悪魔召喚
『頃合いだな。』
よし。
アヌヤに目配せする。
アヌヤが料理を食べながら、ヒャクヤの傍に近づく。
それを見て取ったヒャクヤが、アヌヤに向かって声を掛ける。
ヒャクヤは、アヌヤに手伝って貰いながら立ち上がり、お色直しという名目でトイレに向かった。
オルラはズヌークに話し掛け、この場を辞することを伝えている。ズヌークは引き留めるが、ヘルザース・フォン・ローエル伯爵からの依頼を完了すれば、後日、ヒャクヤに会いに来ることを申し伝えると、ズヌークは、すんなりと引下がった。
アヌヤが戻るのを待つ。
俺がトンナの左腕から降りようとすると、トンナは器用に俺の両足を取って、そのまま肩に担いで、肩車にする。
俺の股の間から顔を仰向け、二コリと笑う。しょうがない。今度は肩車のままでいるかと思っていると、アヌヤがヒャクヤの手を引いて戻って来る。
ヒャクヤの衣装は軽やかな物に変わっていた。
顔の前に垂らしていた白い紗が取り払われ、綺麗な色で派手に染め付けた顔が見えている。
眼尻には青でアイラインが引かれ、額には、白い毛並みに映える赤で、菱形の模様が描かれている。
色とりどりの孔雀のような羽で構成された服は軽やかに、風に靡いて揺れている。
素直に綺麗だと思えたが、トンナの顔は、心なしか沈んで見えた。
トンナも同じような服を着たことがあるのだろう。
懐かしんでいるのだろうか。
嫌な思い出に苛まれているのだろうか。
俺はトンナの頭を優しく撫でてやった。
東屋で、ヒャクヤと抱擁を交わした後、アヌヤが俺達の元に戻って来る。
俺達は再度、ズヌークに別れの言葉と再会の約束を果たして、その場を離れた。俺達の仲間が手に入ったからか、オルラからの別れの言葉に素直に応じていた。
オルタークから、ヘルザース・フォン・ローエル伯爵宛の書状を渡される。ズヌークと約束した到着遅延の理由を認めた書状だ。
そのまま、オルタークに案内されて、大広間を出て、長い廊下を歩く。
大きな階段の脇から玄関ホールに出た所でそれは起こった。
金切り声。
悲鳴。
絶叫。
怒号。
俺達はその場で振り返り、もと来た廊下を走り出した。
突如、ヒャクヤが立ち上がり、捻じれた声で喚き出す。
周囲を取り巻いていた組男爵達は何が起こったのかわからないまま、呆然とし、目の前で起こった出来事に目を奪われていた。
ヒャクヤの赤い瞳から、瞳と同じ色の涙が流れ、口からも同じ色の泡を吹き出す。
意味を捉えることの出来ない声が、次第に意味のあるものへと変わっていく。
ノイズだらけのラジオが徐々に周波数を合わせていくように、男のような声が漏れ出してくる。
「ズ・ズヌ…―ク…わ・わ・私のい・い・つけ…を・ない・が・し…ろ・に・に・に・に」
聞き取り辛いその言葉で、ズヌークは全てを理解した。
ヒャクヤは目、鼻、口から血を流し、天を仰いで、喘ぐように口を動かす。
額から血の筋が垂れ流れ、真直ぐに鼻梁を通って、口に辿り着く、そのまま顎を割って、喉を縦に斬り割く。
指先から真直ぐに手の平に向かって一筋の赤い線が引かれていく。
衣装が断ち割られ、体の中心を血の筋が奔る。
傷は盛り上がり、外側に向かって捲れ上がる。徐々にだが、大きく捲れ上がり、捲れ上がった肉は骨を新たに包み直すように、巻き込まれて、新たな肉体を形作る。
肉の内側から出現したのは、男だった。
肉と血に塗れた禿頭の男。
頑強な肉体に、剥き出しの血管が縦横無尽に網目のように走っている。
ロボットダンスを踊るように不自然な動きで、首を捩じりながら一歩前に進む。
その動きだけで、周囲に居た組男爵は一斉に逃げ始めた。
血まみれの筋繊維が伸長し、瞬時に組男爵を捕えて、地に引き摺り倒す。
男の爪先からは血が垂れ流れ、血溜が出来ていた。その血溜の中を走る筋繊維が、周囲へと触手のように走り出す。
武家方筆頭用人のスパルチェンを始めとする警護役がその触手に捕えられ、拘束される。
ナシッドは拘束されるに留まらず、口に肉塊を詰込まれ、魔法発動の呪言を唱えることも出来なくなった。
足を拘束されたズヌークは、そのままの状態で、男の目の前に引き摺られる。
「ズヌーク…王国を裏切ることは許さぬ…此処にいる組男爵にも告げる、国を裏切り、戦乱を呼び込むことはセヌカ・デロ・セヌークが許さぬ…。」
昨日聞いた言葉と同じ言葉。
ズヌークは恐怖に首を振って頷くことしか出来なかった。
「ズヌーク、貴様の肉を私に…」
言葉が終わる前にそれは始まっていた。
絡みつく触手が脈動と共にズヌークの肉を奪い去っていく。
爪先から始まった激痛が、徐々に脛を登り、膝へと近付いている。
金切り声。
悲鳴。
絶叫。
怒号。
それらの声が最高潮に達した時、その場に四人の魔狩りが再び現れた。
「アヌヤ!高い場所から狙撃!」
走り出したアヌヤの両手に対物ライフルが再構築される。
「オルラ!触手から他人のエネルギーを吸収してる!触手から犠牲者の離脱を!」
やはり腰に再構築された小太刀をオルラが抜き放ち、近くで倒れているテルナ族から救出を始める。
「トンナ!行くぞ!!」
トンナが、トガリを肩に乗せたまま走り出す。
二歩で三十メートルの間合いを潰す。
近付く触手はトガリが分解消去。
眼前に現れたトンナにセヌカは一瞬たじろぎ、両手で掴みかかろうとするが遅い。
常人ならば、十分に通用する速度でも、トンナにとってはスローモーションと同じだ。
セヌカの伸びる両手を弾き飛ばしながら、トンナの右ストレートがセヌカの顔面を打ち抜く。
三十メートルの距離を二歩で走り抜けた加速と拳の加速はセヌカの顔面を粉々に四散させる。
トガリはトンナの肩から後方宙返りで地面に着地、同時にズヌークを捕える触手を小太刀の抜き打ちで断ち斬る。
「トンナ!!」
その一言でトンナがバックステップ、ズヌークを飛び越える間際にズヌークの腕を掴んで、そのままタオルを振り回すように右脇に挟み込む。
トガリは、トンナに呼び掛けた瞬間に、トンナの背中を駆け上がり、既にトンナの左肩に立ち乗っている。
追撃の触手を小太刀で斬り落としながら、分解消去で、セヌカの追撃を許さない。
口を開くセヌカ。
腹が異様な胎動を見せる。
大きく開かれた口の直前に小さな炎がポッと灯る。
喉が大きく膨らみ、体を撓ませたセヌカが口から液体を吐き出す。
吐き出された液体に小さな炎が引火して、炎の帯となってトガリとトンナを襲う。
トガリは突き出した左手で眼前の空気から酸素を除去。
燃焼しきっていない炭化水素を更に炭素と水素に分離する。
マイクロマシンでセヌカの周囲を分解した水素で覆う。
その外側を更に分厚い圧縮空気で、覆い尽くす。
電離したマイクロマシンがその外側をさらに包み込み、強電磁波をもって、空気の壁を障壁へと変貌させる。
セヌカが再び、口の前で炎を灯す。
水素に引火し、気体爆発が起こる。圧縮した空気の壁内で逃げることのない爆発が混じるように対流し、爆縮現象でプラズマ化、爆音と共に発光現象を引き起こす。
跡には何も残っていない筈が、そいつはしっかりと立っていた。
見た目はグズグズに焼き爛れていたが、それでもその姿勢はしっかりとしていた。
未だ断ち斬られていない触手から、エネルギーと物質を吸収していた。
オイオイ。今ので終わりじゃないのか?
『いや。まだだ。脚からの供給を止めなきゃな。』
ウトーン。
「トンナ来るぞ!!」
距離を稼いだトンナがズヌークを下ろし、再びセヌカと距離を詰めようとした時、セヌカの周りで空間が歪む。
光の屈折率が変化するほど、圧縮された空気が、爆発的に飛散する。
セヌカを中心に圧縮された空気が伝播する。
トガリはトンナの背後に回り込み、自分の力で、トンナの背中にしがみ付く。
トンナは自分の顔を、両手をクロスさせてカバーする。
オルラは伏せて、やり過ごす。
触手に絡み取られた者達の頭上を強烈な衝撃波が通り過ぎる。
巨大な壁が高速で叩きつけられるような感覚にトンナの体が一瞬ぶれる。
それでもトンナの巨体は、その場に立ち続けた。
電離したマイクロマシンがセヌカに吸着。そのままマイクロマシンが伝導路を形成する。
「やれ!トンナ!!」
トンナの肩に装着されたアギラの角が青白く発光し、トンナが吠える。
「プぎいいいいいいいいい!!」
両手の、巨大な蹄のような爪を力一杯に打ち合わせる。
両肩の角が真っ白に発光し、電弧放電、アーク放電が発生、放電した白い光が両肩の角で繋がり、巨大な稲妻が絶縁破壊の音を響かせ、セヌカに奔る。
一万ケルビンを超える高熱のプラズマがセヌカを焼く。
「アヌヤ!!」
屋敷の二階から対物ライフルが二連発で火を噴き、セヌカの両足を吹き飛ばす。
「オルラ!!」
オルラのツブリがセヌカの胴体に巻き付き、ツブリの端を持ったオルラが東屋の屋根に飛び上がり、セヌカを宙吊りにして固定する。
「トンナ!!止めだ!」
「らあああああああああ!!!」
叫ぶトンナがセヌカの眼前に迫り、ダイヤモンドと化した両掌をセヌカの頭を挟み込んで打ち合わす。
物理的な衝撃を伴い、鼓膜を劈く巨大な衝撃音が響き渡り、音が消失する。
トンナの両掌に包まれるように存在した空気は、一瞬で高圧、高温化し、プラズマとなってセヌカの頭部を消滅させた。
大量の霊子がセヌカから爆散し、幽子へと還元されていく。
「よし。」
頭と足を失って、人の形状を維持できなくなった肉塊はズルリとツブリの紐から垂れ落ちる。
垂れ落ちると同時に粉末となる。その粉は地に落ちる前に消え去っていく。
「終わった…。」
『ああ。ご苦労さん。合格点だな。』
この人、当初の予定から完全にブレちゃってるよ?
『そう言うな。お蔭で、いい実証実験が出来た。トンナの新型スーツのテストも出来たしな。』
そいつは良かった。にしても、当初の予定と違い過ぎてない?
『俺の中では予定通りだ。お前に言ってなかっただけだ。』
何それ?酷い。
『それは俺達も激しく同意。』
あれ?イチイハラも?
『だって、トンナちゃんに放電のコツを教えてたのは俺だよ?プラズマなんて説明できないよ。』
『俺なんて、もっと疲れた。』
カナデラ?
『あの化け物と触手の操作、炭化水素、ガソリンの精製でしょ?空気圧縮に霊子の精錬…どんだけ同時進行でやらせるんだよって感じよ?』
『俺達の並行作業も順調に熟せたからな。十分な試験結果だ。』
全然、罪の意識を感じてないのな?お前って。
『お前らが文句を言うのが実証実験の先か後かの違いだ。説明する手間を省いただけだ。』
言い訳する手間は?
『そんな手間、ある訳ないだろう?』
言い訳の存在すら否定しやがったよ。
俺はトンナの右肩によじ登り、トンナの頭を撫でてやる。
「よくやった。ご苦労様。」
「えへへへ。」
トンナが嬉しそうに笑う。
俺達は周りを見回した。
怪我人は組男爵とズヌークのみ。
怪我と言っても大した怪我じゃない。
深刻なのはズヌークだけだ。深刻な怪我と言っても分解された四肢だ。俺がちゃんと記録保存している。ただし、遺伝子情報を摂り込んでいないから、ちゃんと元通りになるかどうかはわからんが。
オッサン連中の髪の毛や血を摂取するのは魔獣の物を摂取するより、ごめんだ。
とにかく、これで、こいつらは、戦争どころじゃなくなった。
ヒャクヤを公式の場で殺させてしまったのだから、国王陛下とテルナ族には言い訳できない。事件の発端はズヌークの謀反を止めようとしたご先祖様の仕業だから、当然、詳細を報告することも出来ない。
悪魔のような自分のご先祖の襲撃にあって、重傷を負ったため、王都への参集も謀反もオジャンだ。
あとはヘルザースを止めればミッションコンプリートだ。
ズヌークの元に近づく。
ズヌークは家族に囲まれ、妻に抱き起されていた。
俺はズヌークの顔を見る。
憔悴しきっている。
「平気ですか?閣下。」
大丈夫ですか?とは聞けない。左足は膝まで、右足は鼠径部、股の辺りまで、完全に食われてしまっている。
「トガリ殿か。助かった。何と礼を申してよいか…言葉では言い現わせぬ。」
俺は首を横に振って、気にするなと身振りで伝える。
「それよりも閣下、問題はヘルザース・フォン・ローエル伯爵です。」
俺の言葉にズヌークは俯く。
「閣下の曽祖父様は国王を裏切ってはならぬと仰ってました。今回は退けることが出来ましたが、曽祖父様は魂と心だけの存在。いつまた復活されるかわかりません。」
憔悴した表情のまま、ズヌークはその表情を歪める。
「討伐という訳にはいかぬか?」
「はい。魔獣とは違います。ヒャクヤ殿の体に憑依した曽祖父様の魂でございます。悪魔に堕ちたと言っても過言ではございません。別の体を見つければ、また同じことが繰り返されます。」
まさか、俺のマッチポンプだとは思うまい。ズヌークはこれで詰みだ。
「閣下が共に立てぬとわかれば、ヘルザース・フォン・ローエル伯爵は閣下の領土を攻め滅ぼすでしょう。」
「なに?!そなた!何故そのことを?!」
俺は冷めた目でズヌークを見詰める。
「曽祖父様から話を聞いておりますれば。」
ズヌークは、体から力を抜き、起こしていた上体を妻の腕の中に倒れるように横たえる。
「左様か。そうであったな。そなたは大爺様と話せるのであったな。」
自嘲気味にズヌークが笑う。
「もはや、この体ではヘルザース・フォン・ローエル伯爵と共に立ち上がることもかなわぬ。かと言って国王の勅命に応えることもかなわぬ。我がセヌーク男爵家もこれまでだ。」
ズヌークを支える妻も周りを囲む子供達も暗く俯く。そんなズヌークに俺は藁を投げ入れてやる。
「閣下、勅命にはお子を名代とすれば、問題ございませんでしょう。」
ズヌークが俺を見る。
「私が考えますに、カルザン帝国は動きを見せて、動きませぬ。動くと見せて、ハルディレン王国の兵力を東に集結させることが真の目的。手薄になった西側に新王国を建国させ、ハルディレン王国の国力低下を狙ったものと推測しております。したがって、お子を名代として、軍を東に差し向けても何ら問題はございません。」
ズヌークは目を閉じる。
「成程。そういうことか。私はローデル閣下の掌でいや。カルザン帝国の掌で踊っておったのだな。」
再び「ふふふ。」とズヌークが笑う。
「ヘルザース・フォン・ローエル伯爵につきましては、私にお任せ願えませぬでしょうか?」
ズヌークが目を見開く。
「なんと!トガリ殿が!」
俺は強い眼差しを向けたまま頷いた。
「今回の事の発端はヘルザース・フォン・ローエル伯爵の策謀が起因でございます。そのために私はヒャクヤ殿を失いました。共にアギラを討伐した魔狩りの仲間をです。」
俺はありったけの殺気を辺りに振り撒いた。
周りの人間が本能的に体を震わせる。
ズヌークは掴むしかない。
当代きっての魔狩りと信じて疑わない俺の申し出である。しかも、ズヌークには後が無い。俺の差し出した手を握らなければ、家族どころか領民全てを巻き込んで崖下に転落だ。
「わかった。トガリ殿、そなたにお任せしよう。しかし、私にはそなたに報いる術が判らぬ。如何にしてそなたに報いればよいか?」
代償は支払わせる。代償を求めなければ信用されない。
「まず二点。」
俺は指を二本立ててズヌークの前に差し出す。
「一点は私達、魔狩りを客分として召し抱えて頂きたい。そうすることでヘルザース・フォン・ローエル伯爵と一戦交えたとしても、私共は糾弾されることはございません。」
ズヌークは頷く。
「うむ。そのことについては、私の方からお願いしたきこと、問題はない。そなた達魔狩りを、私、ズヌーク・デロ・セヌーク男爵家の客分として迎え入れよう。」
俺は頷き、二点目の要求を話す。
「二点目はテルナ族からの村出の嫁は、必ず、セヌーク男爵家で迎え入れるが、該当する村出の嫁は、テルナ族の里から出る必要ない、と、お約束していただきたい。」
ズヌークは瞼を閉じて、少し考えた後に頷く。
「うむ。つまり、テルナ族は村出の嫁を掟どおりに送り出すが、それはあくまで表面上であって、実質はテルナ族限定の村出の嫁の廃止だな。」
俺は意思表示せずに黙ってズヌークを見詰める。
「わかった。今回のヒャクヤ殿の一件は私の不手際、その点も吟味してのことであれば、その申し出、お受けいたそう。」
俺は頷いて最後の条件について話し出す。
「最後にもう一点ございますが、そのことについては、成功報酬ということに致しましょう。この要求は、願いの様なものでございますれば、叶えていただく必要はございませぬ故。」
ズヌークはホッとしたような表情を見せて、「さようか。」と頷いた。
妻の助けを受けながら、ズヌークが上体を起こす。
頭を深々と下げて、顔を上げる。真摯な視線だ。
「改めて、トガリ殿にお願い申し上げる。セヌーク男爵家をヘルザース・フォン・ローエル伯爵の脅威から救ってくだされ。」
俺はズヌークの手を取って、力強く頷く。
「必ず。」
「オルターク!」
ズヌークが祐筆に俺達を客分として迎えた事実を書面に記すように伝える。
オルタークは直ぐに書斎へと向かい、書類の用意を開始する。
「皆様にお聞きいたします!」
俺は立ち上がって、この場にいる全員に向かって声を上げる。
「テルナ族の族長はご無事か?」
「ここに!」
屈強なテルナ族の男が立ち上がり、俺とズヌークの傍に歩いてくる。
「ヒャクヤ殿のこと、残念でございました。」
俺は深々と頭を下げる。そんな俺とテルナ族の族長、コロノアとの間に割って入るのはズヌークだ。
「いや。トガリ殿が頭を下げるは、筋が違うというもの。今回の不始末、全て、私の不徳の致すところ。申し訳ない。」
妻に介助してもらいながら、無理矢理に上体を起こして、頭を下げるズヌーク。そのズヌークに対して、コロノアがキツイ視線を向ける。
「今回の原因が何故のものなのかは、私にはわかりませぬ。ただ、この事件の詳しい顛末はお教えいただけるのでしょうな?」
テルナ族の族長として、コロノアは、その体に似合った重厚な声でズヌークに問いただす。
「無論。」
ズヌークが素直に答える。
「その件について、お話があります。」
二人の間に今度は俺が割って入る。
「私は、ヒャクヤ殿が、このような陰惨な死に目にお遭いしたのは、村出の嫁なる掟が原因と考えております。」
「トガリ殿。しかしそれは王国との取り決め。恥ずかしながら、我らの脆弱な生産力では、我ら自身の食い扶持を稼ぐことができませぬ。故に、我らは王国から食糧支援を受ける代わりに戦働きと村出の嫁で、その忠誠を立てておるのです。」
「コロノア殿のお話は然り。しかし、忠義はその働きによって示されるものであって、人質によって守られるものではございません。人質を必要とする忠義は誠の忠義とは申しませぬ。」
「されど、人質を言われるがままに差し出すことも忠義の証の一つと私は考えまするが、その点については如何か?」
「確かに、コロノア殿が仰ることには一理ございますが、現にその忠義の証そのものであったヒャクヤ殿は、ズヌーク閣下の因縁によって、このような死に目にお遭いになられた。この場合のテルナ族の忠義はどのような形で立てられるのか?それをお示しいただきたい。」
「むう。それは…。」
コロノアが俯いて黙り込む。
「王国に対して忠誠を誓い、その忠義の証を立て続けるのは、誠にご立派でございます。」
言葉を一旦切って、組男爵を見回す。
「この惨状、忠義の証たる村出の嫁が、禍根の一因となりませんでしょうか?」
組男爵が下を向く。俺はコロノアの表情を見詰める。
「私は、王国に逆らえと申している訳ではございません。あくまでも、テルナ族の忠義は王国とともにあるものでございますれば、同じ忠義を立てる者同士、手を取り合ってご協力しては如何と、ご提案させていただくだけでございます。」
コロノアが鋭い視線を俺に向ける。
俺は、先ほどズヌークに話した条件をコロノアに話す。
コロノアは目を閉じて黙考するが、目を開いたとき、「わかった。」と答えた。
このコロノアとの小芝居も打ち合わせ通りなのだが、中々にコロノアも役者だ。
俺は頷いて、組男爵達に視線を転ずる。
「今回の事件をもって、ズヌーク閣下のご嫡男が、ご名代として、王都ご上洛となることとなりました。私共魔狩りが、ヘルザース・フォン・ローエル伯爵様の侵略行為に対抗いたします故、皆様方におかれましては、ズヌーク閣下の元、一致団結し、この困難を見事乗り切っていただきたいと切に願っております!」
再びズヌークに視線を送る。
「この窮地、トガリ殿の申す通り、身命を賭して乗り越えて見せる。」
ズヌークの言葉を聞いて、俺とトンナそしてオルラはコクリと頷き、その場を後にした。
廊下に出たところで、オルタークが頭を深く下げた状態で、封書を両手で捧げ持っていた。
オルラがその封書を手に取る。
「どうか。ズヌーク様をお救いくださいませ。」
震えた細い声。
懇願する気持ちがストレートに乗った声だった。
「人外のモノさえ打ち滅ぼす力です。トガリを信じてください。」
オルラが優しい声で答える。
う~ん。何だか、凄く悪い気がしてきたぞ。
『気じゃなくて、悪いことしてるだろう?』
『うん。完全にマッチポンプで、窮地に追い込んでるもんね。』
『これが悪くないなら、何が悪いことなのか教えてほしいよね。』
おいおい。お前らとも相談済みだろ?何で俺だけがこんなに責められる?
『実行犯はお前だけだろ?』
『そう。俺達は話を聞いて、良いんじゃない?って答えただけ。』
『だよね~?』
人生でこれだけ殺意を覚えたのは初めてだよ。
『自殺するのか?』
『おお。そうすると、次の表出人格は誰?』
『俺?』
『第一副幹人格の俺だろう?』
泣いて良い?
『鬱陶しい。』
『泣いて良いよ~。』
『泣けるよね~。』
自分に対して文句を言っても不毛なだけだと再確認した。
うん。
実に不毛だ。と、いうことで、一旦、俺達を無視することにする。
俺は後ろに跳んで、デフォのトンナの左肩にフワリと座る。
貴族の玄関はでかいから、頭を打つこともないから安心だ。
「トガリ。」
トンナは俺の太腿を左手で撫でてから、両膝を纏めて抑える。
アヌヤが二階から合流してくる。
「トンナ姉さん!ちゃんと当たったんよ!」
嬉しそうにトンナに抱き付くアヌヤの頭をトンナが撫でる。
「よくやったねアヌヤ。」
「あいな!クソガキの言うとおりにやったんよ!」
あれ?トンナはトンナ姉さんで俺のことはクソガキっておかしくない?
「いや~、ほんと、クソガキは大したもんなんよ。クソガキの教えてくれたとおりに、落ち着いて、自分の指に当ててくれって念じたら自然と照準がブレなくなったんよ。」
おやおや?クソガキが定着してるぞ?
「アヌヤ。トガリにちゃんとお礼をお言い。」
あれ?トンナさん?俺、クソガキって呼ばれてますよ?
「うん。クソガキ、ありがとうなんよ。」
うん。
クソガキってトンナ的にもOkなんだ?
うん。まあ良いよ。
ガキだしな。
クソかどうかはわからんが…
俺達は、一旦テルナ族の里に戻り、来客用の家屋に入る。
囲炉裏の傍には布団の中で眠るヒャクヤがいた。
「ヒャクヤ、起きな。」
トンナがヒャクヤに声を掛けると、直ぐに目を覚ます。
ヒャクヤもアヌヤと同じく、トンナの下僕となっている。勿論、コロノアの了承を貰った上でだ。
下僕は主人と魂で繋がっているから、どんな命令でも絶対服従なのだが、恐ろしいことにそれは生理現象にまで及んでいる。
アヌヤとヒャクヤをトンナの下僕にした一番の理由は、瞬間移動のためだ。
俺は瞬間移動をできる限り秘匿したい。だから、口の軽い者達と一緒に瞬間移動する訳にはいかない。
結果、最も手堅い手段としては、仲間の下僕にしてしまうのが、最も適切かつ、単純な手段なのだ。
で、何故、一緒に瞬間移動することが前提条件かと言うと、今回のことで失敗した場合はトンズラするためである。
卑怯と言われようと無責任と言われようと、俺は逃げる時は、しっかり、キッチリと逃げる。
俺が失敗すれば、オルラもトンナもその巻き添えになる。それだけは絶対に嫌だ。
俺はテルナの里で、一匹の豚を分解再構築し、その姿形をヒャクヤそっくりに仕立て上げた。
豚には可哀想だが、豚の精神体と霊子体は、そのまま消滅していただいた。
空っぽの肉体が出来上がったところで、その肉体の頭の中にアギラの魔石で霊子受信回路を作製。
ヒャクヤの霊子を、新たに作ったヒャクヤの霊子発信回路から発信させて、ヒャクヤに豚製のヒャクヤの体を操作させていた。
コロノアには、この魔法を使うためには、トンナと魂の繋がりが必要と嘘をついた。
まあ、前振りとして、ズヌークが王国を裏切り、ヒャクヤを人質としてテルナ族を脅してくることを懇々と話しておいたことと、ヒャクヤ自身がトンナの下僕になることを強く願ったために、コロノアも納得したんだが、何で納得するのかが、俺には理解できん。
だから、ヒャクヤはこの家から一歩も外に出ていない。
霊子発信回路と霊子受信回路は霊子受発信回路として一つのイベントで作製した。
この二つで一つの霊子回路は、量子もつれを起こしており、霊子発信回路からの情報は霊子受信回路にて、一瞬で受信される。距離は関係なく、傍受も阻害もされない、完璧の情報通信技術だ。
面白いのは、アヌヤとヒャクヤのオリジナルの霊子回路にも同じ現象が観られることだ。
一つのイベントで作製された精神体、霊子体、そして、霊子回路は量子もつれを起こし、片方の状態が確定されると、もう片方の状態も同じ状態に確定される。
肉体の制限があるため、全てが同一状態に確定されるわけではないが、アヌヤとヒャクヤはどんなに離れていても、ある程度はお互いの状態というのがわかるのだそうだ。
双子って凄いなあ、と、素直に思った。
イズモリが、散々、量子テレポーテーションについて色々説明してくれたが、俺にはさっぱりわからなかった。最後に双子のテレパシーを人為的に作るんだよ。と言われて「ああそうか。」と納得した。
『お前は本当に俺の説明を台無しにしてくれるよ。』
しょうがないだろ?わかんないんだから。お前が専門用語を使いすぎるんだよ。
だから、ズヌーク邸でチョコンと座っていたのは、中身はヒャクヤで、外身は豚で作った生体人形ヒャクヤだ。
流石に火炎放射器の真似とかは出来ないから、お色直しをした後はカナデラが引き継いだが、中々に疲れたことだろう。
目を開き、上体を起こしたヒャクヤの前に、俺は屈んで視線の高さを合わせる。
「気分はどうだ?」
ヒャクヤはコクリと頷き、「何ともないの。ありがとう、ジャリガキ。」とぬかしやがった。
叩いてやろうか?
「とにかく、お前は死んだことになってるから、これから、お前の外見をチョットだけ弄るぞ?」
「うん。お願いなの。」
素直に頷く。
俺はヒャクヤの顔を両手で覆い、そのまま、首、肩、胸と背中、腹へと両手を翳していく。終わった時、そこには白猫はいなかった。
碧の目をした銀青の猫がいた。
「何だかヒャクヤじゃないみたいなんよ…」
「…ヒャクヤじゃないみたいにしたんだよ。」
俺の突っ込みにアヌヤが目を丸くする。
「やっぱ、クソガキは凄いんよ。」
素直に尊敬の眼差しを向けてるくせに、何で蔑称なんだ?馬鹿だからか?
「なあなあ、クソガキ。」
いい加減シバこうかとアヌヤを見ると、胸をはだけて、俺の眼前に毛むくじゃらの胸を突き出していた。
「あたしの胸を大っきくして欲しいんよ。お願いなんッギャ!」
俺の突っ込みより先に、トンナの拳骨の方がはるかに速かった。
アヌヤは胸を晒したまま、頭を押さえて、床をゴロゴロと転がり回る。よっぽど痛かったようで、声も出せない状態だ。
「さあ、遊んでないで、出発するよ。ヒャクヤは早いとこ準備しな。」
オルラの一声で、全員の雰囲気が引き締まる。
そうだよ。年長者ってのはこうなんだよ。
かくあるべきなんだよ。
俺が一番の年長者なのに…




