管理者を称する者と俺の狂気
空間の大きさは、正確な数値として俺の左目と耳が捉えているが、距離感という感覚が狂わされる。
先程までの通路と同じ素材で出来た空間の、その中央。
床にカプセル状のベッドが一基、置かれている。
何の脈絡もなく、床が仄かに明るくなる。
ベッドを中心に、その光度が増して、輪となった光が周囲へと広がり、壁面に到達すると、その輝きが壁面を駆け上がる。
ドームの頂点に達して、その輝きが逆の手順で壁面を駆け下りながら、壁面に幾何学的な模様を刻み込む。
全体的にはフラクタクルでありながら、細部に至っては絵画的な構成で、アールヌーボーともアールデコともとれる模様だ。
壁面を走る光が床に達して青い色味を帯びて、中央のベッドへと収束される。
ベッドから、赤い光で刻まれた文様が壁面へと走る。
俺達の足元を走る模様だけが、意味を読み取ることが出来た。
いや、感じ取ることが出来た。
道だ。
ベッドへと続く一本の道。
道を意味するであろう模様が、俺達の足元から、中央のベッドへと続いている。
俺は、後ろを振り返る。
トンナを始め、全員の顔に覚悟を決めた表情が浮かんでいる。
トンナ達の後ろ、俺達が通って来た通路にも明かりが灯っている。
俺はベッドを睨む。
意思がある。
『この施設全体の管理者か。』
『どんな奴がいるのかねぇ。』
『これだけのマイクロマシンをデザインしたんだ。結構な難敵だろうね。』
『最強は好きだが。最強を謳う野郎はいけ好かねエ。』
ベッドの蓋が開く。
複雑な開閉機構であるにも拘らず、音もなく、滑るように開く。
ベッドの中から、腕が生えるようにして、伸び上がる。
糸で釣り上げられるように人の形をした者が、上体を起こし、そのままの動きでベッド上に立ち上がる。
一糸纏わぬその姿は、白かった。
象牙のような光沢を備えた裸体は、華奢で、長身だった。
毛と言う毛が生えていない。
骨格標本に、濡れた紙を張り付けたような体。
首元から肩に伸びる鎖骨が長い。そこから伸びる両腕も長く、指までも長い。
肉が付いていないため長く見えるだけなのか?
胸は膨らんでいないから、男型なのだと推測されるが、男性器はない。
無性だ。
男が、首を回す。
その動きに合わせて、筋肉が盛り上がる。
動く筋肉は徐々に太くなり、やっと人体を支えるだけの太さに成長したように見えた。
そう思った瞬間には、生物的な強さを漂わせる強靭な肉体に変わっていた。
目が開き、睫が生える。金色の瞳が虚ろな光を発しながら、俺達を見詰める。
眉毛が生える。
ベッドから足を踏み出す。
持ち上げた時は無かった足の爪が、床を踏みしめる時には生えている。
爪先から男の顔に視線を転じた時には頭には銀色に輝く髪の毛が生えていた。その髪の毛が伸びる。男が一歩踏み出す度に髪の毛が伸びる。
また一歩踏み出すと、足元から銀色のマイクロマシンに包まれていく。
踏み出す度に男の体を銀色のマイクロマシンが包み込んでいく。
銀のマイクロマシンが男の顔を残してその全身を包み込んだ。
同時に、その表面に金色に輝く光の線が走る。
周囲の模様と同系統の、複雑な模様が形成される。
手首と足首に、襟のような返しが形成され、男が立ち止まる。
男の顔にも同じような模様が刻まれ、その文様が金色に輝いている。
そして、男の瞳に意思が宿る。
『起動完了だ。』
そうだな。こいつだ。こいつが管理者だ。
俺の背中をゾクリと奔り抜ける寒気があった。
「人が二個体のみとは、やはり端末からの情報は正確だったようですね。」
男が、口を開く。
「幼生体の方に大量の霊子体情報を確認。」
その声は男の声であり、女の声であり、子供の声であり、老人の声でもあった。
「Bナンバーズのシングルナンバー三体、スペシャルナンバー一体確認。」
感情のない瞳を俺達に向ける。
「幼生体に質問。幼生体の霊子体が超高密度なのは何故か?」
俺は管理者の質問に答えず。質問で返す。
「貴様は何者で、何だ?」
「幼生体にあっては、回答を拒絶。解析行動が必要と判断。」
男がそう言った瞬間だった。
天井付近の幽子が渦を巻いて収束する。
収束地点から打ち出されたのは光。
超高速ゾーンに入った状態でも対処が困難な、光が俺達に降り注ぐ。
俺は空気中の水分子を収束、天蓋のような水の膜を作り出す。
「キャッ!」
「にゃっ!」
「にゃうっ!」
「くっ!」
「ぐわっ!」
俺の後ろで高出力レーザーに撃ち抜かれたトンナ達の声が聞こえる。
レーザーに対して、俺の作り出していた二重障壁は役に立たない。
水の膜で屈折させたが、咄嗟のことで屈折率の低い薄い膜しか作れなかった。
俺を除く全員が肩や腕を撃ち抜かれている。
「貴様…」
瞬間的に怒りが俺を支配する。
「幼生体以外の排除に失敗。」
俺を取り囲んでいるマイクロマシンの輝きが増す。
「吸着、電荷、可燃性のマイクロマシンを確認、分解。真空断裂層を確認。」
俺の二重障壁を難なく分解して、消去しやがった。
『拙いぞ!暗号化されてる!上書き出来ん!』
普段偉そうなこと言ってんだ!泣き言言うな!上書きしろ!
再びレーザーがトンナ達を襲う。
水の天蓋を作るが、管理者のマイクロマシンが天蓋を分解する。俺は高速演算で、水の天蓋を作り直す。
再び四人と一匹の叫び声が聞こえる。
「幼生体の演算能力を確認。」
俺のマイクロマシンと管理者のマイクロマシンの攻防が繰り返される。
管理者は、俺の作り出した水の天蓋を分解し、俺は水の天蓋を作り直す。レーザーは絶え間なくトンナ達に降り注ぎ、その体を撃ち抜いている。
俺は、高速演算を繰り返し、分解される傍から、トンナ達の頭上に水の膜を作り続ける。
ジリ貧だ。
超音速行動で、俺は、男に向かって走り出す。
男が、光り輝き、量子化分解し、俺は男がいた筈の場所を通り過ぎる。
奴の出現位置を割り出せよ!
『無茶を言うな!トンナ達の頭上に水の膜を作り続けるだけで、フル回転だ!』
普段、偉そうなこと言ってるんだ!それぐらい何とかしろ!
男が、俺から三十メートル以上離れた位置に再構築、俺は、再び、男を追うが、男は瞬間移動でその姿を消す。
男が、自身の体を分解した瞬間を狙って、俺はマイクロマシンを飛ばす。
マイクロマシンで、男の量子を捉えるためだ。
『駄目だ!俺達のマイクロマシンが無力化された!』
何をやってる!しっかりしろ!
『量子化した状態でも、トンナ達にはレーザーが降り注いでる!この部屋全体が、奴だ!奴の肉体はその一部分にすぎん!』
肉体である管理者を捉えることができない。
部屋を構築しているのは不可逆の素材で、破壊は不可能。
俺のマイクロマシンは無力化される。
こちらの攻撃手段を全て封じられている。しかも防御も完全ではない。
奴を追うために、俺が瞬間移動をすれば、その一瞬は思考が止まる。そうなれば、トンナ達の頭上に水膜を構築することができない。
そう考えていた時、再び、俺から距離を取って現れた管理者が、ゾッとすることを呟いた。
「出力増大、射出口増設。」
今でも二十条以上のレーザーが降り注いでいる。そのレーザーを、もっと増やして、出力を上げられたら、対処できない。
イズモリ!何とかしろ!
『ペンタコアでは、これが限界だ!』
六十四万人分の脳味噌があるだろうが!!
一気に俺の体が金色に輝き、この空間を光で埋め尽くす。
管理者の暗号を復号化し、マイクロマシンに上書き、無効化する。
分厚い水の天蓋が形成され、大量の水蒸気となりながら、高出力レーザーを屈折させる。
後ろを振り返る。
トンナが、アヌヤ、ヒャクヤ、ロデムス、オルラを庇うように、上から抱かかえている。
トンナは穴だらけだ。意識もない。トンナの体を貫通したレーザーは、それでも全員を傷だらけにしていた。
「トンナ姉さん!トンナ姉さん!」
アヌヤが涙を流しながらトンナの顔を両手で挟み込んでいる。
オルラの腕が床に転がっている。
目に焼き付く赤い色。
焼き斬られた肉片。
出血はしていない。
失血死の恐れはない。
だからなんだ。
俺の大事にしてる奴らに何をしやがる。
『俺の、俺が、俺の、俺が、俺の、大好きな子達に、守っている奴らに、大切にしている子達に、育んでいる子に、大事にしている人間に、』
俺の、俺が、俺に付いて来た大事な奴らに何をしやがるっ!!
『そう、僕が大事にしている子を、傷つけることが許されるのは、僕だけだ。』
全ての色が赤く染まった。
真赤だ。
俺は管理者と相対する。
銀色だった管理者さえも真っ赤に染まっている。
真赤な世界。
俺は『俺達は』『僕は』お前の存在を許可しない。
そして俺の意識は途切れ、意識が戻った時、俺の右手には十個の霊子結晶が握られていた。




