォローのつもりでそう口にする黒の王だが、どうやらより下僕たちを追い詰める結果になっているらしい。
具体的に言われたことで、あえて思い出さないようにしていた当時の己の言動が頭に浮かび、強大なあやかしであるはずの下僕たちは皆、顔を赤くしたり蒼くしたりしている。
黒の王の言葉どおり主を敵と見做していた事実は、大事ではあってもキッツい記憶なのである。
常に冷静なエレアなど、「人に絶望して世界を滅ぼそうとしていた」自分を思い出して、その辺をのたうち回りたくなっているのである。
百年近くの間が開くとはいえ、次の『世界変革事象』の中心が自分であるだけに、生々しさが他のものとはちょっと違うエレアなのである。
『天空城』の序列上位者たちのこんな様子などめったに見られる代物ではない。
主である『黒の王』にとっても、何事にも動じない無敵の下僕たちの頂点に立つ彼ら、彼女らがこうなっていることに面白みを感じている。
「……たしか、ベアトリクスは」
軽い気持ちで口にすると、常にない胸を反らして踏ん反り返っている左府真祖吸血鬼がその場に膝をついて崩れ落ちる。
顔を己の手で覆い、真っ赤になっている。
――そこまでか……割とツンデレまんまな口上だったと記憶しているのだが……
「……やめた方がよいか?」
問えば全員に力強く頷かれた。
これは続けた場合、どうやら「パワハラ」とか「セクハラ」に分類される案件のようだ。
少なくとも下僕たちにとってそうであるならば、主としては止すべきだろう。
悪意はないしちょっと愉しいのは確かだが、「パワハラ」だの「セクハラ」だのというものは、やっている方の主観など重要視されるべきではない。
相手が嫌がっているのであれば止しておくべきなのだ。
どうやら「嫌よ嫌よも好きの内」というわけでもなさそうなことだし。
「御慈悲をいただければ……」
「よかろう」
エレアの答えを首肯した黒の王の言葉に、あからさまに全員が胸を撫で下ろす様子を隠すことすらもできていない。
その様子にある意味、男性体、女性体を問わず「可愛らしい」下僕の姿を見たければこの話題は相当に有効な手段であることを黒の王は理解する。
――本気で泣きの入らない程度に弄るには、ちょうどいいネタなのかもな。
今度夜の話題に出してみようなどと、結構意地の悪いことを考えている黒の王である。
分身体の時はどうも優位を確立されつつあるエヴァンジェリン、ベアトリクス、白姫あたりに対する反撃の「切り札」としては、なかなかに有効だと言えるだろう。
それにヒイロも男である。
照れたり慌てたりする美女というのはいいものなのだ。
冗談はそこまでに、黒の王はほぼ止めを刺し「いつもの工程」に入ろうとしているルシェルのもとへ突然「転移」を行い、それを止める。
「そこまでだ、ルシェル。――今後一切の『吸収』を禁ずる」
突然のこととはいえ、主の命に反することなど下僕たちにはあり得ない。
もはやどうとでもなる「己自身」を前に、突然「転移」してきた黒の王に慌てることもなく空中で跪くルシェル。
指揮所にいたエレア以下、序列上位者たちも同座標へ瞬時に移動してきている。
そしてその場で全員が、命を発した主の前、ルシェルと同じく首をたれて跪く。
「では、どうなさいますか?」
ここもやはりエレアが代表して、主の意志を確認する。
――吸収。
倒した「己自身」を取り込み、レべルアップなどよりもはるかに強化することが可能な特殊な手段。
これは百回を数える『世界再起動』の度、己自身と対峙した下僕たちがみな繰り返してきた「当然の行為」である。
そもそも『世界再起動』の目的は『天空城勢』の強化である。
その最も有効な手段を止めることは、本来であれば在り得ない。
だが主の言に反論することなく、『天空城』に降る前の己自身――今回の場合、堕天する前のルシェル・ネブカドネツァルをどう扱うかを問うているのだ。
主がそうが命じるのであれば、処分――殺すことすらも当然として。
しかし黒の王は処分する気は無い。
当然先の発言のとおり、吸収させるつもりもまた無い。
――避け得る罠の可能性は、すべて回避する。
吸収対象の下僕に、仕込みが無いとは言い切れない。
今までの「吸収」であれば、黒の王との対峙を除けば寸分たがわぬ過去の己の記憶が合流するだけだというのは皆から聞いて理解している。
だが今回もそうだという保証などどこにもない。
己の下僕たちと混ざることによって、遅効性の罠を仕込まれることも充分に考えられるのだ。
強化を焦ってそれにまんまと引っかかるような愚は避けたい。
おそらくは『十三愚人』との戦いが本格化すれば、彼らの下僕との対戦も考えられるのだ。
その際も「吸収」は避けた方がよいと黒の王は判断している。
よってこうする。
「私が預かろう。問題なしと判断すれば、各々に今までどおり『吸収』させる」
『黒の王』の言葉と同時、その本体の周囲に無数の本が浮かび、その一冊一冊の周りをこれもまた無数の頁が取り囲む。
――おー、こんな風になるのか。
これは「プレイヤー」の「キャラクター保有可能数」を現実化、可視化したものである。
このページの分だけ『天空城』は下僕を保有することが可能で、それは「同一」の下僕であっても例外ではない。
プレイアビリティ向上系課金を上限まで行っていた『黒の王』の中の人である。
千を超える下僕そのすべてを全揃えしてなお、余裕は充分以上に保っている。
今展開されている本、頁の数だけまだ保有可能なのだ。
黒の王本人でさえも内心驚いているこの光景に、下僕たちも皆度胆を抜かれている。
堕天前の天使長、「輝ける天上の明星」が頁と化して本に取り込まれる様子など、下僕たちにとっても初めて見る光景なのだ。
ここでも慌てていないのは下僕や武器が「カードとして保有される」ことをゲーム・インターフェースとして理解できているユビエだけである。
だが主の前に跪くすべての下僕たちが、そういう風に己が所有されていることを理解して、どこか嬉しそうなところが救えぬところといえなくもない。
「さて、これで『天使襲来』は凌ぎ切った。――みなご苦労」
展開していた本・頁を格納し、『黒の王』が告げる。
最終ボスである『天使長』を倒し、頁として格納したからには確かに『天使襲来』は今この瞬間に完了したのだ。
ただし、ゲーム時代には存在しなかった結末と共に。
「指揮所で待つ人の代表たちにそれを告げる前に、今後のことを少し話し合っておこうか」
よって『黒の王』は己が下僕たちへと告げる。
百回を数える『世界再起動』において、一度も辿ったことの無い『誰も知らない歴史の分岐』をこれから辿ることを。
そしてそのために、必要だと判断していることを。





