姉はやっぱり男前だった
「トガリ。降りといで。」
壁の隙間からは、もう日の光が見えない。
かなり眠っていたようだ。
「まったく、ヒダレくらい吊るしな。」
ヒダレとは外に明かりが漏れないように、壁に吊るす暗幕のような物だ。
「忘れてた。」
姉の隣にスルリと降りる。
足音がしない。まったく、とんでもない身体能力だ。
「着てみな。」
俺の前に子供サイズの衣類が並べられる。
囲炉裏には、俺が眠っていた間に、作ってくれた鍋が火にかけられていた。
「食い物と金目の物は粗方盗られてたけど、土産になりそうな物は置いて行きやがった。」
服を手に取ろうとして動きが止まる。
土産とは、持ち帰れば自分達の集落で使えそうな物を指す。鍋や服などの生活必需品だ。
しかし、それらの生活必需品は荷物になる。それらを置いて行ったということは…
「奴ら、進軍してるんだね?」
俺の言葉に姉は頷く。
「行軍跡は伯爵領の中央に向かってた。うちの集落を襲った奴らと同じだ。」
そこで、気付く。
「姉さんの集落も…」
再び俺の言葉に姉が頷く。
「じゃあ、義兄さんやアラネやトサにトドネは…」
「オンザは死んだ。アラネとトドネは義母さんに任せて逃がしたから大丈夫…」
オンザとは、トネリの夫だ。俺の義兄になる。アラネは長女、トドネは次女だ。長男のトサの名前が姉の口から語られない。
「…トサは…?」
鍋を掻きまわす手を止め、姉は首を振った。
「わからん。死体はなかった。攫われたのか、逃げたのか…」
「土産を置いて行ったんだ、きっと逃げてるよ。」
攫えば、荷物になる。管理もしなければならない。土産を持って行くよりも進軍速度が落ちる。それならば、その場で殺すのが妥当だろう。
姉もそのことはわかっている。俺の言葉に頷くが、怒ったような表情がきつく歪む。
姉は自分の集落が襲われたから、此処まで来てくれたのだ。俺達の安否を確認するために、それこそ必死で、行方知れずの我が子のことを置いて…。
集落に戻れば、姉はきっと、きつい責めを負うだろう。義理の母からすれば、俺達一家のことより孫の方が大事に決まっている。特にトサは、たった一人の男の子だ。
その跡継ぎの行方を捜すことなく此処に来てしまったのだ。責められない訳がない。
「心配するな。この集落に逃げたかもしれないと言ってきた。言い訳は立つ。」
俺の心中を察して、二コリと笑いながら、再び鍋を掻き混ぜる。
「いいから、その服を着てみろ。」
今度は俺が頷いて、立ち上がる。
ホウバタイと帯を外し、ボロボロになった革のベスト、クルギを脱ぐ。脚絆を外し、革のチャップス、アモリを外す。このアモリ、ズボンや袴の様に繋がっていない。脚一本ごとに穿かせる仕様となっている。
手甲と手袋を外し、足首まで巻き上げられた革の紐を解き、靴を脱ぐ。革の裁付袴を脱ぎ、革製の上着、ドウカンを脱ぐ。ドウカンの袖はゆったりとしているが、体幹部分はしっかりと密着している。左体側に三本のベルトで留められているが、そのベルトを外しても、更に右体側の内側に留具がもうけられている。その留具を外して、やっと脱げるようになっている。
平らな麻紐を首から解き、麻のタートルネックのシャツを脱ぐ。麻のズボンを脱いで、下着姿になったところで姉が声を掛けてきた。
「全部治りきったわけじゃないんだね。」
姉の言葉どおり、体のあちこちに切傷が残っている。大きな傷は塞がっているが、細かい傷はそのままだ。
「死ななければいいよ。」
手当は必要ないと言外に含ませる。
「そうだね…」
姉の頷く姿を見ながら、俺は今まで着たことのなかった木綿のシャツを着る。晒しを巻き直し、新しい服に身を包み、姉の隣に腰を下ろす。
俺の方をチラリと見た後、視線を土間へと向ける。
「アガタがあるから履いてみな。」
アガタとは二重に編まれた草鞋だ。金属片を二重底の間に編み込み、スパイクにしている。足首まで紐で括りつけるため、緊急時は履くことができない。
しかし、防寒の意味では必需品だ。
ありがたく履かせてもらうが、スパイクが床板を噛むので、囲炉裏に戻るのに苦労した。
「相変わらず、ドンくさいねえ。」
いやいや。
トガリがドンくさいなら、俺はどうなる。
「どうだい?明日には歩けそうかい?」
梁で寝ていたのだ。俺の感覚では、それだけのことが出来れば十分だと思ったが、トガリの感覚では違うようだ。
姉と一緒に歩くということが、かなり難しいらしい。でも、と思う。
「うん。歩けると思う。」
姉は、少しホッとしたような顔で「そうか。」と返事して、その後は黙り込んだ。
鍋を俺に取り分けてくれた姉の横顔は、どこか怒っていた。
連れ合いを亡くし、父を亡くし、息子を見失った。きっと自分の力の無さに対して怒っているのだろう。
そして焦りもしているだろう。
「姉さん。」
首を傾げながら俺を見る。
「明日から、どうする?」
「どうするって?」
器に口を付け、汁を飲みながら、抑揚のない声で問い返す。
「トサの行方を捜すのかい?」
箸を止め、黙り込む。
俺は待った。姉が答えるのを。
「あの子は気が強いからねえ。」
姉はトサが何処に行ったのか、答えを持っているようだ。
膝の上に器を置く。
「きっとオンザの仇を討つために奴らの後を追ったんだろう…」
姉の表情に諦めた色がさす。
二人の子を養っていかなければならない。しかし、トサを追えば、姉も死ぬかもしれない。死なないまでも後遺症の残る怪我をするかもしれない。
二人の娘と一人の息子を天秤にかけたとき、重く傾くのは、どちらの皿か。
「お食べよ。アカホの肉も入ってる。滋養が付くよ。」
この話は終わりだと言うように止まっていた俺の箸を動かすように促す。
「うん。」
アカホとは山鳥の一種だ。干し飯とアカホの肉を煮込み、キギリというヨモギに似た効能を持つ野草が散らしてある。味付けは塩を少々、姉が持参した携帯用のポーチから出した物だ。
「塩なんて、よく持ち出せたな。」
「丁度、夜射ちに出掛けてたからね。戻ったところに奴らの襲撃だ。弦を外してたからね、弓を張る暇もなかったよ。」
オンザは鍛冶屋だ。だから、朝の猟で不猟だった姉は一人で夜行性の獲物を獲りに行ったそうだ。姉は弓を長くもたせるために集落の傍まで帰ってくると、直ぐに弦を外す癖が付いていた。あの時…と姉が呟いた顔を、俺は一生、忘れないだろう。
「姉さん。」
目を上げた姉の顔は普段の顔つきに戻っていた。
「トサを追おう。」
このままでは、姉は己を許すことができないだろう。追うべきだと思った。追って、トサを連れ帰るのだ。トサは殺されているかもしれない。しかし、それはトサが選んだことだ。
いずれにしてもトサの結末を知らなければ、姉はそこから一歩も動けなくなってしまう。
俺と姉は黙って睨みあっていた。
薪の爆ぜる音。
鍋が煮える音。
風の音。
やおら姉は器の中身を掻きこみ、真直ぐに俺を見る。殺気が宿っている。
「早く喰いな。直ぐに出るよ。」
やっぱ男前だわ、この姉さん。