猫の前では何人たりとも下僕たらん
俺とトンナは、とにかく風呂に入って、疲れを取ろうということになった。
トンナは、キッチリと獣人モードだ。
「ぷふー。」
トンナの鼻から、気持ち良さげな鼻息が漏れる。
俺はトンナのオッパーイソファに凭れ掛かって、完全に脱力状態だ。
脱力状態の俺を、トンナが突然抱き締める。
「トンナ?」
俺の声に応えて、さらに力が籠る。
「ちょっちょっちょっと、トンナ。トンナ!」
めり込む。トンナの肉にめり込む!
「生きてるね。」
生きてるけど、俺、今、死にそうだよ?
「良かったね。」
良かったけど、俺、今、昇天しそうだよ?
「トガリ。」
やっと解放されたが、今度は両脇に腕を差し込まれ、持ち上げられて、向かい合わせにされる。
「好き。」
抱き締められて、再度、俺は死にそうになった。
俺は力尽くで、トンナの締め上げから脱出する。
殺意が無くても殺人が起こるんだってことを実感したよ。
殺意が無いだけに、避けようがないってのが恐ろしいね。
俺はトンナの太腿の上に立ち上がって、トンナの頭を抱き締めてやる。
「俺もトンナのことが大好きだよ。」
抱き締められて殺される前に、抱き締めてやる。
甘かった。
必殺のサバ折を食らった。
折れるかと思った。
愛って人を殺せるんだって学んだよ。
風呂から上がると、オルラとロデムスは眠っていた。
アヌヤとヒャクヤが起きていたので、風呂に入ったらどうかと尋ねると、ヒャクヤが「チビチビも一緒に来るの。」と言い出した。
「いや。俺は、もう入ったから。」
そう答えると、ヒャクヤが半目になって、頬を命一杯に膨らませる。
「しょうがないんよ。チビジャリは、トンナ姉さんのことで手一杯なんだかんよ。」
そう言いながら、アヌヤが獣人モードになって、俺の襟首を掴んで、ズルズルと風呂へと引っ張っていく。
おい。
言ってることと、やってることが矛盾してるぞ?
さっきの台詞は、俺と風呂に入るのを諦めたってことじゃなかったのか?
獣人が引っ張ったら、素の一〇歳児には抵抗できないんだぞ?
脱衣場に引っ張り込まれて、シャツを脱がされる。
「あれ?俺、もう入ったからって言ったよな?」
「だから何なんよ?」
魔獣モードのアヌヤって、始めて見た。
何で?俺、何か悪いことした?
アヌヤが俺の目の前で服を一気に脱ぐ。
俺の目の前で素っ裸になって仁王立ちになる。
漢らしいじゃねえか。
「女が服を脱いでるんよ。チビジャリも、とっとと服を脱ぐんよ。」
「えっ?」
男らしいと思ったんですけど、女の子としての自覚があったんスか?勘違いっスか?
「もう!チビジャリはホントに手間が掛かるんよ!」
そう言いながら、俺のズボンとパンツを一気にズバッと脱がせる。咄嗟に手で股間を隠すが、そのまま両脇を持たれて、風呂場に入れられる。
「えっ?えっ?」
頭からお湯を浴びせられ、そのまま風呂に放り込まれる。
「えっ?えっ?えっ?」
俺の目の前でアヌヤが股間を流し、そのままドボンと湯に浸かってくる。
「ふー、気持ち良いんよ。」
えっ?猫だよな?こいつ?風呂好きなの?
湯船に顎を乗せて「チビジャリ、肩を揉むんよ。」と命令してくる。
俺は何が何だかわからないまま、アヌヤの肩を揉みだした。
「く~、堪らないんよ。好きな男に肩を揉んで貰うのって気持ち良いんよ。」
あん?何言ってんだこいつ?
「なんなら、あたしのオッパイも揉んで良いんよ?」
アヌヤの後頭部を引っ叩く。
「オルラに言いつけるぞ。」
叩かれた頭を押さえながら「わかったんよ。弱虫は肩を揉んでれば良いんよ。」と口を窄めて呟く。
暫くして「うん。もういいんよ。」と言って、アヌヤが浴槽から上がり、洗い場に座って、こちらを振り返る。
「なにしてるんよ?こっちに来るんよ。」
何だか今一わからないまま、俺はアヌヤの傍に立つ。
「次はあたしの頭を洗うんよ。」
そう言って、左手にシャワー。右手に石鹸を持って、俺に差し出して来る。
「何で?何で、俺がそんなことしなきゃならないの?」
素で聞いちゃったよ。
「なに言ってるんよ。あたしはチビジャリの使徒なんよ?」
「そうだね。」
「チビジャリのために働いてんだから、これぐらいするのは当たり前なんよ。」
「…」
「早くするんよ。」
なんか堂々と言ってるから、そうなのかもしれない。
俺はアヌヤの頭を洗った後、体にもブラシを通しながら洗ってやる。
「くうう~好きな男に洗われるって、堪らないんよ。」
へ~。アヌヤさんって俺のことが好きなのか…全然納得いかないけど、そうなんだ。
体を洗い終えて、床に座り込むと、アヌヤが湯をかぶって、体を拭いて風呂を出て行く。
やれやれ、と、俺も立ち上がろうとするが、アヌヤが顔をのぞかせ「次はヒャクヤなんよ。」と宣った。
うん。ヒャクヤも使徒だもんね。
ヒャクヤは、タオルで体の前を隠して、俯きながら入って来た。小さな声で「よろしくなの。」と頭を下げる。
「じゃあ。洗う?」
ヒャクヤが小刻みに首を横に振る。
「じゃあ。お湯に浸かる?」
ヒャクヤが小刻みに首を縦に振る。
一緒に浴槽に浸かると、ヒャクヤは俺から距離を取って、俺の指を摘まむように握ってくる。俺はヒャクヤの方を見るが、ヒャクヤは俯いて、俺の方を見ようとしない。
何だ?人に散々おしっこの後始末をさせておいて、今更、恥ずかしがってるのか?
「おしっこの後始末は恥ずかしくないのにお風呂は恥ずかしいの?」
あっ、口に出してた。
「がああああああ!!」
叫びながら俺の頭を湯の中に押さえつける。
「あっぶ!あっ!こっこの!やめ!やめっろ!」
流石は獣人。一〇歳児の素の腕力では歯が立たない。
「ごっごめ!ごめん!」
やっと止めてくれるが、俺に背中を向けて、完全にお拗ねさん状態だ。もう、しょうがねえなぁ。
俺は指先でヒャクヤの頭頂部を撫でながら「ヒャクヤの頭を洗いたいな。」と囁いてやる。
「もう!しょうがないの!そんなにウチの頭を洗いたいなら、洗わせてやるの!」
そう言って、勢いよく洗い場に座る。
俺が後ろに座って、石鹸を泡立てようとしていると「違うの。」と言いながら、シャンプーの瓶を差し出して来る。
「えっ?アヌヤは石鹸だったよ?」
ヒャクヤが半目になって頬を膨らませる。
「アヌヤと一緒にしたら駄目なの。」
そう言われて、俺はそのシャンプーで、頭を洗ってやる。
「次はこれを使うの。」
獣人用体毛シャンプーを渡される。
こんな物があったのか。
一体、いつの間に手に入れてたんだよ。
ヒャクヤは、流石に背中だけで勘弁してくれたが、体を洗い終わると「これなの。」とリンスを渡される。
再び、ヒャクヤの頭を洗う。これって、俺が下僕なんじゃね?
二人を洗い終わった後、俺はヘトヘトになって、洗い場の床に倒れ込んだ。
もう湯あたりしそうだ。
ロデムスが、器用に風呂のドアを開いて、倒れ込んでいる俺の頭の所まで歩いてくる。
お前、眠ってたんじゃないの?
「今日は主人が体を洗ってくれるそうじゃな。楽しみにしておったのじゃ。」
ロデムス、お前もか…
俺は、ベッドの上で、パンツ一丁で大の字になっていた。
どうして、うちの猫共は、揃いも揃って、風呂好きなんだよ。しかもこのホテル、いくらスィートだからって風呂にシャワーまであって、あっイヤ、シャワーがあったのは良かった。うん、助かった。
シャワーが無かったら、俺、死んでたよ。
「トガリ、大丈夫?」
トンナが俺の隣に腰掛ける。俺は笑って「大丈夫だよ。」と答える。俺の答えを聞いたトンナが、ニッコリと笑う。
「じゃあ、今度はあたしも洗ってね?」
「…」
「あたしだけ、洗って貰ってないから。」
にこやかに人を殺せる人って怖いっすわー。半端ないっすわー。
トンナの表面積を俺が洗う?
あの広い背中を?
デッキブラシがいるッス。そんなこと怖くて言えないッス。泣きそうッス。
涙の三段論法が証明された。そうして、その夜は更けていった。




