帝国の陰と四人目の獣人は案外強かったので吃驚したけど、吃驚したことは内緒だ
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トンナの体がぶれる。
床板が粉々に吹き飛び、残骸の向こうにトンナの姿が現れる。
斜め下から秘書の顎を狙った左拳が、壁を削って、秘書を襲う。
秘書は体を僅かに反らして、トンナの拳を避ける。トンナの背中越しにアヌヤの蹴りが秘書を襲うが、秘書はそのまま後方に倒れこむようにして、アヌヤの蹴りを避ける。
バク転しながら逃げる秘書の足をオルラのツブリが絡め捕る。
秘書は動きを阻害されながら、倒立して、ツブリの紐を空いた足で引き絞る。
動きの止まった秘書をヒャクヤの飛び蹴りが襲う。
器用に足を使って、ツブリの紐を操り、ヒャクヤの体にツブリの紐を絡めようとするが、オルラがそれを許さない。秘書は倒立していた体をフワリと浮かし、ヒャクヤの飛び蹴りを躱すと同時に絡むツブリを解き放つ。
秘書は天井と壁を蹴り、ローデルの執務机に降り立った。
しかし、その着地点を予測していたトンナの拳が唸る。
再び、秘書の体が重力を感じさせずにフワリと浮かぶ。
トンナの影からアヌヤが走る。
ヒャクヤの飛び後ろ回し蹴りとアヌヤの前蹴りが同時に秘書の頭と脇腹に襲い掛かる。
秘書は二人の蹴り足に両手を添えると、その力を利用して、体を回転、二人の蹴り足の間隙に体を滑り込ませる。
体を回転させる秘書の鳩尾にオルラのツブリが襲い掛かるが、秘書は足裏でツブリの分銅を受け止める。
秘書は秘書室に続く扉の前に降り立った。
後ろ手に扉のノブを探すが、見つかる筈がない。
俺は既に、この応接室と執務室を閉鎖空間にした。
余裕をもって、トンナ達の攻撃を凌いでいた秘書の顔に、初めて焦燥と呼べる表情が浮かぶ。
トンナ達の一番後ろ、ソファーに座ったまま、俺は秘書に声を掛ける。
「お前はフクロウかな?聴覚が異常に敏感そうだ。」
秘書は黙ったままだ。
俺には秘書の正体が見えている。鳥型の獣人だ。
「まあ、こっちに来て座れ。少し話がしたい。」
ヒャクヤ、アヌヤ、トンナの順に、秘書のために道を開ける。
秘書が応接間へと足を踏み入れ、オルラと対峙する。
秘書の目が鋭く歪められるが、オルラは静かに後ろに下がり、俺の後ろに控えるように佇んだ。
「座れよ。」
俺の対面、三人掛けのソファーに視線を向ける。
「ローデル・セロ・スーラ子爵はどうした?」
秘書が俺に問い掛ける。
「別の空間に避難して貰った。」
うん。今は、ヘルザースと仲良くしてるだろう。
「閉鎖空間を形成するとは、甚大な魔力に見合った見事な技だ。」
「名前を聞いても?」
女が頷きながら、ソファーに座る。
「コルナだ。」
「さっきも聞いたが、フクロウの獣人か?」
秘書、コルナが自嘲気味に笑って、目を伏せる。
「人化も通じんか。そうだ。私はフクロウの獣人だ。」
人化だと?気になる単語だが、今は、そんなことを話している暇はない。
獣人は厄介だ。口が堅い、忠誠心も高いだろう。
「観念してくれたようだから、聞くが、素直に答えてくれると助かる。」
「内容による。私は死を覚悟している。答えてやれることは答えてやる。」
コルナは足を組んだ堂々とした態度だ。
「お前のバックはカルザン帝国か?」
コルナが鼻で笑う。
「答えられない問いだな。」
トンナが拳に力を籠めるが、俺が右手を上げて制止する。
「ヘルザースとローデルに掛けた魔法。解呪する方法を知りたい。」
「答えられない。」
「貴様の族名は?」
「ヒラギ族」
「貴様の真名は?」
「フン。答えられる訳がなかろう?」
嘲るような言い方。
「そうか?」
コルナが横を向いて鼻で笑う。
「前の質問に答えなければ、お前の真名を使って、話して貰うことになるぞ?」
「ハハハッ面白い。やってみろ。」
コルナが大きく笑う。
「ホルルストロ・ヒラギ。笑うな。」
コルナの笑いがピタリと止まる。トンナを始めとする、獣人達が固まっている。
「ホルルストロ・ヒラギ、死ぬことと、動くことを禁ずるが、発言は許可する。俺の問いに答えよ。お前のバックはカルザン帝国か?」
怒り、憎悪、苛立ち、負の感情が綯交ぜになった表情がコルナの顔を醜く、歪ませる。
「…そうだ…」
その言葉に俺は頷く。
「ホルルストロ・ヒラギ、ヘルザースとローデルに掛けた魔法の解呪方法を答えよ。」
コルナは俯いて、汗を吹き出している。膝に指先が食い込んでいる。
「くっ…か・かっあ・あ・あの…まっま・魔法は…」
コルナは涎を垂らしながら、抗おうとする。
「じ・じゅ・呪符…と・おお・まっま・魔法…じ・陣との・こっこ・混成・ま・まほ・法…か・かっかい・解・呪にっは…じゅ・呪…符っがっがひ・ひ・つ…要…」
「ホルルストロ・ヒラギ、解呪に必要な呪符を出すことを許可する。解呪用の呪符を出せ。」
コルナは苦しみもがきながら、懐から呪符を出す。震える手で、力が込められているにも関わらず、呪符に皺が依っていない、真名の力の凄まじさを感じる。
俺はマイクロマシンを霊子ごと獣人に食わせる。俺のマイクロマシンには接触した他のマイクロマシンに俺の命令を上書きせよとプログラムを走らせている。
獣人の体外に存在するマイクロマシンは、獣人に食われて、その体内から出ることが出来なくなり、俺に情報を伝達することが出来なくなるが、体内では、俺のプログラムが走り続けるため、活動を続ける。
コルナの体の中は俺のマイクロマシンで満たされた状態だ。コルナの脳を解析して、真名を判別、幽子を取り込む機能を狂わせ、幽子を取り込む行為自体を停止させる。
それから、新たにマイクロマシンを、体外に排出するプログラムを走らせたマイクロマシンを送り込む。コルナの体内を満たしていたマイクロマシンは、情報を持ったまま、一斉にコルナの体外に排出された。
「ホルルストロ・ヒラギ、他に、同じ魔法をかけた人物は居るか答えよ。」
「…居・る…」
俺はトンナを見上げて、「トンナ、そこの机から紙とペンを」と頼む。
コルナの前に紙とペン、インクを置く。
「ホルルストロ・ヒラギ、ヘルザースとローデルに掛けた魔法と同じ魔法を掛けた人物の名前と所在地を、全て、この紙に書くことを許可する。」
コルナが震える手でペンを握る。それを見て、俺は命令を付け加える。
「ホルルストロ・ヒラギ、手の震えを止めよ、俺達に判読できる文字で書け。」
コルナが忌々し気に俺を睨むが、手は震えを止め、紙の上をスラスラと走る。
紙に記された総数は五人、ヘルザースとローデルを含めると七人だ。
俺は紙に書かれた五人をマイクロマシンで確認する。
五人の内、一人で執務室に居た男を選んで、脳と体の電気信号を阻害、この部屋に瞬間移動させる。
「ホルルストロ・ヒラギ、この男に掛かっている魔法を解呪することを許可する。速やかに、スムーズに解呪せよ。」
一人掛けのソファーに凭れ掛かっている男にコルナが近づき、呪符を懐から取り出し、男の額に呪符を当てる。
空いている手で印を結び、ブツブツと呪言を呟く。
呪符が輝き、一瞬で燃え尽きる。
灰が空中を舞い、火の粉が飛び散る。
俺はグッタリとしている男の脳内にマイクロマシンを侵入させて確認する。よし。コルナのマイクロマシンは確認できない。
「ホルルストロ・ヒラギ、私の問いに答えよ。この男に、他の魔法はかけていないか?」
「…かけて…いない…」
俺は「よし。」と答えて、男を元の場所に戻す。
次々とソファーに人を召喚する。遺伝子情報を採取していないので、賭けの要素が強いが、そんなことにかまっていられない。とにかく、慎重に、繊細に被召喚者の肉体構成分子を調べ上げ、記録してから、瞬間移動させる。
召喚する対象者が他人と接触している場合は、接触している者の脳にもマイクロマシンを侵入させて、電気信号を阻害してから、対象者を召喚する。
召喚してからの手順は同じだ。五人の解呪が終了したので、ヘルザースとローデルを召喚する。
ヘルザースは解呪後にもう一度、元の地下牢に戻ってもらう。
ローデルはこのままソファーに座ってて貰おう。
さて、あとはコルナの始末をどうするかだ。
コルナは解呪した後、そのままの姿勢で悄然と立ち尽くしている。俺が最初に動くことを禁じたから、俺の命令を受けないと動くことも出来ない。例えば、トンナが真名を告げながら、座れと言っても最初の命令が効いているから、動くことが出来ないのだ。
「ホルルストロ・ヒラギ、答えよ。俺が呼吸を禁止した場合、お前はどうなる?」
「死ぬ。」
やはり、かなり深いところにまでプログラムが刻まれている。
「ホルルストロ・ヒラギ、汗をかけ。」
一瞬で、コルナの顔に大量の汗が粒になって噴き出る。
こいつも、生理現象まで支配されるのか。悲惨というか陰惨なプログラムだな。
俺はタオルを再構築して、コルナの汗を拭きとってやる。コルナの顔は屈辱に歪んでいる。その顔を見て、考える。
俺はトンナの傍に行って、トンナに耳を貸せと言う。
トンナにゴニョゴニョと囁く。
「ええええええええええええ~。やだよおおおお!そんなの!」
あれ?珍しく断ってきたぞ?
しかも、本気で嫌そうな顔だ。
「じゃあ。俺がしても良いんだけど?それでも良いのかな?」
俺がそう問い掛けると、再び。
「ええええええええええええ~!絶対ヤダ!!」
と、トンナが叫ぶ。
「じゃあ。トンナがやるってことで。」
トンナが嫌々ながらもコクンと頷く。
「ホルルストロ・ヒラギ、こっちに来い。ボアノイドの女性の前まで来なさい。」
トンナの前にコルナが立つ。
「ホルルストロ・ヒラギ、この女性の顔をしっかりと見なさい。この女性の名前はトンナ・ツキナリ。」
コルナが憎悪の籠った眼でトンナを見詰める。良いぞ。わかりやすくて良い。
「ホルルストロ・ヒラギ、お前は今後、生きている限り、トンナ・ツキナリを敬愛し、崇拝し、トンナ・ツキナリの言葉を神の言葉として受けよ。心と体そして魂の全てをトンナ・ツキナリに捧げよ。」
オルラが俺の後ろで「ブハッ!!」と噴出してる。
アヌヤが口をポカーンと開けてる。
ヒャクヤが悪魔を見るような眼差しを俺に向けてる。
トンナはゲンナリしてる。
俺はコルナの顔を覗き込む。よし。トンナを見詰めるコルナの顔がトロンと蕩けてる。俺は良く知ってるぞ、この顔を。
トンナがトガリ教に入信してる時の顔だ。間違いない。トンナ教の完成だ。
俺はコルナの前に立つ、途端に憎悪の視線を向けてくる。
おお、怖…
「ホルルストロ・ヒラギ、お前に、自由に動き、話す権利を与える。」
俺の顔に向かってコルナの爪が下から跳ね上がる。
おお。速攻だな。
コルナの前腕を受け止め、爪を止める。
「お止め!コルナ!この人達に危害を加えるんじゃないよ!」
トンナが叫ぶ。
コルナは喉深くで、威嚇音を発しながら、俺を憎悪てんこ盛りの目で睨む。
「トンナ様のご命令がなければ、その喉、掻っ捌いてやるものを…」
何気に恐ろしいことを言ってくるが、取敢えず、トンナの命令は履行されてるようだ。
コルナは俺の手を振り払って、トンナの前に跪く。コルナの姿が徐々に変質する。輪郭はそのままだが、羽毛が顔を覆い、鼻梁から鼻先までが硬質な嘴のように変わる。
手は鳥類の足のように鱗で覆われ、爪が扁平な物から、刃物のような鉤爪を形成する。
「トンナ様、我が身、我が心は全てがトンナ様のために。」
そう言って、トンナのブーツにキスしようとする。おおう。激しいね。トンナの比じゃないわ。
「やっや、止めて、靴にキスとかしないで。」
トンナ、本気で嫌そうだな。
ほら、コルナがショボーンとしてるぞ。
「いや、そんなに落ち込まないで。ね?落ち込まないで、明るくしよう?ね?」
嬉しそうにコルナの顔が跳ね上がる。いや~宗教って怖いわ。
「とにかくコルナ、立って。立ってお話ししましょう。」
コルナが立ち上がる。俺の顔が、視界に入ったようで、途端に顔が憎悪で歪む。
「トンナ様、汚らわしい男がおります。目の毒になりますので、排除いたしますか?」
「ダメよ!この人は、あたしの大事な…ぐっ人、なんだから、コルナもこの人のことは大事にしてあげて!」
慌てて、トンナが俺を庇ってくれるが、途中で俺のことを、ご主人様と言いそうになって頭痛がしたようだ。
それにしても、コルナのヘイトを稼ぎすぎたな。これだけ人がいるのに排除対象が俺だけって、どんだけよ?
「左様でございますか?この汚らわしい変態的な雰囲気を醸し出しながら、淫猥で下品な表情を浮かべる軽薄そうな醜男がトンナ様の大事な人というのは理解しかねますが、トンナ様の仰ることに私は従います。」
おい。今の長台詞、三分の二ぐらい俺をディスってるぞ。
「そうなの。大事な人なの。」
トンナ、また否定しないのね。コルナもそうだけど、アヌヤとヒャクヤも俺をディスってるんですけど、トンナはその辺無頓着なのね。
その後、トンナを通してコルナからその役割を聞き出す。トンナと話す度にコルナが煩わしことを言っていたが、取敢えずは詳しいことはわかった。
コルナはカルザン帝国からの密偵であり、その役割は、俺達の予想通り、カルザン帝国の力を取り戻すための後方攪乱であった。
十年前から、数人の密偵が潜入しており、その密偵頭がコルナであった。コルナの指令で、他の密偵はヘルザース・フォン・ローエル伯爵領に散らばっている。
ローエル城にあった魔法陣と呪符結界は三年前に設置したそうだ。テヘ、推理が外れちゃった。
そもそもが、そのローエル城、カルザン帝国から流れて来た裏金も使って築かれたとのことで、かなり前から、ヘルザースは裏切ることを考えていたようだ。
密偵とはいえ、監視役も担っているので、半ば公然の秘密、大人の事情って感じだったようだ。
密偵は、全てヒラギ族で構成されており、やはり、村出の嫁の掟で縛られているとのこと、コルナには娘がいて、その娘のためにも密偵を続けなければならないことがわかった。
ちなみに以上の理由からカルザン帝国に対する忠誠心は決して揺るがない、とのことだったが、トンナの言葉とあれば、いつでも裏切ると宣っていた。
思いっきり揺らいでますが?娘はどうする?
取敢えず、再起不能とかにしなくて良かった。
知らないとはいえ娘が可哀想だしね?
トンナを通じて、コルナには仕事を続ける振りをしてもらうことを伝える。だって、コルナは俺のことガン無視するんだもん。
カルザン帝国を裏切ったことがわかれば、ヒラギ族とコルナの娘が危険に晒される。
ただし、カルザン帝国には噓の報告をしてもらう。二重スパイって奴ですね。
速やかな連絡が出来るように、ヒャクヤの霊子受発信回路から受信回路を出してもらう。
俺は、その回路に発信機能を付加して、コルナの霊子回路に接続する。コルナはスッゴイ嫌そうな顔をしていたが、トンナの命令とあっては断れない。
コルナのために携帯できるインク壺とペン、そしてメモ帳を再構築してやる。
二人が繋がりっぱなしというのもストレスになるだろうから、二人の受発信回路にスリープ機能を持たせることにした。
通常はスリープモードだが、起動させると、相手に起動したことが知らせるようになっている。
もし、タイミング的に受発信回路を起動させるのに都合が悪ければ、霊子回路と接続を切って、相手からの連絡内容を溜め込むように取り決めた。
面倒くさいシステムだが、霊子受発信回路の元々の使用方法がそうなっているのだから仕方がない。
霊子受信回路を生体や稼動する無機物に寄生させて、思うように操作するのが、本来の使用方法なのだ。従って、情報は一方向での遣り取りが基本であり、双方向にするようにはできていない。それを無理矢理、双方向に変更したのだから、面倒くさいシステムになっても仕方がない。ちなみに情報の遣り取りも面倒だ。
考えたことをそのまま相手方に伝える、テレパシーのように使えればいいのだが、あくまでも、この回路は相手方を操作するための物だ。
受信している相手方は、自分が何故、そのような行動をしているのかが、わからない状態で操作されているのがベストである。
だから、発信側の意図を受信側に伝える必要はない。それどころか伝わってしまうと対抗策を講じられてしまう。では、どのように情報の遣り取りをするのか?
結局、発信側が伝えたい情報を受信側に喋らせる、もしくは書かせることになる。
うわ~面倒くさい。いっそのことテレパシー専用の霊子受発信回路を作った方が良いんじゃないかとイズモリに提案するが、却下された。
『そんなに霊子回路を作製して、霊子量がもつと思ってるのか?俺達とは違うんだぞ。』
と、言われてしまった。
確かにヒャクヤの霊子回路もバージョンアップしているが、最新バージョン、つまり、俺と同等の霊子回路にしてしまうとトンナの二の舞で、それぞれの持つ霊子量では足りなくなる。
カナデラかタナハラをヒャクヤに常駐させなければならない。
ヒャクヤとアヌヤの霊子回路は今でもギリギリの上限まで引き上げてある。戦闘時に支障がないように余裕は持たせているが、これ以上の霊子回路の性能アップと増設は無理だ。
一度、ヒャクヤとコルナの間で双方向のテストをしてみる。
「あっ!なんか来たの?」
ヒャクヤが反応して、紙にペンを走らせる。
紙面を見たヒャクヤが露骨にムカついた顔をしている。
「む?返信か?」
コルナが反応してメモ帳にペンを走らせる。
紙面を見たコルナは涼しい顔で、その紙を破り捨てた。
捨てられた紙を繋げて見てみると、脳みそ空っぽ変態チキンは私なの。と書かれている。
ヒャクヤの書いた紙を見てみると、脳タリン猫は私です。と書かれていた。
うん。
使いこなしてる。別の意味で。
凄い勢いで、お互いに自分の悪口を書かせ合っている二人をトンナに止めてもらう。
二人とも涙目だ。
そりゃそうだ、自分の悪口を自分で書いてるんだから心が折れない方がどうかしてる。
「チビジャリ!ウチ!こいつのこと嫌い!!」
涙目のまま俺に訴える。うん。正当なディスリ方だ。トンナに視線を走らせる。
「ヒャクヤ、コルナ。仲良くしな。」
トンナもゲンナリだ。しょうがない。パーティー内の下僕長としての重責、トンナなら大丈夫!
『自分に言い聞かせてどうする?』
大丈夫!たぶん…
とにかく事態を収拾しなければ、という訳で、コルナには普通の人間の姿に戻って貰って、秘書室にて待機してもらう。コルナには、一仕事してもらうつもりだ。
破損した壁や床を再構築して復元、全てを元通りにして、ローデル・セロ・スーラ子爵の電気信号を元通りに接続してやる。
ガックリと項垂れたままのローデルの頭の中は、ズヌークが負傷した事実を知ったばかりだ。
「ローデル閣下、事はこれだけでは済んでおりません。」
俺の言葉にローデルが顔を上げる。
「ヘルザース閣下も同じ悪魔に襲われ、今は行方不明とのことでございます。」
「なに!」
ローデルは音を立てて、立ち上がる。
「その話!信憑性は如何ほどか!?」
ノックの音で中断される。段取り通りのタイミングだ。
「なにか!?今は取り込み中だ!」
明らかにローデルは焦っている。
ドアを開いて入って来るのはコルナである。
「申し訳ありません。」
そう言いながら、コルナはそそくさとローデルに近寄り、耳打ちする。
コルナの話を聞いたローデルは、驚嘆し、そのまま俺に視線を転ずる。
「申し訳ない。今しばらく此方でお待ちいただきたい。」
俺にそう言って、そのまま応接間を出て行く。
しょうがないよね。今頃、ヘルザース行方不明の報告を受けてるんだろうな。全部マッチポンプだけど、俺って碌な死に方しないんじゃなかろうか?
ローデルが憔悴しきった顔で戻って来る。ソファーに力なく、倒れるように座り込む。頭を抱えて、「お待たせして、申し訳ない。」と蚊の鳴くような声で呟いた。
「トロノア殿、其方の仰ったこと誠でございました…」
呟くように俺に話し掛ける。
「…左様でございますか。」
俺は十分に間を取って答える。
「…悪魔の出現など…ここ暫く聞いたことがございませんでした。しかし、これからローエル伯爵領はどうなってしまうのか…」
俺は目を閉じ、天井を仰ぐ。
「ズヌーク閣下は悪魔を退けることが出来ましたが、調伏することは叶いませんでした。」
ローデルが顔を上げる。
「待たれよ。」
再びローデルを見詰める。勿論真摯な眼差しを忘れていない。
「ズヌーク閣下を襲った悪魔とヘルザース閣下を襲った悪魔は同一と申されるのか?」
よしよし。
俺の話が不自然なことに気づいたか?
「はい。ズヌーク閣下を襲った悪魔はセヌカ・デロ・セヌーク男爵が召喚した悪魔だと、私はそう見ております。」
ローデルの瞳に力が宿る。
「しかし、其方は、セヌカ・デロ・セヌーク男爵は、ズヌーク閣下の謀反を諫めるために悪魔を召喚したと仰ったではないか?まさかヘルザース閣下も謀反を企てていたと仰るのか?」
「…」
俺は不自然に黙り込む。
「そもそも、其方は何故、悪魔が召喚された意図をご存じなのか?セヌカ・デロ・セヌーク男爵と直接、お話でもされたのか?」
「…」
もっと考えろ。
「まさか。…其方は一体何者だ…」
そうだ。
謀反を企てていたから悪魔に襲われた。なら、ここにも悪魔が出現するぞ。
ローデルが立ち上がる。
よし。俺がズヌーク襲撃時の当事者の一人であることに気が付いたな。
じゃあ、俺はどちらの人間だ?
ズヌークを守ろうとした側か?
悪魔側か?
それとも悪魔そのものか?
「其方は何故、私よりも早くヘルザース閣下が悪魔に襲われたことを知っていたのだ?」
そうそう。そこに辿り着いてくれなきゃ。
俺は体全身に炭素を纏わり付かせる。黒い粒子が渦を巻くように俺の体を覆う。
それを見たローデルは椅子の音を立てて、後退る。
俺の体が変質する。
黒い粒子の隙間からは俺の変質する姿が見えている筈だ。
俺の姿をよく見ようと、ローデルの目が眇められる。
黒い粒子が消える。
俺は元の一〇歳の体に戻った。魔法使いの証である白いローブを着ているが、そこに座っているのは、チンマリした子供のトガリだ。
顔が見えないようにフードを深く被って、頭を下げている。
「姿と名を偽っていたこと、お詫びいたします。」
俺は下を向いている頭を更に下げる。
「貴様は一体何者だ?」
悪魔が出現すると予想していたローデルは、少しばかり緩んだ表情をしている。
「私めは、ズヌーク閣下の客分に変わりはございませぬが、本当の名をトガリと申す、魔法使いにございます。」
「うむ。フードを脱げ。」
俺は躊躇いがちに、手を止める。
「驚かれますな。」
そう声を掛けて、フードを脱ぐ。
包帯をグルグルに巻いた顔が現れる。
訝しむローデルの前で、俺はその包帯を解いていく。そして現れた俺の顔を見て、ローデルの表情が醜く歪む。
「むっ!!」
俺の顔には皮膚がない。
耳朶も鼻も瞼もない。筋肉と軟骨が露出した痛々しい顔。
額には魔石が嵌め込まれている。
「陽射しに当たるだけでも痛みますので、もし、お許し頂けるのであれば、先程の姿に戻ることをお許し頂きたい。」
俺は頭を下げる。
「わかった。戻られよ。」
「感謝いたします。」
再び、俺の体を黒い粒子が覆い尽し、身長百九十センチメートルの偉丈夫、トロノアへと変化する。
「事情をお聞き頂けますか?」
俺の言葉にローデルは頷き、俺は静かに話し出す。
「このトロノアと申す男の体を使っている理由は三つございます。」
指を三本立て、その一本を折る。
「傷だらけの我が身を覆うためにというのが一つ。」
二本目の指を折る。
「この男が王国からの密偵であるというのが一つ。」
えへ。またいい加減なことを言っちゃった。でも必要なんだよ。王国は気にしてるぞっていう牽制が。
「なに!?」
「この男の顔を知っている者が話し掛けて来れば、その者も密偵と知れます。よって、私はこの男の皮を被っております。」
ねっ。だから俺は味方。
三本目の指を折る。
「最後に、この男の体を触媒に悪魔が召喚されたのでございます。」
「なんと。」
「ズヌーク閣下が襲われた時、私もその場に居合わせました。その場でセヌカ様はズヌーク閣下をお諫めになられたのです。セヌーク男爵家の存続を考えれば、謀反をしてはならぬと、しかしながら、ズヌーク閣下はセヌカ様のお言葉を聞き入れることはございませんでした。セヌカ様は最後の手段として、このトロノアを触媒に悪魔を召喚なさったのです。」
ローデルが険しい表情を見せる。
「このトロノアという男、密偵としては、かなり優秀な男と見えまして、セヌカ様はこの男にズヌーク閣下の謀反についての詳細を話させた上で、触媒として使用なさったのです。」
「では王国には?」
俺は首を振る。
「ご安心を。謀反についての報告がなされる前にこの男は死んでおります。」
ローデルは安心したように背凭れに体を預ける。
「しかし、召喚された悪魔が暴走いたしました。」
ローデルが顎を引いて「うむ。」と答える。
「まさに蹂躙と呼ぶべき光景でございました。」
「うむ。そうであろう。」
「私は何とか一矢報いるも、ズヌーク様は両足を失われました。セヌカ様もこれでは、ズヌーク閣下のお命が危ないと思われたのでしょう。セヌカ様はヘルザース閣下の元に行けば、更に楽しめると悪魔めを唆し、その結果、ズヌーク閣下と私は命を長らえることが出来たのでございます。」
ローデルは顔を俯かせている。
「あの悪魔は、トロノアの体を捨て、ヘルザース閣下の元に向かいました。私はズヌーク閣下の使者として、ヘルザース閣下の元に向かいました。そして、ヘルザース閣下との会見の場にあって、悪魔は再び現れ、私の皮を奪い、ヘルザース閣下を攫ったのです。悪魔は私の皮を使って、この世界を弄ぶでしょう。私にはあの悪魔を調伏する義務があるのです。あの悪魔を調伏する権利があるのです。私はあの悪魔を調伏したいのです。」
俺は顔を俯け、歯をギリギリと鳴らす。
「其方が、その悪魔を追っているという経緯はわかった。」
俺は俯いたまま頷く。
「しかし、その悪魔に勝てる算段が付いておるのか?」
俺はニヤリと口を歪めて、陰惨な笑みを浮かべる。
「今、我が体には額を始め二十八個の魔石が埋め込まれております。」
俺の言葉にローデルは体を後ろに引く。
「この魔石を使い、身につけた魔法は空間転移を可能にする最強の魔法。その魔法を用いて、彼奴の先に転ずることが出来ました。我が身朽ちようとも、必ずや、かの悪魔を駆逐してくれましょう。」
下から睨め上げるようにローデルの顔を見詰める。
ローデルの喉仏が音を鳴らして上下に動く。
「一つ聞く。」
俺は姿勢を正し、視線を自分の膝上に転ずる。
「ヘルザース閣下はどうなったのだ?」
俺は瞑目して、一拍置いた後に答える。
「悪魔はその身の内に牢獄を持っております。恐らくそこで魂を舐られ、弄ばれているものと思われます。」
「殺されてはいないと?」
頷く。
「悪魔は人を殺そうと致しませぬ。人の苦しみを楽しみ、喰らい、人の痛みを弄び、喰らうのです。その牢獄に捕らえられた者は、死ぬこと能わず、我を失うこと能わず、悪魔が倦むまで、その責め苦は続きますでしょう。」
所謂、地獄というやつだが、実際はズヌークの地下牢で寝転がっているだけだ。
そんな酷いこと出来る訳ないじゃん。
「では、其方がここに来たということは…。」
重々しく、俺は頷く。
「ヘルザース閣下を捕らえた彼奴は、同じく謀反を画策しておられたローデル閣下の元に現れること間違いないと考えております。」
ローデルが肘掛けをきつく握る。
ローデルの背後で、ガラスが割れる。
トンナがガラスとローデルの間に割って入り、ガラスの破片をその体で受け止め、オルラがローデルの腕を引いて、扉へと走る。砕けた窓を中心に石積みの壁に亀裂が走り、壁が外へ吹き飛ぶ。
俺はゆっくりと立ち上がり、中空を睨む。
さあ。イズモリとの勝負だ。




