第87話 誤謬
ラ・ナ大陸全域に発生していた天使の梯子は喇叭を吹く巨大な七体の天使の影だけを残して既に消え去っている。
そして今、黒の王が「虚仮脅し」と称した第四の喇叭が吹き鳴らされる。
第四の喇叭――太陽と月と星の光が三分の一失われ、昼も夜も世界が暗くなるという厄災。
何が起こるかといえば――金環日食である。
少しずつ太陽を食むようにして、月が太陽を欠けさせてゆく。
太陽よりも一回り小さな月の影が完全に重なり、太陽を天空に浮かぶ光の指輪のように変じさせる。
月によって太陽の光が遮られたことにより、ラ・ナ大陸全域が太陽側にあるにもかかわらず薄暗くなる。
経験のない市井の人々にしてみれば相当な恐怖を感じさせる天変地異だろう。
そして自然現象とは異なり、太陽と月は重なった状態のまま維持されている。
だが黒の王がその威に満ちた立姿の中で考えていることはわりとのんきである。
――演出忙しないな。
三分の一の理屈はどこかに行ってしまっているし、星も関わっていない。
ただ演出としての金環日食ゆえに、黒の王は「虚仮脅し」と称したのだ。
――だがまあ、念には念を。
「セヴァス」
「はい我が主。すでに我が軍団によって大陸全域上空に浄化のアイテム――我が主の在庫より配置完了しております。発動を?」
「念のためにな」
「承知いたしました」
黒の王の指示に従い、首をたれたままの執事長が己の左手をくいと引く仕草を見せる。
その仕草だけで、ラ・ナ大陸全域上空に配置された浄化アイテム――一定の空間を元の状態に戻す、ゲームではダメージフィールドなどの無効化に使用されていたアイテムがその効力を発揮する。
世界から三分の一の光を奪う。
それが大気汚染などによる地上へ到達する光の阻害であることを想定した黒の王の指示に従い、執事長がその配下たる侍女式自動人形たちとそれを無効化する準備をしておいたのだ。
これで第四の喇叭は黒の王の言葉通り、「虚仮脅し」以上のものではなくなる。
数千個というレベルでアイテムを消費したが、この手のアイテムの在庫たるや桁を見て笑ってしまうほど溜めこまれているのでそう惜しいという物でもない。
僕一体一体が自律的に迷宮攻略可能な現状であれば、消費した分を再度集めることもそう時間がかかることでもないのだ。
「きれい、ね」
「まあ、なかなか見られるものではないことは確かだの」
黒の王の左右に控える鳳凰と真祖が、大規模な花火大会や鼠の国のパレードを見ているようなことを口にする。
内心思わず笑ってしまう黒の王である。
確かにヒイロの姿の時であれば、エヴァとベアを連れて金環日食を見上げるというのはなかなかに乙なものかも知れないと、自身も思ったのだ。
さすがにこの世界の住人であるポルッカはもちろんのこと、女性としては豪胆な部類に入るはずの幼女王スフィアも、ユオ皇女も、総統令嬢アンジェリーナもそんな余裕はない様子。
鳳凰と真祖の「綺麗」発言になかなかに引いている表情を浮かべている。
――いや、現象だけを見れば綺麗だと……何も知らねばそりゃ恐怖の方が勝るか。
自分たちの方が、力持つ故の呑気なのだと黒の王は思いなおす。
――さて次だ。
そして気持ちを切りかえる。
視覚的な畏怖を生むことしかできなくなった第四の喇叭に続き、第五の喇叭が吹き鳴らされる。
第五の喇叭――巨大な星が地に墜ち、底なしの大穴を穿って奈落の王――馬に似て金の冠を被った、翼と蠍の尾をもった無数の蝗を率いる天使を呼び出す災厄。
外連味たっぷりに金環日食を起こしている太陽から広がるようにして落ち来る巨大な星を、指揮所に居ながらにして無詠唱で発動させた黒の王の召喚術が覆う。
召喚術――「13の悪意」
墜ち来る星にも劣らぬ巨大な、蛸とも烏賊ともみえるおぞましい生物が星に取りつき、その十三本の触手で砕き、溶かし、なにものかに変容させてゆく。
地上に大穴を穿った後、その中から現れ出でるはずの奈落の王も、それが率いるはずの無数の蝗もお構いなしに溶かしつくして自身ごと空に消え去る。
それで終い。
落ちるはずであった星は落ちず、そこから這い出るはずであった脅威ごと無かったことにされた。
もはや驚愕することもバカバカしくなるほどの光景を展開させて、第五の喇叭は終了する。
そしていよいよ、黒の王がポルッカに助力を請うた第六の喇叭の番だ。
それが終われば、ボスとして顕現する六体の巨大天使と、最終ボスたる六対十二翼を持った熾天使――堕ちる前の「ルシェル・ネブカドネツァル」を屠れば「天使襲来」は完了。
何の被害も出すことなく、ゲームの時には存在しなかったルートへと至ることができる。
そしてそのための準備は十全に行ってきている。
準備に何の綻びもない中で、第六の喇叭が吹き鳴らされる。
第六の喇叭――四体の御使いが解き放たれ、二億の騎兵――天使を率いて人の三分の一を直接殺すという、ゲームの時は防ぎようがなかったこの時代の人の世の終わりを呼ぶ大厄災。
ゲーム時には存在しなかった『世界変革事象』の結末を導くために、定められた滅びから人の世界を救済する。
その最初の一手となるのがここだ。
ウィンダリオン中央王国だけではなく、ラ・ナ大陸に暮らす全ての人を救う。
年表上の齟齬を発生させないため、いわば定められた運命を騙すためにこそ、黒の王はラ・ナ大陸の各国家が存在したままウィンダリオン中央王国の軍門に下る――箇条書きできる結果は変えない選択をしたのだ。
天使は憑代となる魔物のレベルに縛られる。
天使ゆえの能力の高さで、憑代となった魔物などよりもよほど恐ろしい存在となるのは確かだが、今やそれに倍するレベルに達している兵士や冒険者たちの敵ではない。
無いはずだ。
数の差で多少の苦戦はするにせよ、ラ・ナ大陸全域に配した天空城の僕たちと連携すれば、避難した市井の人々に被害を出すどころかたった一人の犠牲者を出すこともなく完封することも容易な状況。
――力に驕り、油断することさえなければ。
黒の王が何度考えてみても、その展開に無理はない。
そのためにこそ天空城は「連鎖逸失」を取り除き、この一年間で「天使襲来」が発生しても問題ないと判断できるほど兵士や冒険者たちは迷宮で自身を鍛え上げてきたのだ。
天空城勢に頼るだけではなく、己自身の力で己の大切なものを護るために。
兵士や冒険者たちの戦闘能力、レベルの判断は慎重すぎるほど慎重に行った。
引き金を引くまでの時間にはまだ充分余裕があったのだ、レベルが足りないと判断すれば足りると思えるまで延ばせばそれで済む。
充分完封できると判断したからこそ、黒の王はこのタイミングで「天使襲来」発生の引き金を引いたのだ。
だが吹き鳴らされる第六の喇叭の音を聞きながら、黒の王の背中に悪寒に似た感覚が走る。
いやそれどころではなく、痛みとして感じられるほどの警告。
――警告、警告、警告。
言ってみればただの人でしかない「中の人」には感知できない「嫌な予感」に、長きにわたり戦場の前線に身を置いてきた「黒の王」の身体が反応したのか。
――なんだ? 何を見落としているというんだ?
高速で思考を走らせても思い当たることなどない。
「連鎖逸失」を解き放った。
その結果短期間で人の世界は豊かになり、天空城勢の判断でも「天使襲来」で多発する雑魚天使程度は人が自らの力で倒せる域にまで達した。
それも充分なマージンを持ったうえでだ。
――間違ってはいない。
十分な戦力を持った兵士や冒険者たちを、その所属国に応じて天使の顕現場所に配置し、天空城の僕たちと連携すれば十分数の不利を覆すことが可能なように備えた。
戦力分散の愚を犯さぬように、その点は幾度も管制管理意識体やエレア、セヴァスと詰めてもいる。
――手違いも抜かりもない。
なのになぜ、余裕で処理してきた第五の喇叭までには感じなかった感覚を今、「黒の王」の身体が感じ取っているのか。
現実では正しいことを重ねた結果が、間違った結果を招くことがある。
それを「合成の誤謬」と称する。
今まさにそれがおころうとしていることに、黒の王の身体だけが反応している。





