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トガリ  作者: 吉四六
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戦の匂い

戦闘シーンがあります。血なまぐさいシーンもあります。

 もう、何時間走ったのだろうか。四時間ほどか?息が上がるよりも先に足にきた。

 太腿が熱く焼けている。脹脛(ふくらはぎ)が踵を引き上げることさえ出来なくなりそうだ。

 アキレス腱から脹脛を走り、太腿の裏側から腰へと繋がる筋肉が悲鳴を上げている。背面に存在する筋肉の一本一本が、手に取るようにわかる。

 頭に血が足りなくなって、考えることもできない。もしかしたら意識が飛んでいた瞬間があったかもしれない。

 気が付けば俺は斜面を飛び降りていた。

 転がりそうな勢いを利用して速度を上げる。

 体が命令を発しているようだ。

 気が付けば、木を避けている。

 気が付けば跳ねている。

 気が付けば枝を握っている。

 体が先に動いて、意識が後から来る。奇妙な感覚だった。

 姉の背中に小さな光が灯っている。

 その光が、右へ左へ上へ下へと揺れ動く。

 俺はその動きにつられて、同じように体を動かす。

 ただそれだけだ。


 止まった。

 姉が繁みの中で伏せた。

 すぐ隣まで這いずり、姉の顔を見る。

「近い。」

 姉が呟く。

 うっすらと空が明るい。六時間ほどで追いつけた。奴ら、思ったよりも早い段階で野営を開始したみたいだ。

 それでも、六時間も走りっぱなしというのはどう考えても尋常じゃない。

 俺達はアケシリを外して腰に吊るし、走ったとき音を立てないよう太腿に固定する。

 そしてトネリが俺を見つめる。

「これを渡しておく。」

 ホウバタイだ。一〇歳の俺がしている物とは違う。長い、大人用のホウバタイだ。

 姉が腹の上に巻いていた、父のホウバタイ。

 ヤート族にとってホウバタイは特別な意味を持つ。

 ホウバタイはヤート族に唯一認められた所有物だ。

 直径二ミリ程度のワイヤーに金属製のD菅を幾つもとおし、そのワイヤーを芯に革紐を使ってベルトへと編み上げていく、編み上がったベルトを革で挟み込んだ物がホウバタイだ。

 D菅は荷物を吊るすための金具だ。その金具が多ければ多いほど、荷物を多く持てるということになる。

 子供が生まれると親がホウバタイを子に贈る。なるべくD菅を多く付けたホウバタイを贈るのだ。子供はそのホウバタイを一生使う。成長に合わせて、革紐を編み直し、修理して使い続ける。

 受け取ったホウバタイを肩から斜に掛ける。

「行くよ。」

 腹這いのまま、前へと進む。

 指と手首を立て、股を命一杯に開き、膝を曲げて爪先で体を支える。体幹を接地させない匍匐前進だ。まるで、蜘蛛のような動き。体中が悲鳴を上げているにも拘わらず、トガリも同じ動きでトネリの後を追う。不自然な姿勢で、驚異的な速さで進む。

 まったく、信じられない身体能力だ。

 ここまでくると、驚くべき点は、身体能力ではなく、体を動かし続けることが出来るようにする脳の働きかもしれない。

 体からの苦痛を受けると、脳は体を休ませようとする。しかし、トガリの脳はその信号を発しない。トガリの脳は休ませようとしないのだ。

 一〇歳にして、これだけの体を作り上げたものとは一体何なのか、四十五歳の俺からすれば、恐ろしいとしか言いようがない。

 トネリが再び止まる。

 トネリの頭が左右に振られ、敵がいるのだと察することが出来る。

 トネリの首があり得ない角度で上方へと向き、小鼻が痙攣するように動く。今度は下を向いて目を閉じながら、音を探る。

 左手が動き、手の平を向けて、指示を俺へと送ってくる。

『ここで待て。』

 トネリが俺から離れて、姿を消す。俺はそのまましばらく待つ。

 戻って来たトネリの口には細い針が咥えられていた。

 トネリが首を振り、行き先を指示する。俺達は再び動き出した。

 しばらく進むと、トネリは速度をそのままに、木へと登る。スルスルと重力があるのかと疑いたくなるような動きだ。

 俺は?と疑問に思うと、トガリの記憶が何をするべきかを直ぐに教えてくれる。

 俺はそのまま前へと進み、街道脇にまで行って、動きを止める。

 この街道を使うのは俺達、ヤート族だけだ。節季の監査のとき以外、村人は使わない。そのことを知っている襲撃者達は街道の反対側にできた平地で堂々と野営していた。

 街道沿いに移動を開始する。

 少し移動して、糸を発見する。

 結界糸だ。俺の発見した結界糸は丁度足首の高さに張られている。目を凝らすと様々な高さに幾重にも張り巡らされている。

 それなら、避けようとする先に…あった。

 黒塗りの結界糸。本命だ。

 姿勢を変えることなく後ろに下がる。

 黒塗りの結界糸を視線で追い、体の方向を変えて、黒塗りの結界糸を辿る。

 ある地点で手を置くのを躊躇う。周りの地面に比べて湿っている。見た目はわからないように工夫されているが、掘り返した跡だ。

 手裏剣を取り出し、周りから丁寧に土を取り除く。

 二枚の板だ。間に黒塗りの糸が通してある。板の下には刃物があって、踏むと張られた糸が切れる。侵入者は感知されたことに気付かず、見張りは静かに警戒を深めるのだ。

 この警報に気付く敵には、どうする?

 魔法だ。

 周囲を見回す。

 あれだ。

 木に印がある。

 今までの結界は地面すれすれに仕掛けられていた。

 丁度、目の高さに結界符が貼られている。地面すれすれに意識がいっている者は、この結界符に引っ掛る。結界符に目がいっている者は、足元の結界糸に引っ掛る。

 恐らくは、結界糸を抜けた先は、あの結界符による警報だ。

 姉の登った木にまで戻る。

 薄い紙の様に削られた帯が垂らされる。

 クスリという木の生皮を透けるまで薄く剥ぎ取った帯だ。

 俺はその帯を咥えて、そのまま話す。

「結界でガチガチだね。」

 帯を離して。今度は耳に当てる。

「こっちも見つけた。トサがいる。」

 俺は姉を見て、姉の視線を追う。奴らの野営地を真直ぐ見ている。俺も木を登る。姉の隣で姉の見ているものを捜す。

 いた。

 一〇歳の子供。

 トサだ。

 血溜の中、此方に背中を向けて倒れている。肩が微かに上下している。

 生かされている。

 後ろ手に縛られ、首にもロープが巻かれている。そのロープの先は木の棒に括りつけられていた。

 俺は心の中で悪態をついた。

「奴ら…何てことをしやがる。」

 心の中で納まらない怒りが口を吐く。

 トサの頭上には、五百キロはありそうな巨岩があった。その岩と地面の間にトサの頭が置かれている。あの岩が倒れればトサの上半身は潰れるだろう。即死だ。

 そして、その岩を支えているのは一本の棒だ。トサの首に巻かれたロープがその木に括りつけられている。

 失血死か、圧死か。

 トサを助けるには、気付かれないように襲撃者全員を殺さなければならない。

 もう一度、奴らの陣形を見る。

 奴らは五体の金剛を囲むように円陣を組んでいる。

 その一番外側に倒れたトサ。金剛の並ぶ内側には魔法使いがいるだろう。

 襲撃者の中には子供もいる。十一人が眠っている。その内の三人は、分厚い絨毯のような物を敷いて、普通に横になって眠っている。それで、ヤートじゃないとわかる。ヤート族は、野営するとき、寝転ばない。  

 毛糸で編まれたコルルという布を被って三角座りをして眠る。

 フードを被って、コルルの真ん中に開けられた穴から、頭だけを出す。地面で眠るときは、小さな穴を掘って、そこに石を敷き詰めて焚火をする。その火で食事を摂った後、火を消し、その上に座って眠るのだ。焼けた石が朝まで体を温めてくれる。

 見張りは見えないが、いるだろう。高い木に見当を付ける。

 姉が手袋を外し、静かに弓掛を手にはめる。

「トガリ。」

 静かな声。

 視線は奴らに固定されたままだ。

「お前の命を私におくれ。」

 願いでも、頼みでも、命令でもない。当たり前のように繰り返される、そんな日常の中でポツリとこぼれたような口調。

「下から行く。」

 トガリは腹を括っている。四十五歳の俺が腹を括れない道理はない。

 俺はスルリと、滑るように木から降りる。

 降り立った時には走り出す。

 二歩で最高速度に至り、音を殺して一直線に走る。

 上体を屈めながら、街道に張られた結界糸を手に持った手裏剣で斬り飛ばしながら一直線に走る。

 木の枝に立つ見張りを見つける。同時に向こうもこちらに気付くが、構わない。トネリが殺す。

 気付いた見張りが、声を上げようと息を吸った瞬間。眉間を撃ち抜かれて見張りが死んだ。

 既に何人かは起き上がって、俺に気付いている。二人が同時にトネリの矢に撃たれる。

 手裏剣を口に咥えた俺は、真直ぐにトサのもとにスライディングで飛び込み、同時に抜刀、小太刀でロープを切りながらトサを引き出す。

 勢いを殺さないように、俺はトサを肩に担いだまま敵陣に突っ込んだ。

 子供が再び襲ってくるとは思っていなかったのだろう。奴らは、俺を見つけることが出来ない。すれ違いざまに一人、二人と踵を断ち割る。怒鳴り声や戸惑いの声が聞こえるが、構わない。必要ならトネリが殺す。

 俺はもう一つの目的に向かって疾走した。

 子供でなければ擦り抜けられない金剛と金剛の隙間に飛び込む。

 俺の方を驚愕の表情で見ている女。

 反応が遅い。

 見ている暇があれば、逃げろよ。

 ヤートの傍は臭かったろう?

 嫌だったろう?ヤートと一緒に眠るのは。

 慌てるなよ。

 折角ヤートが作った掘り炬燵擬きに足が嵌ってるぜ?

 でも、お前だけだ。

 お前だけには、血が付いていない。

 お前だけには、傷がない。

 だから、俺がくれてやる。

 お前の首に傷を一つ。

 驚愕に目を見開いたまま、女の首から血が噴き出した。

 俺に血が付くことはなかった。その時には金剛の隙間を抜けて、走り抜けていたから。

 結界糸を切り飛ばし、俺はそのまま森の中を走り続けた。

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