第83話 年貢は納めよ
「これはこれは、我が冒険者ギルド筆頭、秘匿級冒険者であらせられるヒイロ殿。本日は世界最初の50階層攻略完了、祝着至極に存じます」
「どーもー」
完全に復元され、それどころかウィンダリオン中央王国本国の旗艦よりももはや高性能、『天空城』を除けばこの世界で最強の空中要塞と化している元『九柱天蓋』の一柱。
現在では単純に『枢軸』と呼ばれ、あらゆるヒトの活動における、文字通り枢軸と見做されているその中枢。
この一年でいろいろ増えた肩書きは数あれど、今や『冒険者ギルド総長』の肩書が大国の王や皇帝よりも上と見做されているポルッカ・カペー・エクルズの執務室でのヒイロとの会話である。
既にヒイロが報告処理を済ませた冒険者ギルドの受付から、総長であるポルッカには即座に報告があがっていたのだろう。
いつものように執務室を訪れたヒイロ一行を、ポルッカが大袈裟に称賛してみせたというわけだ。
そういうポルッカに対するヒイロの受け流しも、この一年で相当にこなれたものである。
この程度ではもはや、お互いにシニカルな笑みすら浮かべることはない。
「偉業のはずなんじゃがなあ……」
「単独攻略ですものね……」
「もう私たちも慣れてしまいましたねぇ……」
あまりにも気安い「ヒトによる迷宮の最深層更新」への称賛とその返答に、一年経っても飽きもせず、ヒイロの迷宮攻略終了をポルッカの執務室で毎日待っている三美姫が呆れの表情を見せる。
義務と責任という錦の御旗を振りかざしながらも、一年もあれば自分たちが持つ気持ちに気付かぬわけもない三人である。
ヒイロに出逢うまでは各々持ち得なかったその感情が、この一年近くで三人三様にその美しさに深みを持たせている。
常にヒイロの傍に侍る、『鳳凰』、『真祖』、『白姫』にも劣らぬほどに。
残念ながらたかが一年では、幼女王スフィア・ラ・ウィンダリオンのすとーんが改善される兆しはまだ現れてはいないが。
それが誰にとって幸で、誰にとって不幸なのかは特に秘す。
迷宮攻略中は別行動を取ることが昨今多い『白姫』も、ヒイロが地上に帰還すると同時に合流することは絶対としている。
よって本日もいつものように、ポルッカの執務室は美しい六人が揃う、華やかな空間となっている。
もっとも最近では絶対者の名代としての公務が忙しくなってきている幼女王、第一皇女、総統令嬢の三人は、ヒイロを出迎えた後は『大規模転移陣』と個人に与えられた『表示枠』を駆使し、けっこう忙しく世界中を飛び回っている。
(仮)が付いていようがいなかろうが、世界中の人々はすでに三美姫を「ヒイロの身内」と見做しているのだ。
なんならいつまでも(仮)を取ろうとしない、圧倒的な力を持つ割には見た目は優しげな美少年であるヒイロを、「ヘタレ」と笑う者たちもいる。
こればっかりは僕たちに「なんだと?」という態度を取られた方が居た堪れないので、『天空城』勢の中でもそれらを侮辱と見做さないことは徹底されている。
それを指示するエレアやセヴァスの表情はかなり複雑そうであったが、それ以上にヒイロが見たこともない表情をしていたのを見て思わず笑ってしまったことを、『千の獣を統べる黒』は今でも悔いている。
僕として赦されることではないと思う半面、思わず笑った己を見て自分も噴き出したヒイロに対して持った感情を何と呼ぶのか、シュドナイはまだ知らない。
「ま、ヒイロの旦那が何やったって、騒ぎにゃなるが今更だれも驚かんよ」
己の職責と所帯持ちという立場に一年鍛えられ、ただ歳を重ねただけでは身に付かない「風格」とでも呼ぶべきものが出てきつつあるポルッカが笑う。
ヒイロがアーガス島迷宮の50階層を突破したことは正式に冒険者ギルドから発表され、明日はちょっとしたお祭り騒ぎになるのはもはや決定事項だ。
この一年でヒトは信じられないくらいにお祭り好きになったものだ。
月に一回以上、この手の発表と共に冒険者ギルドを中心とした『世界連盟(仮称)』から料理と酒が振舞われ、民間もそれにのるとなればこうもなる。
この状況を傍から見る者がもしもいれば、この一年のラ・ナ大陸の人々は相当な楽観主義者、お調子者たちの集団としか思えないだろう。
まあそれは大きく間違ってはいない。
要は一年前に世界そのものが大きく変わって以降、「世はなべてこともなし」ということだ。
概ね人々は平和で幸せな暮らしを過ごせており、はやくもそれに慣れてきていると言っていい。
「それより、間もなく一周年記念式典だぞ旦那」
ポルッカが改めて、約半月後に迫った『世界連盟(仮称)』成立一周年を祝う記念式典が迫っていることをヒイロに告げる。
当然数か月前から準備は進んでおり、ヒイロもそんなことは百も承知している。
今ポルッカがこの話題を出したのは、ヒイロにある決断を促すためだ。
「どっちともいつまでも(仮)って訳にもいくまいよ――なあ旦那?」
約一年が経過しても『世界連盟(仮称)』から仮称は取れず、正妃候補からも側室候補からも(仮)は取れていない。
世が平和だと多くの者が認識していれば、それをより強固なものにせんと望むのがヒトというものだ。
その象徴としてこの世界に今の平和と拡大をもたらしている者と、現状においても三大強国であるそれぞれを代表する姫たちが正式に「家族」となることを望む者は圧倒的に多い。
誰も皆、今以上の「安心」が欲しいのだ。
小国や辺境であっても分け隔てなく享受できている今の状況をより強固に保障してくれるのであれば、ヒイロがとんでもない美女の十人や二十人を侍らせたところで誰も文句などあろうはずもない。
それどころか、そんな聖人君子、あるいはヘタレ然とされているよりも、わかりやすく『英雄色を好む』を実践してもらった方がよほど理解しやすいというものだろう。
いや酒の肴にする者は多かろうが。
誰もが皆、圧倒的な力を持つヒイロを「自分が理解できる存在だ」と思える要素を一つでも多く持ちたいと、本能的に思っているのかもしれない。
そしてそんなことはポルッカだけではなく、もとより人を統べる立場にあった者たちほど理解出来ていて然るべきである。
「いやあのな? ヒイロの旦那はまあ百歩譲って許されるとして、幼女王陛下と第一皇女殿下と総統令嬢殿は、そんな表情してる場合でもなけりゃ立場でもねえだろ」
憮然とした表情でポルッカが突っ込む。
未だに謎の方が多いヒイロが実はヘタレというのはありとしても、美しいだけではなく文字通り世界の枢軸に立つ三美姫がこの手の話題で頬を染められても困る。
まあ『支配者の英知』の力を借りねばまだ幼いスフィアは仕方がないにしても、ユオとアンジェリーナについてはポルッカにしても意外が過ぎる。
各々の立場としても、もしくは単に恋する一女性としても、もうちょっと肉食に攻めるものかと思っていたらこの一年の為体である。
市井のお嬢さん方なら「今のこの関係が崩れるのが怖いの(ハート)」も赦されようが、この三人に限ってはそんな事を言っている場合でも立場でもない。
まずありえないとはいえ、万が一この隙に三大強国以外のお嬢さんにヒイロがコロッと参りでもしたら、『世界連盟(仮称)』としては洒落にならない。
序列さえ守ってくれれば側室が何人増えても問題ないが、余計な軋轢を生まない為にもさっさとこの三人とは(仮)を取っ払った正式な関係になってほしいというのが本音のところだ。
この際ヒイロの個人的な思惑など、正直どうでもいい。
ひどいとも思う反面、「役得じゃねえか文句言うな」というのも男性陣の共通認識と言っていいだろう。
「お嬢さん方もそんな顔しない。こいつはアンタらの主が望んだ今の世界には必須なんだ、肚ぁ括ってくれ。なにも取り上げようって言ってる訳でもなし」
この手の話題になると半目になるヒイロの忠実なる僕たちに、ポルッカが苦笑と共に告げる。
ただポルッカにしてみれば少々怖い所でもある。
この三体の僕たちが本気で嫌だといえば、ヒイロがどういう答えを出すのか読み切れないからだ。
もっとも僕たちはまだ、僕としての範疇を越えた言動をすることは不可能なのだが。
「惚れたはれたを蔑にするつもりはねえけどな。そういうのはカタチが整った後でもなんとかなるもんさ」
「説得力あるのが地味に腹立つなー」
「おかげさまで俺は立場に応じた義務は果たさせていただいてるんでね」
「言うね」
「これくらいはな」
ポルッカはなにも、ヒイロにだけ無理無体を強いている訳ではない。
己自身もこの世界における重要人物として、その手の義務はすでに果たしている。
ただそういうモノも「義務」だけではないということを、実感を持って語られるとヒイロには反論の余地はない。
甲斐性を見せたオトコに対抗するには、己の甲斐性を以ってするしかないのだ。
この場においてはヒイロの完敗と言っていいだろう。
義務と情――好きだ嫌いだだけでは立ち行かないかもしれない関係を、それでもなんとかして「幸せな家庭」を築いているポルッカの方が言葉に力がこもるのは当然だ。
「あー、それと今回第二回目となる序列戦には、特別枠で旦那も出場な」
「は? どうして?」
さすがに予想外のポルッカの一言に、ヒイロが素っ頓狂な声を上げる。
「優勝した際の褒賞に『幼女王陛下との食事』だの『第一皇女殿下とのお茶会』だの『総統令嬢殿とのデート』だの挙げてる兵どもがいるからだよ。そういう輩は旦那(仮)としてはきっちりぶっとばしてもらわねえと『世界連盟(仮称)』の議長としては、その、なんだ、困る」
「おぉ!?」
続けられたポルッカの言葉に、割とヒイロは素で驚く。
もっともこれは三大強国が誇る強者たちがヒイロの尻を蹴っ飛ばしていると言ってもいいだろう。
ウィンダリオン中央王国の『九聖天』
シーズ帝国の『八大竜王』
ヴァリス都市連盟の『五芒星』
あえて馬鹿なことを望んでいるのは、そんな連中だ。
あるいはヒイロがそれを赦すような本物のヘタレであれば、己の力を以って欲しいものを得ようとする覇気の顕れでもあるのだろうが。
女性は嫌うかもしれないが、男にはそういう部分が確かにある。
何も景品として軽んじているつもりはないのだが、批難されたら黙るしかないのも事実だろう。
だが勝って得る。少なくとも、そうする権利を得る。
それは男にとっては一つの憧れではあるのだ。
そのあと「馬鹿言ってんじゃないわよ、私は景品!?」とひっぱたかれるのも、まあありと言えばあり。
「あんま恥かかせるもんじゃねえぞ、旦那。利害が一致してんだ、気にすんな。ここでまだうだうだ言うようなら、しまいにゃ第一種任務発令するぞ」
「序列戦に参加せよって?」
「いや幼女王陛下を正妃として、第一皇女殿下と総統令嬢殿を側室にしろって」
「…………」
二の句が継げないヒイロが、頭を落して右手を上げ、序列戦に参加することを承認する。
そんな第一種任務を出された日には、大陸史に黄金文字で『ヘタレ』と記されることは避け得ない。
さすがにそれは避けたいヒイロである。
一年うやむやにしてきたが、けっして望んでいないわけではない。
年貢の納め時だというのであれば、きっちりと納める所存である。
序列戦できっちり勝ち、僕たちに明言し、その上で自分から求めて(仮)を取ってもいいのかどうか、本人たちに決めさせる。
正直、受け身の方が楽だよなあと思わなくもない。
だがヒイロとしての人生を、己と彼女ら、また世界が望むように共に生きることを改めて肚に決めたのだ。
まあ男が決めたからとて、男や周りが思う通りにはそうそうならないのが男女の仲というものでもあるのだが。





