第82話 新世界にて
自動追尾で殺到してくるアーガス島迷宮50階層の階層主――『輝鱗竜』の攻撃である光属性の竜咆哮を至近まで引きつけてから、ヒイロが幻影疾走を行使する。
発動と同時にその姿が水彩画に水を落したかのように滲み、かなりの距離を文字通り幻影のように移動を開始する。
幻影疾走。
魔法使い系ジョブがレベル50に到達した際に自動的に取得する移動系アクティブスキルであり、その発動中は当たり判定が消失し、無敵になるという重要スキル。
ゲームとしての本家においては敵の強攻撃を読んで使用する回避スキルであったが、アクション系スピンオフ作品では魔法使い系ジョブの移動基本スキルとなっていた。
どうやら「T.O.T」が現実化したこの世界ではアクション系のそれが適用されているらしく、強力な回避兼移動技である反面、使用後の硬直が長いという特徴が再現されている。
もっともヒイロはそれを問題視していない。
それどころかこのスキルを取得してからは迷宮探索というか、戦闘そのものが楽しくて仕方がない。
いわゆる「キャンセル技」と呼ばれる方法が、現実においても再現可能だからだ。
幻影疾走を発動する直前に一瞬だけジャンプし、即時発動。
そうすれば任意の方向へ移動しながら緩やかに降下、着地と同時に幻影疾走は解除されるが、硬直は発生しない。
これを繰り返せば、着地の瞬間に攻撃を合わされるか、ダメージが発生する地点へ自ら着地でもしない限りダメージを受けることは無くなる。
つまりこのキャンセル連続発動を使いこなせば、ほぼ無敵状態を継続したまま移動可能。
『黒の王』時はその圧倒的な攻撃力と防御力の両立から、不動で敵を張り倒すことがなかば当然となっていたヒイロにとって、このアクションRPGをフルダイブVRで体感しているような状況は本気で楽しい。
本来の自分の肉体であればシビアなタイミングを毎回寸分狂うことなくとることも、それを連続して行使することも、とてもではないが不可能だろう。
よしんばタイミングは完璧にとれたとしても、二回も繰り返せば息が上がり、三回目で顎が出ることは疑いえない。
だが若く、ヒトとして突出した各種ステータスを誇る分身体をもってすれば、ミスなく連続使用することなど児戯にも等しい。
フルダイブVRが仮に実現されていればアバターの運動能力も今の体と同じように設定可能だろうから、まさに今ヒイロは未だ実現していないフルダイブVRを体感しているとも言える。
少々現実的すぎるとは言えるのだが。
特に引きつけなくても幻影疾走を連続キャンセル発動し、90度ターンを繰り返せば攻撃の追尾性能を振り払うことも可能だが、攻撃効率を考えて引きつけてから躱す方をヒイロは選択している。
ヒイロの軌道は多少変則的ではあれ、輝鱗竜を中心に捉えて反時計回りの円形を維持。
幻影疾走での移動中に上限まで多重照準を行い『追尾する閃光』をぶっ放す。
今やその上限値はレベル連動で50を数えており、移動の度にその数の『追尾する閃光』が多彩な軌道を描いて輝鱗竜の巨躯の各所に着弾する。
耐性のある光属性の攻撃とはいえ、ダメージが通らないということは無い。
それが反時計回りに幻影疾走が発動するたびに50発必中で叩き込まれれば、かなりの勢いで体力は削られてゆく。
ヒイロは笑っている。
己の高速機動で巨躯を誇る輝鱗竜を中心とした周回軌道を維持し、確実にその体力を削り取っていくことが愉しくてたまらない。
RPGの楽しみ方の一つである、レベリングによる圧倒的な戦力差における蹂躙とはまた別の快感。
アクションやSTGにおける彼我の攻撃力、防御力の差はそんなにない中で、己の判断力と機動力、あるいは記憶力によって敵を翻弄する快感を、ヒイロは今堪能しているのだ。
もっとも十分なレベル安全率-1は取っているので、直撃を何発か喰らったところで致命にはなり得ないのだが。
対して己の必中であるはずの竜咆哮は掠めることすらできず全て躱され、それにイラついたように輝鱗竜が大咆哮をひしりあげる。
「我が主、大咆哮来ます!」
「了解!」
輝鱗竜の体力が瀕死状態、格ゲーでいうところの赤点滅状態に入ったことにより、攻撃パターンが変化することを『千の獣を統べる黒』が最低限の言葉で告げる。
ヒイロもそれは理解しており、輝鱗竜が溜めのようにその長大な首を振り上げるのに合わせて、幻影疾走を停止する。
その場で輝鱗竜の方向へ魔法防御陣を瞬時に限界まで積層展開、その上でタイミングを計るようにその首が振り下ろされるのを凝視している。
数瞬後、輝鱗竜の首が振り下ろされると同時に、限界まで開かれた咢門から莫大量の光が迸る。
大咆哮は瞬時にヒイロが展開した魔法防御陣に着弾し、そのまま一枚につき数瞬だけ止められるものの連続して割砕いて直撃せんとして進む。
ヒイロが『千の獣を統べる黒』の忠告と共に幻影疾走を止めた理由がこれだ。
大咆哮は一定時間放射され続け、その方向は常に己の位置に向かって修正される。
キャンセル無しの幻影疾走の最長移動時間よりも放出継続時間が長い故、避けきれない攻撃なのだ。
キャンセルをかけるにしても着地したその瞬間は当たり判定が復活するので、そこで確実に喰らう。
喰らえば被弾硬直が発生するので、そこから先は放出完了まで多段で喰らい続けることになる。
今のヒイロのレベルであれば一撃で消し飛ばされることは無いが、それでもかなりの体力を持っていかれることは間違いない。
ゆえに今の対応。
現状のヒイロの限界である十二重に展開された防御魔法陣が十一まで割砕かれるまで耐え、最後の一枚に到達すると同時に普通に幻影疾走を発動する。
十一枚を割砕くまでにかかった時間と、幻影疾走の最長時間を合わせれば大咆哮の放出時間はギリギリで終了する。
そして幻影疾走での移動中に、現在のヒイロの光系最大魔法である『聖女の光砲』を発動。
当然敵にも適用される大技後の硬直に合わせるようにして、無詠唱とはいえ発動までにそれなりに時間のかかる『聖女の光砲』を合わせたのだ。
移動中からヒイロの全身に光の粒子が集中し、幻影疾走が終了して実体化した直後にまだ攻撃硬直の解けない輝鱗竜へとタムリ――もとい『聖女の光砲』を叩き込む。
その直撃をもってすでに瀕死状態に突入していた輝鱗竜の残り体力を消し飛ばし、その巨躯が迷宮の床に激震と共に倒れ込む。
「よっし!」
完璧に思惑通りに階層主を倒したヒイロのガッツポーズに合わせ、相変わらずSDモードで左右に浮かんでいる『鳳凰』と『真祖』がそれぞれ喜びを表すアクションを見せる。
『千の獣を統べる黒』はヒイロの左肩で誇らしげに踏ん反り返っている。
ここのところ『白姫』は天空城に詰めており、迷宮攻略に同行することは稀になっている。
それ以上に優先順位が高いことが存在するのだ。
いくつかのアイテムドロップを確認した後も、目の前に倒れ伏した輝鱗竜の巨躯は消滅しない。
10階層を越えてから、種によっては食用とすることが可能な魔物が出現しはじめ、中でも竜種は全てが高級肉として扱われる。
それだけではなく牙や骨、鱗や内臓に至る全てのものが価値ある商品として取引対象となっている。
倒した瞬間に所有欄へ直接ドロップされるアイテムとは別の、現実化したこの世界におけるボーナスのようなものと言っていいだろう。
もっともヒイロの所有欄へは格納可能なので、いかに巨躯であっても困ることは無い。
一般の冒険者たちにはそんなことは不可能なので、冒険者ギルドでは回収専門の部隊なども昨今成立している。
「ヒイロ様、あのどかーんって魔法、好き?」
「言われて見ればとどめには必ず使っておるな、主殿は」
エヴァンジェリンとベアトリクスの突込みに対して澄まし顔で答えるヒイロだが、この魔法は覚えたが最後必ず使わなければならないのだよ、などと言われてもわかる訳もない。
ヒイロとて実際に元ネタをプレイしたことなどないほどの古典なのだ、理解されたら逆に驚くというものだろう。
「さて良いキリだし、今日はここまでかな」
「シチュー? 最初は単純にステーキ?」
ヒイロとしては初めて狩った輝鱗竜の調理方法を、早くもエヴァンジェリンが確認している。
最近はアイテムよりも、新規の食材確保の方が楽しみになりつつあるヒイロたちの迷宮攻略の日々である。
現時点で『世界連盟(仮称)』成立から、はやくも約一年が経過している。
すでにラ・ナ大陸における全ての魔物領域は攻略完了され、それぞれ最奥部に存在する迷宮攻略も順調に進んでいる。
『連鎖逸失』から解き放たれたヒトは、犠牲が皆無というわけにはいかないまでも順調にその成長を迷宮にて進め、今の中間攻略層はレベル30前後にまで到達している。
各迷宮の公的な最深攻略階層は25前後。
日々迷宮から産出されるアイテムはもとより、食用可能な魔物の肉は膨大な量であり、主として冒険者ギルドが買い取るそれらによって今ラ・ナ大陸が養える人口は、現状の数倍でも問題ないくらいになっている。
格納と同時に時間の経過が停止する『天空城』の無尽蔵を誇る収納庫があって、はじめて可能となる膨大な量の食糧備蓄とその安定供給である。
一方で漁業や農業が奨励され、肉以外の海産物、または穀物、野菜、果物、ハーブなどの多くの生産物が安定した価格で取引されるため、戦う能力に恵まれなかった者たちも働いた分いい暮らしができるという法則からはじき出されることは無かった。
もっとも命を懸ける分、冒険者の方が身入りがよくなることも避け得なかったが。
たった一年とはいえ、食うものに困らなくなればヒトの世界は爆発的な拡大を開始する。
それは開拓的な意味でも、文化的な意味でもだ。
ラ・ナ大陸の主要な都市は『天空城』が敷設した大規模転移魔法陣で繋がれ、インフラという意味ではすでにたった一年前とは別世界の様相を呈している。
得た富を使用する対象となる、今までにない各種のサービスも急速に充実し、経済においては完全な上昇スパイラルに乗っている。
そして圧倒的な存在が規律を保証する状況で、犯罪の類はその数を劇的に減らしている。
馬鹿をすれば必ず露見し、抵抗の余地などない絶対的な力をもって裁かれるとなれば誰もが皆、賢くせざるを得ない。
とくにポルッカが主導する『世界連盟(仮称)』は罪と罰については容赦なく厳格であることを骨子とし、そこに例外の一切を認めなかった。
まああるとすれば『天空城』勢に対してだろうが、もとより僕たちは己の主からの命令を違えることなどありえない。
もっとも積極的にヒトと関わろうとする僕はごく限られていたので、そういう問題は今のところ発生していない。
貴顕であれ盗賊であれ、やらかしに対しては規律に基づいて必ず罰が与えられるという法治国家の雛形のような在り方は、多くのヒトに受け入れられている。
それを万民が理解するまでに、多くの犯罪組織や野盗の類だけではなく、王族や商人も処罰されたのはある意味ヒトらしいとも言えるだろう。
もっとも規律と力で縛るだけではなく、真っ当に努力すればするだけ報われる社会が急速に成立していく中で、割に合わない犯罪に手を染める者が減るのは至極当然だ。
ヒトの品格が上がったからではなく、それが得ではないからしない。
あるいはそれこそが最も犯罪を抑止する有効な手段なのかもしれない。
普通は現実の壁に阻まれて嘯くことさえ憚られる理想。
それを実現可能な力を得た世界は今、急速な拡大の中で確実な黄金時代の訪れを誰もが予感している。
だからこそその力の根源に明言された『大厄災』――『天使襲来』に対して備えることを誰もが是とし、昨日よりも今日、今日よりも明日がよりよくなると信じられる世界を護ることに誇りを持って日々暮らしている。
すべての問題が解決された訳では当然ないが、いつかはそれらも解決される。
多くの者がそう信じられる世界は、「良い世界」と言ってもまあ間違いではないだろう。
中でも「戦う力を持つ者」たちは、己の今の恵まれた立場を守るためと同義として、世界を護るに足る力を身につけようと日々研鑽しているのだ。
ヒイロが画策した『天使襲来』に対する世界の迎撃態勢は、このたった一年の間に急速に整いつつある。
あとはいつ、ヒイロがそのトリガーを引くのかの判断待ちなのだ。





