第96話 杞憂と楽観、未来に必要なものを述べよ(達観では?)
「あれが、人の守護者の本当の力……」
指揮所に残ったポルッカが思わず口にする。
当然ポルッカには、今発動されたものが『累奥義』だなどとは理解できない。
最初に数万もの天使の群れを一瞬で薙ぎ払った『死鏡砕剣』も、それを何とかしのいだ巨大な四体の御使いを爆発四散させた『黒縄縛乱レ焔』も、黒の王が行使したのだということくらいしかわからない。
本当の意味において、何一つ理解できていない。
――ある意味においては、それで充分だともいえるのだろうけど、な。
ポルッカは、秘匿級冒険者である分身体の力を目の当たりにしたことがある。
アルビオン教の暴走、アーガス島接収宣言から連なった一連の騒動。
その決着の場となったアットワ平原にて、アルビオン教の主神である『アルビオン』をこともなく屠ったヒイロの変身――黒の王との『合一』による『魔神形態』は充分に「人の域」を超越していた。
だが如何に「神」と呼ばれる存在を倒したにせよ、人の身からすれば巨躯に過ぎる魔物を狩ったにせよ、思えばそれはまだポルッカたちが理解可能な光景だったのだ。
ものすごく強い存在――のちに『英雄』や『勇者』と呼ばれるようになる者が、巨大な魔物――メジャーなところでは竜などを倒す『英雄譚』は枚挙に暇がないし、『伝説』と呼ばれるもののほとんどがそのような要素を含む。
それに規模こそ違えど、迷宮や魔物領域で、それに近しいことを目にすることもできる。
特に『連鎖逸失』を解かれてからは、それまで不可能だとされていた大型魔物を、一党を組んでとはいえ倒すことも日常となりつつあるのだ。
犠牲が皆無というわけにはいまだ行かないのもまた、一方の事実とはいえ。
だがたったの数人――数体が、空を埋め尽くし数えきれぬほどの敵を一瞬で薙ぎ払うなど、『英雄譚』でも語られることはない。
そんなことが語られるのは『神話』――『神』がその絶対的な力を行使し、御心に添わぬ人間の世界を一夜で滅ぼすといった類くらいだろう。
思えばヒイロから聞かされた今回の『天使襲来』の本来の発生は、戦に明け暮れてラ・ナ大陸を荒れ果てさせた人に愛想を尽かした『神』が、その御使いを以って人の世を滅ぼすというものであった。
――つまりはその『神』サマすらも凌駕する力の持ち主が、人の守護者ってわけだ。
ポルッカは先の発言の後に、生唾と共に呑み込んだ言葉がある。
曰く、『今のところは』
人の意志を以って、『天使襲来』――それこそ『神』としかいえない存在が仕掛けてきた罠を食い破り、天使の力すら『堕天の軍勢』として取り込み、高揚している多くの者たちには、そこに思い至ることができない。
本来はポルッカと同じ、もしくはそれよりも上の視点を持てる、いや持って然るべきともいえる三美姫であってもそう見える。
人の世の指導者としての立ち位置に慣れているはずの三人が、今は機能していない。
指導者としてよりも、一人の女としての想いの方が強くなっているように見えるからだ。
少なくともポルッカにはそう見える。
ただ高貴な立場に生まれた、人を統べる立場にあったというだけでヒイロの側にいることができただけだと、この一年間本人たちこそが強く感じていたところへ今回の『憑代』の一件である。
黒の王たち『天空城勢』が持つ圧倒的な戦闘力だけではどうにもならない罠を、それぞれの国に忠誠を誓う者たちを楔にして食い破ってみせた。
切っ掛けこそ、死を超えた元アルビオンの聖女に与えてもらったとはいえだ。
そのことで『黒の王』――その中の人である「ヒイロ」が彼女らを見る目が、確実に変わっただろうとポルッカでさえもそう思う。
――ヒイロの旦那のときゃそれなりにわかる自信もあるんだが……『黒の王』はなあ……
表情など浮かばないので無理もない。
揺れる『ゲヘナの火』を見つめていると、変な汗が出てくるのを未だ止められないポルッカである。
それでも自分たちがやってみせた時、黒の王が纏う空気は確かに変わったのだ。
――いやまあ、その方がいいのかもしれねえ……な。
今見せられた圧倒的な『力』が、黒の王の――ヒイロの気分一つで自分たちへいつ向けられてもおかしくないのは確かな事実。
とはいえ、そうなった時に備える術などありはしないこともまた厳然たる事実なのだ。
ではヒイロの機嫌を損ねないように、側にいる自分たちが媚を売って諂うのが最善手かと問われれば、それは間違いなく悪手だろうとポルッカは思う。
今まで通り接するしかない。
そういう意味では『魅力的な女性』とヒイロに見做されたスフィア幼女王、ユオ皇女殿下、アンジェリーナ総統令嬢に、女として頑張ってもらうのがもっとも効果的ともいえるだろう。
ヒイロとてつまるところ男ではあるし、自分のように小賢しい思惑を巡らせて接するよりも、好きな男に一生懸命な美女たちに任せた方がよさそうだ、とポルッカは思う。
そう、杞憂よりは楽観を軸にした方がいい。
増長することだけはないように、己を律する必要はあろうが……
そう腕を組んで考え込んでいるポルッカの背後から、わりと失礼なことを考えられている三美姫――スフィア、ユオ、アンジェリーナの三人が声をかける。
「みくびられておるのう、我らも」
ポルッカが何を考えていたのかなど「御見通し」と言わんばかりのスフィアが、ない胸を反らして踏ん反り返って言う。
――真祖殿に対抗してるのかね?
「えー、と。ここ一年の私たちだとしかたないかも……ですけどね」
その美しい頬をわずかに染め、ユオがフォローめいた言葉を苦笑しながら口にする。
確かにこの一年、ポルッカの執務室で繰り広げられたやり取りが頭に在れば、自分たちはヒイロという男性に熱をあげているただの小娘と見られても仕方がないかとは思うのだ。
心外ではあるが、それが一方の真実でもあるのが嬉しかったりするのが我ながら手遅れ感を否めない。
正直、ついさっき皇女としてのやるべきをやれた高揚感と、それを以って「褒めてもらえる!」と喜んだ自分のことを、今ではけっこう好きなのだ。
「ふふ、私はポルッカ様の予想通りのこと程度しか考えてはいませんわ、初めから」
妖艶に笑うアンジェリーナ。
正直立場とかなんだとかを度外視して、人としての経験値でまるで勝負になっていないと判断しているアンジェリーナの笑顔にある意味ポルッカが一番慌てる。
アンジェリーナだけはなぜか「年下の御嬢さん」と単純に見ることができないのだ。
「うお! いや、あのですな……」
ひとっことも口には出していないのに、ほぼ正確に己の杞憂と、そこからの楽観に至る思考を見抜かれている。
そのことにポルッカ・カペー・エクルズ子爵、冒険者ギルド総ギルド長(所帯持ち)がわかりやすく狼狽える。
「奥方もそのように見くびっておっては、いつか取って食われるぞ?」
「男性と女性ではほら、ものの見方が違うと言いますし」
容赦ない追撃を入れてくるスフィアと、フォローのようでそうではない言葉をかけてくれるユオ。
正直耳が痛いポルッカである。
冒険者ギルド総長だとか、子爵様だとか言われても、男というのは女性には勝てぬと考えて動いた方がいいかなあ、と思わざるを得ない。
まだ冒険者ギルドの受付中年でしかなかった頃に、今の嫁を含む受付嬢たちと呑んだ時も常にそうだったのだ。
「でもいいではありませんか。難しいことは殿方に任せていいのであれば、私は私のできることに専念できますもの、ね」
さらっと、そういう部分を自分――ヒイロとこの距離を持てている「人の代表」はこの四人だけであり、その中で殿方といえばポルッカ以外居ない――に丸投げしてくるアンジェリーナの笑顔が恐ろしい。
その後についたセリフと合わせて、妙な迫力を伴う艶を発していることもだ。
「……具体的に問うてもよいか、アンジェリーナ殿」
「…………」
「幼女王陛下や、皇女殿下にはまだ無理なことですわね。もしかしたら天空城の僕の方々もまだなのかもしれませんし」
スフィアの半目の質問に、ころころと笑いながらアンジェリーナが答える。
案の定、アンジェリーナの言に反応するスフィアとユオだが、未だ「知識」としてしか持たないスフィアは焦りだけを感じ、年頃からわりと生々しい実感を得てしまうユオは黙り込んでしまう。
ある意味安定のいつも通り、反撃に一層頬を染めるのみの新品勢である。
「お互い遠慮は不要ですわね。すべて定めるのはヒイロ様。私たちは私たちにできることを増長せず、真摯にするのみですもの」
アンジェリーナはもう決めている。
過去がどうあれ、自分の呪いがどうあれ、己を「ただ一人の女性」と扱う、扱える――扱ってくれる相手の、側に居たいと望む自分を恥じることだけは止めようと。
今言った通りだ。
どれだけ他人から相応しくないと、穢れた女よと蔑まれても、ヒイロが側に居ていいよと、側に居てくれないかな? と言ってくれるのならばそれだけがすべて。
そしてそう言わせるために、女としてありとあらゆるをかけるのは望むところだと。
スフィアとユオに対して、「羨ましさ」を感じることは正直未だある。
自分も、総統令嬢として二人と同じ無垢な躰であれたら、と。
だけど感じてもしょうがない羨ましさに身を焼くよりも、自分のできることで自分の望みをかなえると決めたのだ。
それにヒイロの方が義務ではなく、自分たちを側におきたい女性と見てくれるのであれば「寵を競う」のは後宮の華。
「義務では通じぬと思うが」
「あら、幼女王陛下は義務とお考えなのですか? 女としてしたいことと、公人としてするべきことが一致している幸運に感謝はしますけれど、私は義務などとは思っておりませんよ?」
「…………」
言わずもがなのことを言って、要らん追撃を喰らっているスフィアはやはりまだ根が幼いのだろう。
『支配者の叡智』の助けがあっても、それを「成熟した女性」として使いこなすことが未だできないのだ。
最近強くなったとポルッカあたりに見做されているユオも、こうも具体的な宣言からする妄想の破壊力は強いらしく、先程から赤面して沈黙することしかできていない。
ある意味、妄想力においてはヒイロの側に居る女性、女性体の中で最も強いのかもしれない、ユオは。
対抗馬とすればベアトリクスあたりか。
――こりゃ大変だな、ヒイロの旦那も。ヒイロの旦那がそう動くとなりゃ、僕の方々も当然それにあわせて動くんだろうしなあ……
見目麗しい女性たちの鋭い突っ込みから、互いの牽制を目の前で展開されるポルッカとしては、黙って趨勢を見守るしかない。
こうなった以上、ヒイロのところではこの三美姫と、側仕えの美女僕、鳳凰と真祖が冗談抜きで『寵を競う』ことになるのだろう。
我がこと以上に、常にヒイロの肩にのっている『千の獣を統べる黒』の胃を心配するポルッカである。
ともあれこれは、人の世にとって良いことなのは間違いない。
それを代表する四人が、こうも暢気なことを語り合える状況に既になっているということは、『天使襲来』を凌ぐことはもはや成ったのだ。
「そうですな。ポルッカ様が目指すべきは、我が主が今回の『天使襲来』を、我々僕を以って再現しようなどと判断されぬ「人の世」でございましょう。ただ法だけでは律せぬ者共もおりましょう。そのあたりはこのセヴァスめも微力ながらお手伝いさせていただきます」
そう自分を慰めていたポルッカに、いつの間にやら指揮所に戻っていた執事長が冷静な声で伝える。
なにやら『第七の喇叭』の御使いどもを黒の王と鳳凰、真祖に瞬殺させるのは効率が悪いだかで、天空城の序列下位の僕たちに狩らせることの許可を主に取っていたらしい。
すでに人に被害が出る心配をする必要もない、敵の残存兵力を掃討する段階に入っているということだ。
ありがたい話だとポルッカは思う。
黒の王――ヒイロが人の味方である限り、天空城の僕たちもみな人の味方なのだ。
そしてそれはなにも「戦力」だけに限らない。
たとえ『我が主』に愉しくこの世界で過ごしていただくためだとしても、ただの人など及びもつかない長きを生きてきた存在たちが力を貸してくれるのは心強い。
そしてきれいごとだけではない、人の醜い部分すら熟知して「手を貸してくれる」というセヴァス、その背後で苦笑しているエレアには感謝するしかない。
ヒイロに見える人の世界を「捨てたものじゃない」ものにするのはそう難しいことではないとポルッカは思っている。
何も虚構で塗り固めなくとも、これから始まる拡大と躍進の時代は、充分そう思うに足るだけの世界となろう。
だが。
「人の世」というものが、どれだけ拡大、充実の時代であっても「ただ美しいだけ」なわけもまたないのだ。
人がただ美しいだけでも、ただ醜いだけでもない存在である以上は。





