第97話 僕は己の過去と対峙する
『第七の喇叭』――最後の喇叭がラ・ナ大陸に響き渡る。
第六までの滅びの喇叭、そのすべてをほとんど被害を出すことなくしのぎ切り、すでに指揮所では天空城の序列上位者たちが、落ち着いた空気を醸し出している。
魔法陣も魔導具も使用せず、当たり前のように己の能力で『転移』を発動し、各々指揮所に帰還しているのだ。
ついさっき、とんでもない大規模殲滅魔法――『累奥義』を以って空を埋め尽くした天使の大群を薙ぎ払った『黒の王』、その左右に付き従う『鳳凰』、『真祖』も涼しい顔で当たり前のように帰還してきている。
いろいろと覚悟を決めた三美姫も、分身体であればまだしも『黒の王』に女としてじゃれつく気概は未だ無い。
一方牽制したいであろうベアトリクスもエヴァンジェリンも、主の本体たる『黒の王』にはやはりまだ分身体に接するようにはできないらしく、僕としての分を守っている。
戦う力にあらず、女性の魅力とある意味毒を駆使しての戦いがこの場で始まらなかったことに胸を撫で下ろしているのははたしてポルッカか、再び小動物形態となって『黒の王』の肩へと戻っている千の獣を統べる黒か。
あるいはその双方、それどころか『万魔の遣い手』や『執事長』をも含んだ男性、男性体すべてなのかもしれない。
戦い方を知っている女同士の鞘当というものは、当事者でない者にも要らぬ圧力を与えてくるものなのである。
その参戦者たちがみな美しく、嫋やかな笑みを絶やさぬものであれば尚のこと。
とはいえ本来はそんなのんきな状況ではない。
響きわたる喇叭の音に合わせ、七体の今までよりも巨大な天使が顕現し、それぞれが世界に害為す災い――神の怒りによる『天罰』を下さんとしている。
どれ一つをとってもラ・ナ大陸に甚大な被害を及ぼす規模のもの。
だがそれらが発動されることはもはや無い。
中央に顕現した一際巨大な一体――天上の輝ける天使長、ルシェル・ネブカドネツァルを除いた六体には、すでに『天空城』の序列下位の僕たちが無数に纏わりついているからだ。
そして光輝に満ちた『天使長』には、天空城の『堕天使長』が対峙している。
本来は強大な、人の力では如何ともしがたいはずの敵が、蟻の群れに集られた死にかけの蝉よりも脆く喰らい尽くされてゆく。
それはすでに人に仇為す敵たりえず、ただの無双の集団、その下っ端の滋養でしかない。
「恐ろしいですか?」
見た目だけであれば、美しい天使たち。
それに反して、真の姿を現してそれを蹂躙する『天空城』の僕たちはどう見ても悪役、というよりも人にとって邪悪な姿の者の方が圧倒的に多い。
美しく巨大なものを、おぞましく小さき者が集って汚す様子は、おぞましいものとされても仕方がないような情景ではある。
天使が美しい頬に血の涙を流しながら絶叫し、僕たちが先の雑魚天使たちのようにげたげたと下卑た笑いを発することもなく、黙々と「任務」として殺戮を遂行しているとなればなおのことだろう。
それを目の当たりにしている人の世を代表する四人、ポルッカ、スフィア、ユオ、アンジェリーナに対して、万魔の遣い手、天空城における相国の地位にあるエレアが尋ねたのだ。
エレアは『天空城』の序列上位者の中では珍しく、その出自が人である。
それ故に人のことを元より妖であった存在よりも深く知り、時にあやかし、バケモノなどよりも深い闇を宿す事実も知っている。
もはや人を棄てたエレアが抱える闇を詳しく知るのは、『黒の王』のみではあるが。
「恐ろしくないといえば、さすがに嘘になるがの」
不敵な笑みを浮かべてスフィア・ラ・ウィンダリオン幼女王が言う。
そのうすい胸では『支配者の英知』が、その美しい蒼光を放っている。
たとえその王家に伝わる神器の力を借りているとはいえ、実年齢からすれば強がりとても先の台詞を言えるのは大したものといえるだろう。
スフィアはその通り名のまま、未だ幼女と呼ばれて然るべき年齢なのだ。
ヒイロをめぐる舌戦を見ていると、つい忘れがちになるのもある意味仕方がないのだが。
「でもみなさま、ヒイロ様のお味方なので、しょう?」
少々不安げながら、ヒイロの名を口にすることで己を奮い立たせるようにユオ・グラン・シーズ第一皇女が続く。
ユオは己の唯一能力である『竜眼』のせいでこの戦場に溢れかえる圧倒的な魔力が見えている。それだけに他のものよりも、恐怖の感情は確かに強い。
それでも恋する女は強いのである。
少なくとも『高貴なる者の義務』などをのたまうよりは、よっぽど素直で重い。
「であれば閨にて「怖いです」と囁いた方がよろしいかしら?」
くすくすと笑いながらアンジェリーナ・ヴォルツ総統令嬢が、悩ましげな視線を『黒の王』の広い背中へと向ける。
これはエレアに答えるというよりは、半ば以上エヴァンジェリンとベアトリクスへと向けた言葉だということはこの場にいる誰もが理解している。
「みな、お強い」
『黒の王』の肩で猫でありながら「げんなりした表情を見せる」という、ある意味高度な技を披露している千の獣を統べる黒を一瞥しながら、エレアが笑う。
その背後ではセヴァスも苦笑いを隠してはいない。
ポルッカに関しては、正直天使と僕たちの戦いの光景よりも、今のこの空気の方がよっぽどおっかないと感じていることを、その表情で雄弁に語っている。
最近『肩を竦める』仕草が、本意にはあらず様になりつつある、我らが冒険者ギルド総長ポルッカである。
――この方々が本気で我が主を好いてくれているのであれば、まずは問題はないか。
これまで一言も語ることなく、己が陣営を強化するリソースの一部としか人の世を見ていなかった『黒の王』であれば、エレアがこのような余計な心配をする必要などまるでなかった。
『天空城』が持つ力によって思うが儘に蹂躙し、力及ばねば滅びればそれでよいというシンプルなものだったからだ。
しかし今回の『世界再起動』後の『黒の王』は、人を「棄てたものではない」と判断し、その力を以って明確に人の世の味方をしている。
――だからこそ。
その味方と思っていた者たちから裏切られることほど、人の心に闇を落すモノはないのだということを、エレアは嫌というほど知っている。
敬愛し、絶対的な服従を誓う我が主に、間違ってもそんな想いを得てほしくなどない。
今回の、畏れ多くも「お人よし」とさえ見えるところがある『黒の王』、その分身体である冒険者ヒイロであればなおさらである。
よって、いざとなれば『執事長』セヴァスチャン・C・ドルネーゼと共に、その萌芽を抓むことに一切躊躇いなど無い『相国』エレア・クセノファネスなのである。
とはいえ当面は頼りになる女傑たちと、そういう点では連携できそうなポルッカ・カペー・エクルズがいてくれているのでそう心配はしていない。
だが彼、彼女らも今はただの人である以上、これから続く『天空城勢』の永い時間には最後まで付き合うことができないのもまた事実なのだ。
――まあそれは今、考えることでもありませんね。手が無いわけでもありませんし。
「さて長らくはりつかせておいて、見せ場がこれだけというのも心苦しいが……任せるぞ我が『南夏軍団長』にして『堕天使長』たるルシェル・ネブカドネツァル」
結構頼りになりそうな人の世の代表たちの答えを聞いて、我知らず思索にふけっていたエレアを現実に引き戻すように、主である『黒の王』が、『天使襲来』に備えてこの周の最初期から前線に張り付いていたルシェルへ声をかけている。
『もったいなきお言葉です、我が主』
その澄んで響く、聴きようによっては女性のものとも思えるルシェルの声に、皮肉の響きなど一切混ざってはいない。心底からの本音である。
そう答える眷属、『堕天使長』ルシェル・ネブカトネツァルの気持ちはエレアにはよくわかる。
いやエレアのみならず、『イベント獲得系』の僕たちの気持ちは皆同じだろう。
これは『黒の王』に絶対の服従を誓う僕だからと言う理由だけではない。
『どれだけの時間がかかろうと、どれだけの苦痛を受けようと、愚昧なる我が身を己自身で処分する赦しを賜れることに比べれば、いかほどのこともございませぬ』
その通りだとエレアも、セヴァスも、こればかりはエヴァンジェリンやべアトリクス、千の獣を統べる黒ですらも全面的に同意する。
成長し、過去の自分など鎧袖一触できるようになった僕たちにとって、過去の己――イベントにて我が主に敗れ、その軍門に下る前の己の言動など思い出したくもないのだ。
その対処を己自身で行う許可をもし頂けねばどうなるか。
取るに足りぬ力のくせに圧倒的な力を持ち、いまや敬愛している『黒の王』に対して偉そうな口上を述べる己自身を見なければならないという、ちょっと勘弁してくれというレベルの罰ゲームとなるのだ。
その許可を賜れるというのであれば、一年や二年前線に張り付くことのなにを厭うというのか。
よって『天空城』に属する『イベント獲得系』の僕たちの中で、ルシェルが与えられた今回の任務を苦行だと思っている者はだれ一人として存在しない。
よかったなあ、序列№0007殿、ってなものである。
そしてそれは、当の本人であるルシェルこそが最も強くそう思っているのだ。
幾度かそういうことはあった。
物言わぬ『黒の王』へさんざん偉そうな口上を述べ、当然のこととして瞬殺される。
何がきついと言って、今に連なる己の中にもその記憶がキッチリあるということだ。
それから幾度も『世界再起動』を経た己らの主に、当時のままの己のなにが通用するというのか。
にも拘らず、当時のままの己は、己の中の記憶と一字一句違わぬ口上を述べる。
それどころか今回は、『黒の王』との意志疎通が可能となっている。
記憶のままにある愚かな己に、怒りでも蔑みでも、なんなら憐みであってもかけられたらとても立ち直れそうにない。
そうなることに比べれば、今この場を任せていただけることに勝る『寵』はないとルシェルは考えているのだ。
「さて愚かなる私自身よ。余計な口をきく前に、此度も我が一部としてやろう」
ウィンダリオン中央王国王都ウィンダス上空。
『九柱天蓋』よりも、『天空城』よりも高高度で、二体の十二枚翼を持った天使が相対する。
一方は純白、輝ける光輪と光背を備えた神々しい『天使長』
一方は漆黒、光輪の代わりに捻じれた山羊角を生やし、十二翼も闇に染めた『堕天使長』
だが不在の神を信奉する一方は知らない。
己を鏡映しにして黒く染めたような、実在する魔王を信奉するもう一方が、圧倒的というにも愚かしいほどの『力』の差を持っているということを。





