第94話 あの日の約定
「左府鳳凰。右府真祖」
右腕で漆黒の外套を払い、伸ばされたその手の先に忽然と現れた愛杖『神々の黄昏』を掴みながら、黒の王が天空城の誇る双璧の名を呼ぶ。
黒の王の手に握られた瞬間、複雑精緻な機構が変形、展開し、回転する古代文字によって組まれた魔法円が五重に杖を中心に回転を始める。
これこそが妖による組織、『天空城』の戦力を象徴する三要素のひとつ。
首魁である『黒の王』、居城でもあり侵略型浮遊要塞でもある『天空城』とそこに集う千を超える僕たちからなる軍勢、それらに並ぶ三つ目――魔杖『神々の黄昏』である。
ゲーム時代、黒の王の中の人による「執拗」とさえいえる強化の果て、魔法を強化する性能においては天元突破している代物だ。
元がUR級の武器なだけに突出した性能をもとより持っているうえ、普通にプレイしているだけではとても不可能な強化が、これでもかとばかりになされているのだ。
その出鱈目な高性能ぶりはそこらのUR、SSR武器などでは到底及ばない。
『T.O.T』がMO、MMOではないゲームゆえに、成立することを許された性能と言っていいだろう。
冗談ではなく「今のは○ラゾーマではない。○ラだ」を言えるほどの強化がかかるのだ。
――伏字にするところを間違えたかな。
阿呆なことを考えている状況ではない。
「付き従え」
その声を発すると同時に黒の王は『転移』を発動。
すべての天使を司る四体の御使いが展開しているウィンダリオン中央王国王都ウィンダス近郊、サルタバルタ平原上空へ移動する。
『天使襲来』の中心地近く。
最も巨大な薄明光線から七体の御使いが喇叭を吹き鳴らす、爆心地の空中座標。
そこから「第六の喇叭」の中核である、四体の御使いに率いられた、憑代を必要としない天使の大群が王都ウィンダスを蹂躙せんと迫ってきている。
いわば「第六の喇叭」のクライマックスである。
だがデビル○ンと化した冒険者、軍の兵士たちがラ・ナ大陸各所に散らばる魔物領域からあふれ出さんとする天使たちを排除し、手の届かない場所がなくなっている黒の王に焦りはない。
事実『堕天の軍勢』は魔物を憑代とした天使たちを各地で圧倒し、戦えない人々が避難しているところまで、その悪意を届かせることはあり得ないと断言できるほどの戦況を生み出している。
それなりの数の堕天使が結構なダメージを受けているのは、人に戻るまでの間、天空城の僕たちによる拘束がちょっと厳しすぎた故であり、天使から受けたものではない。
――片腕落ちてる人もいるけどまあ、治るし大丈夫。しかしセヴァス容赦ないなあ……
セヴァスにしてみれば魔力糸を使う己が任された数が多すぎたので、多少厳しめに拘束したことくらいは容赦願いたいといったところだろうか。
主の命令でなければ、すべてなますに刻んでおわらせるのがセヴァスらしいとも言えるのだ。
だが。
人の力――意志の為せることを目の前で見せてもらったからには、今の人の力では及ばぬ脅威を排撃するのは、黒の王率いる天空城の仕事だ。
少なくとも黒の王はそう考えている。
それに黒の王は『凍りの白鯨』――白姫を仲間にする時に言った言葉を反故にする気は無い。
本来のものよりも崇高な存在理由を与えてやると己は言ったのだ。
世界を護ることだけが己の存在理由となった、今はもう僕の一体である白姫に対して。
そしてこうも言った。
『岐より来しモノは我らが殲滅しよう。まずは5年後にそれを証明しようか』
――と。
偉そうに宣言したその台詞を完遂できるのは、人が力――意志をもって人を憑代にするなどというふざけた、だが少し考えれば在り得た罠を食い破ってくれたからだ。
黒の王はあの時、白姫に告げたのだ。
己は結構な俗物で、優しくされれば嬉しいし、尊敬されたりもてはやされれば気分がいいと。刃向かうものには容赦するつもりはないが、善意には必ずそれ以上の善意をもって報いようと。
今回のこれは、善意などというもので収まるものではないと黒の王は考えている。
無謬でなければならない『黒の王』の瑕疵を、ポルッカたちが人の力をもってフォローしてくれたのだ。
――どう低く見積もっても、これは一つ大きな借りだな。
だからこそ、これ以降は完璧にコトを進める。
己の言葉通り岐より来しモノ――天使の群れを間違いなく、油断なく殲滅する。
ここから先は一人たりとも人的な犠牲を生じさせない。
白姫――『凍りの白鯨』は今、天空城でよく働いてくれている。
今回の『天使襲来』とても、『静止する世界』なしで怒涛の勢いで事態が動いてしまっていれば、今のこの状況に辿り着けていなかったのは間違いない。
――せめて己の言ったことぐらいは、果たさねばな。
そのために己自身が、己が組織の双璧と称される『左府鳳凰』と『右府真祖』を率いて前線に出たのだ。
当然、天使を拘束する必要のなくなっているエヴァンジェリンも、ベアトリクスも、主の言葉に即応して同座標に瞬時で現れる。
「は、い」
「承知致しました」
二人とも、主である『黒の王』の声――命に対しては、ヒイロには見せるような気安さをほんの一欠けらですらも見せることは無い。
最近は『黒の王』の時であってもそれを許されるような空気を出すことも多くなっているのだが、僕を名ではなく職位、もしくは序列№で呼ぶ時は別だ。
ゲーム時代におけるコマンド入力――絶対の指令として僕たちは『黒の王』の言を受ける。
僕のかく在るべしとして。
だがそういう時のほうが、気安く接している時よりも僕たちが幸せそうに見えるのが、ちょっとくやしい黒の王である。
それが当たり前といえば当たり前だし、そうじゃなくなったら、なくなったで困った事態になることは理解していても、いつかはゲームのシステムによらない部分で、僕たちにそれ以上の喜びを与えてみたいものだと思っているのだ。
だが今は、そんな先のことを考えている場合ではない。
「わかりやすい敵はよいな」
眼前の空を埋め尽くし、空を白く染めるほどの天使の大群を前にして、静かな声で黒の王が言う。
『天使が多くて空が蒼く見えない。空が白い』
『天使が七分で、空が三分。いいか、白が七分で蒼が三分だ』
――岡本喜八監督、並びに庵野秀明監督に捧げる。
管制管理意識体が台詞入れてくれないかなあ、などと考えていることを僕たちに悟られてはならない。絶対にだ。
「叩いて潰せばそれでよい」
雲霞の如く迫りくる、四体の御使いに率いられた天使の群れを前に、何の気負いもなくその台詞を吐ける。
それこそが天空城の首魁、『黒の王』なのだ。
だがこれは本音だ。
搦め手ではなく、殴り合いで決着がつく敵は確かに気が楽だ。
この世界で暴力においては他の追随を許さぬ力を持つ黒の王であれば、当然の感想なのかもしれない。
――つまり今後も、いかにしてこの状況に持ち込むか、が肝要ということか。
少なくとも今のところは、と黒の王は思う。
そうすれば間違いなく勝てるのだ。
一方、己らが敬愛し盲従するにふさわしい、いかにも絶対者である『黒の王』らしい台詞に、左右に控える鳳凰、真租はしばらくなかった奮えを身の内に得ている。
今のところはまだ、この瞬間こそが僕たる己らにとって存在する意味なのだ。
「『累奥義』で敵を一掃する。付き合え」
主のその言に、鳳凰と真祖の表情が喜びに染まる。
その喜びは、少々仄暗いものを含んでいる。淫靡とすら呼べるような、常にはまず見ぬ色と艶。
己が力を、主の圧倒的な力と累て敵を屠る。
戦いの場に身を置く僕にとって、それ以上の愉悦は存在しない。





