怨み辛みも人の性、そういうのを呑み込めるって大人だね
ドアの方からノックがされる。
俺がカーテンを開いて、トンナがカギを開けて、「どうぞ。」と来訪者を迎え入れる。
ヘルザースだ。
魔法使いを後ろに従え、ローデルが横を歩いている。車椅子を押しているのはコルナだ。
車椅子にすわっていてもなお、ヘルザースの視点の方が高い。でも、俺はヘルザースを見下ろした。
ローデルが俺に向かって「もう、お立ちになって、大丈夫なのですか?」と聞いてくる。
俺が、ローデルに対して頷くと、ヘルザースが初めて会った時と同じように自嘲気味に「ふふ。」と笑う。
「このような姿を其方の前に晒すのは苦痛ではあるが、其方には、直接、礼を申さねば、ゆっくりと休んでもおられぬのでな。」
ローデルに支えられながら、ヘルザースが頭を下げる。
「この度は救って頂き、感謝いたす。」
俺は跪き、ヘルザースの無くなった足に手を翳す。
印を結ぶこともなく、呪言も唱えない。
代わりに別の呪言、呪いの言霊をヘルザースに向かって唱える。
「戦乱は民を苦しめ、為政者を成す。苦しみの果てに求めた為政者は救世主に非ず、人選りて、縒る人解きて、寄る辺を失くす。怒りありて、哀しみ生じ、常世に満。」
俺の掌が光り、ヘルザースの足を再構築する。
「おお。」
魔法使いが驚きの声を上げる。
萎んでいたズボンが膨らみ、ヘルザースの素足が裾から現れる。
「叙勲する?爵位がこの力の前に意味があると思うのか?」
俺は力ある立場の者としてヘルザースを見詰める。
ヘルザースは俯いたまま、口を真一文字に結んでいる。
ローデルは驚きに満ちた顔のまま、俺の顔を見詰めている。
「力で今の地位を築いたのなら、わかる筈だ。力の前には金も権威も無意味であるということが。」
俺は立ち上がって、ヘルザースの両腕に手を翳す。
右腕には左手を。
左腕には右手を。
ヘルザースの心に向かって俺は呪言を唱える。
「死あれば、想い無く、継ぎし日々の砂城が如く。花散りて、枝残るもいつしか消える。悔いあれど、死に消え、恨み無く、怒りに燃ゆるも霧の如し、地に在るも、在りよう留める形はなし。」
ヘルザースの腕が再構築される。
再構築が終わって、俺は一歩後ろに下がり、再び跪く。
俺は本来の立場に戻って、ヘルザースに語り掛ける。
「いまだ、動かすことは叶わぬでしょうが、ヘルザース閣下が真に平和を望まれた時、その両手、両足は元通りに動き出すでしょう。」
ヘルザースは天を仰ぐ。
「夢ありて、死あり、夢なくて、生あり、人、いずこに向かうべきか。」
夢のために死ぬか、夢を抱くことなく生きるか、どちらを選べば良かったのかと問うてくる。
俺は頭を垂れて答える。
「生ありて、夢語り、死ありて、夢失くす。至る道は人の心なりや。」
生きているからこその夢であり、死ねば夢も何も無い。選ぶべき道は、人としての心に至る道であると。
ヘルザースが俺を見下ろす。
「先程の言祝ぎ、我が身に染みた。」
ヘルザースは俺の発した呪言を言祝ぎと言い換えた。
戦乱を呼べば、人々は、その戦乱を治める為政者を求める。
その求めに応じた者を人々は救世主のように崇めるかもしれないが、それは、単なる勘違いだ。
戦乱の後に残るのは、怨みであり、悔恨で、復讐だ。人々は、復讐者を求め、また、怨みを呑み込み、日常へと戻る。
為政者は、そんな民草の生活と営みを支えるためにどのようなことができるのか?
戦乱の元となった国を責めるのだ。
国民に押されるままに戦いは続く、静かに、ゆっくりと、だが、それでも、続くのだ。
死ねば終わりだ。
何もかもが終わり、残された者が哀しみ悔やむのだ。死んだ者の怨みを晴らすために戦いを続けるのだ。
俺は黙ったまま、何も答えない。
「其方が何者であっても、もはや、もうよい。其方の望むこと、其方の言われること、それが如何なことであっても私は諾と答えるのみ。お立ち頂きたい。」
俺はヘルザースの前に立つ。
「老骨、老体なれど、其方の役に立ちとうございます。」
俺は静かにヘルザースを見詰める。
「心ある善政を。」
俺の言葉を聞いたヘルザースが頭を下げる。
「ありがたき幸せ。」
ヘルザースが、もう一度頭を下げて、この場を辞することを申し出る。俺は引き止めることなく、その後姿を見送った。
『気付かれたな。』
ああ。でも、もういい。
『そうだな。もう関係ない。』
ヘルザースがトガリの父を殺した。
『そうだな。罪を背負うべきだ。』
そうだ。そして許されるべきだ。
『ああ。許せるだろう。トガリなら。』
オルラが俺の隣に立つ。
俺の肩をオルラが優しく抱き寄せる。
「ごめんよ。義母さん。我慢できなかった。」
俺の肩をオルラが擦る。
「お前は立派な子だよ。誇りだ。あたしの誇りだよ。」
俺はヘルザースの前では、冷静さを失っていた。
ヘルザースを前にすると何故か予定外の行動をしてしまう。
不思議だったが、今、わかった。ヘルザースを恨んでいたのだ。憎んでもいたのだ。
ヘルザースの侵攻で、父とトサと集落の皆が殺された。
トガリはそのことを忘れていなかった。
俺の頭からはすっぽりと消えていた筈のことが、ヘルザースを前にすると、胸の内から湧き上がって来る何かで、焦がされるように憎しみという感情となって、俺を突き動かしていた。
『混じるとはこういうことか。』
ああ。俺は気付かないうちにトガリの憎しみに支配され、その行動を狂わされていた。
ヘルザースを説得するために、ヘルザースの元を訪れた。
早々に説得することを諦めたのは、本当に俺の意思か?
『お前の意思だ。』
呪言のように口にしたが、戦争で生まれるのは救世主ではない。残るものは怨みと憎しみだけだと、俺は言った。
その言葉を受けて、ヘルザースは夢を諦めねばならぬのか、と、俺に問うてきた。
我慢できなかった。
今まで積み上げてきた嘘が、全て露見するとしても、ヘルザースに一言言わずにはいられなかったのだ。
『言葉って便利なんだよねぇ。』
どういう意味だ?
『物事は多角的に捉えられるじゃない?だから、言いようによって、一つの事実が如何様にも言い換えることが出来ちゃうんだよ。』
ああ。そういうことか。そうだな。
父が死んだという事実があって、ヘルザースは殺していないと言ったとする。それは正しく、事実、ヘルザースは殺していない。
しかし、トガリにとっては、ヘルザースは仇であって、父を殺した張本人だと言う。それも事実であり、正しい答えだ。
トガリの父の死に対して、人々は様々なことを言える。
寿命だった。
運命だった。
ヤート族としては当然のことであった。
今まで人を殺してきた報いだ。
トガリにとって納得できる言葉は、ヘルザースに殺された。だからヘルザースは仇である。と、いうものであった。
戦を望む者を許してはいけない。
しかし、許すことがなければ、その身を焦がす。
『ヘルザースを殺さずに済んで、良しとするべきだな。』
そうだな。
俺とオルラ、二人にしかわからないその場の空気に、トンナもアヌヤもヒャクヤも入り込んでくることはなかった。
再びノックされる。
「どうぞ。」
オルラが答える。
先程、ヘルザースの後ろに居た魔法使いが立っていた。
「失礼してもよろしいでしょうか?」
コーカサス系の白人だ。額に第三の目の印がある。二十歳前後か、まだ若い。体格はガッシリとしており、手に剣ダコがある。武道にも精通しているのだろう。
オルラが体をずらして、部屋に入るよう促す。
魔法使いは一礼すると、するすると浮遊しているかのような歩法で前に進む。
俺の前で立ち止まり、頭を垂れたまま話し出す。
「お疲れのところ申し訳ありません。私の名はリュート・オル・セルダークと申します。」
俺も一礼して名乗る。
「先程は失礼いたしました。改めてトガリ様にお教えいただきたいことがございまして、お伺いさせていただきました。」
俺は応接セットに目をやり、「トンナ。」と声を掛ける。
トンナが頷いて、俺の両脇を抱える。そのまま応接セットの一脚にどっかりと座り「ギンテン、お茶を入れてちょうだい。」と声を掛けている。俺はトンナの膝の上だ。あれ?俺はトンナにお茶入れてって意味で声掛けたんですけど?
俺の威厳が一気にダダ下がりだよ?
「どうぞ。」
俺は魔法使いリュートに向かいのソファーを勧める。
「ありがとうございます。」
うう。リュートの視線が痛い。
「それで、どのようなことを?」
リュートが頷いて口を開く。
「ローデル閣下からお伺いしたのですが、トガリ様は空間転移の法をお使いになられるとか?」
そのことか。俺は素直に頷く。
「先程のヘルザース閣下に対する施療術も見事でございましたが、出来ましたら、その空間転移の法もお見せいただくことは叶いませんでしょうか。」
俺はニッコリと笑って「お断りいたします。」と答える。その答えを予想していたのだろう、即座に別の話題を切り出して来る。
「では、先程の施療術についてお教えいただきとうございます。」
こっちが本命だな。
「先程の施療術では、精霊の量が尋常ではございませんでした。あれだけの量の精霊を如何様に制御なさっているのか、その原理をお教えいただきたい。」
前傾姿勢でグイグイ来るな。
「精霊が見えるのですか?」
見えているのならば、俺はコイツを敵認定し、警戒しなければならない。
「いえ、尋常ならざる精霊のざわつきを感じましたので。」
良かった。
「目の前でご覧になってわからないのであれば、話を聞いても理解できませんでしょう。」
無慈悲にバッサリいかせてもらう。
目の前の魔法使いが固まる。顔を赤くしている。
子供相手に屁理屈で言い負かされるのに我慢できるかな?
リュートがやおら床に正座し、土下座する。
「お願いでございます。何卒、何卒、先程の施療術をお教えくださいませ。」
う~ん。教えるって言ってもなあ。
「リュート殿は、人間の体は何で出来ているかご存知ですか?」
物凄いスピードで顔を上げる。
「肉と魂でございます。」
ほら、この時点で違うもの。
俺は、アミノ酸とかの体の組成を聞いてるのに、肉と魂だもん。
「私は、その肉が、なにで出来ているのかを聞いているのです。」
リュートがきょとんとしてる。
「肉は…肉として、そこにあるのではないですか?」
「髪は肉から生えておりますが、肉ではありませぬ。爪は肉から生えておりますが、肉ではありませぬ。では髪とは何で出来ておるのでしょうか?肉で出来ておるのでしょうか?何故、爪となって伸びるのでしょうか?皮膚は何故、肉の下から生まれ出て、肉を覆うのでしょうか?肉は何故、動くのでしょうか?人はどうして生きることが出来るのでしょうか?」
「それは…魔法ではございませぬ。医療術でございます。」
俺は一つ頷く。
「では、私の魔法は、魔法ではなく、医療術だったのです。」
さっきから、施療術だの医療術だの、俺にはその区分ってか、違いがよくわかんないけどね!
リュートがボンヤリとした表情で俯く。
「あれは、確かに施療術…精霊が働き、ヘルザース閣下の足が空中から再生されていた。魔法の施療術でも聞いたことのない魔法…」
ブツブツと呟いているが、自分の中で整理できないんだろうなぁ。
俺は溜息を一つ吐いて、更に言葉を重ねた。
「言葉に拘ってはいけません。物事は多角的に見てこそ真実に近づくのです。」
施療術でも医療術でも何でもイイんだよ。やってる俺がわっかんないんだから。まあ、適当に言っておいても問題ないだろ。面倒くさいしね。
でもリュートは何事か納得したようで、うんうんと頷きながら「ありがとうございました。」と再び土下座する。
リュート君に納得して貰えたので、お帰り頂いたのだが、その後も何人かが、俺の元を訪れる。
武官は、魔人との戦いについて教えてくれ、文官は、ローデルとの話の内容を教えてくれと、とにかく面倒臭い。
あと、礼に訪れる者も多かった。いい加減うんざりしたところで、ローデルからの使いが訪れる。
晩餐会への招待だが、いくらうんざりしてても、これを断るほど俺は子供じゃない。
ドレスコードを使いの者に確認すると「必要ございません。トガリ様にご指示を頂戴できましたら、ローデル閣下が、トガリ様に合わせられるでしょう。」とローデルの用人とは思えぬことを言い出した。
それでは、魔狩りの格好でお伺いすると答えておく。
ローデルの用人は、恭しくお辞儀をして、振り返ることなくこの部屋を出て行った。
「義母さん。」
「何だい?」
「何か、凄い待遇になってない?」
「何を今更…」
オルラはそう言うと、肩を竦めて「やれやれ」と言った。




